梅林編 第二章第三話
第二章第三話 夜の帳は未だ深く
上伊那タワーに足を踏み入れた一行の前に広がっていたのは、壁、床、天井が全てが白で構成された無機質な通路だった。
物資搬入口に相応しく、通路の横幅は相応の広さがあるが、通路自体は一本道で、十数メートル先の突き当たりには貨物エレベーターがあるのみだ。
「とりあえずボタンを押すニャ」
エレベーター前に着くと、かしえはごく自然な流れでエレベーターの開閉ボタンを押そうとした。
「待て」
が、梅林はそれを制止した。
「搬入口を開けた時にこのフロアのセキュリティは無効化したが、エレベーターはまた別だ」
梅林は背負ったリュックを下ろし、中から小型の装置を取り出した。
「それはなんでありますか?」
「これは小型のジャミング装置だ。霊力塔内の通信システムは全て無線でやり取りされているからな。これでエレベーターのカメラを機能不全にさせる」
「なんて言うか、強盗みたいでありますな」
「ふ⋯まあ向こうからしたら似たようなものだろうな」
(なんならもっとタチが悪いが⋯)
梅林はひとり小さく微笑むと、リュックのチャックを閉めて背負い直した。
「もう大丈夫だ。かしえ、押してくれ」
「オッケー。ポチッとニャ」
梅林の言葉を受け、かしえは今度こそエレベーターのボタンを押した。
エレベーターの扉が開くと同時に、梅林はジャミング装置をオンにする。
物資搬入用の貨物エレベーターだけあって、三式ドレスの装着者が2人入っても、スペースに大きな余裕があるほどの広さだった。
全員がエレベーターに乗り込むのを確認し、今度は梅林がボタンを押して扉を閉じた。
「さて、今のうちに段取りを再確認するぞ」
地上から霊力塔の本体となる施設まではそこそこの深さがある。梅林は下降中の時間を使い、最終確認として今後の行動方針について話し始めた。
この霊力塔は先ほど居た1階を含めた地下4階までの全5階層になっている。
最終目的は当然、地下4階にあるメインコントロールパネル内にある運転システムにむつはのお手製プログラムを仕込むことだが、まずは厄介なセキュリティを掌握するため、梅林たちは地下3階を目指す。
「昨日も話したが、地下3階と地下4階は1つ上の階を経由しないと行けないようになっている。だからまずは地下2階に下りる」
そこまで言ったところで、ガコンという音と共にエレベーターは地下2階に到着した。だが梅林は、右手の親指で“閉”のボタンを連打し、開きかかった扉を最速で閉じ直して話を続けた。
「塔の中心を通る連絡通路はいくつもあるが、そこは監視の目が厚い上に挟み撃ちになる危険も高い。故に、俺は目の前の外周通路のみを使う」
霊力塔の各フロアは、同心円状に広がる複数の環状通路とそこを繋ぐ連絡通路で構成されており、地下3階へ続く専用エレベーターはちょうど反対側にある。それは地下4階へ降りる場合も同様で、降りた地点から最長の距離となる位置に設置されている。
中央を通る連絡通路を使うことで、関係者には比較的スムーズに移動できるよう設計されてはいるが、侵入者がそこを使うのは自殺行為である。
だから梅林たちは、連絡通路との間隔が最も広く、接敵を察知し易い外周通路を使って下階へ通じるエレベーターを目指す方針を取った。
