冒険には挑めるかという話
先日、およそ20年ぶりに劇団四季のキャッツを見た。
2018年の大改変後、初の観劇である。
子育て等あって観劇からは少し距離を置いた生活が長かったが元々劇団四季箱推し、キャッツは好きな演目だ。
人生初観劇が志村幸美氏、ヘビロテ期が坂本泰子氏のグリザという中年の四季オタである。
なので久しぶりのキャッツにワクワクして見たわけだが、思いの外変わっていて初観劇時にはジェニエニドッツのタップシーンの曲が変わっていることを咀嚼しているうちに一幕目が終わった。追い打ちをかけるように小泥棒ペアの曲調がメジャーに変わっているのを目の当たりにし、ランパスキャットが青くなって真顔で踊っていくのだから困る。噛み砕くものを立て続けに見せられて顎が疲れたまま幕間である。とりあえず購入したパンフなど開いてみるが頭の整理はつかない。何もかもを見抜ける余裕がないまま2幕が始まる。
そして2幕、スキンブルの🎵夜行列車の〜のちょっとメロウになるところがなくなり、ミストのソロが消失した事で打ちのめされて帰ってきた。
まぁその後なんだかんだでその辺にも慣れて気がつけば握ってるチケットも観劇回数も増えているのだからやはり私はキャッツが好きなのだな、と思う。オーバチュアが流れれば心が震えるしジェリクルソングを聞けば大抵の悩みは吹き飛ぶ。ジェリクル舞踏会に心踊り、2幕が始まる頃には「もう終わっちゃう…」とフライング名残惜しさを感じる、愛してやまないミュージカル、走馬灯にもきっと出てくる、それがキャッツ。
とはいえ今回の演出大改変は四季の中でも結構大きな決定だったのではないかな?と思う。
なんせ初演の頃のメンバーはごく少数、つい最近まで旧演出が当たり前になっていたのは演者だけでなく観客側も然り。特にランパスキャットのナンバーはド初演時にしかなく四季最古のキャッツCDにもランパスは収録されていないくらい結構すぐ外されているのだからそれを復活させ、なおかつその他のナンバー改変もやっちゃおうぜ!は良く踏み切ったな、と思う。まさに「冒険には挑めるか」である。なんせ全方向からどんな反応があるのかさっぱり見当がつかない。恐れないのか、何者をも。
それでもこうして定着(まぁ5年過ぎたのだから定着したと言ってようござんしょ)したのはまた全方向に「キャッツを愛してやまない人」がいたからだと思う。四季の偉い人然り、観客は勿論、「キャッツきっかけで四季目指しました!」という演者さんのお話には枚挙に暇がない。
保守的であることは悪いことではないけど守る盾も使っていればボロボロになる。本体を守るために変える必要があるものを受け入れていけるというのは本体が何かを見据えていればそこまで難しくないのかもしれない。
キャッツを大切にしている四季の偉い人が「これからもキャッツを上演し続けるためにここらでひとつテコ入れしようぜ!」と言い、演者が「えっ、覚え直しッスか?…腕が鳴るぜ!」と台本を読み、観客が「えっ…変わった…?え…?でも…好き」と言いながらチケットを購入する。まさに夢の中に天国にも地獄さえも友達が、の三つ巴構造である。そうなのか?
何はさておき(置くのか)私は新演出にも慣れ、やっぱりキャッツはいいなぁ、これからも観劇し続けたいな、と思っている。
勿論前のキャッツも好きだがその下地があって今のキャッツがある。冒険には挑めるし、生き抜けるのだ、その孤独を。いや、孤独ではないんだけど。
そんなこんなでジェリクルソングを心に生きていればまぁ大体のことは乗り越えられるなぁと思うなどするのだった。
ただスキンブルのメロウになるところはできたら復活していただいて…
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