幕間 カラフル・エモーション

"ありの君!"
 太正100年11月3日。
 大石は、その日の稽古けいこを終えてひと段落をしていた砂原ありのに声をかけた。
「あら司令さん。どうかしましたか?」
"疲れてるところゴメンね。ちょっとだけいいかな?"
「はい。構いませんが、なんでしょうか」
"いや、実はお願いがあってね⋯"
「お願い⋯⋯ですか?」
"うん、それはね⋯⋯"

 翌日。
 ありのは、那智みうめを連れて帝都・上野にある動物園にやってきた。
 自身の希望もあって、しばらく親元である和歌山を離れて帝都に滞在しているみうめだが、いかに霊力が凄くとも、彼女はまだ11歳の少女なのである。
 当然、肉体的にも経験的にもできない作業はあるし、他の乙女に劣る部分も少なくない。
 プライドの高さから顔にこそ出さないものの、和歌山に居た時よりもストレスの多い日々を送っているであろうことは、大石のみならず、彼女をよく知る人にとっては容易に想像できるものだった。
 そんなみうめに、せめて誕生日くらいは自由に羽を伸ばしてもらうべく、大石は彼女を動物園に連れて行ってもらうよう、ありのにお願いしたのだった。

「本日は当動物園にご来園ありがとうございます」
 入口にある券売所の窓口に立つと、受付の係員が丁寧な挨拶とお辞儀で2人を迎えてくれた。
「土日はファミリーデイなので、家族でご来園された方の入園料は1割引きとなりますので⋯」
 この動物園の入園料は通常大人600円こども300円なのだが、昨今の帝都の状況を鑑みて、復興促進の一環として、土日の家族連れに対して料金を1割引きするキャンペーンをおこなっていた。
 係員は当然、それに沿った対応をするわけだが、特に断る理由のないこの申し出をさえぎるように、ありのは言葉を被せた。
「ふふ⋯“大人1枚とこども1枚”でお願いします」
「え?あの、えーと親子連れの方はお安くな⋯」
「大人1枚と⋯⋯!」
「こども1枚で、お願いします⋯⋯!」
(何か私、気にさわること言っちゃったのかなぁ⋯⋯)
 ありのの怒りを買った理由など、この係員が知る由などない。
 だが後日、この受付係員はその時感じたことをこう語ったという──

「あれはなんて言うんですかね⋯⋯」
「私は、平安だの鎌倉だの江戸だの⋯神様やあやかしが強く信じられていた時代に生きていた人間じゃないんで、ちゃんとイメージが合ってるのか自信はないんですが」
アレ・・は“般若はんにゃ”⋯いや“鬼神きしん”とでも言うんですかね」
「何が彼女の逆鱗に触れたのかは分からないんですが、あの時私は全細胞が逆立つのを感じて、目の前の存在に対して『ここから先のミスは、死に直結するッ⋯!』と。それだけは唐突に理解わかったんです」
「猛獣の飼育員じゃなくても、常に気を引き締めて仕事にかからないと、もしかしたらたま⋯取られちゃうこともあるかも知れないんだな、と」
「いやーほんと参りましたよ、アハハ」

(⋯と。ちょっと、アンタ⋯⋯)
 ありのから感じる何か・・気圧けおされ、気を取られていた係員だったが、下の方から小さく聞こえる子どもの声に気づいた。
(悪いことは言わないから、そのまま応対しなさい)
 みうめの言葉に係員は無言で小さく頷くと、気を取り直してありのへの応対に戻った。
「か、かしこまりました。大人1枚とこども1枚ですね。では料金は900円となります」
 ありのは財布から1000円札を取り出し、窓口に置かれたトレーに置く。
「1000円のお預かりとなりまして、ではお返しが100円と、こちら入園券となります」
「ありがとうございます」
「はい、みうめちゃん」
 ありのはお釣りと入園券を受け取ると、こども用の入園券をみうめに渡した。
「うん、ありがと」
「では当動物園をごゆっくりお楽しみください」
 係員は軽くお辞儀じぎをし、みうめとありのを見送った。

