梅林編 第二章第五話
第二章第五話 新たなる黒翼
地下霊力塔への潜入作戦から丸1日が過ぎ、あおの両親との約束から今日で5日が経った。
先日の疲労から回復した梅林たちは、身支度を整え、彼らの返事を聞きに霧ヶ峰家へと向かった。
(いくつか説得の材料は用意してきたが、果たしてそれで折れてくれるかどうか⋯)
いくら合理性や必要性を説いても、子を危険に晒したくないというのが親の性というもの。
特に、先日の母親のあいの様子からして、説得にはかなり骨が折れるだろうと梅林は踏んでいた。
やがて霧ヶ峰家到着すると、そこには梅林たちが予想していたものとは違う光景があった。
「あ、ばいちゃんたちやっときたー」
何故ならそこには、縁側から梅林たちに向けて笑顔で大きく手を振っている青の姿があったからだ。
しかもその横には、明らかに遠出用と思われる大きなリュックが置かれていた。
「これは⋯⋯」
梅林はいまいち飲み込めない今の状況を把握するために、うちかとかしえを残してひと足先に青雷号から降りた。
「あおを、あなた方に託します」
そこに、あおの声で梅林たちの到着に気が付いたあおの父、そうが玄関口から顔を出して声を掛けた。
その後方には母あいの姿もあった。
「お待ちしておりました、梅林殿」
「俺たちは先日の言葉通り、貴方たちの答えを聞きに来ました。しかしこれは一体⋯」
「私たちの意思では、ありません」
そう言い放つあいの目は、5日前と変わらない鋭さで梅林を見つめていた。
「どういうことです?ならば何故?」
と、梅林は問いかけるも、あいは押し黙ったままそれに答えなかった。
「あの子自身が決めたことなのです」
1,2分の沈黙の後、梅林の問いに沈黙を貫くあいの代わりに声を上げたのは、父親のそうだった。
「貴方たちは、それで良いのですか?」
そうの言葉は、梅林たちにとって願ってもないものだったが、5日前の様子を思い返すと、梅林はその胸中を聞かずにはいられなかった。
「⋯あおから大方の話は聞きました。我々のために相当尽力をしてくださったとか」
「まあ、半分は自分たちの都合でもありましたがね」
「それでも、結果として助けていただいたことに変わりはありません。お陰様で、昨日から見違えるように体調が良くなりましたよ」
そうの目の下にあったクマがないことや、所作や表情にメリハリがある様子から、全快とまでは言えなくとも、健康と呼べる状態に回復していることは見て取れるレベルになっていた。
「そうですか。それなら良かった」
「あなたは先ほど、それで良いのか、と私たちにお聞きしましたね?」
「ええ」
「良いか良くないかで言えば、良くはありません。ですがそれは私たちの我儘です。親は子を育て導く者であって、縛りつける存在であってはなりません」
「あなた方には意志だけでなく、それを形にする力があることが判った。だから私たちにはもう、あおを引き留めていて良い理由がなくなってしまいました」
「ならば、あの子が決めたことを尊重してあげるのが親というものでありましょう」
そうの言葉は極めて理性的でありながらも、この5日間、親として相当の葛藤があったことを強く感じさせる内容だった。
「あお、こっちに来なさい」
そうに呼ばれたあおは「はーい」と返事をし、腰かけていた縁側から立ち上がり、リュックを背負ってそうの隣まで小走りで駆け寄ってきた。
「あお⋯」
そうはあおの肩に手を軽く添えながら、一言あおの名前を呟いて示唆する。
「うん。ばいちゃん、あおにはまだまだ足りないところが沢山あると思いますが、精一杯頑張りますので、これからもよろしくお願いします!」
そうの意図を汲んだあおは小さく頷くと、年相応の、中学2年生らしい言葉で入団の意を述べながら、梅林に深く頭を下げた。
「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」
「私からも、あおをよろしくお願いします」
「はい。謹んでお預かり致します」
あおに続いて父そうも頭を下げ、それに対し梅林も一礼を返した。
それから数拍の間を置いてから、梅林はあおに目配せをして、出立の準備をするために青雷号へ歩き出そうとした。
