幕間 その眼に写るのは

 太正100年9月29日。
 帝国華撃団の多くが帝都で活動を続ける中、十字街じゅうじまちまなと美瑛びえいななこは気ままな二人旅をしていた。
「ななこ、もう身体からだの方は大丈夫なの?」
「はい!それはもうすっかり」
 旅を始めて今日で2日目。
 要所要所でバスや電車を使うことはあるものの、まなの写真撮影に付随する理由から、2人は基本的に徒歩で移動していた。
 とはいえまなは、石籠いづらセイラとの死闘で、つい最近まで重傷を負っていたななこの身を案じて声を掛けたが、当のななこは、心配はいらないと言わんばかりに身振り手振りをまじえながら言葉を返した。
 普通であれば、それを素直に喜ぶべきところだが、ななこは常にひょうひょうとしているため、その真意をはかることが難しく、鵜呑うのみにはできない。
 だが現状では特に問題は見られないため、まなはそのまま飲み込むことにした。
 2人は今、山梨県の街中を歩いている。
 旅の目的はまなの写真撮影。
 東日本の標高が高い場所では例年よりも早く紅葉こうようが始まっているという話を聞いて、まなの撮影意欲が強く刺激されたため、事ここに至っているのである。
「ところでまな。どうして山梨県なんですか?」
「帝都から近い山っていうのもあるけど、山といったらやっぱ富士山かなーって思ってさ」
「それで、その手に持っているのは何ですか?」
 まなの両手にはソフトクリームが握られていた。
 やや青みがかった黄と紫のツートンカラーが綺麗な、梨と葡萄ぶどうのミックスソフトだ。
「お昼はさっき食べたばかりですし⋯それに、昨日もソレ・・食べてませんでしたか?」
「い、いやぁ〜気のせいだよ。そ、それにさ⋯食後のデザートって欲しくなるじゃない?」
「ふっふーん、本当ですかぁ〜?」
 目に見えて狼狽うろたえている様子のまなの顔を、ななこは首をかしげながら覗き込む。
「も、もぉー別になに食べたって良いでしょ!」
「それとコッチはななこの分なんだからね、はい!」
 ななこの視線に耐えられなくなったまなは、頬を赤らめながらソフトクリームを1つ、ななこへ差し出した。
「おお、これはこれは。ありがとうございます」
 ななこの予想は当たっていた。
 写真を撮るために来たことに間違いはないが、事前にネットで調べた内容の中にあった、季節の果物を使ったソフトクリームが食べたかったというのも、まなが山梨を選んだ明確な理由の1つだった。
「でもね⋯」
「?」
 一拍いっぱくの間を置いて、まなの表情が変わる。
「一番の理由は、ただ帝都を離れたかっただけなんだ」
 その表情はどこか悲しげだった。
「ここ2,3ヶ月は、ミライエネルギーの実態や帝都の現状を伝えるために写真を撮ってきたけど、そういうのは当然、どれも私が撮りたい景色じゃなかったからね」
「近代的な建物とその瓦礫がれきなんかは特にそうだった。最初の内は機兵も目新しさがあったけど、すぐに飽きちゃった」
「だから、きりんさんを始め、関係各所に渡す分はもう充分撮れたし、流石にもう私の出番はないかなって思ってさ⋯」
 まなが本当に撮りたいものは、無機質な人工物などではない。
 自然が作り出す奇跡のような一瞬を写し取ること。それこそが、彼女が本当に撮りたいものなのだ。
 それ故、まなの中のフラストレーションはこの数ヶ月間で溜まりに溜まっていたのである。
「他の皆さんと歌劇をするのはダメだったんですか?」
「私は撮る側では居たいけど、その逆は苦手でさ。そういうのはあんま性に合わないんだよね」
「だから皆には申し訳ないけど、帝都の外に出たくなっちゃったんだ」
「なるほど。そういうことだったんですね」
 フムフムと、ななこは合点がてんのいった仕草を見せる。
「そういうななここそ、どうして私に付いて来たの?」
「私の理由ですか?」
「そうだよ。ななこは動物園のスタッフなんだし、別に人前で何かをすることに抵抗とかないでしょ?」
「それはそうですが、私はつい最近まで病院のお世話になっていましたので、そこに入って皆さんの進行を止めてしまうことになったら気まずいなぁと思いまして⋯」
「そこでまなが帝都を出る話を聞いたので、それに便乗しようかと」
「だから特に理由はなくて、ただ“なんとなく”です」

