幕間 愛しさと切なさと

「⋯
「⋯あね
 耳の奥の方で、誰かの呼ぶ声が聞こえた。
「⋯ん」
 しかしゆすらは、どこかうわそらといった様子で、机の上に右手で頬杖ほおづえをつきながらそれに生返事をした。
あねっ!」
「⋯あ?なんだよ」
 今度はより近い距離、より強い声で呼ばれ、それを耳障みみざ、りに感じたゆすらは、少し苛立ち混じりに、だがしっかりと、声の主に意識を向けて返事を返した。
「炊き出しの方、終わりました」
「あ⋯ああ、そうか。お疲れさん。片付けが終わったら解散していいって皆に伝えといてくれ」
「はい!姐御もお疲れ様です。失礼します」
 男はゆすらに軽く一礼すると、小走りで元居た自分の持ち場へと戻って行った。
 太正101年、6月12日。
 四国志時代が終わってから、すっかりボランティア団体として生まれ変わったつら刃舞はまは、毎週火曜日恒例の炊き出しを行なっていた。
 霊力塔による降鬼化の恐れが無くなったとはいえ、新帝都タワーのBlue-skyが稼働してからいまだ日は浅い。
 帝都から離れた地方では、エネルギー供給は充分に進んでおらず、霊力塔がなくなって1年が経った今でも、エネルギー問題は完全には解決したわけではない。
 それに加え、これまでミライに依存していたが故に失業し、今も職に就けずにいる者も少なくない。
 故に華面刃舞は、そういった様々な背景から生活が困窮している人たちに向けた支援活動の1つとして、週1で炊き出しを行なっていた。
 ゆすら監修のもと提供される料理は毎度好評で、回を重ねる毎に他のボランティア団体や料理店を中心に良い影響を与え、その他の活動も相まり、ここ1年で高知県内では助け合いの輪が大きく広がっていた。
「おい、姐さんどうだった?」
「いや、やっぱ今日だったわ」
 しかし、その流れを作った張本人は今、心ここにらずといった様子で日々を過ごしていた。
 その主な原因は帝都を、いや、正確には大石の元を離れたことによるものだった。
 四万十ゆすらの十余年の人生において、自分とは違うベクトルの強さを持った大石との出会いは、ゆすらの心を強く打ち、彼女の結婚願望はかつてなく燃え上がることとなった。
 だが熱が今、逆にゆすらを苦しめていた。
 四国奪還後の一時いっときの空白と、その後に長く続いた帝都滞在を経て、大石の存在の有無による充足感と喪失感の両方を味わったことで、高知へ戻った今、再びその喪失感を強く感じてしまったのだ。
 その上、春先の新生・帝国歌劇団の出発公演をやり切り、5月病によって燃え尽き症候群のような状態も併発へいはつしてしまっている始末だった。
(そりゃあウチだって分かってンだぜ?今の司令には、ウチに構ってる時間なんてねぇことくらいよ)
(でもしょうがねぇだろ。生まれてこの方、こんな気持ちになったことなんてねぇンだからさ。どう整理ケリをつけたら良いかわかんねぇンだよ)
「はぁ⋯⋯」
 そうして気持ちの整理がつかないまま、早くも6月のなかばに差し掛かるところまで日々は流れていた。