「みうめちゃんは動物園には結構行くの?」
「みうは動物がって言うよりパンダが好きだから、和歌山パンダキングダムにはよく行ってたけど、動物園自体はあんまりね」
「それは勿体もったいないです!他の動物さんたちだってカワイイですよ?特にキツネさんとかキツネさんとか⋯あとキツネさんとか!」
「アンタはアンタでキツネばっかじゃない!」
「まあ他の動物が嫌いってワケじゃないけど、やっぱりみうはパンダが一番なの!そこは譲れないわ」
「⋯⋯って、何でアンタがここにいるワケ?ケモ耳」
 みうめとありのの横には、いつの間にか美瑛びえいななこの姿があった。
「それは⋯⋯動物がいるから?」
 みうめの問いに、ななこは首を横に傾げながら、きょとんとした顔で答えた。
「その“そこに山があるから”みたいなよく分かんない理由はなんなの?!みうをおちょくってるわけ?」
「いえいえ、そんなことはないですよ。まあ真面目な話をしますと、私は今ここでお手伝いをしているのです」
 そう言ってななこは、自身の左胸の辺りを指差した。
 ななこが指し示した辺りを見ると、そこにはスタッフであることを示す名札が付いていた。
「確かななこさんは、地元の動物園で働いていらしたんですよね?」
「はい。だからこちらの動物園も一度は見に行かないとと思って来てみたら、旭川あさひかわに居た時のことを思い出してしまいまして、いつの間かなかばここのスタッフみたいになってしまいました」
「ふーん。なんかよく分からないけど、結構頑張ってんのね、ケモ耳も」
宙組そらぐみのお仕事もあるでしょうから、お体には気をつけてやってくださいね?」
「はい!おづかいありがとうございます」
 それから2人は、ななこの案内で動物たちを見て回ることになったが、他の場所の清掃をする時間が近くなったため、ななことは2時頃に別れることとなった。
 去り際にななこは、得意のデッキブラシアートで手早くパンダを描き上げ、次の清掃へと向かっていった。
「ケモ耳、行っちゃったわね」
「そうね。さすが動物園スタッフって感じだったわね」
「うん。また解説を聞きに来てやっても良いかもしれなくもなくもない、かも」
 ななこの残したデッキブラシアートを写真に撮ってから、2人は再び歩き出した。
「じゃあ次は、みうめちゃんお待ちかねのパンダを見に行きましょうか」
「うん!」
 そして、ジャイアントパンダの檻の前にやってきたみうめは、しばらくの間、この動物園の顔であるテンテンとリャンリャンに心を奪われたように魅入みいっていた。
「なによ⋯帝都のパンダも中々やるじゃない」
(テンテンとリャンリャン、すっごくかわいい⋯⋯)
 口に出した言葉とは裏腹に、みうめは和歌山のパンダとはまた違う可愛さに内心とても喜んでいた。

