桜花、蒼天の空に舞う

 今年も桜の花が咲き誇る時期がやってきた。
 帝都の至る所で可憐な花びらが開き、人々の日常を温かくいろどっている。
 それはかつて、ごく当たり前の光景だった。
 しかし、今再びこの光景が見られるようになるまで、この国では実に10年以上もの空白があった。
 次世代のエネルギーとして生まれた“ミライ”と、それを供給する霊力塔の存在によって、人が、大地が、空が活力を奪われ、淡い桃色の美しい花は真っ先に日本からその姿を消してしまった。
「タタタンタタタン⋯タンタタン、タタン⋯」
 そう小さく呟きながら、新帝国劇場の片隅で、先日開花したばかりの桜の木の下で舞う少女がいた。
 少女の名は咲良しの。
 彼女こそ司令・大石と共に帝国華撃団を率い、霊力塔のくびきから人々を解き放ち、ひいては日本に在るべき光景を取り戻した、日本奪還作戦最大の立役者たてやくしゃの1人である。
 今や押しも押されぬ大女優の1人となりつつある彼女だが、その立ち振る舞いは、故郷である青ヶ島あおがしまを出た時からなんら変わることはなく、ただ舞台に真摯に向き合う天真爛漫てんしんらんまんな少女のままであった。
「しのーーー!」
 ふと、劇場の上の方から別の少女の声が響いた。
 しのは舞うのを止め、その声のした方向を見上げた。
「なぁーにー?あせびちゃーーーん!」
 声の主は、彼女の幼馴染おさななじみである神子みこはまあせびだった。
「そろそろミーティング始まるわよーーー!」
「うん!わかったーーー!」
 しのはあせびに聞こえるように、彼女と同じくらいの大きさの声で返事をすると、小走りで劇場へと戻っていった。

「って言ってもまだ少し時間あったし、もうちょいゆっくりさせてあげても良かったんじゃない?」
 その様子を見届けてから、あせびと同室していた青島あおしまふうかは、あせびがしのに言葉をかけたタイミングについて疑問をいだいた。
「ダメよ、早めに言っておかないと。気分が乗って集中すればするほど、しのは時間を忘れてのめり込んじゃうんだから」
「それもそうか⋯特に今日はそうだろうしなぁ」
「ええ。だからしのには早めに劇場の中に居てもらわないと」
「それよりも⋯」
 言いかけて、あせびは不意にくちもった。
「なんか気になることでもあるの?」
「その⋯この服やっぱり少しキツいんだけど、どうしても着ないとダメ?」
 あせびは今着ている服のサイズが合わないらしく、特に、腰周りが窮屈そうな仕草をしながらふうかに問いかけた。
「ダーメ!流石に今日だけはそれ着ないと締まんないっしょ」
「やっぱりそうよね⋯」
 その言葉が返ってくることは、あせび自身もなかば分かっていたことだった。
 だからダメ元で聞いたわけだが、着るという選択肢から逃れられない現実を再認識させられたあせびは、ため息まじりに肩を落とした。
「はは〜ん、さてはあせび。太ったんじゃないの?」
 そしてそこに差し込まれたふうかの言葉が、あせびの胸中に直撃した。
「ふ、太っ⋯!?もう、そこは成長したって言って!ていうかこの服自体2年前・・のものなんだから合わなくても別に変じゃないでしょ?」
 赤面せきめんしながら、あせびはやや早口でまくし立てた。
 最近、うっかり美味しい高カロリーなものを食べ過ぎて体重が増えたとか、思い当たる節がなかった訳ではないが、思春期の体の変化などを考慮すると、2年という月日の影響が純粋に大きいのもまた事実だった。
「まあまあそう怒んなって。次着る時が来たら早めに言うし、ちゃんと直しとくからさ」
 小さくほおを膨らますあせびをなだめながら、ふうかは窓の外に目をやった。
「にしても桜、いつの間にかもうがっつり咲いてんのな」
「そうね。きっと今日に間に合わせたかったのかも⋯ふふ、なんてね」
「珍しいな。あせびがそんな詩的な事言うなんて」
「失礼ね。私だってそういう気分になる時くらいあるわ」
 桜の咲く時期になると、普段はストイックで現実的な思考を持つあせびでも、ふと感傷的な気分になることがある。
 それは2年前の春から⋯いや、厳密にはそれよりずっと前からだろう。
 なぜなら彼女の物語は桜と、そして咲良しのという存在と共に動き出したのだから。
 頭の中を駆け巡りそうになったアレコレをリセットするように、あせびは一度深呼吸をしてから、ふうかに声を掛けた。
「さあ、私たちもそろそろ行きましょう」
「そうだな」
 しのに声を掛けた手前、自分たちが遅れるわけにはいかない。
 2人はミーティングルームに向かうべく、揃って部屋を出た。