 観光をしながら、街並みや田園でんえん地帯を写真に収め続けた2人は、陽が沈んできた頃を見計らって、事前に予約を入れていた旅館へチェックインした。
 その旅館は、富士山を対面で見ることのできる山々のふもとにある旅館の1つで、名のある写真家も多く利用することで有名な所だった。
 歩き疲れてクタクタになっていたまなは、客室に荷物を置くと早々に大浴場へと向かい、1日の疲れを流した。
「あぁ〜やっと落ち着いたー」
 浴場から客室に戻ったまなは、風呂上がりで火照った身体を畳の上に投げた。
「ふぇ〜、程よく冷たくて気持ちい〜」
「じゃあ、今度は私が行ってきますねー」
 その様子を見て、ななこが入れ替わりで客室を出る。
「は〜い」

 それから少し経ってななこが戻ってくると、程なくして客室に料理が運ばれてきた。
 美味しい料理に舌鼓したつづみを打ち、少しくつろいだのち、まなは早めに就寝の準備を始めた。
 明日あすの日の出に合わせて富士山を撮るためである。
 色々な思惑があったとはいえ、山梨に来た1番の目的は紅葉に染まり始めた山々を撮る事。
 まなは、それを30日に行なうことで、自分への誕生日プレゼントにしようと考えていた。
「登山用の装備は全部リュックに入れたと思うけど、念のためもう1回見ておこうかな」
 山頂を目指すわけではなく、写真を撮るための高さが必要なだけとはいえ、山に入ることに変わりはない。
 まなは、持ってきた装備の状態をもう一度確かめる。
「ななこ。昼間も言ったけど、夜中に撮影ポイントを探しに行くからね」
 まなは確認をしながら、一緒に登るななこにも今後についての確認をする。
「はい⋯」
「だから今から寝て⋯」
 パサッ⋯と、何かが布団の上に落ちる音がした。
 それに反応して、まなは音がした方向に目をやる。
「って、寝ちゃってるし」
 そこには、スゥスゥと気持ち良さそうに寝息を立てているななこの姿があった。
 ななこは、まなの話を聞き終える前に、掛け布団もかけずに寝落ちしてしまった。
「もぉー⋯やっぱり大丈夫じゃなかったじゃん」
 普通ならまず、ななこがまなよりも先に落ちることはない。でも今そうなっているということは、長い入院生活によって体力が落ちた何よりの証拠だった。
 まなは、ななこの上に掛け布団をかけてから、携帯のアラームを翌日の午前2時にセットして就寝した。

 9月30日の午前2時。
 耳元で鳴るアラームの音で、まなは目を覚ました。
 まなが寝ぼけまなこで隣を見ると、ななこは相変わらず熟睡しているようで、まるで起きる気配はない。
「まあ仕方ないか。こうなったら1人で行くしかないね」
 病み上がりの人に山道は色々な面でキツいだろうし、そもそも疲れて眠っているところを起こすのは忍びないなと思い、まなは、ななこをそのままにして1人で旅館を出た。
 人気ひとけの無くなった路地は世界を独り占めしているような開放感があり、夏の暑さがやわらいだことで適度に涼しく澄んだ空気が心地良かった。
「すぅー⋯⋯はぁ!よし、じゃあ行きますか」
 まなは大きく深呼吸をして気持ちを整えると、1人山への道を歩き始めた。

