幕間 知己と信頼

「もえみ、まだ食べちゃダメだからね?」
 パンパンの買い物袋を両手に抱えて、鷲羽わしゅうもえみと墨之宮すみのみやはつかは松林館までの道を歩いていた。
「わかってるよ。あちしのことをバカにしすぎなんだぞ、はつか」
「そんなこと言いながら、現在進行形でハンバーガーにかぶりついているのは誰?」
 そう言って、はつかは呆れ顔で返した。
 もえみは、はつかよりも先にスーパーで会計を済ませた後、空腹に耐え切れず、併設されているファーストフード店でハンバーガーを買っていたのだ。
「これはおやつなんだぞ。だからパーティー用の食材には手をつけてないぞ」
 そうこう話しているうちに、もえみはハンバーガーをペロリと平らげ、はつかが瞬きをする間もなく、次は袋の中にあるポテトに手をつけ始める。
「もう⋯ほんと食い意地が張ってるんだから」
 太正102年2月3日。
 今や中国総督とその警護である彼女らにとって、休日はとても貴重なものだった。日曜日であることも相まって、もえみとはつかは久しぶりに休みを取った。
 久しぶりの休日は、図らずもちょうどもえみの誕生日だった。
 中国花組全員の予定こそ揃わなかったが、参加できるメンバーは松林館跡地に集まって、もえみの誕生会と近況報告も兼ねて、バーベキューパーティーでもしようということになった。
 そういった経緯から、もえみとはつかは食材の買い出しを担当することになり、近隣のスーパーで買い物を済ませて、松林館へ向かっている途中だった。

「おっとそこのお2人さん。ちょっと止まっていただこうか」
 ふと、低く野太い男性の声が正面から聞こえた。
 声のする方に焦点を合わせると、2人の数mメートル先には、左手に6連装のリボルバー式拳銃を構えた中年の男が1人立っていた。
 男が手に持つ獲物が何であるかを認識した2人の緊張が一気に高まる。
「墨之宮はつかだな?」
「そ、そうですが⋯貴方は一体何者です?」
「“旧体制派”とでも言えば分かるかな、お嬢ちゃん」
 “旧体制派”⋯それは時田梅林が総督であった時の残存勢力の中でも、ミライエネルギー関係の利権で甘い汁をすすっていた連中であり、はつかが総督になってから、ほぼ全て排除された存在である。
「⋯⋯さしずめ復讐、というところですか」
「そうさ!お前が総督になって、その上日本奪還なんてもんをしちまったせいで、俺の人生は真っ逆さまだ!」
「周りの連中からも白い目で見られるようになったし、まともな職にだって就けねぇ⋯」
「そんな時に『総督様が大したボディーガードも連れずに出歩いてる』って話を聞いちまったもんだからよ」
「あぁ、まだ神様は俺を見捨ててなかったんだなって、つい嬉しくなって会いにきたってワケよ」
「それは逆恨みも良いところなんだぞ!」
 はつかは当初、総督府運営のための現実的な妥協案として、自らの方針に賛成でなくとも、不正利益を取得することから足を洗いさえすれば、それまでの行いに対して不問または軽微な減給に留めることを約束していた。
 だが、利権と既得権益きとくけんえきの沼に肩まで浸かってしまっていた彼らのほとんどはそうすることはなかった。
 そのため、総督府の役職から席を外されてしまったのは彼らの自業自得であり、もえみの言う通り、逆恨みも良いところだった。
「うるせぇ!とにかく、死にたくなかったらここで一筆いっぴつ書いてもらう。総督を辞任することと、俺を総督府に推薦することをな」
 男は、用意してきたらしき誓約書用の紙とペンの入ったケースを、はつかのいる方へ放り投げた。
 今は人気ひとけのないこの通りも、いつ人がやってくるかわからない。
 男の犯行がリスキーなものであることは明らかだ。
(けれど、冷静さを欠いている人物にはまともな論理的思考は期待できない⋯)
(どうにかして時間を稼ぐ方法は⋯)
 もたもたしていたら発砲されかねない。
 だが、発砲音が響けば人が来る可能性は高まる。
 しかし、その一発の当たりどころが悪く、致命傷になる可能性もゼロではない。
 ならばやはり発砲をさせない方向で策を練るべきか。
 じゃあ具体的にどうすれば良い?
 今は男の要求を飲み、通行人が来るまでなんとか間を持たせてやり過ごすしかないのか?
 でもそれで通行人が来なかったら、この男の思い通りに事が運んで終わってしまう。
 はつかの中で、リスクリターンを踏まえた様々な思考が展開されるものの、緊張も相まって最良と思えるような結論は出てこなかった。
「はつか」
 はつかが脳をフル回転させて解決の方法を考えていると、唐突にもえみは口を開いた。
「いくら考えたってダメなんだぞ。こういう奴は、一発ガツンとらしめてやらないと分からないよ」
 もえみの表情は、いつものほがらかなものとは明らかに違っていた。
 目つきは鋭く、声のトーンも心なしか低めだ。
「ほう⋯言うじゃねぇか、小娘」
 もえみの挑発を受け、男の銃口がはつかからもえみへと向いた。
(そうだ。それで良いんだぞ⋯)
「あちしは馬鹿だけどさ、おっちゃんはもっと馬鹿なんだぞ。そんなやり方じゃ、総督府に戻ったって誰にも認められるわけない。おっちゃんを見る他人ひとの目は変わらないんだぞ」
 男の意識がはつかから自分へ向き始めたことを確認し、もえみは男をより挑発するため啖呵たんかを切る。
「お前が死にかければ⋯総督様の筆もスムーズに動きそうだな」
 いよいよをもって銃を握りしめる力に熱がもる。
「もえみ、これ以上刺激しちゃダメ!」
 はつかはもえみに抑止の言葉をかけるが、それでもえみが止まることはなかった。