 それから少しばかりの時が経ち──
 ミーティングで最終確認を終えて休憩を挟んだのち、メイクと衣装を整えた団員たちは、夕刻からの公演を開始した。
 この日の公演は、登場人物同士の掛け合いは普段よりも少なめに、その分楽曲を多めにすることによって、より感覚的に楽しめる展開を重視した内容となっていた。
 自然と体が動き、合いの手を打ちたくなるような舞台に観客たちは大いに盛り上がり、その熱気冷めやらぬままに本日の公演は終了した。
みなさん!本日も新帝国劇場に足をお運びいただきありがとうございました」
 暗闇の中、幕の下りた舞台を背に、しのは舞台の中央でスポットライトを浴びながら締めの挨拶を始めた。
「今日は私の誕生日ということもあり、みなさまからの温かいメッセージやお祝いの品々も沢山いただきました。この場を借りて、重ねてお礼申し上げます。本当にありがとうございます」
 そう言って、しのは観客席にいる人たちに向かって深くお辞儀をし、下げた頭を戻してからまた話を続けた。
「今年で私は18歳になります。みなさんご存知の通り、私は帝都から遠く離れたとう青ヶ島あおがしまの出身です」
「16歳の時に司令と出会って、帝国華撃団を結成して島を出るまでは、私にとって島以外の出来事は全て画面の向こうの話でした」
「だから島を出て、たくさんの人たちに出会って、他の誰かと一緒に1つの目標に向かって頑張るということは、私にとって初めてのことでした」
「ただ、その初めてがまさか日本を救うためのものになるとは思いませんでしたけどね。あはは」
 しのは小さく笑いながらも、自分の言葉を噛み締めるような、どこか遠いところを見るような表情でそう言った。そして後ろ手を組むと、舞台上をゆっくりと歩きながら再び話を続けた。
「もちろん、島での生活が退屈だったワケじゃありません。ただ、島の外の世界が私にとってはいつも新しい発見に溢れていて、新鮮に映ったんです」
「本当に色々なことがあったけど、今こうしてこの場にみんなと立って、お芝居をして、歌って、踊って⋯そしてそれを見て喜んでくれる皆さんが居ることがこんなに嬉しいことなんだって⋯今、心からそう思っています」
 しのは足を止めて目を閉じ、少しの間、劇場内は静寂に包まれた。
「実は私⋯去年の誕生日に、あるお願いをしたんです」
「私は、日本奪還のあの日まで歌うことができませんでした。他人ひとと話したり、軽いリズムを取ることはできても、歌うことだけはどうしてもできませんでした」
「地方で奪還公演をしていた時も、歌っているみんなうらやましくて⋯1日でも早く、皆と歌えるようになりたいなってずっと思ってて⋯」
「だから私は、もし歌えるようになる時が来たら、その後に初めて迎える誕生日には、新しい歌が欲しいってお願いすることを決めていたんです」

「しの⋯」
 舞台そでから、これまでの想いを吐露とろするしのを見ていたふうかは、ふつふつと胸の奥に込み上げるものを感じていた。
「なーに感動のお涙出そうとしてんのよ。今日のあんたの本番はむしろこれからなのよ?」
 そんかふうかを見かねて、最明クルミは声を掛けた。
「分かってるよ。分かってるけどさ⋯」
「でもやっぱいざああいうこと言われちゃうとさ⋯クるもんはクるんだよ」
 クルミの言葉で感傷的な気分にひたりかけていたところから持ち直したふうかは、目元を素早くぬぐった。
「お前もよ、神子浜あせび。今日の公演を歌唱パート偏重へんちょうにしたのはこの時のためなのよ?つまり、今日のクルミの脚本がコケるかコケないかは、これからのアンタたちに懸かってるワケ!わかる?」
「はい、分かっています。クルミ先輩」
「ならもう少し、しゃんとしていなさい」
 とは言ったものの、クルミとて、今日の2人が普段通りで居られない理由くらいはおおよそ察しがついている。
 特にあせびに関しては、結果的に今、しのと共に舞台に立つことができるようになったものの、かつて帝国華撃団を裏切ってB.L.A.C.K.に入った身だ。
 その時の罪悪感の残滓ざんしのようなものがまだ残っているであろうということは、なんとなく分かっていた。
(ま、普段は意識してなくても、何個か条件が整っちゃうと突然やってくるのよね、こういうの)
(でもそれは観客とって関係のないこと。舞台に立つからには、それまでにしっかり気持ちを作っておかなきゃいけないのはプロとして当然の責務⋯)
「クルミからアンタたちに言えることはひとつだけ」
「アンタたちが咲良しのとどうりたいか。それだけを考えなさい」
「しのと⋯」
「どう在りたいか⋯か」
「そうだ。そもそもアレ・・は、誰かと競い合うための歌ではない。お前たちの咲良への素直な気持ちを乗せれば、それがおのずと良いパフォーマンスへと直結するはずだ」
「そういうことだろう?最明」
「ま、まあそういう考え方もあるわね」
 そばで話を聞いていた夷守あかしメイサが、クルミの言葉に付け足すように言った。
「特に神子浜。お前には色々思う所があるだろうが、今日のこのラスト。お前にその服・・・を着て出てもらうのはみなで決めた事だ。万が一何かが起きたとしても、誰もお前を責めやしないさ」
「メイサ先輩⋯」
 あせびの中では、未だ気持ちに明確な答えを出すことができてなかったが、背中を押してくれる先輩たちの言葉に応えたいという気持ちが、彼女の体を前に動かさせた。
「わかりました。今の自分の最大限をやってきます!」
 そう言い切ると、あせびはふうかとは反対側からの登場となるため、舞台の裏手へと歩いて行った。
「あせび⋯」

