幕間 また会うために
太正101年1月18日。
都内のとある焼肉屋にて、八森ふきの18歳の誕生会が開かれていた。
そこには梅林と北方連合花組の面々、そして青島ふうかと水無瀬くりんの姿があった。
ふうかはむつはとBlue-Sky開発での繋がりから呼ばれることになったのだが、くりんに関しては『相方が行くからにはウチも当然行くやろ!』と、“友達の友達は友達”理論で半ば強引に出席していた。
なぜ誕生祝いの場が焼肉屋になったのかというと、それはふき自身が、それほど高額にならず満腹になるまで食べられる場所を所望したからである。
本人の希望に沿うように、梅林は食べ放題コースで席を取ったのだが、その理由の一端は高崎つつじという存在にもあった。
腹ペコの彼女の食欲を従量制の飲食店で満たそうとすることがいかに危険であるか、梅林はそれを、かつての旅の中で経験していたからだ。
「噂には聞いてたけど⋯」
「ほんまメチャ食べるなー、この子」
つつじの食欲を初めて目の当たりにしたふうかとくりんは、その勢いに若干気圧されていた。
9人という大人数のため、一同は2つのグループに分かれ、一方はつつじ、むつは、ふうか、くりんの4人。もう一方は梅林、あお、しろ、うちか、ふきの5人という構成になった。
それぞれのテーブルに焼き網は2つずつ設置されているものの、つつじの側の焼き網に焼き上がった肉が残っている時間は常に僅かしかなかった。
「おいキミ!それはワタシの分だぞ!」
「あ、ごめん」
と言いつつ、つつじは食べる手と口を止めない。
むつはが焼いた肉は、焼き上がって十数秒放置されようものなら、網の上から消えることは必至だった。
「始まったな⋯」
「始まったであります⋯」
「始まったねー」
「始まったわね⋯」
「始まったっす⋯」
隣のテーブルから口を揃えて聞こえてくる言葉。
「どうやらコレが平常運転らしいで。恐ろしい子やで、ほんま。なあ、ちんち」
それを聞いたくりんは、小声でふうかに話しかけた。
「そうみたいだなー⋯⋯って、こんな時にもちんち呼びを挟むな!」
「なはは!さすが相方。どんな時でも拾ってくれるの安心感パないわぁ」
「キミたち、漫才などしていないで手伝いたまえ!ワタシ1人では手に負えん!このままでは誰1人肉を食べられずに帰ることになるぞ!」
「こっちのテーブルで良かったわ、ほんと」
隣のテーブルの方から聞こえる悲鳴を横目に、しろはタン塩をレモンだれに漬けながら口に運んだ。
「しろちゃん、いっつも食費で頭抱えてたもんねー」
向かいに座っているあおは、焼けた肉をトングで取りながら、しろの過去の気苦労を労う言葉をかけた。
「ドレスの修繕費と同じくらい悩んでましたからな!」
「へぇーボクが入る前から大変だったんすねぇ」
「笑い事じゃないレベルだったわ、マジで」
ほんと全く⋯と言わんばかりの表情で、しろはさらにもう1枚、タン塩をパクついた。
「それよりふき。さっきからライスばかりだが、肉は食べなくて良いのか?せっかく焼肉屋に来てるんだから、もう少し肉を食べたらどうだ?」
梅林の指摘通り、店に来てからふきはライスや丼ものばかりで、肉は白米に添える味付け海苔程度くらいにしか食べていなかった。
「いやぁ〜ココ良いお米使ってるなぁ〜って思って食べ出したら、思いの外止まらなくなっちゃったんすよ」
「お米の美味しいお店に来ると、いっつもこうなっちゃうんすよ、ボク」
「あ、それ分かる〜。ライスが美味しいとお肉よりライスの方が進んじゃったりするのよね」
「そっすそっす。美味ぇお米は飽きないし止まらねぇんすよ」
「⋯そうか。まあお前がそれで満足ならばそれで良い。好きなように食べればいいさ」
ふきの意向を確認した梅林は、メニュー表を取って店員を呼んだ。