「姐さん」
 そんなゆすらを見かねて、遂に華面刃舞のメンバーの1人が声を掛けた。
「なんだ、まだ解散してなかったのかい?」
「いえ、もう片付けは終わって大体のメンバーは帰りやした」
「じゃあアンタも早く帰んな。ウチはもう少ししてからふけっからよ」
 ゆすらは左手をフラフラと軽く振って、早々にあしらおうとする。
「姐さん⋯姐さんは帝都に行かないんスか?」
「え?」
 思いもよらぬ言葉に、ゆすらは一瞬固まった。
「道後みつと観音寺のあは帝都に行っちまいましたし、その⋯姐さんも無理しなくても良いんすよ?」
「それは⋯どういう意味だ?」
「正直、最近の姐さんは見てらんないっス。このまま燻ってるくらいなら、帝都に行ってください」
「⋯⋯ウチはもう華面刃舞に必要ねぇってか?」
 その言葉にどことなく不穏な気配を感じたゆすらは、鋭い剣幕で男に視線を飛ばした。
「そ、そういう事じゃないっス。姐さんは大方、大石さんのことで手がつかないんでしょう?だったらもういっそのこと、帝都に行くしかないじゃないっスか!」
 だがその言葉の意図は、反逆の意を示すものではなく、ゆすらをづかってのものであった。
「なっ!?」
 今まで胸の内がバレていないと思っていたゆすらは、図星を突かれて大きく動揺どうようし、分かりやすく赤面せきめんした。
「バ、バ、バ、バレてたのか?」
「はい、バレバレでした。その⋯だい前から」
「ウグッ⋯」
(むしろそれくらいしか考えられないんスけどね⋯⋯)
 帝都に行く。
 行ってそっちで暮らし、女優業に専念する。
 それは、ゆすらも考えていなかった訳ではない。
 だが、それを実現するにはひとつだけ懸念があった。
「⋯⋯大丈夫なのかよ」
「ウチも居ねぇ。ベリ坊も居ねぇ。それでも華面刃舞はやっていけンのか?なくなんねぇでいられンのか?」
 この1年で、色々な意味で大きな変化を遂げた華面刃舞だが、他の暴走族も同じように変わったわけではない。
 戦略的にも精神的にも支柱となるヘッドが居なくなるのは、勢力図を変える大きな要因となる出来事である。
 日本全体としては平和となった今日こんにちだが、高知暴走族界隈かいわいの中でとなると、また話は違ってくる。
 前々から争っていたチームや、今の華面刃舞を快く思わないチームが、自分の不在を聞きつけてここぞとばかりに攻め込んでくるかもしれない。そうなった時に、このチームは果たしてその荒波に耐えられるのだろうか。
 大石のことはもちろんだが、華面刃舞もそれと同じくらい大切な存在。だからゆすらは、ただそれだけが気がかりだった。
「⋯⋯大丈夫っス。いや、正確には大丈夫かはわかんないですけど、大丈夫にしてみせるっス!」
 男の真剣な眼差しを見て、ゆすらは悟った。
(そうかい。“その時”が来たってワケか⋯⋯)
 チームの父であり母であろうと努めてきた自分だったが、その関係が永遠に変わらないわけではない。
 世代交代の時はいつか必ずやって来る。
「⋯わかった。オマエのその言葉、信じるぜ」
 ゆすらは口に出したあと、両の目を閉じて自身の言葉を噛み締めた。
「おっしゃあ!そうと決まったら早速帰って帝都に行く準備をおっぱじめっか!」
 数瞬の静寂ののち、踏ん切りをつけたゆすらは気合いの入った声で宣言する。
「待ってろよ司令。今度こそ⋯⋯」
「その⋯姐さん。今日のところは勘弁してくれませんか?」
「あ?んだよ、人がせっかく気合入れてんのによぉ!」
 気合いの入っているところに水を差され、ゆすらは憤慨した。
「すいません、姐さん。でも今日は姐さんの誕生日じゃないっスか」
「あ⋯⋯」
(そういやそうだったな。それもすっかり頭から抜けてたぜ)
「だから今日は⋯⋯」
「わかった。それ以上内容は言うんじゃねぇ」
 ゆすらはそう言って、男の顔の前に手のひらを向けて制止した。
「当然、それなりのもんは用意してんだろうな?」
 言葉の内容とは裏腹に、ゆすらの声と表情は期待に満ちたものだった。
「はい、もちろんっスよ!今回は姐さんの送別会も兼ねて、ド派手はでなヤツをやらせてもらう予定っス!」
(送別会も兼ねて⋯か。そうか、コイツらはとっくにウチを送り出す覚悟を決めてたってワケだ。ハッ、なんだよ⋯覚悟が足りてねぇのウチだけだったってことか)
(だったらよ、ウチもそれに応えてやんねぇと示しがつかねぇってもンだよな?)
「っしゃあ!んじゃあウチも一度戻ってバシッとキメてくっからよ。とびっきり最高なやつを頼むぜ?」
「はいっス!俺たちに任せてください、姐さん」

 こののち、程なくしてゆすらは帝都へと生活の地を移し、それからまた司令と過ごす日々が始まるのだが、それはまた別のお話。

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