作品主義と観劇の話

 SNS等見ていると様々な舞台界隈のオタをなされている方々が様々な舞台をお好きなように楽しんでいる投稿をお見かけする。
 そんな中で時々話題になるのが劇団四季の「作品主義」と「推し目当ての観劇」である。

 劇団四季は「作品主義」を掲げているので明らかなスターを作っていない。ある演目では役付きでもある演目ではアンサンブルなんてことも少なくないし、一度演じた役でも再演時にオーディションを必ず受かるとも言えない。パンフレットのキャスト紹介に名前が載ってもデビューしないこともあるかと思えば「この役をやってくれ」と上から言われて2週間の稽古で新役デビューなんてこともある。明らかな看板俳優というのを公式側から提示しない。作品のために俳優がいる、という考えが劇団四季だ。

 とはいえどうしたって好みの俳優さんは出てくるし、劇団側だって某夫人が看板女優の立ち位置に長く君臨していたり某悩める王子の戯曲では明らかにその役者ありきのWキャストを組んだりと、純粋に作品だけにフォーカスした上演がされているとは言い難いこともある。そりゃそうだ、にんげんだもの。

 この世は舞台、人は皆役者である以上、演じる方も見る方も個性があるし好みもある。「四季はいつでも一定のクオリティが保たれているから演者は気にせず好きな時に見られて嬉しい」という観客もいれば「四季はいつでも一定のクオリティが保たれているから声と演技が好みの人で見たい」という観客がいるのは当然なのだ。

 「作品主義」は上演にあたっての四季の理念であって観客を縛る呪文ではない。だから観客側は「作品主義」を劇場内では尊重すればいいのではないかと私は考えている。例えばあからさまにファンサを求めないだとか、休憩時間に推しをアゲるために他の俳優さんを悪し様に言わないだとか、役割を勤めている状態の役者を素の状態に戻すような行為は避ける、とかである。

 人が皆役者であるなら劇場はあらゆる役の人がひしめき合っている場所である。舞台の上の演者もそうなら裏方スタッフさんたちも観客席を埋める私たちもそうだ。この場で私が主人公であるなら、推しの俳優さんが主人公であるなら、隣の観客が主人公であるなら、その世界の中で自分がどのような立ち位置として登場するのかを考えれば、自ずと四季の「作品主義」の観客としてそぐう振る舞いになると思う。

 あとはもう「心は決して従いはしない」とベルも言っているので「推しは今日も絶好調じゃねぇかカッコいいなこのやろう」とか「ああー!推しー!目線ください!推し!」とか心の中では推しに全力投球で騒がしくしながら双眼鏡を覗いたり拍手を送ったりお手振りしたら良いのではないだろうか。チケットだって推しの追っかけで取ったとして黙っていれば分からないのだからしれっと取ればいいし、いくらでも見ればいいと思う。私はなるべく満席の劇場で作品が上演されて欲しいので見に行ける人はガンガン見に行けばいいし、推し目当てでチケットを取るうちに作品の良さにどっぷり浸かってしまうこともあるだろうからそこはアリだと思っている。ただ、推し以外にもきちんと喝采を。推しだけでこの舞台が上演されている訳ではないのだから。

 SNSのおかげで色々な意見が聞こえて嬉しい反面、意に沿わない話が聞こえるとちょっと気持ちが騒ぐこともある。私のこの観劇理念だって「それは違うんじゃない?」と思う人もいると思う。でも人は人、私は私で信じたいものを信じ、プロのモブ観客として人に迷惑をかけぬよう観劇していこうと思う。

 あとこれだけは言いたいのだが、思ったことが人の目に触れやすい昨今、あんまり派手に騒ぐと暗黙の了解の暗黙ができなくなるのでそこは気をつけた方がいい。

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高矢 色
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