幕間 爆想、夢想、そして爆走

「ぶはーーー⋯⋯」
「や、やっと脱稿だっこうしたであります」
 太正101年6月2日。深夜。
 立山たてやまうちかは、2週間後に控えた即売会に向けた新刊作業を終え、力なく椅子の背もたれに寄りかかって、天井を見上げた。
(さすがにテスト勉強と並行して描くのは大変だったであります⋯)
 新刊を落としても、委託や通販という手段はあるが、春先まで帝国華撃団としての活動が中心であったこと、そして本格的な復帰1発目ということで、うちかにとって今回の即売会は、何としてでも間に合わせたいという気持ちが強かったのだ。
「ふわぁ〜あ⋯もう限界であります。寝るであります」
 うちかは仕上がった原稿を流し見で一通り確認してから、それらをまとめてケースの中にしまった。
 そして、椅子を引いてたどたどしい足取りでベットに向かい、そのままうつ伏せに、掛け布団の上から沈み込むように倒れ込んだ。
 疲労した身体を優しく受け止める柔らかな感触にその身を預け、枕に顔をうずめたまま、枕元に置いた部屋の電気のリモコンをバンバンとさぐりでさがし当てて電気を消し、そのまま就寝した。


「いっけなーーーい!遅刻遅刻ぅーーーーー!!!」
 あたし、しおしろ。
 都立桜華高等学校に通う、どこにでもいる平凡な、恋を夢見る高校生2年生。
 今日は、昨日ネット掲示板でカップリング論争レスバが白熱し過ぎて夜更よふかししたせいで、すっかり寝坊しちゃった。
ドンッ!
「きゃっ!?」
 見通しの悪い十字路の交差点で、あたしは右側から来た男性とぶつかってしまった。
ったぁ〜、なによもう!」
「おっと、すまないな」
 確認もしないで飛び出して、反射的に文句を言ったあたしが断然悪いのに、その男性は一切の悪態をつくことなく、むしろ向こうから謝ってくれた。
「そ、その⋯あたしの方こそごめんなさい」
 それに対し、さすがに無下むげな対応はできないと思ったあたしは、軽く頭を下げながら言葉を返した。
(ていうかよく見ると、結構イケメンじゃない)
 数瞬の間、彼の顔に見蕩みとれていたあたしだったが、今はそんなにゆっくりしていられる場合でないことをすぐに思い出した。
「すいません、急いでるんで失礼します!」
 あたしはもう一度頭を下げて、男性の表情も反応も見ずに、学校へと急いだ。
「ギリギリだったじゃないか、しろ」
 なんだかんだホームルーム前になんとか間に合って、息を切らして着席したあたしに声を掛けてきたのは、前の席に座っているがみむつはだった。
「ククク⋯キミのことだ。大方おおかた結論など出ないような、しようもないことで夜更かしでもしていたのだろう?」
「グッ⋯⋯!」
 図星だった。
 むつはは飛び抜けて頭が良い上に感も鋭い。ある程度のことはすぐに看破してしまう。
 そこが彼女の長所であり、頼もしい所でもあるんだけど、こういう時にそれを発揮されると耳が痛い。
「まあそんなことよりもだ、今日から我々のクラスに新任の副担任が来るらしいぞ」
「男?女?」
「男らしい」
「ふーん、そう」
 あたし、別に男の先生には興味ないのよねー。
 よほど理不尽な人じゃなければ、先生としての職務を果たしてくれれば、それ以上のことは性別に関係なく教師に望んでいない。
 特に中年以上のおっさんの場合、ジェネレーションギャップもあって仲良くなりづらいし、このご時世、絵面的にもよろしくないから余計にそういう気持ちがある。
「はーい皆。席に着いてー」
 ガラガラと教室の扉を開ける音とともに担任の由良ゆらちゃんが入ってきて、ホームルームが始まった。
「何人かはもう見てるかもしれないけど、今日から新しく副担任の先生が来られます。じゃあ、早速紹介しますね」
 由良ちゃんは入ってきた扉の方に視線を変え、その先にいるであろう人物に合図を送った。
「うそ⋯⋯」
 入ってきた男性は、あたしにとって見覚えのある人物だった。何故ならばその人物は、ついさっき十字路でぶつかった男性その人だったからだ。
「今日からこの2年3組の副担任となる時田梅林です。皆さん、よろしくお願いします」
 クラスの女子たちは、大きく声には出していなかったが、顔を合わせ、口々に小声で盛り上がっている。
 でもあたしは、確実にそれ以上の胸の高鳴りを感じていた。だって、まさかさっきぶつかった人がウチのクラスの副担任になる人だなんて思わないもの。
 もしかしてコレが、運命の出会いってや⋯⋯

「ベタベタでありますっ!」
 そこで、うちかの意識は一瞬覚醒した。
 そう、先ほどまでのものは、彼女の見ていた夢だったのである。
「ふわぁ⋯でも、それが良いであります⋯⋯むにゃ」
 だが、まだ充分な休息が取れていないうちかの身体はすぐにまた睡眠を欲し、うちかの意識は再び夢の中に吸い込まれていった。