「すみません。塩ホルモンとサンチュを」
「あ、自分も注文良いでありますか?」
「ピートロと温玉冷奴をお願いするであります」
梅林たちの注文を受けた店員は、注文内容を一度復唱して確認を取ってから、厨房の方へと戻って行った。
「バイリンさんとうちかはお米全然食べねぇんすね」
「俺は焼肉屋ではなるべく肉を食べたい派だからな。肉以外は肉をより美味しく食べるために頼むくらいだな」
「自分はあんまり胃が大きくないので、先にライスを頼むとお肉を入れる前にすぐお腹いっぱいになっちゃうのでありますよ」
「みんな、食べ方や順番をちゃんと考えてるんすねぇ。ボクは何も考えずバクバク食べちゃうっす」
梅林とうちかの焼肉におけるスタンスを聞いて、なるほど。人それぞれなんすねぇ⋯と思いながら、ふきは石焼きビビンバをペロリと平らげた。
「店員さん⋯上カルビ2つとロース1つ。それと冷麺」
食べ始めてから約30分後。
食べ放題開始直後から、常にカルビ+αの注文を繰り返しているつつじだが、その食欲が留まる様子は今のところない。
「つつじちゃん。そんな食べて太ったりしぃひんの?」
くりんは、油分と炭水化物の摂り過ぎをまるで気にしない様子のつつじの体重事情が気になった。
「ピアノをたくさん弾けばお腹減るから大丈夫。だから何をいくら食べても⋯カロリーは実質ゼロ」
つつじはくりんの質問に、背後に“ドヤァ⋯”という文字が見えるほどに自信満々な顔で答えた。
「んなアホな⋯」
「えぇ⋯そんな冗談みたいな話ほんまにあるんかいな」
「俄かには信じ難いことだが恐らく事実だ。ドカ食いをしているつつじは何度も見てきたが、太ったところは一度も見たことがないからな」
冷静に考えてそんな美味い話がそうそうあるはずなのだが、自分たちよりも付き合いの長いむつはが言っている以上、その発言には一定の信頼性があった。
何より今目の前にいるつつじは、肥満とはまるで無縁のスレンダーな体つきをしている。
ピアノをたくさん弾けば太らないというのであれば、ダイエットに勤しむ世の女子たちの努力は一体なんだというのだ。
だが、自分がよく知っている人物の中にも似たような存在がいたことをくりんは思い出した。
「そういえばしのもこんなんやったし、ウチらも案外カロリー気にしんで食べても大丈夫ちゃう?」
「さすがに止めとけ!?」
くりんの中でカロリーの概念が崩壊しそうになったが、それはふうかの制止により事なきを得るのだった。
「ハラミとーキムチとーライスでー」
「ボクはロースとクッパをお願いするっす」
「あたしはそろそろお腹いっぱいだわー。あ、あたしはバニラアイスお願いします。うちかとバイリンは?」
「自分はとりあえず今食べてるのが片付くまで大丈夫であります」
「俺はそうだな、ウーロン茶だけで良い」
「じゃあウーロン茶1つ追加で」
「かしこまりました」
「以上でー」
店員は注文を復唱し、程なくしてテーブルを離れた。
「アンタたちも何気に結構食べるわよねー」
「ん〜そぉ?」
「どっちかって言うと、しろが少食な方なんでねぇんすか?」
「まぁ、それは確かにあるかも。あたし少ない量でも結構満足できちゃうから」
(お陰で食費は割と浮くんだけど、こういう時に沢山食べられないってのも考えものよねー)
そう思いながら、しろは腕時計に目をやった。
時刻は午後7時40分を回ったところだった。
食べ始まったのが午後6時半頃だったため、約1時間が経ったということになる。
食べ放題の制限時間は90分。
ラストオーダーのタイミングも考えると、制限時間の大部分は食べ続けていたと言っても過言ではない。
(⋯⋯いや、あたしも今日は結構食べてたでしょ。少なくとも少食って言われるほどじゃなくない?)
