梅林編 第三章第一話

第三章第一話 空く腹、満ちぬ器


『続きまして速報です。本日午前9時頃、長野県の霊力塔、かみ伊那いなベースメントタワーの点検作業員の報告により、タワーが何者かによって襲撃を受けたことが明らかになりました。中部総督府は周辺地域一帯の警戒レベルを引き上げるとともに、反政府組織との関連性を⋯⋯』
「バイリン殿の言ってた通りになりましたな」
 若干のノイズ混じりに、車内のラジオから流れてくるニュース速報は、先日、梅林たちが霊力塔に残した痕跡に関する内容を報じていた。
「そうだな。これで少しでも政府が中部むこうに意識をいてもらえたら助かるんだが」
 X12と彼女たちが纏う新装備、霊子クロスとの邂逅かいこうから翌日、梅林たちは関東地方へと向かっていた。
「ねぇばいちゃん。ところで今日会う子ってどんな子なのー?」
高崎たかさきつつじ。音楽一家、高崎家の一人娘だ」
「へー、なんかスゴそうな子だねー」
「世界的にも有名な音楽一家だからな。日本のメディアでも度々取り上げられているから、お前たちもどこかで見聞きした覚えはあるんじゃないか?」
「そ、そういえばちょっと前にそんなのをやってたような⋯⋯」
「うっちゃん、嘘はダメだよ」
「ぐぇっ⋯⋯!」
 うちかの知ったかぶりは、あおにアッサリと打ち砕かれた。
「はぁ⋯まったく、つまらん見栄みえを張るな」
 知らない事でも大抵の場合、それっぽい反応をすれば乗り切れるケースが多い。だが、この場にいる霧ヶ峰あおという存在によって、そのロジックは成立しなかった。
 見栄を張ろうとしたうちかの心の揺らぎは、あおにはお見通しだった。
「高崎家は元ヴァイオリニストで現指揮者の父ひらと、ピアニストの母れんげ、そして母と同じピアニストの娘、つつじの3人で構成される一家だ」
「今回のスカウト対象、高崎つつじは15歳にして既に国内屈指の演奏技術を持つ生粋の天才。そして話によると、彼女は音から様々な情報を読み取る超人的な聴覚の持ち主とのことらしい」
「んん?それって⋯」
「もしかして、あおとおんなじ?」
「ああ。断言はできないが、似た系統の能力の可能性は高い」
 たぐいまれな強者の前では、ただ適当に頭数を揃えても戦いにはなり得ない。
 特に、将来的にN12と相対することを考えると、純粋な基礎能力だけでなく、1つ大きく秀でた才能も勝利を掴むための大きな力となる。
 あおは視覚で、つつじは聴覚で。
 常人には取得困難な情報を認識できる能力者が2人になれば、それだけで大きなアドバンテージを持って戦闘を行うことができる。
(だから是が非でも高崎つつじは仲間にしたい。彼女が加入するか否かで、恐らく今後の戦いが大きく変わる)
「でもばいちゃん、そんな子にいきなり帝國華撃団に入ってーって言って、入ってくれるかなぁ?」
「それは会ってみないことにはわからんが、この旅が始まる前から青島きりん経由で、つつじの両親からは事前に入団許可を貰っている」
「だから当然、本人にもその話はっているはずだ。その上で現状断りの連絡は来ていないのだから、芽がないということはないはずだ」
「それでも、なんて言うか凄いおやさんですな。元トップスタァのお願いだからって、そんなすんなりOKを出すなんて」
 直近であおの両親を見ていることも相まって、その真逆の回答を出したつつじの両親の心情は、うちかには理解しがたいものだった。
「つつじの両親は、過去に帝国歌劇団の舞台楽曲にも携わり、青島きりんとも親交があったそうだ。それに公言こそしていなかったが、元々今の政治体制に良い印象を抱いていなかったらしい。だから恐らく、信頼するきりんから真実を聞かされたのが決め手になったんだろう」
「なるほど。でも、その事をつつじ氏本人はどう思っているのでありましょうな。反対とかしなかったんでしょうか?」
「さあな。だがつつじは口数が少なめで、自分の意思や感情をあまり表に出さない性格らしい。もしかしたら親の言葉に流されて首を縦に振ってしまったのかもしれん。だからまあ、その辺りは実際に会ってみるまで何とも言えないな」
「なんか、あお氏の時とは違った形で説得が難しそうでありますな⋯」
 一抹の不安を覚えつつ、一同は群馬県へと車を走らせるのだった。