その時だった。
「1つだけ⋯約束してください」
今まで沈黙を貫いていたあいが、絞り出すように声を上げた。
「なんでしょうか?」
梅林は、あいの方へ向き直りながら言葉を返す。
「あおを必ず私たちの元に帰す。それが、私たちがあなた方にあおを託す条件です」
その言葉はあいの口から出たものだったが、梅林がそうの方に視線を移すと、彼もあいと同じ目をしていることに気づいた。
うちかの時も、今も、そしてこれからも──
梅林は、未来ある少女たちを熾烈な戦いの渦へ巻き込んでいくのだ。
例えそれがどれほど崇高なものであったとしても、彼女たちに平穏な日常を手放させることに変わりはない。
だから梅林は、彼女たちとその家族、何より自分自身に対して誓った。
「はい、それは勿論。俺の命に代えても」
梅林はもう一度深く頭を下げてから、あおと共に霧ヶ峰家を後にした。
霧ヶ峰家を出てキャンプ場に戻ってきた梅林たちは、待機していた青島モーターズの社員と合流した。
数日前から予定していた通り、かしえを地元、兵庫県に戻すためである。
「じゃあ、アタシはもう行くニャ」
先日の潜入作戦で予定が圧迫していたかしえは、霊子ドレスの載せ替えが終わってすぐ、トレーラーのドアに手をかけた。
「短い間だったが、色々世話になったな」
「自分が強くなれたのは、かしえ殿のお陰であります。かしえ殿、本当にありがとうであります」
「かっしー、元気でね」
10日にも満たない付き合いだったとはいえ、別れ際の感謝の言葉が、梅林たちと共に過ごした密度の濃い時間をかしえの脳裏によぎらせ、一抹の寂しさを覚えさせた。
だがかしえは、うちかとあおの先輩として、最後までいつもの自分で在り続けることを決めた。
「ニャハハ!ありがとニャ皆。⋯じゃあ、またニャ」
喉元まで出かかったものを飲み込み、返す言葉は短めに、かしえは笑顔で颯爽とトレーラーに乗り込んだ。
そうしてかしえは、青島モーターズのトレーラーに乗って、地元兵庫へと戻って行った。
この日を最後に、来たる帝都決戦の日まで、江田島かしえと梅林たち北方連合花組の道が交わることはなかった。
だが彼女の霊力制御のノウハウは、後の梅林たちの確かな基盤となった。
兵庫へ帰郷した彼女は、帝国華撃団の近畿進攻に備える間、中国花組と連携して中国・近畿間を奔走し、総督利権絡みの諸問題の解決に尽力することとなる。
帝国華撃団が近畿を奪還した後は、青島きりんと共に最明クルミの再起に多大な影響を与えるなど、日本奪還を影から大きく支えた人物の1人となった。
かしえと別れた一行は程なくしてキャンプ場を離れ、関東地方を目指していた。
「バイリン殿。仲間になりそうな人、もう少し中部地方で探しておかなくて良かったのでありますか?」
「一昨日の霊力塔の件は明日の定期点検でバレる。面倒な事になる前に早めに出ておかないと大変だろう?」
「あ、そっか」
「それに言い方は悪いが、あおと同等以上の力を期待できそうな候補者が中部のリストの中には居なかった。仮にこの後、警戒態勢が敷かれなかったとしても、苦労に見合った成果が得られたかは怪しかったさ」
(それに、ハードルを下げて無駄に死人が出てしまうよりはよっぽど良い)
先日の地下霊力塔での戦いのことも考えると、生半可な力では命を落としかねないことを梅林はより強く実感するようになっていた。
それに加え、残された側の精神に与える影響も考慮すると、候補者に声を掛ける前の段階から厳選する方向に舵を切らざるを得なくなったのだ。
「ところでばいちゃん、今からどこに行くの?こっちは関東じゃないよ」
あおは、チラッと見えた案内標識から、梅林が東ではなく南へ向かっていることに気づいた。
「関東に入る前に一度、山梨に寄ろうと思っている」
「何故でありますか?」
「“霊子護符”を作りに行く」
「りょーしごふ?」
「ああ。兄の手引き書の中にあった、霊的加護を得られる護符のことだ」
「霊的加護って、具体的にはどんなものなのでありますか?」
「一言で説明するのは難しいが⋯まあ、何かしらの能力アップが見込めるパワーアップアイテムと思ってくれて良い」