「それと、俺の持っているジャミング装置で半径約30メートル圏内は監視カメラやその他通信機器類は無力化できるが、徘徊している機兵に範囲外から捕捉されたら一気に面倒になる。それには特に注意を払え。いいな?」
3人は無言で頷き、改めて気を引き締めた。
「⋯⋯開けるぞ」
3人の準備が整ったことを確認した梅林は、“閉”のボタンから指を離し、扉を開いた。
開いた扉から、梅林とうちかはそっと顔を出し、目の前に広がる通路を見渡した。
視界内に機兵の姿が見当たらないことを確認した2人は、後方のかしえとあおに視線で合図を送り、一気に通路の右側へ駆け出した。
機動力が1番高いうちかを先頭とし、その後ろをかしえ、あお、あおのドレスに掴まった梅林が順に続く。
連絡通路とぶつかる丁字路が近づくと、うちかは壁に張り付き、巡回の機兵の存在の有無を確認した。
機兵の姿がないことを確認したうちかは、3人にハンドサインを送り、さらに先行する。
(あれは⋯)
うちかの視界の先に動く金属の塊が目に入った。
うちかは、それが二足歩行型のライオン型機兵だと認識するよりも速く足を止め、弓を引き絞る。
瞬間、うちかの脳裏で3日間の修行とかしえの言葉がフラッシュバックする。
『うぅ〜、またハズレたであります。あの時は上手くいったのに、なんででありましょう⋯はぁ』
うちかは、数十メートル先にある、まばらに穴の空いた的を見つめながらため息をついた。
『うちか。上手く当てるコツって何だと思うニャ?』
うちかの射撃練習を眺めていたかしえは、うちかに問いかけた。
『うーん⋯構え方とか、風向きや相手の動きを考えて撃つとか、でありますか?』
『それもあるけど、もっと大事なことがあるニャ』
『もっと、大事なこと?』
『いいニャうちか?アタシたちが撃つものはただの弾丸や矢じゃないニャ』
シュータータイプの霊子ドレスから撃ち出されるものは当然、物質を加工して造られた実体弾ではなく──
『霊力でありますよね?』
『そうニャ』
それは当然、うちかも理解している。
かしえが本当に言いたいことはその先にあった。
『だから、普通の弓と同じように撃っただけじゃ真っ直ぐ飛んでくれるとは限らないし、仮に飛んだとしても、有効なダメージを与えられないこともあるニャ』
『霊力はアタシたちの魂から生まれるもの。アタシたちの一部ニャ。うちかの手にある武器は、ちょっとお手伝いをしてくれるだけニャ』
(霊力は魂⋯⋯)
うちかは右手に持った弓をより強く握りしめた。
(つまり、自分の矢は⋯⋯)
うちかは、心の奥でおぼろげに形を成し始めた確信に導かれるように弓を構えた。
『ニャハハ、その様子だともう理解ったニャ?そうニャ、1番大事なのは⋯』
(目標に対する、ブレない“強い意志”⋯⋯!)
うちかの手を離れた霊力矢は、まるで自我を持っているかのように、やや左曲がりに飛んでいく。
曲がっている通路を反時計回りに進みながら敵を捕捉する場合、必ず視界の左端で捉えることになる。
相手の姿が全て見えてからでは、機兵側に増援を呼ばれるまでの猶予を十二分に与えてしまう。
故に、可能な限り速く先制攻撃をする必要性が生まれてくるわけだが、決定打を与えられなければ、結局は同じ結果になってしまう。
普通ならそんなジレンマを抱えるところだが、うちかの霊力矢は、それを嘲笑うかのごとく、機兵の頭部に目がけて飛んでいき、それを難なく貫いた。
(よし⋯⋯!)