「ご苦労だったな。柘榴石」
「いえ、研究生の模範たる者として当然の結果を出したまでです」
 新帝國劇場の一室で、カナメはB.L.A.C.K.全体を統括する総キャプテン、夷守あかしメイサに昨日の富士山での任務結果を報告していた。
「そう謙遜するな。B.L.A.C.K.の中でも大量の降鬼を一度に対処できる人材は限られている。お前たちの働きに感心しているのは本当だ」
「勿体ないお言葉です、キャプテン」
(よし!キャプテンに褒めてもらえた!)
 表向きは冷静に言葉を返すカナメだったが、それとは裏腹に、自身が高く評価されたことに対して、内心はとても喜んでいた。
「例の新装備の方はどうだ?不自由はないか?」
「はい。まだ微調整を何度かする必要はありそうですが、運用面では特に問題はないかと」
「そうか。それにしてもまさか、時田梅林が東日本こちらに来ていたとはな」
「いかがいたしましょうか?」
「奴の動向は気になるところだが、確たる証拠がない以上放っておくしかあるまい」
「く⋯やはり、そうするしかないですか」
 推定無罪の原則にのっとった回答が返ってくるのが分かっていたとはいえ、カナメは苦虫を嚙み潰したような表情を隠せなかった。
「まあそう肩を落とすな。我々の守りが厚い東日本こちらでは、元総督といえどもそう簡単に大それた事はできまい。そう事を急ぐこともないだろう」
「⋯確かにそうですね。気がいていました。申し訳ありません」
「謝らずとも良い。それよりもお前には頼みたいことがあるのだ」


「もういない?」
「はい。先ほどまではいらしたのですが、授賞式の後すぐに会場を出てしまわれたようで」
「困ったな⋯」
 群馬県に着いた梅林たちは、高崎市のシンフォニーホールを訪れていた。
 この日、この会場で全日本コンクールの地区大会が行われ、それには当然、高崎つつじも出場していた。
 梅林たちは、会場で彼女と合流して高崎家へ向かうはずとなっていたのだが、会場を探してもつつじの姿はなく、スタッフに聞いても情報は得られなかった。
 エントランスを後にし、シンフォニーホールから出た梅林たちは、駐車場へ向かって歩き出した。
「これからどうするの?ばいちゃん」
「どうするも何もお手上げだ。高崎家に連絡して、帰宅次第折り返し連絡してもらうよう言っておく他ないだろう」
「はぁ、前途多難で⋯って、どぅわああぁああぁーーーーー!!」
 障害となる物などないはずの舗装された平坦なコンクリートの地面で、うちかは何かにつまづいてしまった。
「ぎゃふんっ!」
 そのまま前のめりに固いコンクリートの地面へ倒れると、うちかの全身にジーンとした痛みが広がった。
たたたたた⋯」
「まったく⋯こんな所に誰が」
 うちかは痛みでしびれる体をゆっくりと起こし、自分がつまづいた物体の正体を確認した。
「お、女の子!?」
 それは人間で、小柄な少女だった。
「おなかすいた⋯」
「もうダメ⋯動けない」
 かろうじて顔は上げているものの、少女は脱力したようにうつ伏せに倒れていた。そして無気力な表情でうわごとのように空腹を訴え、その腹のは絶えず鳴り続けていた。
「お腹空いてるなら、これあげるー」
 あおは少女の側まで近寄ってしゃがみ込むと、ポケットの中に入れていたチョコレートを箱から数粒手に取って、少女の眼前に差し出した。
 ガブッ!という効果音がこの上なく相応しい勢いで、あおの手はチョコレートごと少女の口に巻き込まれた。
「うわあああぁあぁーーー!!」
 痛みと驚きに悲鳴を上げるあおを他所よそに、少女はチョコレートを咀嚼そしゃくし、飲み込んだ。
 だがそれでも、少女の腹の音が鳴り止むことはなかった。
「ダメ⋯まだ足りない」
「いったいこの子は⋯」
「つつじだ」
 うちかの疑問に梅林は即答した。
 梅林には少女の顔に見覚えがあった。
「え?」
「その子が、高崎つつじだ」
 目の前にいる飢えた少女は、候補者リストの画像データで見たものと寸分たがわぬ、高崎つつじその人だった。