「いっぱい付けたらすっごく強くなれそうだねー」
「とは言っても護符の力だけで劇的に強くなれるわけではないぞ?あくまで資本となるのはお前たち自身の力だ。それを忘れるな」
「「はーい」」
そうして梅林たちは一路、富士山に立ち寄るべく山梨県を目指すこととなった。
長野県を出発してから3時間弱をかけて、一行は山梨県河口湖のほとりにあるキャンプ場に到着した。
キャンプ場で宿泊するための諸々の手続きを済ませた梅林は、戻ってきて早々に書道用具と和紙でできた縦長の紙を数枚、そしてややくたびれた一冊の本をバッグの中から取り出した。
「それなぁに?ばいちゃん」
「これが霊子護符の作成に必要なものだ」
「見たところ、紙のサイズ以外は一般的な書道セットのようでありますが⋯」
「霊子護符として成立させるためには、霊気の受け皿となる“器”と、霊気を器に定着させるための“媒介”の2つが必要なんだ」
梅林は硯を手に取ると、湖へ向かって歩き出した。
「つまり器がこの紙で、ええと⋯媒介⋯が墨、でありますか?」
「ああ。正確には吸わせる霊気と親和性の高い水で磨った墨が媒介となる」
だから梅林は、富士五湖の水を利用する意図も含めてここを今日のキャンプ地としたのだ。
梅林は硯を湖の水に浸し、窪みの中に残るように湖の水を掬ってキャンプテーブルまで戻って来ると、早速固形墨を手に取って墨を磨り始めた。
「ところでその本は何なのでありますか?」
うちかは梅林の手元にある、手書きで表題が書かれた本が気になった。
「ああ、これか。これはここに来る間に話した兄の手引き書だ。これには霊的なものに関わるあらゆる事が、草案もまとめてこの1冊にまとめて書かれているんだ。この霊子護符もその内の1つだ」
「へぇー、バイリン殿の兄上は凄い方なのでありますな」
「⋯そうだな。本当に凄い人だよ、兄は」
うちかの率直な感想を聞いて、梅林の中で今まで自分が兄に向けていた感情がぶり返して少し複雑な気持ちになったが、それでも、兄が褒められたことを素直に喜んだ。
霊子護符に必要な文字や印を書き終え、護符に富士の霊脈の気を吸わせるベく、梅林たちは富士スバルラインを通って富士山へと向かった。
平日の昼下がりということもあって、青雷号はほぼ止まることなく快適に道路を進んでいった。
だがしばらくして、梅林たちにとっての終点であり、施設のある五合目の駐車場が目前となったところで、急な渋滞が発生していることに気づく。
「事故かなにかあったのでしょうか?」
何かしらのアクシデントがあったのではないかと、そう思っている内に遠くから甲高い声が響いた。
「はいはい皆さーん、危ないんで下がってくださーい」
その声は年若い少女の声のようだった。
気になった梅林たちは、青雷号から降りて声のする方へと向かった。
駐車場から戻って来る人の波をかき分けながら駐車場の入り口付近までやって来た段階で、梅林たちはようやく事態を把握した。
「そういうことか」
五合目の施設前駐車場は大量の降鬼によって塞がれていた。
「うわー、いっぱいだー」
そして、怖いもの見たさで未だ留まっている群衆と降鬼の間には、2人の少女が立っていた。
1人は赤髪のツインテールが特徴的な少女で、少し前から響いている声も彼女のものだった。
そしてもう1人は、銀の髪を風に揺らしながら降鬼の方を向いて微動だにせず、警戒をしている様子だ。
「降鬼たちはあたし達がすぐに片づけますのでー、駐車場から充分に離れた場所でお待ちくださーい」
再三のアナウンスによって大半の群衆が掃け、見物人として残った者たちも充分な距離まで下がったのを見届けて、赤髪の少女はもう1人の少女に声を掛けた。
「さて、これでもう充分でしょ。“サリア”もう良いわよ」
「うん。でもこういう大きな霊脈絡みの問題って、確かシヅキ先輩の受け持ちだったよね?なんで私たちが?」
「先輩は今まさにそれの別件で東北に行っちゃってるんだから、つべこべ文句言わない」
「はぁーい」
サリアと呼ばれた少女は、不満そうな声を漏らしながらも、赤髪の少女の言葉に従った。
「まあ良いじゃない。早速アレを試す機会が来たんだし、ちょうど良いわ」
