幕間 Re:will be...
帝国華撃団が日本奪還を成し遂げてから、半年と少しが過ぎた。
中学3年生である道後みつは、15歳の誕生日を迎えた今日もいつも通り登校している。
人類を救った勇士であっても、それは学生の本分を怠って良い理由にはならない。
受験や進級に支障が出ないよう、学生の団員のほとんどは夏休みを過ぎた段階でそれぞれの地方へと戻り、以降卒業するまでは帝都と地元を定期的に行き来する日々を送っていた。
とは言っても、みつの場合は屈指のチアリーディングの腕前に加え、救国という余りにも大きな実績を手に入れてしまったため、特待生として方々からお呼びがかかり、昨年末には既に卒業と進路が約束されていた。
高校に入ってもチアを続ける気だったみつは当然、進学先は強豪チアリーディング部があるところから選び、最終的には帝都の学校に決めたのだった。
レベルの高い部活ができる環境を選ぶのは彼女にとって自然なことであったが、愛媛から遠く離れた帝都に決めたのは、咲良しのに会いやすくなるからという理由もあった。
寧ろそちらの方が割と大きな理由だったりするのだが、みつはそれを周りには内緒にしていた。
みつは昇降口を抜けて校舎の中へ入ると、靴を脱いで左手に持ち、空いている右手で下駄箱に手をかけた。
ガコン!⋯という音と共に金属製の下駄箱の扉を開くと、それと同時に大量の封筒がバサバサと床に落ちた。
「うっわ⋯予想はしてたけど、今年は特にヤバいわね」
みつの耳に、昇降口の方から近づく足音たちの中に、自分へと発せられた聞きなじみのある声が入った。
「あ、おはよう。いよちゃん」
みつは靴を下駄箱に仕舞い、足元に落ちた封筒を拾いながら、声をかけたその快活そうなポニーテール少女に挨拶をした。
「おはよ!みつ」
少女の名は津和地いよ。みつとは1年生の頃から付き合いのあるクラスメートである。
「にしても皆現金だよねー。元々多かったけど、みつの知名度が全国区になってから露骨に増えたもん」
みつは四国志絡みの争乱が始まるから既に県内では有名人だったが、帝国華撃団の一員であったことが全国に知れ渡った今、彼女の人気はそれまでの比ではなくなっていた。
「あはは⋯仕方ないよ。名前が広まるってそういうものだし。それにこのお手紙も、私に関心を持ってくれてる人が沢山いるっていう証だと思うの。だから私はそんなに悪い気はしてないかな」
「はぁ〜大人だねぇ。みつは」
にこやかな顔で言葉を返すみつに、いよは2つの意味で感心した。
1つは、波に乗じただけ連中のものも混じっていると容易に予想できる封筒の山を気持ち良く受け取れていること。そしてもう1つは、さりげない言葉遣いだった。
みつに向けられる感情は、今や三者三様どころではなく、百人百様、千差万別といった規模のものだ。中には過激なものも混ざっていることだろう。だが彼女は、それらに対する感情も含めて“関心”という言葉ひとつに落とし込んで許容している。
(あたしだったら絶対ムチャクチャ嫌悪感出しまくって文句の1つや2つは言ってるだろうなぁ⋯とてもじゃないけど、あたしにはこんな聖人みたいな立ち振舞い、多分一生できんわ⋯)
いよは、みつのように大勢の人間を先導した経験はないし、自身でもそういうのは向いていないと思っているため、そこまで広い心を持てないことを自覚していた。だから、みつのそれを素直に凄いと思った。
封筒を拾い終え、みつといよは教室に向かって歩き出した。
「みつさん、おはよー」
「はい!おはようございます!」
「おはようございます、みつ先輩」
「おはようございます!」
「みつさん、今日も元気いっぱいですね」
「はい。それはもう!」
廊下では沢山の生徒や先生がみつに挨拶をしてくる。これは誕生日だからというわけではなく、日常の光景だ。だがそれでも、誕生日効果で挨拶をする生徒が平時よりは増えているようだった。
帝国華撃団の中では、みつの年齢は下から数えた方が早く、年上を頼る側だった。
だが中学校でのみつは、下級生にとって憧れの先輩であり、同級生にとって自慢の級友であり、先生にとっては誇らしい存在なのだ。
加えてその爽やかで快活な性格は、一部の有名人に見られるような高慢さやあざとさといった鼻につく印象を与えない。そのため、そういう性格自体が苦手な人でない限り、基本的にみつを嫌いになる人はいなかった。
教室に着いたみつといよは、それぞれの席に着いて、バッグなどの荷物を机横のフックにかけた。
「おはよう、みつちゃん」
みつの後ろの席から声をかけてきたのは、おかっぱのロングヘアーに落ち着いた雰囲気を纏う少女、千舟ゆずだった。彼女もいよと同様、みつとは付き合いの長いクラスメートであり、3人は今学年で同じクラスになる前から深い交友関係を築いている仲である。
「おはよう!ゆずちゃん」
「なんかそれ⋯凄い量だね」
ゆずの視線は、下駄箱の時のいよと同様、机の上に積まれた封筒に向けられていた。
「アハハ!あたしとおんなじ事言ってんのね、ゆずも」
荷物を整理し終えたいよが、みつとゆずの席の近くにやってくる。
「だって、今年は本当に凄い量だからビックリしちゃったんだもん」
