幕間 猫は視ている

 今日は金曜日。
 いわゆる“花の金曜日”ってやつだけど、仕事柄あたしにとっては無縁の単語。
 まあ、エンターテインメントは週末やその前後にこそ需要のある仕事だから当然の話なんだけど。
 だから本来なら今日も仕事なんだけど、何故だかここ最近あんまり気分が乗らないし、誕生日ということもあって、ガラにもない形だけど休みをもらってしまった。
 今日は太正102年の11月8日。
 去年までは日本奪還と新生・帝国歌劇団の門出もあって皆の熱が凄かったから、ワイワイ誕生日をお祝いしたりされたりしていたけど、それを毎年続けるのは現実的に難しい。
 嬉しいことだけど、活躍すればするほどスケジュールは埋まっていくし、そのための準備や私生活の諸々もろもろを考えると、おのずとそういう事に使える日というのは限られていく。
 だから今年、あたしの誕生日を祝ってくれる人がいないのはそれほど寂しいことじゃない。
 それぞれの事情は違うだろうけど、それだけ皆が世に必要とされる人材となっていっている証拠なのだから。

 今日は特に何かすると決めていたわけでもなく、ただのんびりと1人の時間を過ごしていた。
 午前中はしばらくできていなかった部屋の掃除もしたし、あとは適当に足りないものを買いに行くくらい。
「その前に、お風呂に入ろうか」
 部屋のほこりと汗で汚れた身体をそのままにしておくのは流石さすがに気持ち悪いし、何よりお肌に良くない。
 あたしは浴槽にお湯を入れている間にゴミ袋をまとめて、マンションのゴミ置き場に持っていくことにした。
 平日の昼ということもあって、ゴミ置き場に着いた時にはあたし以外の人は居なかった。
 集積ボックスの中にゴミ袋を入れ終えたあたしは、目の前に白い猫が1匹いることに気づいた。
 猫はあたしの視線に気づくと、小さくニャアと鳴いてその場を去っていった。
 あたしもそれに合わせてマンションの中に引き返し、自分の階のボタンを押して、エレベーターに乗った。
 白い猫というとキミカゲの事を思い出す。
 キミカゲは元気にしているだろうか。
 皆の前ではクールなキャラで通していたせいで、キミカゲをモフる機会が少なかったのが心残りだった。
 今度帝都に行ったら、沢山モフらせてもらおうかな。
 などと考えている内に、エレベーターはあたしの部屋がある階に到着した。
 部屋に戻ると、浴槽のお湯は既に張り終わっていた。
 あたしは早速服を脱いでバスルームに入り、身体の汚れと疲れを洗い流すことにした。

 お風呂から出て、保湿液とドライヤーでしっかりと肌と髪とを整え、メイクはそこそこに適当な服に着替えて街に出た。
 食料品と美容品。それとさっきなくなってしまったボディソープと入浴剤を買いに行くためだ。
 Blue-Skyの発明によって生産コストが下がったこともあって、ここ最近は旬ではない自然食品やオーガニック化粧品も以前より安く買えるようになった。
 自分で好き好んで買っているとはいえ、それなりに出費がかさんでいたあたしにとって、これほど嬉しいことはない。
 ふうかには感謝してもし切れないくらいだね。

「8,630円のお買い上げとなります」
 食料品でも日用品でも、日々の自分を形作るものは基本同じものでないとダメなあたしは、一度にかなりの量を買い溜めをするタイプだ。
 というのは半分建前で、一度に沢山買うと割引されるからという理由の方が大きい。
 前より安くなったと言っても、あたしの買う物が一般的な物より割高である以上、少しでも安くなるに越したことはない。
「カードで」
「かしこまりました」
 あたしからクレジットカードを受け取った店員がカードリーダーにカードを通し、支払いが完了する。
 レシートとカードを受け取って、買い物カゴを片手にレジを離れる。
「ありがとうございました」
 買った商品を、自宅から持ってきた大きめのマイバッグの中に入れて、あたしは店を後にした。
 一通り買い物を終えたあたしは、特に寄りたい場所もなかったから、そのまま帰路に着いた。
 帰り道にある公園の側を通ると少し肌寒い風が吹いて軽く身震いをした。
 紅葉した黄色いイチョウの葉が何枚か風にさらわれて、宙をハラハラと舞った。
 イチョウの葉が落ちたその先を見ると、ゴミ出しの時に見かけた白い猫がいた。
 猫は視線が合うと、また小さくニャアと鳴いた。
 その後、スタスタと公園の中に入っていく後ろ姿が気になったあたしは、猫の後を付いていくことにした。