「うん、そうだね。“カナメ”ちゃん」
「あの2人は⋯⋯!」
大量の降鬼を前にして他愛もない会話を繰り広げる少女たちの顔に、梅林は見覚えがあった。
「ばいちゃん、知ってるのー?」
「ああ。あの2人は次期N12候補の上位選抜生、X12だ」
X12──
その名の通り選抜生の上位12人、つまりはN12に次ぐ実力を持つ者たちを指す言葉である。
元々はファンが言い出した非公式用語だったが、今ではB.L.A.C.K.内でもこの呼称で通っており、世間一般にも一定の認知度を誇っている。
頭文字をそのまま使用するとN12となるように意図して付けられた呼称ではあったが、文字に起こす際は混同を避けるため、X12と表記されることになっている。
「左腕に腕章を付けている赤い方は柘榴石カナメ。X12の実質的なリーダーで、次期N12筆頭候補と目されている」
「そしてもう片方の銀髪が金剛サリア。スカウト抜擢された逸材で、霊力量だけなら既にN12と同等以上と言われている」
「はえー、N12の皆さん以外にもいっぱい凄い人たちがいるんですね」
「そうだ。N12以外のB.L.A.C.K.は表立ったメディアに露出する機会こそ少ないが、それは決して実力不足というわけではない。B.L.A.C.K.⋯それも選抜生である以上、並みの降鬼や機兵とは較べものにならないほど強いぞ」
梅林がうちかとあおに一通り説明をし終えたのとほぼ同時に、2人の少女は降鬼の方へ向き直って小さく呟いた。
「「騎士団モードへ移行」」
2人の姿が光に包まれ、その光が程なくして消えると、その身は鋼鉄の鎧を纏っていた。
だがその姿は梅林が、いや、その場に居合わせている誰もが見たことのないものだった。
N12の専用霊子スーツのような黒と金を基調とした大型機体でも、研究生たちが身に着けているような画一的な量産装備でもなかった。
頭部を除く全身を真っ赤な装甲に身を包み、不釣り合いなほど大きな剣を構えたカナメと、黒のインナーの上から急所と関節部を中心に白い装甲を纏い、背面に浮遊する6機のビットを携えたサリアの姿がそこにはあった。
「あれは⋯霊子ドレス、なのか?」
意匠から感じるイメージこそ異なるものの、基本的な構造は霊子ドレスのそれと酷似していた。
「漏れたやつと息の残ってそうなやつだけ、よろしく」
「うん、わかった」
困惑する梅林を他所に、特に作戦を立てるわけでもなく、カナメとサリアは役割分担だけを決めて戦闘へ入った。
カナメは降鬼へ向かって真っすぐに突っ込んでいく。
大剣の間合いに入った瞬間に、カナメは勢いよく剣を振り抜き、降鬼たちを斬り飛ばした。
斬り飛ばした降鬼には目もくれず、カナメは次の標的に据えた降鬼たちに向かって、腰部に着いたブースターを使って突進する。
カナメが剣を振るうたびに、降鬼たちは宙を舞い、地に叩き伏せられる。
「ホラホラ、そんなんじゃあたしを捉えられないわよ、降鬼ども!」
カナメはブースターの噴射方向を操作し、死角や遠距離からの攻撃を巧みに躱しながら、降鬼をノンストップで斬り刻み続ける。
「ふふ⋯カナメちゃんノリノリだね」
その一方でサリアも、カナメの様子を見守りながら、自分の方へ流れてきた降鬼をビットから放つ霊力弾で淡々と処理していく。
「あ、起きちゃダメ」
先刻、かろうじてカナメの斬撃に耐えてようやく起き上がるだけの気力を回復した降鬼も、サリアの目から逃れる事は叶わず、反撃の機会を与えられることはなかった。
「じゃあ、そろそろ決めますか!」
カナメは、仲間をいくら倒されてもなお衰えることのない勢いで向かってくる降鬼たちから、ブースターを使って一気に大きく距離を取った。
(本当は必要ないけど、魅せるのも仕事だからね)
カナメの実力なら、このまま大剣を適切に当て続けるだけで事足りる状況だったが、新装備のお披露目と、何よりスタァとしての流儀がそれを良しとしなかった。
カナメは自身の燃え盛る霊力を大剣に纏わせ、左から右へ水平に、思い切り振り抜いた。
「轟剣、オキツヒメッ!!」
唸りを上げて燃え盛る炎の斬撃が、炎壁を伴って猛スピードで降鬼たちへと飛んでいく。