 次にうちかの中に浮かんできたのは、山盛りのホットドッグを前に、黙々と食べ続ける少女たちだった。
 その中の1人に、高崎つつじの姿があった。
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ⋯⋯」
 つつじはただただ淡々と、機械のような正確なリズムでホットドッグを口の中にかきこんでいく。
「うっぷ⋯もう無理」
「ギブ⋯⋯」
 程なくして、その横でつつじと競い合っていた対戦相手たちが1人、また1人と脱落していき──
「く、くそ⋯強すぎる⋯⋯」
 遂に最後の1人が陥落かんらくし、つつじを残して死屍累々の山が築かれた。
「試合終了ーーー!!この瞬間、第74回全日本女子U20限界耐久大食い大会決勝の勝者が決定いたしました!」
「新大食いクイーンは⋯高崎つつじ選手だぁーーー!」
 その様子を見届けた司会は、試合の終了と、大食いチャンピオンとなったつつじの名前を高らかに宣言した。
「ぶい」
 そしてつつじは、カメラに向かって小さくピースしながらドヤ顔を決めた。

「いや、ピアノは?」


「ふき、そんなことでは全国など夢のまた夢だぞ!」
 今度は体育館の中に、体操着を着た女生徒と、教師と見られる男性の姿が映った。
 体育館の中に、男性教師の熱いげきがこだました。
「ハァ⋯ハァ⋯はい、先生!ボクは⋯ボクの思い描く最高の米ダンスを極めるまで諦めねぇっす!」
 ポタポタと、ふきの顎から大粒の汗が零れ落ちる。
 膝をついて息を切らしている様子からして、ふきが大きくへいしているのは明らかだったが、その眼の光は死んでおらず、男性教師の言葉に応えるように己を奮い立たせ立ち上がった。
「だからもっと厳しい指導をお願いするっす」
「いい心意気だ。だが手心は加えないぞ。覚悟してついて来い!」
「はいっす!」

「どこから来たでありますか、このスポ根展開は」


「ふわふわ〜ふわふわの雲さんだよぉ〜」
 そして4度目には、絵に描いたような雲に乗ったあおが、脚をパタパタしているところから映像は始まった。
「ふわふわで〜気持ちぃ〜」
「ん〜?」
 あおは、画面前の方向の誰かに気がついたような反応を示した。
「ばいちゃんお腹空いてるのー?じゃあコレあげるー」
 どうやら彼女の視線の先には、梅林が立っているらしい。
 あおは自身が乗っている雲の左下に見切れて映っている黄色いものに手を伸ばし、妙に嫌なブチッという生々しい音と共に、それを梅林へと手渡した。
 それは、バナナ⋯⋯のように見えただけで、そのじつむつはのたばのうちの1つだった。
「くうぅ〜!何をするのだ、キミぃ!」
「良いじゃない。むっちゃんのバナナ、またすぐ生えてくるんだし」
「それはそうだが、痛いものは痛いのだ!大体⋯」
「えぇーばいちゃん要らないのー?」
「コレ、すっごく美味しいのにー」
「こら!話はまだ終わっていないぞ!」
 むつはの怒りをまるで意に介さず、あおはむつはの毛束を丁寧にり分けると、中からは本物のバナナの果肉のようなものが姿を現し、それにパクついた。
「う〜ん美味しいねぇ〜」

「どこからどうツッコんだら良いか、全くわからないであります!!」

 急な豪雨に降られて駆け込んだ、木造で建てられた田舎いなかのバス停。
 自分とバイリン君は、示し合わせたわけでもなく、偶然その場に居合わせることになったのであります。
 叩きつけるような雨の音が、周囲と自分たちとを隔絶かくぜつし、それほど大きくないバス停のベンチは、人2人が座るとすぐにでも手が届きそうくらい近くて、この世界が自分たち2人だけになったような感覚になった。
 バイリン君の方をチラッと見ると、雨に濡れたつややかな髪が、いつも以上に彼の魅力をより際立たせているような感じがして、見つめる時間に比例して、心臓が高鳴なっていくのがハッキリと分かったのであります。
「ん?」
 気づかれない程度に見ていたつもりだったけど、割とあっさりバイリン君に気づかれ、自分は一気に気まずい気持ちになってしまったであります。
「バ、バイリン君⋯⋯」
「うちか⋯⋯」
 彼とは一緒のクラスで、帰る方向も一緒。でも、それ以上でもそれ以下でもなく、本当にそれだけの関係なのであります。
 声をかけるタイミングも、クラス内で必要な連絡をする時以外はほとんどないのであります。
 だって、絵を描く以外何の取り柄もなく、クラスの端っこでひっそりと生きている自分と、頭が良くて運動もできてその上気配り上手で人気者の彼とでは、住む世界が違い過ぎるから⋯⋯
 だから仲良くなりたいと思っても、一歩踏み出す勇気が出なくて、自分はずっと、遠くから彼を眺めているだけの存在だったであります。
 だけど、バイリン君が切り出した言葉は、自分にとって、全く予想外のものだったのであります。
「実は俺、ずっと前からお前のことが⋯⋯」 

「グヘ、グヘヘヘ⋯⋯」
「あーーーっ!それ以上はいけないであります、バイリン殿ぉ!!」
 自分の夢にツッコミながら覚醒と就寝を繰り返すこと数回。ようやく完全に眠気が取れ、うちかの意識が完全に覚醒した時──
「って、アレ?」
 外はすっかり日が昇っていた。閉じたカーテンの隙間からは、燦々さんさんとした陽光が差し込んでいる。
 うちかは急いで時計を確認する。時刻は11時23分。
 今日うちかは、昼から梅林たち、北方連合花組の面々と会う約束をしていた。
 今の時刻は、今から準備をして全力で待ち合わせ場所に向かい、間に合うかどうかギリギリのラインだった。
 尻に火が付いたように、うちかは大急ぎで身支みじたくを整え、待ち合わせ場所へと駆け出した。
 それはもう、さながら少女漫画の主人公のように。
「う、うおおおぉおおぉーーーーー!!!」
「遅刻、遅刻でありますーーーーー!!!」

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