後期中世から近世にかけて、市場経済がイギリスとオランダのチーズ作りを変化させていく(文化の読書会:キンステッド『チーズと文明』(7)「イングランドとオランダの明暗 市場原理とチーズ」)
Cheese and Culture: A History of Cheese and its Place in Western Civilization
By Paul Kindstedt
日本語訳はこちら。
今回は第7章「イングランドとオランダの明暗 市場原理とチーズ(England, Holland, and the Rise of Market-Driven Cheese Making)」を読んでいきます。
読書メモ
中世の後期、プロテスタント(特にカルバン派)の台頭により市場原理を中心とした経済に大きく移行していく。
特にイギリスとオランダではその影響が強く、農業にも市場主義がおよび、特化型のチーズ生産が行われていく。
イギリスのチーズ作り:荘園農から自作農へ
ペストの流行は荘園の衰退を加速させた
:働き手の不足により、農民たちの交渉力が上がる
15世紀には、自作農が生まれていく
さらに成長した自作農は農地を広げていき、囲い込みを行う
→中世的な小作農は農業で土地を捨て、都市へ流出
チーズ作りは、
・より安価で高品質な物を作れる得意分野に特化
・貴族や修道院の大荘園での農地は停滞
一方、大荘園でのチーズ作りの知恵はなくならなかった
:自作農は乳搾りの女性たちが持つ知恵を吸収した
イーストアングリアのチーズ
16世紀のイーストアングリアでは特化型チーズ作りが繁栄していた
英国経済は成長し、ロンドンの購買力が上がる
→高級製品の象徴であったバターへの需要が高まる
乳から出来るだけバターを作る方が儲かる
→イーストアングリアの自作農は、バターの生産率を上げ、チーズの質は犠牲にしていった
バターの脂肪分を取り除いた残りの乳で作る「スキムミルクチーズ」
:初期はロンドンの労働階級へ、その後は船用に
1640年代 Suffolkの衰退
:それまでロンドンへの最大チーズ供給元であったSuffolkが洪水と牛の疫病によりチーズ生産の打撃を受ける
→Cheshireがイーストアングリアのチーズ生産を代替する
→イーストアングリアはバター生産に、Cheshireはチーズ生産に特化する
チーズ商とチーズ製造者の熱き戦い
Cheshireは遠いため、チーズがロンドンに着く頃には水分が蒸発し、乾燥してしまっていた
→チーズ商はなるべく乾燥しないように、大きなチーズを求めた
→Cheshireのチーズ製造者は、分厚くて重いチーズを作ることで対応した
→塩が均等に行き渡ることが課題になる
→湿度と塩のバランスを保つための技術開発が進む
18世紀前半
Cheshireにて大石を使った圧縮型チーズ製法&穴の空いた木型の開発
18世紀半ば
圧縮の前に、カードに塩を混ぜ込む製法の開発
南イングランドでのチーズ
18世紀後半
南イングランドでは新たな製法「スカルディング」が誕生
:乳清をカードから抜き、ケトルで熱した後で戻すことでより水分を抜くことができる
スカルディング+前塩法がイングランドの圧縮チーズ製法のランドマークとなった
表面を守るための技法はアメリカでより発展していく(次章)
〝乳搾り女〟の遺産
農業資本主義が英国の田舎に大きな変化をもたらした一方で、乳搾り女は自作農のチーズ作りで重要な役割を果たし続けた
19世紀半ば
チーズ作りの技術が男性的な公領域に伝わったことで、チーズ作りに関する科学が発展することになる
19世紀後半
学校も作られて技術開発が行われる
→「乳搾り女」の独自の地位が失われる
;男性により「乳搾り女」は遅れたものとして描かれる傾向もあった
19世紀後半
アメリカの安価な工業チーズが席巻する
→イギリスのチーズ生産者は
1大都市向けの牛乳生産に切り替える
2チーズ生産者同士が結びついて自分達の工場を作る
(アメリカの優位性には勝てず)
3高付加価値のチーズ作りを行う:「乳搾り女」の技術を受け継ぐ
職人チーズは「乳搾り女」により高付加価値チーズとしてニッチ市場に供給していたが、大恐慌、大戦を経て、ほとんど失われていく
1950年代には、国内生産の95%以上は工場生産のチーズになった
全ヨーロッパにチーズを供給する国オランダ
新石器時代頃
オランダで原始的な乳製品作りが始まったとされる
ローマ時代
低地で好まれず、開発が遅れる
11−14世紀
貴族の主導で干拓が行われる
:慢性的な労働力不足により、労働者側に強い交渉力があった
(Ex 自分が開拓した土地は自分の所有地に)
14世紀以降の2世紀間
穀物から乳製生産にシフトしていく
:土地の低下や海面上昇により穀物生産が困難に
→穀物輸入のために、輸出用のビールやチーズ生産を強化
→農家は穀物生産から大麦や乳製品生産へ
15世紀末
オランダにてカルバン派の勃興が市場経済を後押しする
オランダのチーズ生産は
・特化型
・大量生産が可能
・高品質
・パッケージの差別化
・品質保持
・運びやすさ
を特徴とする
<スパイスチーズ>
レンネット凝固型のシンプルなチーズで、チーズ型に入れる前にカードにスパイスを加える
赤いコーティングに包むのが特徴
<エダムチーズ>
レンネット凝固型のシンプルなチーズ
丸い木の球型が発明された →劣化から守る
熱い乳清の中でスカルディング製法で作る
ローマ時代より長年使われた小さな筒状の乾燥チーズではなく、
目立つ見た目で丸くて壊れない全乳のチーズが栄える
:熟成によって良い味を出せるくらいの湿度は残す
<ゴーダチーズ>
目立つ包装でのパッケージ
甘くて低酸度のチーズ
☆オランダでは最も工業化されて、技術集約型で、特化型で、市場に浸透したチーズ作りが行われた
農家での伝統的なチーズ生産はオランダからは姿を消した
感想
今回の章は、大世界史と並走して結末が見えていることもあり、そこまで興味をそそられる章ではなかったが、分かりやすくチーズに市場経済への移行が反映されていると思った。
その中で興味を引いたのは「乳搾り女」の存在である。
脈々と受け継がれてきた彼女たちのチーズ作りの技術は、自作農でのチーズ作りに吸収され、科学の研究対象になって、なぜこの製法が美味しいのかが解き明かされることにより、チーズ作りに貢献していることが予想される。
現在、私と教授が興味を持って話していることは「料理の分野における女性史」であり、従来は記述の対象とならずまた識字率も圧倒的に低かったために歴史学における女性学は大規模な研究が進んでこなかった。(そのため女性学というと、フェミニズム的文脈が多い)
しかし、料理の分野では彼女たちが活躍し、社会史に大きな影響を与えている。例えば、植民地時代の英国における女性の食卓での役割とナショナリズムの関係や、イスラエルにおけるパレスチナ女性と食の関係、イスリアにおける食の遺産における女性の貢献など、ケースを具に見ていくと女性の生き史が見えていくことが多い。
私も次の論文はこの分野で1本書いてみようと思っているが、チーズは1つのケースかもしれない。
次回は、舞台がアメリカ大陸に移る。楽しみだ。