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続・JCS観劇記


昨日『JCS』の観劇記をアップした。↓

あまり長くなってもな…などと遠慮して切り上げてしまったらヘロデについて全然書いてないし、まだ色々書き足りないことに気づいたので続ける。同じネタでもうひとつ書くのもなぁ、とも思ったが、これは私のnoteなんだから遠慮せずに好きに書いていこうじゃないか。noteはサンクチュアリだってカジモドも言ってる。言ってないよ。

ということでまずは書き損ねたヘロデである。
あのナンバーは『JCS』唯一、なんの躊躇いもなく観客が拍手できるナンバーだ。
『私はイエスが分からない』も時々拍手が入るが、あそこは訓練された四季オタが少ない方が拍手率が高いイメージがある。そして凄すぎると圧倒されて誰も拍手ができないまま次の場面に移る。なので基本的に拍手はない。
ちなみに今回の刈谷公演も拍手はなかった。ソウルフルで劇場内に響き渡る、とても純真な『私は〜』だった。素晴らしかった。

閑話休題。
ヘロデのナンバーは『JCS』の中で場違いなくらい場面が明るい。ボロ衣装の民衆が砂埃にまみれながら荒野を走り回っていた舞台に突如清潔感溢れるカーテンに素敵絨毯のハイソ空間が現れ、絢爛豪華なヘロデ王たちがいる。
このヘロデ王シーンへの場面転換は何度見ても唸る。カーテンと絨毯という布モノ2枚だけで場面の表現はしているが、実質その華やかさを担っているのはヘロデとその取り巻きの衣装とダンスだ。すごく思い切った表現だと思う。
もうとにかくヘロデメンバーのキラッキラぶりがすごい。あのヘロデの宝石でできた顎紐みたいな謎のアクセサリーなんていう名前なの?顎紐チャラチャラ?
取り巻きのアンサンブルは絶対衣装の早着替えが大変だと思うのだが、それでもあの衣装と化粧と美貌はあのシーンに必要不可欠な要素だ。ありがとうアンサンブルさん。早着替え手当とか渡したい。銀貨チョコでいいだろうか。どうしても銀貨チョコ渡そうとするやん。

ヘロデは演者によって受ける印象が全然違うのだが今回は茶目っ気たっぷりの煽り系ヘロデだった。表情も動きもすごく面白い。面白いに振り切っている。ジーザスの反応を煽るが全然ジーザスが動かないので卒倒しそうなくらい怒る。子供みたいなヘロデで取り巻きもなんだかんだで幸せそうなヘロデ家に見えた。

今回ヘロデを演じられた劉氏は韓国出身だそうでナンバーのラスト、ヘロデが首の後ろを手で抑えて卒倒するような表現をするのだが、どうやら韓国のおっさんがむちゃくちゃ怒った時の表現らしいと聞いて笑ってしまった。日本の舞台でユダヤの王が韓国のおっさんの怒り方をするのだ。なんて多国籍。

あと前の記事でも少し書いたが、これまで何度か『JCS』を見たがここまで作品の中で全てが語られて逸脱していない演じ方で見たのは初めてだったので本当に感服してしまった。
これまでは「余白」をとても見せてくれていた。それぞれのキャラクターを作品が広がるような演じ方で見せてくれていたように思うが、今回は「深度」を見られたように思う。歌詞の掘り下げがよくできているように見える。

ジーザスは最後まで父なる神の存在を本当の父のように見て、尽くし、問い、諦めて死に様を見せているように感じ取れた。ひとつめの記事にも書いたがゲッセマネであそこまで本当に父なる神を信じて交信を試みているようなジーザスを見たのは初めてだった。
ユダが「あなたまでが自分のことを神の子だと信じるとは」と歌うのを聞いて、今までなら「いや、そう思ってるように見えるだけじゃない?」と肩を叩いて否定できていたが、今回のジーザスは「ね、ホントそうよね」という他ない。
ずっと「死ぬほかはない」と言っている中でユダに「彼らが待っている」と逮捕をけしかける。幕引きを託すなら「片腕のような」ユダだったのだろう。

ユダは「私は分からない、どうしてあげたらいいのか」の言葉通り、動いたものの惑う。仕方がなく来たまでだし、ただジーザスを救いたいことがよく伝わってくる。ただ浅慮である。
覚悟の決まらないままに来たから言い訳がすごい。司祭にもジーザスにも「聞きたくない」と言われるのも納得だ。
隙があるから銀貨も握らされるし、「ユダ、ご苦労だった」とジーザスの前、名指しされて青ざめ逃げる。
そして死して全ての煩わしさから解放されたようにスーパースターを歌うが、私は理解ができない、考えを知りたいだけさ、と死してなお、「私は分からない」を引きずっている。

マリアもここまで娼婦に振り切ったマリアは初めて見たと思う。男も女も愛したことさえないわ、と歌うのを見て、きっと愛されたこともなかったのだろうなと思う。
だから今まで見た母性溢れるマリアより全体的に愛し方が不器用に見えて良かった。ジーザスと無遠慮に見つめ合うし、「今宵安らかに」も「私はイエスが分からない」もパワフルめでいい。愛情の火力が分からないマリアなのだ。その若さと新鮮さがいい。ジーザスが癒やされているかちょっと分からないくらいなのもいい。

そこにグロテスクなほどの熱気を持ったアンサンブルが乗っかってくる。もう打ちのめされるほど良かった。
作品が素直に演じられて、それぞれが必要なものを余すことなく提供してくれて非常に良かったのでこれもう教材として映像に残さなくて大丈夫?と思ったくらいである。

好きな演目なのでそりゃあ何度も見たくなるのだが、今回は終演直後に全国ツアーであることを恨めしく思ったほどだ。これが近くの劇場でしばらく上演されていたら何枚チケットを追加したか分からない。しかし財布は守られた。

舞台は消え物だし、同じキャストで同じように演じていても全く違う見え方をすることもある。
私はこの刈谷公演が見られて本当に良かった。

なので、もう一度、来ていただければと強欲なことを思っている。

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高矢 色
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