 公園の中はガランとしていて、誰もいなかった。
 平日の午後の2時なのだから、当然だろう。
 猫は公園に植えられた木々の側まで行くと、砂利じゃりと土とをへだてるために敷き詰められたレンガの上にコロンと横になって、毛づくろいを始めた。
 あたしは近くにあったブランコに座って、猫に声を掛けるわけでもなく、その様子をずっと眺めていた。
 猫の毛づくろいは、可愛らしいのはもちろんだが、その美意識の高さから、あたしの場合は自分と重ねて見てしまう節がある。
 だから、毛づくろいをしている間はジッと見守る以外のことをしようとは毛頭思わない。
 人間にとっても猫にとっても、時間をかけて身体を美しく保つ努力をするのはとても大切なことなのだから。
 毛づくろいを終えた猫はスッと立ち上がると、あたしの側に寄ってきてニャアと鳴いた。
「ふふ、綺麗になったね」
 そう言って頭を撫でてやると、猫は嬉しそうに目を細めてゴロゴロと鳴いてくれた。
 頭から手を離すと、猫はあたしの方を向いてニャアニャアと鳴きながら、公園の外へと歩きだした。
「なに?付いてこいって?」
 猫の言葉なんて当然わかるはずはないけど、あたしにはその猫がそう言っているように感じられた。

 猫の後を付いていくこと十数分。
 あたしは小さな空き地にたどり着いた。
 そこは売りに出されてからしばらくっているらしく、あたしの膝下ひざしたほどの高さまで雑草がしげっていた。
 その一角に、持って行き忘れたのか、はたまた不法投棄されたのか、建材が積まれている場所があった。
 空き地に着いた猫は足早に、積み上げられた建材の上に飛び乗ると、そこには1匹の黒い猫が座っていた。
 猫は近寄るや否や、その黒い猫に身体をりつけ始めた。それは一度や二度ではなく、何度も何度も。
 あたしは猫の生態について詳しいわけじゃないけど、さっき毛づくろいをしていたのはこのためだったんだなと、そう思った。
 大好きな彼に一番綺麗な自分を見てもらうために、一生懸命毛づくろいをしていたんだ。
 その様子を見て、あたしは彼女がうらやましくなった。
 ポールダンスは、あたしにとって自分を表現できる最高の方法だけど、それは“不特定多数”に向けてのものであって、“1番大切な人”に向けてのものじゃない。
 四国に戻ってきて歌劇団のメンバーの多くと離れてやっと今、あたしは久しくそういう感情から離れていたことを実感した。
「やっぱりちょっと寂しいかもね、一人は」
 あたしはバッグの中から、今日の買い物で買ったツナ缶を取り出した。
「っしょ!」
 そして、空き地の中でも比較的草があまり生えていない場所を選んで入って行き、缶のフタを開けて猫たちの前にソッと置いた。
 野良猫に安易にエサを与えるのは良くないと分かってはいるけど、猫たちに何かささやかなお礼がしたくて、つい置いてしまった。
「じゃあね」
 と、小声で呟いて、あたしは再び帰路に着くべく、空き地に背を向けて歩き出した。
 途端、後ろの方でニャアと鳴く声が聞こえた。
 足を止めて振り返ると、2匹の猫が揃ってこちらをジッと見つめていた。
「うん」
 あたしは笑顔で力強く頷き、再び歩き出した。

「そろそろあたしも、自分の気持ちに向き合う時が来たのかもしれないね⋯」
 今は離れていて会えないあの人。
 あの人を好きな人は、あたしだけじゃなくてきっといっぱいいるだろう。
 だったら、なるべく早く気持ちを伝えないといけないよね。
 手をこまねいている内に誰かに取られちゃったら、きっとすごく後悔することになるだろうから。
 勝負をかけるのはいつにしようか。クリスマスじゃ他と被りそうだし、もう少し早い方が良いかもしれない。
 いずれにせよ、久しぶりに胸の内に湧いたこの熱い感情が冷めない内に攻め込むのがベターだ。
「とはいえ、腹が減っては戦ができぬというし、帰ったらとりあえず遅めのブランチにしないと⋯あ!」
 あたしはすっかり忘れていた。
 今日のブランチは、青じそとツナの和風パスタにしようとしていたことに。
 だけど、ツナはさっき猫たちにあげてしまったから、もうない。
「これは盲点⋯いや、ただのうっかりか」
 あのツナ缶、売ってるところ限られてるんだよね。
「また買いに行くのは流石にめんどくさいし⋯」
 うぅ⋯仕方ない。とりのささ身あたりですしかないか⋯⋯
 

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