 もえみは両手に抱えた買い物袋も、ポテトの残りが入った袋も全て手放し、腰にげた刀のさやを左手で掴んで引き抜くと、流れるように抜刀した。
「もえみ⋯⋯!」
「はっ!銃相手に刀で対抗できると思ってるのか?」
「漫画やアニメの見過ぎだぜ。弾丸を弾くだの回避するだの、そんなん人間にできるわけがねぇだろ。ここは現実だ。ファンタジーじゃねぇんだよ!」
 もえみは男の挑発に乗ることなく、ただ真っ直ぐに、男の拳銃とそれを握る手、そして顔を見据えている。
「どうした?威勢のいい事だけ言って、結局固まってるだ⋯」
 男の言葉を遮るように、もえみは左手に握りしめていた鞘を、男の顔面に向かっておもむろに投げつけた。
 手首をひねりながら投げたソレは、さながらプロペラの様に高速回転し、男の視界をふさぐ。
「っぶねぇな!」
 男は眼前に飛んできた鞘を、空いている右腕で顔をかばいながら左から右へと振って弾き飛ばし、再びその先にいるもえみに注目し、銃を構え直す。
 が、そこにもえみの姿はなかった。
 もえみは既に男の右側面みぎそくめんに接近しており、やいばが届く間合いの中にいた。
 男からしたら、まるで瞬間移動したかと錯覚するほどの速度だった。
 男が鞘に気を取られ、弾く手の動作によって生まれた隙と死角を見逃さず、それに合わせて動くことで視界と意識の外から距離を詰めることができたのだ。
 もえみは両手で刀を振りかぶり、一切の力みを感じさせない構えから思い切り振り下ろした。
スパンッ⋯⋯!
 男の持つ拳銃は、持ち手と撃鉄の部分を残して、まるで豆腐でも切るかのようにアッサリと両断された。
「ば、馬鹿なっ⋯⋯」
 人間が放たれた銃弾を自在に弾いたり回避したりできるのはファンタジーである。
 だが銃身を叩き斬って無力化することは可能である。決してファンタジーではない。
 無論、通常の斬撃ではそれは到底叶わない。
 だが、霊力を上乗せした刀を、相応の使い手が振れば話は別である。
 もえみのエクスカリバーは、先代の持ち主ともえみが振るい続けたことにより、神器である『烈刀王断』ほどではないが、霊力を受け止める器に足る“格”を有するまでに到達していた。
「こ⋯のっ⋯クソガキ⋯⋯!」
 男はただの鉄の塊となった拳銃をもえみに投げつけ、やぶれかぶれでつかみかかろうとする。
 先ほどまで拳銃だったものは、もえみの顔を勢いよくかすめたが、もえみは動じない。
 男の突進をサイドステップで右に跳んでかわし、そのまま刀を返してみねの部分を、掴みかかるために伸ばされた男の両腕へ振り下ろした。
「がぁっ⋯!」
 今度は霊力を乗せた一撃ではないが、高密度の鉄の棒を高速で叩きつければ当然、相当な攻撃力になる。
 両腕に走る激痛に、男はくぐもった悲鳴を上げた。
 もえみは一瞥いちべつもくれず、脇腹にも背面側から鋭い一撃を加える。
「ぐぇっ⋯!」
 肋骨と内臓に響く、鈍く重い衝撃に耐えかねた男は、激しく痛む脇腹を押さえながら地面に両膝をついた。
 そして前を見上げると、そこには既に、冷徹な眼差しで男を見下ろし、剣を振りかぶるもえみの姿があった。
「ひっ⋯⋯」
 男は恐怖した。見てしまったのだ。
 もえみの刀が再びその刃の向きを戻していることを。
 銃身を容易く真っ二つにした一太刀が、今度は自身の体に振り下ろされる。
 脳天から左右を真っ二つにされ、血を噴き上げて絶命する悲惨な末路。
 その光景が男の脳裏に強く浮かんだ。
 そして無慈悲にも、間もなくその光景は実現した──
 かに見えたが、刃は男の額の寸前で止まっていた。
「3回」
「へ?」
「腕を切断されてそのまま何もしなければ失血死ないしショック死。腹部の裂傷も同じ理由で死ぬし、脳みそを斬られたら問答無用で即死なんだぞ」
「あちしがその気なら、おっちゃんはもう3回死んでるんだぞ」
「まだ、続けるか?」
「いや⋯いい。後は煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
 実力と言葉の両方で突きつけられた現実は、男の戦意を喪失そうしつさせるのに充分過ぎるほどのものだった。
 男は降参した。
 終わって見ればわずか1分にも満たない、攻防とすら言えないほどの、あっという間の幕切れだった。