「頼みたいこととは、いったい何でしょうか?」
 メイサは机の上に置かれていたタブレット端末を手に取り、カナメに差し出した。
「これは?」
「そうだな⋯言うならば“差し押さえリスト”といったところだ」
「差し押さえ?」
「まあとりあえず受け取れ」
 メイサはカナメにタブレット端末を手渡し、説明を始めた。
「春先から、帝国華撃団と名乗る反政府組織が西日本で台頭してきているのは知っているな?」
「はい。B.L.A.C.K.の新司令として就任予定だった警官と、咲良なでしこの娘が率いているという例の叛逆者集団ですよね?それとコレになんの関係が?」
「九州と中国の件から、奴らは追加戦力を現地調達しているということ。そしてその者たちに占領地の自治をさせているということの2点が共通点として判っている」
「⋯つまりこの端末に入っているリストは、この先奴ら戦力となりそうな者たちを先に押さえておくためのもの。そういうことですね?」
 カナメはメイサの言わんとしていることを察し、限りなく確信に近い私見を被せた。
「そうだ。お前は本当に話が早くて助かるよ」
「というわけで柘榴石。お前にはそのリストに載っている乙女たちの元に行ってもらいたいのだ」
「私が、ですか?B.L.A.C.K.には専門のスカウトマンがいるでしょうに」
 カナメの疑問はもっともである。
 スカウト活動は女優の本分ではない。
 政府によって運営されているB.L.A.C.K.には、バックアップチームが数多く存在する。その中には当然、歌劇団としての新陳代謝を促すために、新しい才能を発掘するスカウトマンたちも含まれている。
「街中で10代の少女に大人が声を掛けるのが、いよいよ厳しい時代になってきたということだ。時世というやつだな」
 それからメイサは、政府のスカウトマンたちが実際に受けたクレームのうちの何件かを挙げ、スカウトマンたちの活動が困難になっていることをカナメに説明した。
「確かに最近多いですもんね、その手の事案」
「まあそういうわけだ。お前には手間をかけることになるが、頼まれてはくれないか?」
「はい。キャプテンの命令とあれば、喜んで」
「ありがとう。ここまでで何か質問はあるか?」
「そうですね⋯私が空いていない場合や同時に複数人を訪ねたい場合は、私以外の者を向かわせることは可能でしょうか?」
「構わん、裁量はお前に一任する。ただし、B.L.A.C.K.の信頼を下げることとならぬようにな」
「それは心得ております。恐らく、アヤメとラン辺りに分担させることになるかと思います」
あいのうか。確かにあの2人なら心配はないな。他には何かあるか?」
「⋯いえ、その1点以外は特に」
「うむ。では早速だが、お前には最優先で訪ねて欲しい人物がいる⋯」