 お土産みやげコーナーでパンダグッズを購入してご満悦のみうめと共に、ありのは新帝国劇場へと戻ってきた。
 ななこは閉園作業を手伝ってから戻るらしく、そのまま園内で別れることとなった。
「お待ちしておりました、みうめお嬢様」
 劇場の敷地内に入ると、2人の到着を待っていた那智家の使用人がみうめに声をかけてきた。
「準備の方は既に整っております。あとはお嬢様のお言葉を頂くのみとなっております」
「わかったわ。もう下がっていいわよ」
 仕事を全うした使用人は、みうめに一礼し、足早に自分の持ち場へと戻っていった。
「先程の方は使用人さん?どうしてここに?」
「決まってるじゃない。みうの誕生日がこのまま何もなく終わるハズないでしょ!?」
 歩きながらみうめの説明を受けたありのは、この後、新帝国劇場のエントランスホールでみうめのサプライズ誕生日パーティーが開かれることを知った。
 2人が劇場の入口に近づくと、ガラス張りの自動ドアの向こうに沢山の人たちが見える。
 そこには、どうやら帝国歌劇団やB.L.A.C.K.だけでなく、劇場関係者やその親族も集まっているようだった。
「お!ありのんとみうめちんが来たぞ」
 入口からエントランスホールに入った2人に声をかけてきたのは鷲羽わしゅうもえみだった。
 その側には、宮園みやぞのいろはの姿もあった。
「本当に凄い人ね。いったい何人いるのかしら」
「さあ⋯今日の朝に突然告知されたから多分全員じゃないとは思うけど、呼ばれた人たちは大体来てるんじゃないかしら。来れるなら特に断る理由もない内容だし」
"みうめ君!"
 もえみたちと会話をしているのを見て、みうめが到着したことを知った大石がやってきた。
「あら、モブ司令じゃない。どう、驚いたでしょ?」
"いやいや、これは流石に誰でも驚くでしょ。まさかミヤビさんと裏でこんな事を考えてたなんて"
「ふふん。サプライズを用意してたのはアンタだけじゃなかったってこと!」
"そうだね。本当に一本取られたよ"
"それはそうと、動物園の方は楽しんでもらえたかな?"
「まあモブにしては良いセンスだったんじゃない?割と楽しめたわ」
 みうめは『及第点はあげてもいいわ』とでも言うような素振りをしたが、彼女が胸の前で大事そうに抱えたジャンボサイズのテンテンとリャンリャンのぬいぐるみを見るに、相当に満足したであろうことは誰の目から見ても明らかだった。
"それは良かった。でもまさかみうめ君が『皆への感謝も込めて』パーティーを企画してくれるなんてね⋯"
「は、はぁ〜!?バ、バッカじゃないの?みうは自分のために開こうと思っただけなんだけど!そこまでポジティブに考えられるなんてほんっと幸せなヤツね」
"あれ?でもミヤビさんからはそう聞いたんだけど⋯"
「あらあら⋯⋯!」
「う、う、う、ううぅうううぅう〜〜〜〜〜!!!」
 真意をバラされたみうめは、照れ臭さとミヤビへの怒りで顔が真っ赤になった。
「余計なことは言うなとあれほど念を押したのに⋯!」
 まあまあ⋯と、みうめをなだめる大石とありのたちの側に、使用人が一人やってきた。
「みうめお嬢様、そろそろ⋯⋯」
「はいはい。分かってるわよ、すぐ行くから」
 みうめはぬいぐるみを使用人に預け、深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
 そして、エントランスホールから2階へと繋がる階段を、先程までの様子とは打って変わって、毅然きぜんとした態度で上がっていく。
 そしてある程度の高さまで上がると、一呼吸おいてから、階下に居る面々の方へ振り返った。
今宵こよいは突然の告知にも関わらず、わたくし那智みうめの誕生パーティーにお集まりいただき、誠にありがとうございます」
「お集まりいただいた皆様への感謝とねぎらいの意を兼ねて、が那智家の使用人たちが腕によりをかけた料理をご用意させていただきました」
いまだ至らぬ部分もございますが、これからもなにとぞわたくしみうめと那智家をよろしくお願い致します」
「それでは皆様、この後はどうぞごゆるりと、お食事と談笑をお楽しみください」
 みうめが一礼をすると、盛大な拍手が贈られ、方々から温かいお祝いの言葉が飛んだ。
 その後程なくしてパーティーが始まり、劇場はやがてにぎやかな空気に包まれていった。
「さっきのみうめちゃん、凄くカッコよかったよ!なんかお花見の時のひめかちゃんみたいだったね」
 降壇して戻ってきたみうめに、しのが言葉をかける。
「あのね太マユ。みうだって場に合わせた言葉くらい知ってるし、つ・か・え・るのよ?」
 令嬢としての挨拶を終えたみうめは、歌劇団の面々が聴き慣れたいつもの口調に戻っていた。
「そりゃそうだよ、しの。ひめかに負けず劣らず、みうめだって立派なお嬢様なんだからさ」
「わかってるじゃない。流石メガネかけてるだけことのはあるわね」
「相っ変わらずメガネに対する期待値が高いなー」
「⋯⋯まあでも、褒められたことには変わりないし、ひめか姉さまの名前を出したことに免じて太マユ、さっきの言葉は不問にしといてあげるわ」
「ふふ、那智家の名に恥じぬ見事な振舞いでしたわよ、みうめ」
「ひめか姉さま!」
 しのたちと話していると、那智家の使用人と共にひめかがやってきた。
 ひめかの存在に気づいたみうめは、小走りでひめかの方に駆けていき、彼女に抱きついた。
「みうめお嬢様。先ほどのスピーチ、大変ご立派でございました。こちらに来られてから良いご経験をお積みになられている事がうかがえるようで何よりでございます」
 使用人もみうめに対し、称賛しょうさんの言葉をかける。
「そんなの当たり前。みうを誰だと思ってるわけ?」
「は!それは大変失礼致しました」

「みう⋯那智ぞ?」

 言葉の内容自体はいつもと別段変わらない。
 だが、以前にはなかった落ち着きと気迫を感じさせるような雰囲気が、最後の一言、表情からにじみ出ていた。
(みうめ⋯貴女いつの間にこんな表情かおを⋯⋯!)
 その様子を見て、ひめかは静かに戦慄した。
 ライバルはしのやN12だけではない。
 遠くない未来。いずれ自分の背中に追いつき、追い越す可能性を秘めた存在がすぐ側にいることを、ひめかは肌で感じ取った。
 だが同時に、使用人たちは那智家の明るい未来を確信した。この那智みうめこそ、次代の那智家をより繁栄へと導く存在なのだと。


 






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