 その後、はつかの通報により、程なくして警察が到着し、男は連行されて事態は収束した。
「ふぅ、一件落着だな!」
「馬鹿もえみ!たまたま上手くいったから良いけど、抵抗する前に撃たれてたらどうするつもりだったの?」
「たまたまじゃないんだぞ!」
 はつかの心配を他所に、もえみは自信満々に答えた。
「あのおっちゃん、銃の持ち方もそうだし、戦うための姿勢や構えっていうのができてなかったから、多分、そういう経験がない・・・・・・・・・人なんだなってわかったんだぞ」
「何かが起きた時にとっさに撃つ度胸はないだろうし、銃の精度も高くないから狙ったところにも飛びにくい」
「だから、鞘を投げて目くらましさえできれば、勝算は充分にあると思ったんだぞ」
 太正101年から本格的に中国総督として本格的に活動を始めたはつかは、帝国華撃団に居た時とはまた違った危機に晒されていた。
 知識や政治的手腕に関しては十二分じゅうにぶんにあるが、はつかはまだ16歳の少女だ。
 先ほどの男のように、旧体制派の残党やはつかの改革を面白く思わない連中に、この2年間、はつかはあらゆる方法でその身を狙われていた。
 だからもえみは、霊子ドレスなしでの戦闘、特に銃を始めとした近代兵器を使ってくる相手に対する訓練を重点的に行なっていた。
 故に先の戦闘の結果は、その経験によって裏打ちされたものであり、なるべくしてなったことなのだ。
(もえみが頑張ってるっていうのはそれとなく聞いてたけど、でもまさかここまで考えが洗練されてるとは思わなかったな⋯)
「どう?ちょっとあちしを見直したか、はつか」
「認めてあげなくも⋯ない、かもしれない⋯」
 心の中では認めている。
 とっくの昔に。
 でも直接言葉にするのはちょっと恥ずかしい。
 だからはつかは少し、照れ隠しをする。
「んー⋯みうめちんのマネ?」
「うるさい!皆待ってるだろうし、早く行くよ」
「それもそうだな。って、あ⋯⋯」
 もえみは手放した買い物袋を持ち上げようと視線を下に向けたところである事に気づいた。
「ゴメンはつか。さっき袋を放した時に、卵割れちゃったみたい⋯」
「あの落とし方じゃ⋯まあそれはそうか。仕方ない、もう一度買いに行くよ」
「いいよいいよ。あちしだけで行ってくるから」
「一緒に行かないとダメ!だってさっきの人、私のプライベートの動向を知ってた・・・・んだよ?」
「⋯ってことは?」
「情報を流した人が他に居るってこと!だからあの人が捕まって全部解決ってことにはならないの」
 総督府に盗聴器が仕掛けられていたか。または、はつかが休日の予定を口にした時に居合わせた人物から漏れたのか。はたまた何者かを雇って追跡をさせたのか。
 いずれにせよ、先ほど襲撃してきた男に情報を流してき付け、はつかの失墜しっついを狙っていた人物がいるのは明白である。
「なるほど」
「もぉ〜それくらい分かってよ。戦闘以外ほんっとダメダメなんだから」
「あはは!そういう難しい感じのははつかに任せるよ」
 もえみは所々破れた買い物袋を抱え上げると、屈託くったくのない顔で笑った。
「と、とにかくそういう訳だから⋯少なくとも今日はもえみと一緒じゃないと危ないから⋯」
 自分より年上でお嬢様なのに、剣以外まるでからきしで学のない、自分とはまるで逆の存在。
「その⋯⋯頼りにしてるんだからね」
 でも、だからこそ。この人は自分にないものを埋めてくれる強さを持っている。
 そしてそれは、もえみがはつかに対して等しく思っていることでもある。
「うん」
 卵を買い直すために、2人はきびすを返して再びスーパーの方へと歩き出した。
 先の問題が全て解決したわけではない。
 近いうちに、また新たな刺客がはつかの身を狙ってくるだろう。
 休日が明ければ、再びその闇と向き合うことになる。
 だが、そんなことでおくすること2人ではない。
 今も昔も、そしてこれからも。
 最高の相棒はいつも、すぐ隣にいるのだから。
 
 


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