「はむっ⋯⋯はむっ⋯⋯!」
 カシャン。
「もぐもぐ、ごくごく」
 カシャンカシャン、カラン。
 十数分ほど前までテーブルを埋め尽くしていた料理たちは、今やそのほとんどがつつじの口の中へと消え、空いた皿がテーブル脇にうず高く積み上げられていた。
 テーブル上の料理の9割ほどが片づくと、つつじは追加の注文をすべく、店員呼び出しボタンを押した。
「チョコレートケーキとストロベリーパフェを1つずつ。パフェは大で」
「かしこまりました」
 空腹で倒れていたつつじを拾った梅林たちは、シンフォニーホール近くのファミリーレストランへとやってきていた。
「じゃあ⋯サラダバーとスープ、取ってくるね」
 デザートが来るまでのわずかな間さえも、つつじは食事のペースを緩める様子はなく、軽やかな足取りでバイキングコーナーへと向かっていった。
 その様子に、あおとうちかはただただ圧倒されていた。
「あの子、本当にお腹すいてたんだねー」
「いや、それを差し引いても異常な食欲でありますよ。あっという間に大の大人3食分以上の量が目の前から消えたでありますよ」
「バ、バイリン殿⋯その、お会計の方は大丈夫なのでありますか?」
 梅林、うちか、あおの3人分と、それらを遥かに超えるつつじの分を合わせると、ファミレスの4人分とは思えない支払いになっていることは想像に難くなかった。
 一国の政府ともなれば、公権力を行使することで、個人のクレジットカードの使用履歴を開示させることも可能である。
 その対象が帝国華撃団などの反政府組織だけでなく、その血縁者にも及ぶ可能性を考慮すると、時田松林の実弟であり、自身も政府へ敵意を抱いている梅林は、監視対象となっていてもなんら不思議な話ではない。
 故に梅林は緊急時を除き、数日~1週間分をまとめて現金で下ろして、それでほとんどの支払いを済ませるよう、この旅が始まる前に決めていた。
「これでも俺は元総督だった男だぞ。これくらいで困ることはない」
「おお、流石バイリン殿。大人の余裕でありますな!」
「だが⋯」
「だが?」
 そこまで言いかけて、梅林はテーブルに積み上げられた食器の山を一瞥いちべつした。
「ここを出たら、銀行へ行く必要がありそうだ」
「⋯⋯やはり、そうでありますか」
 だが、今しがた山盛りのサラダを両手に持って対面に着席した少女によって、それは数日早まることとなった。


「ふぅ、落ち着いた。ごちそうさまでした」
 十数分後。デザートまでしっかりと完食したつつじは、紙ナプキンで口元をぬぐって一息をついた。
「ありがとう、おかげでお腹いっぱいになった。ケプ」
「ところで貴方たちはいったい何者?私のこと、知ってるみたいだけど」
「俺は時田梅林。帝国華撃団の依頼で東日本の乙女たちをスカウトしている者だ」
「自分はそれで団員になった立山うちかであります」
「同じく霧ヶ峰あおだよー。よろしくね、つーちゃん」
「うん。言わなくても分かってると思うけど、私は高崎つつじ。よろしく」
(あお氏の初手ニックネーム攻撃に動じないとは、強者つわものでありますな⋯)
「帝国華撃団⋯ってことは、お父様とお母様が言ってたのは貴方たちだったんだね」
「その様子だと話は行っているようだな」
「うん。貴方たちの団に入って欲しいってやつだよね?」
「そうだ。君も知っていると思うが、ご両親には許可を貰った。だが君自身はどう思っているのか。それが知りたくて俺たちは君に会いに来たんだ」
「そうなんだ。でも⋯」
「別に入っても入らなくても⋯って感じなんだよね。自分でもどっちにするのが正解なのか、よくわからない」
 少し悩んでから出たつつじの言葉は、どっちつかずのものだった。
「そ、それはどういうことでありますか?」
 つつじの曖昧な回答に、うちかは思わず聞き返した。
「そのまんまの意味だよ。お父様とお母様が信用しているなら、貴方たちはきっと悪い人じゃないだろうし、協力した方が良いのかもしれないけど、私はピアノ以外あんまり興味ないから⋯」
(やはりこう・・なるか⋯⋯)
 ピアニストとして大成しつつあり、今の生活に大きな不満を抱えていないつつじの環境を考えると、彼女に入団するメリットはほぼない。
 特に今は全国コンクールの予選の真っ最中。本腰を入れてピアノに撃ち込まなければいけない時期であるのだから猶更なおさらである。
「それに仮に入ったとして、私に何かできることある?だって戦ったりするんでしょ?私、体動かすの得意な方じゃないんだけど」
「戦いと言っても、霊子ドレスを装着しての戦闘だ。生身のまま戦うわけじゃない」
「霊子ドレス?」
「B.L.A.C.K.の霊子スーツのようなものだと思ってくれればいい」
「ふーん、そうなんだ」
(どうやら、ここでこれ以上話していても進展はなさそうだな)
 つつじの反応の薄さから、梅林はこれ以上この場での進展は見込めないと判断し、伝票を手に取り立ち上がった。
「とりあえず店を出よう。今この場で決める必要はない。俺たちをもっと知ってもらってから決めてもらえば良いさ」