確かな手応えを感じたうちかは、左手を軽く引いて、小さくガッツポーズをした。
うちかがこの3日間で出した答えは、“思考を絞る”というものだった。
矢を当てるために必要なことにのみ集中し、神経を研ぎ澄ます。
言葉にすれば至ってシンプルな内容ではあるが、即座にその状態に切り替えるのは往々にして難しい。
しかしうちかは、豊富な漫画家としての経験から、その土台となる脳の使い方を既に身につけていた。
そして3日間の修行でそれを霊力制御に転用できるようになった結果、うちかの霊力矢は、彼女の射撃技術を補って余りある補正追尾性能を有し、並の機兵や降鬼であれば必中必殺の域にまで昇華していた。
つまりうちかは、エネルギーロスも大きく、ただ直接的な射撃しかできなかった富山の時とは別次元の存在となったのだ。
自分の力が実践で通用した喜びも束の間、うちかは更に2体の機兵が前方から接近していることに気付く。
1体は先ほどと同様のライオン型。もう1体はオオカミ型だった。
うちかは再び素早く弓を構え、今度は接近スピードの速いオオカミ型へ向けて放つ。
オオカミ型の頭部を霊力矢が貫くのとほぼ同時に、うちかの後方から、かしえが霊力弾を連射する。
放たれた3つの光弾は人型機兵に命中し、機兵は上半身を半壊させながら膝から崩れ落ちた。
(以前よりも出力の制御が格段に上手くなっている。精度も充分。かしえとの連携も出来ている。どうやら外周通路は問題なく駆け抜けられそうだな)
うちかの練度がこの作戦の前半を大きく支える要因となっていただけに、梅林は心から安堵した。
その後も巡回する機兵を警戒、撃破しながら、梅林たちはエレベーターへと辿り着いた。
「予想はしていたが、やはり一度に全員は入れないようだな⋯」
一般的なサイズよりは大きく作られてはいるものの、それでも最初に乗った貨物用よりは格段に狭い構造となっているため、大きく面積を取る三式ドレスは一度にどちらかしか入れそうになかった。
「かしえ」
梅林はそう一言だけ言って、かしえに視線をやった。
「オッケー。殿は任せるニャ」
梅林の意図を察し、かしえはそれを快諾した。
梅林、うちか、あおはエレベーターに乗り込み、地下3階へと先行した。
間もなくして地下3階へ着くと、地下3階の時と同様、通路の安全を確認してからエレベーターを出た。
上階に帰ったエレベーターが折り返し、かしえが降りてくるまでの間、梅林を挟んで通路の左右をうちかとあおが警戒に当たる。
かしえが合流すると、セキュリティルームがある左側のブロックへ行くため、一行は先ほどとは逆に、時計回りに通路を進み出す。
それに合わせ、梅林はジャミング装置のひねりを回し、効果範囲を最大にする。
「ジャミングの範囲を最大にした。これでどこから視認されても通報の危険はない。接近する敵の排除にだけ専念しろ!」
「了解ニャ!」
「了解であります」
「りょーかーい」
3人は横の警戒を薄くし、前方から来る機兵をうちかとかしえの弾幕を軸に対処し、仕留め切れなかった分はあおが叩き伏せる形で撃破しながら、足を止めずにセキュリティルームまで駆け抜ける。
セキュリティルーム前の警備機兵も手早く片付け、梅林は入室用のカードリーダーをハッキングしてルームの扉を開ける。
「ここからは少し時間が要る。その間、頼む」
梅林は扉の前にジャミング装置を置き、ハッキングに必要な物だけを持って室内へ入っていった。
(ここからは完全に時間勝負だ⋯)
セキュリティを統括しているコンピューターの前に座った梅林は、改めて気を引き締め直した。
ジャミング装置のフルパワーは効果範囲が大きく広がる代わりにバッテリーの消耗が激しい。
セキュリティルームの掌握ができれば問題はないが、撤退を余儀なくされてしまった場合は帰りの分を残しておかぬばならない。
(それに、扉前で3人が持ち堪えられる時間も、状況や機兵の数次第で未知数だ)
「⋯15分で片付ける」
