幕間 Happy “Blue” Birthday

「あぁ〜⋯ああぁ〜⋯」
「暑くて溶けそうだぁ〜」
 太正101年7月23日。長野県木曽町。
 ジリジリとせみたちのせわしない鳴き声が辺りに響き渡る中、霧ヶ峰きりがみねあおは実家の縁側えんがわで伸びていた。
 霊力塔による影響が消えた日本では、まるで今までの分を取り戻すかのように猛暑日が続き、その暑さにすっかりやられたあおは、ズリズリとナメクジのように床をいずりながら冷房の効いた室内へと転がりこんだ。
「ふぃー⋯涼しいぃー」
 元々画家としての知名度はあったあおだが、日本を救った帝国華撃団の一員だと知れ渡ると、取材や仕事の依頼は、以前とは比べものにならないくらい多くなった。
 あおにとって絵を描くのはもちろん大好きなことだが、それを猛暑の中で⋯というのはまた別の話だ。
 あおのスタイルはペンタブや液タブ等を使ったデジタルではなく、筆と絵の具で直接キャンバスに描くアナログであり、その上、屋内でこもってくよりも、屋外で空を見ながら描く方が筆の進みが速い彼女にとって、昨今の猛暑はまさに天敵だった。
「お仕事とー⋯宿題とー⋯他にもいっぱーい⋯」
 天才画家であるあおだが、彼女はれっきとした中学生。まだ15歳の少女である。
 故に、絵の仕事だけに専念する訳にはいかない。
 当然、学校の宿題もやらなければならないし、果てには農家である宿命とも言うべきか、時には農作業の手伝いもしなければならない。
 夏休みに入ってから猛暑に加えそんな日々が続き、肉体的にも精神的にも限界が来るのは時間の問題だった。
「ねむぅ〜⋯⋯⋯すぴー⋯すぴー⋯」
 そして、涼しさへの安堵感あんどかんと疲労感から、あおの意識は吸い込まれるように夢の中へと溶けていった。

 一方その頃、あおの家に向かって歩く者たちがいた。
「むつは⋯もう少しだから頑張って」
 高崎つつじは、隣でへばりかけている最上むつはに声を掛けた。
「くうぅ〜暑い!疲れた!もう、足がクタクタだ⋯」
「パーティー用の食材を買うために寄ったさっきのスーパーで、もっと涼んでおくべきだったか⋯」
「そうでありますな。陰の者である自分たちにとって、この暑さは⋯強敵であります⋯」
「むつはとうちかに渡したやつは比較的軽いんだから文句言わないのー!」
「そうっすよ。それに、普段からお米を食べてねぇから元気でねぇんっすよ!2人とも」
「確かに、お前たちはもう少し体力をつけた方がいい」
 北方連合花組一行は、あおの実家を訪ねるため、木曽町まで来ていた。
 あおの実家は最寄りのバス停からやや距離がある所にあるため、残りは徒歩で向かうしかないのだが、普段インドア派で運動不足のむつはとうちかにとって、猛暑とのWダブルパンチは相当こたえているようだった。
「何故だバイリン⋯キミは“ワタシたち側”のキャラだろう!?何故それほどまでに余裕があるのだ!」
「そうであります!線の細いインテリ男子は体力少なめのインドア派が定石じょうせきなのであります。解釈違いであります!」
「確かに。見た目ヒョロッとしてるのに意外よね〜。つかあんたたち、まだ結構元気じゃない」
「これがしっかりお米を食べてる人とそうでない人の違いっすよ、2人とも。流石バイリンさんっす!」
「そうなの?⋯⋯そうかも⋯」
「お前たち⋯一体俺をなんだと思っているんだ」
 少なくとも、しろとふきからは評価されているはずなのだが、総じて勝手な人物像を設定され、梅林の気持ちは複雑だった。
(それに、俺はパンを食っている割合の方が圧倒的に多いんだがな⋯まあ、それを言うと今度はふきがうるさくなるだろうから、余計な事は言わないでおくとしよう)
 内心思うことはありながらも、梅林は一団の引率いんそつとしての仕事に徹することにした。
「まあいい、とにかくだ。本当にあともう少しだから、頑張ってくれ2人とも」
「「はぁ〜い⋯」」