 ファミレスを出た一同は、つつじを自宅へと送り届けるために、再びシンフォニーホールの駐車場へと向かっていた。
 すると不意に、つつじがある1点を見つめたままその歩みを止めた。
「つーちゃん、どうしたの?」
 つつじの見つめる先には、つつじと同年齢くらいの少女が立っていた。
 その少女は、綺麗にかされた腰まで伸びた艶やかな黒髪と、いかにもお嬢様然とした身なりから、明らかにそれなりの家の出身であることが感じられるオーラを放っていた。
「な、なんかこっちを睨んでいませんか?」
「ああ。正確には俺たちではないようだがな」
 少女の眼光は鋭く、それはつつじに向けられているようだった。
 そのまま十数秒ほど過ぎた後、少女はそのまま無言でその場を立ち去って行った。
「結局あの子は何だったんでありますか?」
「あの子は私と同じピアニストだよ。コンクールでよく一緒になるの」
「つつじ氏、なにか恨みでも買うようなことをしたでありますか?」
「ううん、なにも」
「つつじ、彼女は今日、君と一緒にコンクール予選に出ていた。違うか?」
「うん、そうだよ。よくわかったね」
「バイリン殿。それとさっきのになんの関係が?」
「恐らく嫉妬しっと、だろうな」
「嫉妬?」
「コンクールは和気あいあいした発表会じゃない。点数で格付けされる勝負の世界だ。負けたら悔しくて当たり前。自分よりも高い評価を貰った相手が目の前にいたら、その気持ちがぶり返しても不思議じゃない」
 本気で目指すものがあるこそ湧き上がる激しい感情。
 形は違えど、兄の背中を必死で追いかけていた梅林にとって、少女の感情は痛いほど理解できた。
「それでも、何も悪くない相手を無言で睨みつけるのは⋯」
「確かにそれはそう⋯でもあの子は毎回ああだから、もう慣れたかな」
「それよりも早く行こう?家でおやつ食べたいし」
 そう言って、つつじは一足先に歩き出す。
「ま、まだ食べるのでありますか?呆れた食欲であります⋯⋯」
 つつじの無尽蔵の食欲に呆然とするうちかを他所よそに、梅林は別に思うところがありつつも、つつじの後を追うように歩き出した。
「⋯⋯2人とも行くぞ。ここで立ち往生していても仕方ない」
「うん」
「は、はいであります」


 約20分後。途中、資金を下ろすために一度銀行に寄ってから、梅林たちは高崎市郊外に位置する高崎家へと到着した。
「おっきなお家だねー」
「自分の居た孤児院よりも大きいであります」
 自分たちの知っている住居とはまるで違うスケールの大きさに、うちかとあおは圧倒された。
「普段私たち家族が生活に使ってる部分は、多分普通の家とは大きく変わらない思うよ。この家、半分以上がお客さんが沢山来た時に使うスペースと音楽関係の設備だから」
 世界的に有名な高崎家は、仕事の依頼やテレビの取材だけでなく、時折演奏会などの催しも行うこともある。そのため年間を通して来客者が多く、そういった人たちを迎え入れるためのホールや部屋といったスペースを多く取っている。また、一家の練習用の防音室や録音室。楽器類を保管しておく倉庫なども含めると、およそ一般的な生活には関係のない部屋が敷地の半分以上を占める。
「つつじお嬢様!おかえりなさいませ」
 門が開くと、中からネコ耳カチューシャと、ネコの手をイメージしたミトンを着けたメイド服の女性が姿を現した。
((な、なんかスゴいのが来た⋯⋯!))
「うん。ただいま、ねこ美さん」
 予想外の見た目の人物の養生に呆気を取られる梅林とうちかを他所よそに、つつじは言葉を返した。
 つつじの無事を確認すると、ねこ美と呼ばれたその女性は、ミトンを外しながら梅林たちの方に向き直った。
「連絡はきりん様より事前に承っております。貴方たちが帝国華撃団の方々ですね?」
「ええ。本日はお忙しいところをお時間いただきありがとうございます」
「いえいえ、お気になさらず。それに私は高崎家の人間ではございませんので、そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ」
「あ、ご紹介遅れました。わたしは高崎家で家政婦をしております“館林たてばやしねこ”と申します。以後お見知りおきを」
「私は時田梅林と申します。こちらこそよろしく」
「ここで立ち話もなんですし、トレーラーを敷地内に入れ終わりましたら、どうぞ中にお入りください」