梅林はそう一言だけ小さく呟くと、静かにキーボードを叩き始めるのだった。
梅林がセキュリティルームに入ってから、ジャミング装置を中心に置いて、通路の右側はかしえ、左側はうちかとあおが担当して警戒に当たっていた。
最初の1,2分は何も音沙汰がなかったものの、破壊された仲間が発見されたらしく、やがて遠くから複数のガシャガシャとした金属音が近づいてくる。
オオカミ型3体を先頭に、そのすぐ後ろに人型が2体続いてくるのが、うちかとあおの視界に入る。
「あお氏!」
「おっけー」
あおは、霊子ドレスの右手に携えた筆型の武器、“ドリーミードロゥ”に刺さっている絵の具チューブ状のアタッチメント、“エーテルカートリッジ”から自身の霊力を練り込んだ液体を筆先へと浸透させる。
「たりゃあー!」
あおはドリーミードロゥを下から上へ振り上げて、前方に思い切り液体をぶちまけ、それは辺り一面を青く染め上げる。
機兵たちはそれに怯むことなく、うちかたちに襲いかかろうと前進しようとする。
しかし、その液体を踏んだその瞬間、機兵たちの移動速度が目に見えて落ち、その落差と液体の粘性によりオオカミ型機兵は転倒してしまった。
うちかはその瞬間を逃さず、すかさず転倒したオオカミ型の頭部に霊力矢を叩き込んだ。
そして間髪を入れず、残った2体の人型も撃ち抜く。
「ナイスアシストであります、あお氏」
「んへへ⋯やったね、うっちゃん」
うちかとあおは弓と筆を軽くぶつけてハイタッチの代わりをした。
(どうやら向こうは心配ないみたいニャ)
「さてと、こっちはこっちの仕事をしますか」
2人の戦いぶりを見て安心したかしえは、自分の担当する側の通路に砲口を向けた。
ジャミング装置によって監視カメラや機兵同士の連携は機能していなくとも、普段静かな霊力塔内で戦闘音が立てば、その発生源を探りに集まってくるのは必然。
かしえの前方十数メートル先から、付近から集まった機兵たちが群れを成して近づいてくる。
だが、かしえには微塵の焦りもなかった。
かしえは機兵の群れに向かって霊力弾を1つ放つ。
弾速はさほどでもなく、機兵たちは壁際に寄ってそれを難なくかわした。
否、かわしたつもりだった。
「避けても意味ないニャ」
機兵の群れの中心辺りに到達したところで霊力弾は大きな音を立てて炸裂し、無数の弾丸となって拡散した。
「それ、爆発するんだニャ⋯って」
かしえが自信満々に弾の性質を説明した時には後の祭りで、機兵たちのほとんどがその被害を被っていた。
「ニャハハ、ちょっと言うのが遅かったニャ」
かしえは自分の締まらなさに苦笑いしながら砲身を構え直した。
「では、気を取り直して⋯⋯」
「ほい!ほい!ほい!ほい!ほい!っと」
そして、まだ動ける機兵に通常弾で追い打ちをかけ、片っ端から沈黙させていく。
「ふぅ⋯まあ、ざっとこんなもんかニャ」
かしえは全ての機兵を片付けてひと息をつく。
が、それとほぼ同時のタイミングでフロアの警報ブザーが鳴り始めた。
セキュリティルームの反対側には、機兵などの霊力塔の維持に必要な物資を生産・加工するプラントがある。
事前に梅林からその存在を聞いていた3人は察する。
そこに待機していた予備の機兵たちが、フロアの異常事態を察知して出撃してきたのだ、と。
「うっちゃん⋯」
「はい。ここからが本番⋯ってことでありますな」
「バイリン、なるはやで頼むよ⋯」
梅林がセキュリティシステムをハッキングし始めてから5分が過ぎた頃、室内にブザー音が響いた。
「くっ、もうか⋯」
それは、生産プラントから機兵が出撃した証だった。
例え単体性能が機兵を上回っていても、断続的な戦闘が続けば人間は疲弊し、パフォーマンスが落ちる。一度その状態で物量に押し込まれ始めてしまったら、立て直すのは非常に困難である。
(恐らくうちかとあおには、それが顕著に出るはずだ)
(通報機能は真っ先に切ったから、外部からの増援はないが、プラントの物資が尽きない限り機兵の投入が終わることはないだろう⋯)