「しろ。多分お前が今考えていることは正しい」
梅林は、しろの表情から考えていることをなんとなく察して声をかけた。
「それにしてもこの3人は、よくあんなに食べられるでありますな」
この3人とはもちろん、あお、ふき、つつじのことである。
「あおとふきの実家は農家だからな。日頃からカロリーを沢山使ってきた影響で食べる量も多く、胃袋が大きいんだろう」
なるほど。と、合点がいった2人だったが、すぐにまた1つ疑問が浮かんだ。
(それならつつじは一体⋯⋯)
物知り博士か何かを見るような目つきで、2人は梅林へ目線を飛ばした。
「まあなんだ。その⋯つつじの場合は常に脳と体をフルに使って演奏してるから、常人よりもカロリーの消費が激しいんだろう、多分」
梅林も、言っていて少し無理があると思いつつ、正直それくらいの理由しか思いつかなかった。
ピアノ演奏の消費カロリーは決して低いわけではないが、それにしても摂取した量を全て消費できるとは到底思えないほど食べている。余剰分がぶくぶくと二の腕や腹周りに貯まっていってもなんら不思議ではない。
結局、食べ放題が終わるまで梅林たちの中で得心のいく結論が出ることはなく、その間もつつじは、時間いっぱいまで肉に締めにデザートにと、最後までその勢いが衰えることはなかった。
「夜は冷えるからな。皆、気をつけて帰ってくれ」
会計を済ませ、店外へ出た一同に向かって、梅林は解散の宣言をした。
それに対し「はーい!」と、全員が口を揃えて返事をする。そして、同じ方向に帰る者同士で談笑しながら、それぞれが家路に着いていった。
それを見送る梅林の視界の端に、1人の少女が映った。
それは他でもない、八森ふきだった。
「どうした?皆と一緒に行かないのか?」
「いんや、すぐ追いつくつもりっす。でもその、改めてお礼を言いたくて」
何を改まってと思った梅林だったが、それを口にするのも野暮だと思い、受け答えに徹することを決めた。
「バイリンさん、今日はボクのためにありがとうっす!ご飯も美味しかったし、すごく楽しかったっす」
「そうか。それなら良かった」
「それと⋯久々に北方連合花組で集まれたのがすごく嬉しかったっす」
ふきはこの日、自分が主役であるにも関わらず、特に大きく自分を主張することはなく、皆が食べている様子を静かに眺めていることが多かった。
焼肉屋のご飯ものが美味しかったというのもあるが、それ以上に、みんなと同じ時間を共有していることの方が、ふきにとって何物にも代え難いものだったのだ。
今の日常に大きな不満はないが、例え短い間でも北方連合花組として戦った日々は、ふきにとって間違いなくかけがえのない日々で、楽しい思い出だった。
帝都に留まって復興活動を行なっている今は、それぞれが適材適所に割り当てられ、一緒に過ごす時間は以前よりも少なくなってしまっていた。
「それは俺も、他の皆もきっとそうだったろう」
春に予定されている新生・帝国歌劇団のスタート公演と、Blue-Skyを搭載した新帝都タワーの落成が済めば、帝国華撃団全員が帝都に留まる理由はなくなる。
特に北方連合花組は、帝国華撃団の追加“戦力”として集められた集団。入団時の取り決めに、後に女優となることを条件として集まった者たちではないのだ。
故に、他の花組以上に1つの集団として帝都に留まり続ける理由がない。
今生の別れになる訳ではないが、その現実は時折ふきを少し寂しい気持ちにさせていた。
だから今日、久々に全員で集まれたことそれ自体が、ふきにとっては何よりも嬉しかった。
「そ⋯」
「だから、誰かの誕生日が来たら、またこうして皆で集まろう」
梅林は、ふきの不安をかき消すように言葉を被せた。
「そうすれば少なくとも、年に6回は会う理由ができるだろう?」
「そう⋯そうっすね!でもバイリンさん⋯」
「6回じゃないっす」
北方連合花組の乙女は6人。
だが、北方連合花組は6人ではない。
「“7回”⋯っす!」
「⋯⋯ふ、そうだな。じゃあ、7回だ」
ふきの言葉に梅林は少しだけ驚いて、でも静かに笑みをこぼしながらそれに応えた。
「それはそうと早く行った方がいい。皆、大分先に行ってしまったぞ?」
「あっ!」
ふきは当初、軽くお礼だけ言って去ろうとしていたのだが、存外に時間が過ぎていたことに気がついた。
「すまない。時間を取らせてしまったな」
「いえ、ボクの方こそバイリンさんを引き止めてしまったっすから」
「ではまたな、ふき」
「はいっす!じゃあバイリンさんも気をつけて」
ふきは梅林に軽く一礼をし、足早に駆けて行った。
「さて⋯⋯」
間もなくふきの背中が遠くなり、梅林も1人歩き出す。
「どこかで軽く飲んでいくか⋯」
ただ少し。
家に帰る前に少しだけ。
感慨に耽る時間が欲しくなった梅林は、家へ向かう道とは反対方向へ踵を返し、適当な酒場を求めてその姿は街の雑踏へ消えた。