9月の海で。
最近、どんどん潜れるようになってきている。
7月末からほぼほぼ毎日海に行って素潜りする日々。9月に入って潜りも集大成。夏を惜しむかのように海にダイブし、海中の世界へしばし旅に出る。
今年の7月は風も強く海も温まるのがおそかった。夏が来る前の嵐が続いて、入れない日もしばしば。
8月になると一気に空も海も青くなる。8月の海は絶品だ。どこまでも透き通り、海底がすぐ近くに見える。ゆらゆらと揺れる海藻。きらめく魚たち。熱帯魚の姿もちらほら見かける。ありったけの光を反射して、「さぁ、今すぐ飛び込んでおいで!」と海が呼んでいる。目の前に広がるすべての景色が美しく、愛おしいと感じる。まるで目の前に夢の国が広がっているかのように見るもの全てがキラキラと輝く。
8月はひたすらスキマ時間を見つけては潜り続けた。美しい夏の記憶を全身に留めていたくて、潜り続けた。わたしはまるで、夏の色を全身に留めるソラスズメダイ。
そして9月。何度も潜った場所でも季節、日、そして時間を変えるだけでも新鮮に感じる。海はいろんな表情をもっていて、一度として同じ景色がないから面白い。
9月の海は透明だけれど、8月のような透き通る海ではなくどこかぼんやりとしている。
静かな海が続いている。8月の光の煌めきはいつしか揺らめきに変わっている。私もなんだか静かな気持ちになって海に入っていく。
9月の海は自分に向き合う潜りをさせてくれる。自分の息づかい、脈動、耳にせまる海の音。体に感じる水温の変化。そしてフィンの先まで、自分のすべての動きをただ感じる。自分の感覚が研ぎ澄まされていく感覚。と同時に全てを手放して無になっていく感覚。時間さえも忘れる。海に潜っているとあっという間に1.2時間がすぎている。
特に今日の海はぽわぁんと靄に包まれた夢の世界のようだった。
ぼーっと漂っている私。あぁ、なんだか眠たい。光のゆらめきを見ていると目を開けたままでもそのまま眠りの世界にいってしまいそうになる。瞑想ってきっとこういう状態なんだろうな。心地よさを全身に感じながら無になる瞬間。
底は見えない。だけど、冒険心がくすぐられて私は、海底までまっすぐ、深く潜っていく。いつも潜っている場所だからはっきりと見えなくても安心して潜れる。
海底に向けて潜っていくと濃い靄がかかってゆき、そこはまるで竜宮城か映画の世界のよう。その靄が海底で反射した光をとらえ、ゆらゆらと目の前で漂う。
海底の砂に触れる。上を向くと遥か彼方の海面から光が差し込んでいる。その美しさをただただ享受するその時、わたしは自然からの祝福を全身に感じる。その光は私を包み、上へと導く光だ。仰向けになった私の体はゆったりと上昇しはじめる。光が強くなっていく。おてんとさまに呼ばれている。いま、いくよ。
私はこの、上へと上がっていく瞬間いつも、お母さんのからだのなかにいるときもこんな感じだったのかなって想像する。自分の体の感覚が消えていく。怖さや苦しさは全く感じない。むしろ気持ちは安らぎ、呼吸をとめているのを忘れているほどに気持ちがいい。そのうち意識までも手放したくなるほどの感覚になってくる。特に今日はほんとに手放せそうなくらい気持ちのいい瞬間があった。たぶん、死ぬ時ってこーゆう感覚なのかなってなんとなく想像できる。そのまま委ねたくなる気持ちをなだめながら意識はぐっと手放さないようにする。
世界初100mのフリーダイビングを成し遂げたジャックマイヨールはこんな言葉を残しているのを知った。
この感覚。私もわかる。全てが無で海と溶けあう感覚。海に抱かれたときの心地よさは何にもかえられない感覚だ。人間は海から生まれたんだなって改めて思う。
8月当初は潜りづらさを感じたり呼吸が続かなかったりしたのに、この夏を通して私の体は変化した。どこまでも海に馴染む。そうなれたことが嬉しい。そしてジャックマイヨールの願ったように、私も完全なる自然との調和の感覚を知りたいと思う。
わたしはたぶん、人生を通して、海を愛し、潜り続ける。夏の海が、好きだ。
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