 一方、壇上ではしののスピーチが佳境かきょうを迎えていた。
「制作には歌劇団のみんなだけじゃなくて、色々な凄い人たちに沢山手伝ってもらいました」
「演奏できない楽器はもちろん、歌詞や振り付けの細かい部分を何度も見直したり、歌い方も試行錯誤を繰り返して⋯」
「そうやって長い時間をかけてついに、私がずっと心の中で温めてきた気持ちを、言葉を⋯とても素敵な音楽に乗せて、ひとつの歌にすることができました!」
 しののその言葉に示し合わせるように劇場は再び光を取り戻し、閉じていた幕も勢いよく左右に開いた。
 そこには、げん楽器、かん楽器、楽器などをたずさえた面々と指揮者の姿があった。そしてその中には、高崎たかさきつつじと長門ながとなつみも。
「この歌は1人で歌うものじゃなくて、誰かと一緒に歌う歌です。そして私が最初に、この歌を誰と歌いたいか⋯そう思った時、真っ先に浮かんだのはやっぱり⋯」
 しのはそこで一度言葉を区切って、大きく息を吸った。
「あせびちゃん!ふうかちゃん!」
 その言葉を受けて、舞台の両袖からふうかとあせびがやってくる。
 あせびは左側、ふうかは右側から。
 観客たちからは大きな歓声が上がった。
 そしてあせびは、いつものB.L.A.C.K.の式隊服ではなく、薄紫色のジャケットを羽織り、下もスカートではなくタイトパンツといったで立ちだった。
 それはごくわずかな期間のみではあったが、確かにかつて、彼女が着ていた帝国華撃団の隊服だった。
 観客席に手を振りながら、しのの方へ向かっていくあせびの目に、観客席の中に何人か、目元を手で押さえる人たちの姿があせびの目に映った。
 あせびはその人たちを見て、クルミやメイサに背中を押されても、心のどこかでつっかえていた最後の何かが取れたような気がした。
(そっか⋯覚えててくれたんだ。あの時の私のこと)
 今とは比べものにならない程荒削りで、たったの1公演しか出ていなかった自分の演技を、今までずっと心に焼き付けてくれていた人たちがいる。
 その人たちに応えるだけでも、今この場に、この姿で立つ意味は充分過ぎるほどにある。心からそう思えた途端、あせびは自然と体に力がみなぎっていくのを感じた。
(あーあー⋯なんだかんだ言って、しっかりスイッチ入っちゃってるじゃん、あせびのヤツ)
 舞台の中央まで来て、しのとあせびに顔を合わせたふうかは、あせびのふんが舞台袖に居た時とまるで変わっていることを感じ取った。
(しのは当然あったまってるし⋯)
(ふひひ、だったらあたしだけ遅れを取るわけにはいかない、よね?)
 あせびの様子に触発されたふうかは、不敵に笑った。
 あせびとふうか。2人の中には、先程までのうれいはもうなかった。
 還暦かんれきを越えていると思われる、大御所おおごしょの風格を漂わせる指揮者の男性が指揮棒を上げると、演奏隊の面々がそれぞれの楽器を構えた。
 しのはその指揮者と目を合わせて、全ての準備が整ったことを確認し、次にあせびとふうかに目線を移した。
 それに対して2人は小さくうなずいて、しのに準備ができていることを伝える。
「それでは⋯聴いてください!」
 ドラムが指揮者の指示を受けてシンバルで軽く拍子ひょうしを取ると、3人はそれに合わせて、頭上遥か高くに広がる蒼天の空にもその歌声が響き渡るように、大きくその口を開いた。

 それは彼女たちのりし日と今を表す歌であり、また、困難に立ち向かい、戦い続ける人たちに贈る、誇り高き桜の歌──


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