駐車場の半分以上を占めるほどの攻撃に、大半の降鬼はなす術なく飲み込まれ、漆黒の体躯をさらに黒く焦がすように、煙を上げながら地面に転がる結末を迎えるしかなかった。
しかしその一方で、幸運にもカナメの攻撃範囲外にいた降鬼たちは、駐車場を脱出するべく、1つの大きな黒い塊となってサリアと群衆のいる入り口方面へ向かって走っていた。
「うわー、こ、こっちに向かって来るであります!」
このまま降鬼が駐車場から出てしまえば、人と車に大きな被害が出ることは明らかだった。
だが、サリアは微塵も動じていなかった。この状況を解決できる方法が自分にあることを知っていたから。
「招雷⋯タケミカヅチ」
サリアがそう呟くと、降鬼の一団は天から撃ち下ろされた光の柱の中に消えた。
直後、凄まじい衝撃音と共に大量の粉塵が舞い上がり、光の柱が消えてそれらが落ち着くと、そこには倒れ伏して動かなくなった降鬼たちの姿があった。
そして、全ての降鬼が動かなくなったことを確認した2人は、騎士団モードを解いて、いつもの式隊服へと戻った。
「はい、いっちょアガリ!」
「いっちょアガリ!じゃないよ、カナメちゃん。カナメちゃんの攻撃は火なんだから、施設に燃え移ったらどうするつもりだったの?もうちょっと気をつけてくれないと」
「だからそうならないようにやったんでしょ?で、そういうあんたは実際駐車場に被害を出しているわけだけど?」
カナメは、招雷タケミカヅチで大きくへこんだ駐車場の地面を指差した。
「う⋯⋯」
痛いところを突かれたサリアは言葉を詰まらせ、それ以上カナメに言い返すことができなかった。
その後、カナメに呼ばれた政府の処理班の手により降鬼は回収され、施設は無事営業を再開した。
霊子護符に霊気を吸わせるために、梅林は駐車場から富士山を眺めながら自販機で買った缶コーヒーを飲みながら時間を潰していた。
「ねぇちょっと、そこのお兄さん!」
そんな折、自分の方に向けられた少女の声が梅林の耳に入った。
「ねぇってば!」
だが梅林は聞こえていないフリをした。
応えても恐らく面倒なことになると判っていたからだ。
「無視したって無駄よ?こっちが優しく言ってるうちにとっとと反応しなさい、時田梅林」
急に、その声は低く重みのあるものへと変わった。
「どうして俺の名を?」
「あったりまえよ。あたしは次期N12候補よ?総督の顔と名前くらい知ってて当然じゃない」
(やはりか⋯)
梅林自身も薄々判ってはいた。この少女が他でもない自分に声を掛けてくるのは、自分の正体を知っているからであり、明確な理由があるからだ。
梅林が声の方に視線を向けると、カナメとサリアの姿があった。
「てっきりもう帰ったのかと思っていたが、選抜生は暇なのか?」
「ご生憎。そんなつまらない挑発には乗らないわよ。あんた、こんなところで何をしてるわけ?次は何を企んでる。答えなさい」
(群衆の後方に紛れて目立たないようにしていたつもりだったが、視野が広い。周りがよく見えている)
「人聞きが悪いな。総督を辞めてせっかくできた余暇なんだ、旅行くらいするだろ」
「あんたが年頃の女の子2人と一緒に居たのはこの目で見てるのよ。西にいる帝国華撃団みたいなことしようとしてんじゃないの?」
(当たっている。流石次期N12候補筆頭なだけはある。だが今はまだ何かを起こした確たる証拠は出ていないはず。ここは白を切る一択だな)
「ハッ!⋯何を言い出すかと思えば。奴らは俺を失脚させた敵だぞ?恨みこそすれ、奴らと同じことをする理由はないだろう」
「ふん、どうだか」
カナメは明らかに納得のいっていない様子だったが、その先の言葉が出てくることはなかった。
それは梅林の読み通り、彼をこれ以上問い詰めるだけの確たる材料が揃っていないことの証だった。
「それより、お前たちこそさっきのアレはなんなんだ?霊子スーツではなかったようだが」
「あんたに教えてあげる義理はないけど⋯いいわよ、教えてあげる」
カナメは一瞬悩んだが、梅林の質問に対して素直に応じることにした。
「ちょ、ちょっとカナメちゃん!?」
「良いじゃない。どうせこれからどんどん使って、その内世間にも知られることになるんだから」