『んふー!雲のお布団ふわふわ〜』
 あおは夢の中で、青空に浮かぶ雲の上に乗っていた。
 現実の雲は人間が乗れるほどの密度はないが、あおの心象風景を映し出したこの世界では、雲は確かな弾力性を持った物体として存在していた。
“こんにちは、あお君”
『あ、だんちゃん!』
 すると、あおの視線の先から流れてくる雲の上に乗った大石が近づいて来るのが見えた。
“ここで何をしてるんだい?”
『うーんとねー、お仕事にー宿題にーお手伝いにー⋯いっぱいやることがあるんだけどねー⋯すっごく疲れちゃったんだぁ〜』
『だからね、お空の上でお昼寝してるんだ〜』
“それは本当にご苦労様だね”
『うん。あとねー⋯なんだか最近忙しくて、あんまりゆっくりできてないんだー』
『あおはもっとのーんびりやりたいのに⋯』
 ここ最近のしょうに合わない忙しさは、あおの心を確実に擦り減らしていた。
 仕事というフィルターを通すと、大好きな絵すらも苦痛に感じる時があるほどだった。
“いいんじゃないかな、のーんびりやれば”
 だが、その悩みに返す大石の言葉は存外にあっさりとしたものだった。
『本当にいいのー?』
“うん。あお君のやりたいようにやればいいんだよ”
『でもねー、みんながあおに期待してくれるなら、あおはなるべくそれに応えてあげたいんだー』
“それはすごく立派なことだけど、それで無理をしてあお君が倒れてしまったら元も子もないよ”
“疲れたらちゃんと休んで⋯辛いなー無理だなーと思ったら、思い切って断っちゃってもいいんだよ?”
『大丈夫かなぁ⋯みんな怒ったりしない?あおのこと、嫌いになったりしない?』
“大丈夫。ちゃんと理由があるなら、誰も怒ったりしないし、もちろん嫌いにもならないよ。だからね⋯”
“あお君があお君らしくいることが一番なんだ”
『あおがあおらしく⋯』
 あおは少しだけ言葉に詰まったが、大石の言葉を受けて、胸の内でモヤモヤとしていたものが無くなっていることに気がついた。答えはもう決まっていた。
『そうだよね⋯うん。あおはあおらしく、あおのペースで頑張るよ!』
 だからあおは、胸を張って大石に答えた。
 その様子を見届けて安心した大石は、あおに最後の言葉を掛けた。
“さあ、そろそろ起きる時間だよあお君。あんまりみんなを待たせちゃダメだよ?”

「んあ?」
 ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリ⋯
 そうしてあおは目を覚ました。
 外からは相変わらず蝉たちの鳴く音が聞こえている。
 あおは寝ぼけまなこで部屋の天井を見つめながら、夢の中での出来事を思い返して、反芻はんすうした。
 自分の心が見せた幻影に過ぎないことは、あお自身も分かっていることだったが、それでも頼れる大人が後押ししてくれたのは、中学生であるあおにとってとても心強いものだった。
「えへへ⋯だんちゃん、ありがとね⋯」
 だから自然と、感謝の言葉が口から出た。
 長くつっかえていたものが取れたような、そんな感覚を感じたあおは、自分の心の色がまた鮮やかさを取り戻していくのを感じた。
「あおちゃん!お友達が玄関に来てるわよ」
 ふと、廊下の方からあおを呼ぶ祖母の声が聞こえた。
 さらにその奥の方からは、ロシナンテの、そしてにぎやかな声もかすかに聞こえていた。
(はっ!そういえば今日はみんなが来る日だった⋯!)
 自分の誕生日にみんなが来ることを思い出したあおは、はやる気持ちを抑えながら、でもいつもより少しばかり速く身体を起こしながら返事をした。
「ばぁー、今行くよー」
 

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