そしてそこから先の展開を想像したところで、梅林の指先が小さく震えた。
「早速、正念場というわけか⋯」
瞬間、梅林の脳裏に3日前のむつはの言葉がフラッシュバックした。
自分のハッキング技術はまだまだ未熟であり、特にスピードが足りていないという彼女の言葉が、今まさに現実となって突きつけられたのだ。
むつは程の領域に至っていなくとも、以前よりもレベルアップした今の自分なら余裕だと、梅林はそう思っていた。だが実際は、自分の想定の甘さを痛感させられてしまった。
以前の梅林であれば、この程度の事態で揺らぐことはなかっただろう。しかし、自身の未熟さによって様々なものを失ってしまった今の彼は、失敗というものに対して敏感になっていた。
「それがどうした!」
梅林は、そんな不甲斐ない自分への怒りを原動力に心を奮い立たせ、無理矢理指先の震えを鎮めた。
(もう失うものなどない俺が⋯彼女たちよりも先に折れる権利なんてないだろうが)
悲壮感すら感じるほどの覚悟を胸に、梅林はタイピングのギアをもう1段階上げた。
一方その頃むつはは、PCモニター以外の光源がない自室の中で、ゲーミングチェアの上に胡座をかいて暇を持て余していた。
「なあ、きりんさん。こんな時だから言うのだが⋯」
だからむつはは、画面越しに同じく作戦の結果を待つきりんに話を切り出した。
「なんじゃ?」
「これは印象の話でしかないのだが、ワタシは時折バイリンの言葉に、壁のようなものを感じる時があるのだ」
「ふむ」
きりんは、自身もそれに思うあたる節があるような様子で小さく相槌を打った。
「ワタシたちはまだ、互いの人となりを知ってから日が浅い。一線を引いて接するのは別に変な事ではないし寧ろ普通だろう。だがそれを差し引いても⋯」
「何か違和感を感じる、と?」
「ああ。本当になんとなくだが⋯⋯」
きりんは両目を閉じて、1,2分ほどの沈黙を挟んでから静かに口を開いた。
「⋯⋯そう感じるのは仕方のないことじゃろうて」
「と言うと?」
「梅林は幼い頃から優秀な兄と比較されてきた。だからそんな周囲の評価を覆したかったのじゃろう。追いつき追い越そうと必死じゃった」
「その結果、政府に踊らされていたとはいえ、総督の立場を失い、目標たる兄にも先立たれたのじゃ。その心中を察すれば、心を閉ざしてしまうのも無理はなかろう」
それは、むつはが知らなかった梅林の一面だった。
元中国地方総督、時田松林の弟など、調べれば出てくるような情報に関しては調査済みだったが、関係者しか知り得ない彼の内なる経緯を聞いて、むつはは自然と目を伏せたくなった。
画面越しでも明らかに分かるむつはの落ち込み様を見て、きりんは優しく語りかけた。
「お主が気に病むことではない。彼奴はいつまでも燻っているようなタマではない。今はしばし、時間が必要なだけじゃよ」
だがきりんのその言葉を、むつはは素直に受け取ることができなかった。
「そう、だな⋯そうだったらいいな」
だからむつはは、少し言葉を濁してそれに答えた。
自分よりも人生経験が豊富で、実績も人望もある人物の言葉だから無下に否定することができなかった。
むつはの言葉とその語気から、きりんはそんなニュアンスを感じた。
「なにか、思うところがあるようじゃの」
「心に傷を負った者に、人はよく時間が解決してくれると言うが、ワタシはそうには思えないのだ」
先ほどのきりんの言葉を、半ば否定しているとも取れる言葉。
そこに込められたむつはの強い感情を感じ取ったきりんは、画面越しに彼女の顔を見据えながら、そこから先は最後まで黙って彼女の話に耳を傾けることにした。
「まだたった16年の人生だが、ワタシにとって時間が助けになったことは一度もなかった。ワタシを助けてくれたのは、いつも何かとの出会いだった」
そう言ってむつはは、神妙な面持ちで話を始めた。
「ワタシはいつも誰かと話すのが怖かった。自分の気持ちを上手く伝えられるだろうか。受け入れてもらえるだろうか。ワタシの言葉は、他人を不快にさせてしまわないだろうか」