「この男は元総督でB.L.A.C.K.の内情にも詳しいんだから、どうせすぐにバレるわ。なら今知られたところで誤差よ誤差」
「そ、そうかなぁ⋯」
(それに、梅林と一緒に居た子たちがそれなりに戦える力を持っていたとして、梅林が総督を辞めてから日が浅いことを考えると、現状咲良しのたちほどの脅威には成長してはないはず)
(それなら、今のうちに釘を刺しておいた方がいい。牽制になるし、万が一にも折れてくれたら儲けものだし)
カナメの情報開示は軽率な漏洩ではなく、漏洩のリスクに対して今後のリターンがあるものと見越してのものだった。
だが、兄の松林同様、知に長ける梅林を前にしてこれ以上言葉を増やすのは得策ではないと判断したカナメは、サリアにその意図を話すのを後回しにして話を始めた。
「アレはね、“霊子クロス”って言うの」
「霊子クロス?⋯霊子スーツとは別物ということか」
「そ。正確に言えばハイブリッドって位置付けかな」
「ハイブリッド?」
「神子浜あせび。あんたも知ってるでしょ?帝国華撃団を裏切ってB.L.A.C.K.に入って来たあのいけ好かない女」
「ああ」
神子浜あせび。
かつての帝国華撃団最初期のメンバーであり、九州総督マモンを撃破した後、突如として彼女たちを裏切り、大帝國華撃団B.L.A.C.K.へと転身した謎多き乙女。
黒い噂が絶えない彼女だが、入団後、急激に女優としての実力を伸ばしている以外に目立った行動は見受けられず、その真意は今なお不明である。
「マジュさんに連れられてきた時。あの女が最初にしたこと、一体なんだと思う?」
(霊子ドレスに似た装備が政府で開発されていたことと、神子浜あせびを繋ぐもの。それは1つしかない)
「そう、あの女真っ先に自分の着てた霊子ドレスを渡してきたのよ。まあ、あたしを含めて入団に反感を持ってる連中が居ることは百も承知だっただろうから、それを少しでも黙らせる意味もあったんでしょうけど」
そういう打算的で抜け目のないとこがほんっと癪に障るのよね、あの女。と、小さく悪態をつきつつもカナメは話を続けた。
「で、そこから得たデータを基に、霊子スーツの技術と組み合わせて造ったのがあの霊子クロスってわけ」
「なるほど。そしてその試験運用も兼ねて、まだ専用霊子スーツを持ってないX12が装着者に選ばれたというわけか」
「ご明察。だからね、女優としての総合力じゃまだN12には及ばないけど、クロスを着けた今のX12の戦闘力は多分、結構イケてると思うわよ?」
その言葉は驕りではなく、確かな自信から来るものだということを、梅林はカナメの語気と表情から感じ取った。
(霊子クロスはまだ試験段階。ポテンシャルは未知数だ。だが少なくとも、今のうちかとあおが1対1で相対して勝てる相手ではない)
「今日のとこは見逃してあげるから、目を付けられたくなかったらせいぜい大人しくしておくことね、時田梅林。行くわよ、サリア」
「う、うん。カナメちゃん」
伝えたいことを全て言い終えたカナメは、梅林の表情から情報を流した意図が充分に伝わったと確信し、サリアを連れて去って行った。
その背中が見えなくなったところで梅林はようやく一息をついた。
(N12が西日本に注力している穴を、今後は霊子クロスという新たな力を得たX12で埋めるというわけか)
「厄介だな⋯」
(だが今後の方針は決まった。そして、ここに来て正解だった)
梅林は改めて霊子護符の必要性を再認識した。
N12と戦う時のことを考え、中長期的な目線で霊子護符を作ったつもりでいた梅林だったが、近い内にX12とぶつかる可能性が高くなった以上、早急な戦力アップはより必要不可欠なものとなった。
(鍛錬でのレベルアップだけでは圧倒的に時間が足りない。これから仲間となる乙女の素質に期待するだけでも駄目だ。“全部”だ。努力も、才能も、道具も⋯全部を使って戦わなければ、B.L.A.C.K.には勝てない!)
そして翌日。新たな脅威の存在を確認した梅林たち一行は、気持ちを新たに、大帝國華撃団B.L.A.C.K.の本拠地である帝都を擁する関東地方へと足を踏み入れるのであった。
第三章第一話へつづく。