 やがて登山道に入ると、富士山と河口湖かわぐちこの両方が画角に収まる場所を探して登り始める。
 しばらく歩いていると、まなは少し外れたところに脇道らしきものが細く続いていることに気づいた。
 脇道の入り口は草木が刈られておらず、その道がしばらく手入れされていないことがうかがえた。
 使われなくなって久しい道ならば、いわゆる“穴場”になっているのではないか。そう思ったまなは、草や枝をかき分けてその、脇道に入った。
 使われなくなった理由を考えると、多少の危険はあるかもしれない。
 だが、良い写真を撮るためならば大抵どこにでも踏み込んでいくまなにとって、それは特段抑止力になる要素ではなかった。
 半ば獣道のような状態となっているその道を少し進むと、見晴らしの良い高台へと抜け出る。
 夜の闇で視界は悪いが、視線の先には大きな円錐形えんすいけいの黒い塊が鎮座ちんざしているのは分かった。間違いなく富士山だった。
「もしかしてここ、すっごく良いんじゃない?」
 まなは写真家として直感から、ここを撮影ポイントにすることを決めた。
 そのままそこで待つこと1時間弱──
 やがて、富士山の向かって左側から太陽が昇り、真っ暗だった世界が太陽の光を受けて色づき出す。
 そして、富士山の山頂から順に、白、赤・黄、緑と三層のコンストラストが写し出される。
「うわぁ⋯凄いキレイ」
 ため息を漏らすと共に、本能のままに口から突いて出た言葉。
 それは、取ってつけたような比喩ひゆ表現など入る余地の全くない、純粋な感情だった。
 今、まなの心は最高に高鳴っていた。
 あとは、その高鳴りが最高潮を迎える瞬間を逃すことなく、シャッターを押すだけ。
 緊張と興奮で震える手を抑えながら、まなはその瞬間を待った。
 そして、富士山の全容があらわになったとき、その瞬間は訪れた。
 パシャッ!⋯⋯
 静寂の中、シャッター音が一瞬、小さく響いた。
「よし⋯!」
 会心の1枚を撮れたまなは、静かに感情を爆発させた。
 しかし、その喜びはつかの間だった。
 まなの足元の岩場がミシミシと大きな音を立てて崩壊した。
「えっ?!う、そ⋯⋯」
 切り立った崖というのは、その位置の関係上、風雨にさらされやすい場所に存在している。
 先端になればなるほど、それらの侵食をより強く受けて、崩れやすくなっているのは当然のことである。
 まなもそのことは熟知していたが、はやる気持ちと、シャッターを切るために深く集中していたことが重なり、足元の変化に気付かなかったのだ。
(ああ、私の人生もここで終わりかぁ⋯)
(久しぶりに凄く良い写真が撮れたのになぁ⋯)
 重力に引っ張られ、崖下へと向かい始める身体。
(せめてカメラは、誰かに拾って欲しいな⋯)
(それがきっと、私の最期の生きた証だから⋯)
 諦観ていかんの念と共に世界がスローモーションになり、今までの人生が走馬灯となって、まなの頭の中でフラッシュバックする。
「まなっ!!」
 しかし、自分の名前を強く呼ぶ声に、まなは思い出の世界からすぐに引き戻された。まなは、その声に導かれるように、咄嗟とっさに左腕を伸ばした。
 声の主に伸ばした腕を掴まれ、まなの身体はそのまま崖上へと引き戻された。
 そしてそのまま、まなの身体は落下の危険が少ないところまで引っ張られ、そこでようやく一息をつく。
「はぁ⋯はぁ⋯危機一髪でしたね〜」
 まなの危機を救った声の主は、他の誰でもなく、ななこだった。
「な、ななこ!?なんで、寝てたはずじゃ⋯」
「そうですね。アラームが鳴っていた時は眠気が凄くて目を開けられませんでしたが、それから少し経った後にふと目が覚めたんです」
「でも、どうしてここが分かったの!?」
「ふふふ、それはですね⋯“なんとなく”です」
「えっ、それだけ?!」
「そうです。それだけですよ」
 なんともアッサリした答えに、まなは拍子が抜けた。
「ただ強いて1つ付け加えるなら⋯」
「今日がまなの誕生日だから、ですかね」
「まなが誕生日に撮影する瞬間に間に合わなかったら、ここまで付いて来た意味がないですから。だからキタキツネさんモードで探しました。コンコン」
 ななこは両の手のひらを前にして頭の上に立てる、いつものポーズをした。
(なんだ⋯全然“なんとなく”じゃないじゃん)
 見た目ではいつもと変わらぬ振る舞いをしているが、なんとなくだの強いて付け加えるだのを言ったのは一種の照れ隠しなのだろう。
 キタキツネはななこの一番好きな動物だ。その名を出すということは、ななこが本気で自分のことを探していたのだということを察した。
「まな、抜けがけはダメですよ?」
「ななこ、ごめんね」
「それと⋯ありがとう」
 その言葉は、心の底から素直に出た言葉だった。
 それは今の出来事に対してだけではなくて、恐らく、今までの事に対しての言葉。
 まな自身も深く考えて口にした訳ではなかったが、その場に対してだけのものと言うには収まりきれないほどの感情が、その言葉には詰まっていた。
「はは⋯今頃になって足が震えてきちゃった」
 死の間際から生還したことを実感し出したまなの身体は、まなの意思とは無関係の挙動を示す。
「も、もう少しだけこのままで良いかな?」
 特に両脚の震えが酷く、とても立ち上がれるような状態ではなかった。
「ふふふ。まるで生まれたての子鹿さんのようですね」
「うぅ〜⋯うるさい!さっきまで危うく死ぬとこだったんだから、しょうがないでしょ!」
 ななこの言葉に、まなの顔が一気に熱くなる。
 だが同時に、このやり取りに安心感を感じたまなは、両脚以外はすぐにいつもの調子を取り戻したのだった。

 それから2人は、徐々に目覚めていく世界を眺めながら、しばらくの間寄り添うように並んで座っていた。
「なんですか、まな?」
「ううん、なんでもない。なんでもないよ」
 まなは、時折ときおりななこの方をチラッと向いては、その度に同じようなやり取りを繰り返した。
 自分は写す側であり、写される側になるのはあまり好きじゃない。
 でも、いつも飄々としていて掴みどころがない⋯けれど、私のありのままを受け止めて、側に居てくれるこの友人のまなこになら、写される側になるのも悪くない。
 そんなことを心の奥で思いながら、まなは眼前に広がるこの美しい景色をに焼きつけるのだった。

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