「本当は人一倍喋りたいくせに、そんな気持ちばかりが先行して⋯だからワタシは、物心ついた時から何事にも消極的な子どもだった。だから学校に行くのが嫌でたまらなかったし、両親に連れられて人ごみや親戚の集まりに行くなんてもっと嫌だった」
「ワタシを含めた誰もが、その内慣れていくものと思っていたが、そんな日が来ることはなかった。今でも外に出ると気分が悪くなる時があるよ」
それは、誰が聞いても思い出して気持ちの良いものではないと分かる過去だった。
当時の感覚が蘇ったのか、一瞬、むつはは身体を震わせた。
だがそれでも構わず、むつはは話を続けた。
「ワタシに誰かと繋がる勇気をくれたのは、ゲームとの出会いだった。その時ワタシは、初めて自分から何かをやろうと思えたんだ」
「それからは、インターネットを通してではあるけど、色んな人と話すようになって、そうしている内に情報技術に興味を持つようになったんだ」
「その一環でハッキング技術を学び出したのだが、それだって、師匠と呼べる人との出会いなくして、今のレベルに辿り着くことなどできなかった」
「だから⋯深くなりすぎた傷というのは、いくら時間をかけたって、自分ひとりの力でどうにかできるものではないのだ。それを埋めるだけの“別の新しい何か”がないとダメなんだ。少なくともワタシはそう思っている」
答えを1人で追いかけ続けても、自分の中にあるかどうかも分からない以上、それは賭けでしかない。
自分の世界を広げた方が答えに辿り着く確率を高められるし、より有意義に時間を使えるはずだ。
むつはが自身の体験を通してきりんに伝えたかったのは、そういうことだった。
「⋯⋯まぁ、きりんさんにとってはこれも、腐るほど聞いた青臭い意見の1つに過ぎないのだろうがな」
そしてむつはは、理解してもらえることを半分諦めたような様子で、苦笑いを作りながら話を締め括った。
「そんなことはない」
だが、そのむつはの予想に反して、彼女の伝えたかったことのおおよそは、きりんの胸に届いていた。
「お主の言葉、しかと胸に響いたぞ」
だからきりんは、しみじみとした様子で、むつはの目を真っ直ぐ見据えながら言葉を返した。
「どうやら私は、なまじ長い時間生きているからと、年寄りの悪いところが出てしまったようじゃ」
「つまりお主は⋯梅林に過去の自分と似た匂いを感じているのじゃな?」
「ああ⋯本当に直感でしかないが」
「そうか⋯直近でよく話しているお主がそう感じるのなら、恐らくそうなのだろう」
きりんはそこで一旦言葉を区切り、緑茶を啜って一息をついた。
「うおぉー!流石にもう限界でありますーーー!!」
梅林がセキュリティルームに入ってから約13分。
生産プラントで製造されては投入され続ける機兵たちの勢いに、うちか、あお、かしえはセキュリティルームの前まで押し込まれていた。
「ばいちゃーーん、まだぁー?」
うちかの矢は威力こそ充分だが、その性質上、面展開による多角的な攻めには弱い。
そうなると、うちかの射線外からの接近にはあおが対応するしかないのだが、あおも戦闘経験の少なさが相まって対応し切れないのが現状だった。
「2人とも、あとちょっとだけ頑張るニャ!」
一方のかしえは、炸裂弾を中心になんとか立ち回っているが、うちかとあおに助勢する余裕はなく、声をかけるので精一杯だった。
そうしている内に、うちかの射撃をすり抜けてきたオオカミ型の突撃を左側面から受け、あおはドレスごと転倒をしてしまった。
「おあぁっ⋯!?」
プログラムに従って行動する機兵たちに、その隙を見逃す温情はない。またとない好機に、機兵たちはあおへと一斉に襲いかかる。
反撃は間に合わないと踏んだあおは目を瞑り、祈るような気持ちで防御体勢を取った。
「⋯⋯ワタシは、ワタシたちはバイリンの何かになってあげられるかな?」
「それは分からぬ。だが彼奴の何かになれるとしたら、それはお主らをおいて他には居ないじゃろう」