「まあしょうがないっしょ。3月で卒業な上に帝都にも行っちゃうから、ダメ元で告るにしてもガチで最後のチャンスだろうしさ」
その上、春先に帝都で予定されている新生・帝国歌劇団の公演に向けた練習のために、みつが欠席をする日もあり、残り少ない在学日数は更に少なくなっている。
となれば、その中で告白する分かりやすいタイミングは、みつの誕生日か卒業式の2つに集約される。
卒業式が最終登校日かつ熾烈な順番争いが起きることを考えたら、比較的日数に余裕のある今日が、みつを狙う者たちの勝負の掛け時なのだ。
「そっか、それもそうだね」
「ところでみつ。今年は直接返事するの?」
「ううん。今年もしないよ。今年で最後だし、ちょっとは考えたけど、流石にこの量見ちゃったらね⋯あはは」
「でも一応下駄箱に紙を1枚入れておくつもり。内容は全員同じで、コピー機で印刷したやつになるけどね」
みつの本心としては1つ1つ手書きで返したいところだが、量が量であるし、内容に差異が出てしまっては不平等に感じる人もいるかもしれない。
そう考えると、同じ文を大量印刷して返すしかないということで、みつは今年も、手書きした原本をコピー機にかけて印刷したものを渡すことにした。
「ほんと、みつはマメだよね。そんな律儀にしないで、面倒なら最愛無視しても良いのに」
いよの言う通り、付き合う気のない相手にハッキリとNOを突きつけるには無視という選択肢も有効である。
「それでも良いんだろうけど、私チア部だし。それにほら⋯女優にもなっちゃったし、ね?」
チアリーディングというポジティブイメージの強い部活動に所属し、その上今となっては、本人のイメージが与える影響が大きな職業である女優にもなった。
だから、相手の気持ちにはできるだけ誠意を持って応えることが、この道を進んでいく上での処世術として必要不可欠なのだ。
他人の目を気にしないという人もいるが、少なくともみつはそうすべきだと思っているし、そういう誠実さは持ち続けていたいと思っている。
それからも、井戸端会議的な他愛もない会話をしていると、程なくして担任の先生が教室に入ってきた。
先生からホームルーム開始の旨が告げられると、いよは自分の席に戻り、みつとゆずも、他の生徒同様に前を向いた。
この時期の3年生の授業は、学習範囲はほぼ終了し一般入試へ向けた自習の時間が中心である。
いよとゆずがそれぞれの志望校に向けた受験勉強に勤しんでいる中、みつは卒業式で読む答辞の原稿を仕上げながら、時折封筒の中身に目を通していた。
(まあ去年までと同じような感じかなぁ、やっぱり)
帝国華撃団⋯特に咲良しのとの出会いにより、以前にも増して、みつは生半可な内容では惹かれなくなってしまっていた。
(別に悪いって訳じゃないけど、しのさん達を比較対象にしちゃうとなぁ⋯)
仕方のないことだが、どうしても見劣りしてしまう。
女子からのものもあったが、それも例外なくみつの選考基準からは脱落していく。
(気持ちの強さ“だけ”は認めてあげられるけど、それだけじゃダメなんですよね⋯)
一般的な中学生よりも精神的に早熟せざるを得ない環境で戦ってきた彼女にとって、抽象的なメッセージの羅列だけでは、気持ちは込もっていても具体性や説得力に欠ける薄っぺらいものにしか見えなかった。
特に変わり映えのない手紙の内容を流し見ながら、送り主の名前をメモに取っては片付けていく。
答辞の原稿と交互でそんな作業を続けている内に4限目終了のチャイムが鳴り、やがて給食の時間となった。
「ね、なんかめぼしい奴居た?」
いよは揚げパンを食べやすいサイズにちぎって口に入れながら、今朝の封筒の件について聞いた。
「ううん。これと言って特に」
「仕方ないよ。みつちゃんの周りってずっと年上の人ばっかりだったから、きっと普通の中学生じゃ物足りないんだよ」
「そうだよなー。それに男どもにはあんまり興味ないって感じだし、同性じゃないと燃えないんだろうなー」
「ぶっ⋯⋯そ、そんなことないよっ!」
みつは危うく、飲んでいたスープが噴き出しそうになったが、なんとか堪えて否定の言葉を捻り出した。
「特に帝国歌劇団のリーダーのしのって人は、あの国民的大女優だった咲良なでしこさんの娘なんでしょ?そんなスゴい人と一緒に居たんだから、大抵の男は霞むよなぁ⋯」
「そ、そんな目で見てないよ!確かにしのさんはその、あの、素敵な人だけど⋯⋯」
しのに対して邪な感情が無いわけではないが、仲の良いクラスメートとはいえ、それをカミングアウトするのは流石に憚られる。
「おやおやなんですかぁその顔は?ほんとかなぁ〜?」
「ふふ⋯みつちゃん、顔真っ赤だよ」
「ゴホン⋯とっ、とにかく!そういうのはないったらないっ!!ですっ!!」
だからみつは強引に押し切って、おもむろに給食を口に頬張って話を終わらせた。
昼休みが終わり、5限目が始まった。
午前中と同様の時間が教室内に流れ、みつも同様の作業を続けていた。
(ふぅ⋯だいぶ消化しましたね。あともう少し)
封筒の消化も原稿もいよいよ佳境に入り、6限目までに終了する目処がついてきた。
(さて次は⋯と)
もはや手慣れた手つきで、次の封筒を手に取って封を開け、手紙を取り出す。
(これは⋯⋯!)