だが、機兵たちの攻撃はあおに届くことはなく、その寸前で止まっていた。
そしてほぼ同じタイミングで、他の機兵たちもその動きを止め、警報の鳴り止んだ通路には本来の静けさが戻っていた。
「ふぇ?あお助かった?」
あおは恐る恐る目を開けて、自分とその周囲を確認した。
「ふぅ⋯良かったー」
理由はともかく、とりあえず危機を脱したらしいことを理解したあおは、ホッと胸を撫で下ろした。
「大丈夫か、お前たち!」
それから程なくして、大きな男性の声と共にセキュリティルームの扉が開くと、そこには若干息を切らした梅林が立っていた。
「た、助かったでありますぅ⋯⋯」
「はぁ⋯ギリギリもいいとこニャ、バイリン」
梅林の姿を見たことで、危機が去った確信を得られた3人は、それぞれ安堵の声を漏らし、肩の力を抜いた。
「そうか⋯間に合ったのか、俺は」
3人の安全を確認した梅林は、脱力してその場に座り込んだ。
その顔には、小さな笑みが浮かんでいた。
時間にして約13分57秒。
結果として梅林は、予定よりも1分ほど速くセキュリティシステムを掌握することに成功していた。
だがこの速さでなければ3人は、少なくともあおは機兵たちの凶刃の前に倒れ、そのまま押し込まれて全滅していた可能性が高い。
皮肉にも、想定以上の状況に陥ったことが梅林を成長させ、彼女らの危機を救ったのだ。
「きりんさんじゃダメなのか?」
「それらしい言葉は何度か掛けておいたつもりじゃったが、ハハッ⋯私では駄目だったようじゃ」
「そっか⋯」
「⋯この後まだもうひと踏ん張りすることになる。今のうちに少し休んでおけ」
本命の地下4階が残っていることと、先ほどの戦闘での疲労を考慮して、梅林は一度休憩を挟むことにした。
「梅林はどうするニャ?」
自分たちに休憩を取らせる一方で、何かを思い出したように立ち上がった梅林に、かしえは疑問を抱いた。
「まだ地下4階関係の認証システムが残ってるからな。俺はそれを片付けておく」
「なるほど。それはご苦労様ニャ」
それと⋯と、付け足して。
「地下3階までは完全に無力化してある。飲食物が欲しければ地下2階へ行くと良い。自販機から無料で出る」
「はーい」
「了解であります」
「OKニャ」
そうして必要事項を伝え終えた梅林は、ジャミング装置を回収して再びセキュリティルームに入った。
梅林は部屋に入ってすぐ近くの適当な座席に座って、天井を仰いだ。
認証システムをハッキングし終えていないというのは梅林の嘘だった。
梅林にはまだ少し、時間が必要だった。
自分の気持ちを整理する時間が。
(いつ振りだろう⋯こんなにも無我夢中になったのは)
梅林は高い精度で物事を俯瞰、予測することができる。
故に材料の組み立ても速く、ほとんどの場合において自分の思った通りの展開にするだけの能力もある。
兄の背中を追いかけ続けてきた今までの人生の中で、無我夢中になった瞬間がなかった訳ではない。
だが皮肉にも、その頭の良さが災いし、自分の感情よりも実現性の高さを優先して物事に当たるようになってしまった。
だから梅林には、今しがた自分の身体を限界以上に動かさせた力の正体が理解できなかった。
「俺は⋯少しは前に進めただろうか⋯」
「なあ、あんたはどう思う?兄貴」
だから、決して返ってくることはないと分かっていても、きっと自分の中にない答えを知っているであろう、遥か空の向こうにいる兄に聞かずにはいられなかった。
「じゃあ、ワタシたちはどうすればいい?」
「今の梅林には、もっともらしい一般論や、当たり障りのない言葉など響かぬのだろう。であれば、本気の言葉をぶつけるしかあるまい⋯」
「先ほどのお主みたいにな」
「ッ!?」
むつはは、その言葉に一瞬ハッとなった。
「⋯⋯うん」
だから今度は、きりんの言葉を素直に受け取ることができた。
その返事は、いつものような自信に満ち溢れた尊大なものではなく、年相応の少女らしいものだった。
第二章第四話へつづく。