その手紙の内容は、今までとは違ったものだった。
綴られていたのは告白の言葉ではなく、送り主自身についてのものだった。
(これはきっと、ちゃんと読まないとダメなやつだ)
時間をかけて読むべきものだと直感したみつは、その手紙を封筒に戻し、他を先に片付けることにした。
そしてそのまま時は過ぎ、放課後となった。
「じゃあ、また明日ね」
「じゃあね、みつちゃん」
「うん、また明日」
軽く別れの言葉を交わし、みつは2人と別れた。
その後みつはコンビニに入って、書き上げた返事の手紙をコピー機で印刷した。
そして学校に戻って、コピーした手紙をメモに書いておいた該当者の下駄箱に投函していく。
「ふぅ⋯」
だが、これで終わりではない。
みつにはまだ1つだけ、やることが残っていた。
昇降口から外に出ると、1年生と2年生が部活に励む活気に溢れた声が飛び交っていた。その中には、自身が所属していたチアリーディング部のものもあった。
それを少し懐かしみながら、みつは校門を出て、学校から少し離れた公園へと向かった。何故ならそこに、あの手紙の主が居るからだ。
その子の悩みは、物事の大小や細かい差異こそあるものの、本質的にはかつての自分と重なるものだった。
自分が頑張ることが周りの助けになって、どんどん良くなっていくことは嬉しい。
でもふとした時に、『じゃあ、自分のことは誰が助けてくれるの?』という思考が入り込んでしまうと、期待に応えねばという重圧と孤独感の間で心が擦り減っていってしまう。その感覚を、みつはよく知っている。
とはいえ、自分にその子の苦しみを和らげることができるのだろうか。寧ろ、返って悪化させてしまうのではないだろうか。
そんな不安がみつの中でよぎるが、それと同時に自分と同種の苦しみを持ち、助けを求めてきた手を離していけないと、そう思った。
だから、公園へと向かう彼女の足が歩みを止めることは一瞬たりともなかった。
公園に着くと、みつの視界の先に、俯いて1人、物憂げな表情でベンチに座っている少女が見えた。
公園を見渡す限り、遊具周りで小さな子たちが遊んでいるくらいで、中学生らしき人物はその子1人だった。
(きっと⋯あの子ですね)
みつは少女に近づきながら、心の中で復唱する。
常に笑顔で、優しく力強い口調で話しかけよう。
あの子が少しでも安心できるように。
苦しみを吐き出せるように。
あの人がかつて、自分にそうしてくれたように。
みつが少女の側までやって来ると、その影と足音で、少女もまた、みつの存在に気づいた。
「みつ先輩⋯私⋯わたし⋯⋯」
みつが来てくれたことに気づいた少女は、物憂げで空虚だった表情から一変した。
誰かのために頑張れる人ほど、理解してくれる存在とその一声が必要で、何よりもそれが大きな力になる。
自分を涙目で見上げながら言葉を詰まらせる少女を見て、みつは改めて思った。昨年、自分が受け取った元気のバトンを次に渡す時が来たのだ、と。
(そっか⋯今度は、自分の番なんだ)
(そうですよね?しのさん⋯⋯)
「大丈夫ですよ。まずは落ち着いてください」
みつは落ち着いた所作で少女をなだめながらその隣に座り、優しく微笑んで語りかけた。
「貴女のペースで、ゆっくりでいいんですよ。話したくないことがあったら話さなくてもいいです。だから聞かせてくれませんか?貴女のことを」