 
 数分後。青雷号を敷地内に駐車した梅林は、邸宅の玄関を開けた。
「さあ、こちらへどうぞ」
 扉を開けた先で待っていたねこ美の誘導により、梅林は1階右側の応接室へと通された。
 中ではうちかとあお、つつじの3人は雑談に花を咲かせていた。
「つつじさんのご両親は、今日はいらっしゃらないのですか?」
「はい。旦那様と奥様は1年の大半を海外で活動をされておりまして、今日も巴里パリの演奏会に出席されておいでです」
「そうですか」
「さあ、手前のソファへおかけください」
 ねこ美に促され、梅林は3人を横目にソファへ腰かけ、ねこ美はその対面へと座った。
「まずはお嬢様を送り届けてくださり、誠にありがとうございます」
 ねこ美は深く、ゆっくりと頭を下げる。
「まあ、元々そういう手筈でしたし」
「いいえ、これはとても大事なことなのです。とりあえず、こちらをお受け取りください」
 そう言って、ねこ美は梅林の前に封筒を差し出した。
 梅林がテーブルの上に置かれたそれを手に取って中身を確認すると、中には3枚の1万円札が入っていた。
「これは?」
「ささやかではありますが、謝礼金でございます。ここへ来る前にお嬢様は大量にお食事をされたはずです。それはその立替金も含めてお渡ししております」
「つまり、こうなることは既に判っていたと?」
「はい。お嬢様は全力で演奏をされると空腹で動けなくなることが多々ありまして、今日のように、私以外の方がお嬢様をお迎えに行く日は常に謝礼金の用意をしているんですよ」
「なるほど。それにしても貴女は、いち家政婦にしては相当な権限を持っていらっしゃるようだ」
(主人が不在でも謝礼の金額を自由に決められ、こうしたケースへの対応も明らかに手慣れている。他の使用人よりも高い立場にいるのは間違いないだろうな)
「そうですね。なにせ私1人しかいませんからね」
「はっ!?」
 ねこ美の口から出た言葉は、梅林の予想を斜め上に裏切るものだった。
「いえ、言葉通りですよ。高崎家の使用人は私1人でございます」
「このだだっぴろい家を?たった1人で?」
「はい。専門外の仕事に関しては他所を頼ることになりますが、この家の管理全般は私が1人でおこなっております」
「凄まじい管理能力だな。だがあまりにオーバーワークが過ぎるんじゃないですか?そういうのは普通、家の主人が色々手を回すものでは?」
「他のお屋敷でしたらそうなのかもしれませんが、高崎家の方々は音楽の才能に能力が振り切れておりまして、お嬢様だけでなく、旦那様も奥様も、そういった面はからっきしなのです」
 そう言ってねこ美は苦笑したが、その表情は満更まんざらではない様子だった。
「頼りにされている反面、とても大変そうだ。辞めたいと思ったことは?」
「ないですね。私は、私の能力を存分に使える今の仕事が大好きですので」
「そうですか。野暮なことをお聞きしました」
「いえいえ。話は少し逸れてしまいましたが、そういうわけで、高崎家のことでしたら私が対応いたしますので、何なりとお申し付けください。貴方たちには可能な限り協力するようことかっておりますので」
 落ち着いた物腰と柔和な笑顔の裏に、確かな力強さを感じる語気でねこ美は言った。


 その後、今後の予定についてねこ美と話し合った梅林たちは、高崎邸を離れ、陽が落ちた頃、近くの大型公園の駐車場で車中泊をすることにした。
 ねこ美には高崎邸に泊まっていくよう勧められたが、万が一の事態を考えて、梅林はそれを丁重に断った。
「ばいちゃん、なんでつーちゃん家に泊まっていかなったの?」
「この前B.L.A.C.K.と顔を合わせてしまったからな。つつじが正式に入団するまでは、彼女らに感づかれるような行動はなるべく少なくしたい」
「ほへー、なるほどー」
「むつは氏。つつじ氏のドレスの方はそれで大丈夫そうでありますか?」
『デバイスの出力構造は、見た目通り電子楽器と同様のものにすれば良いから、技術的な面では大丈夫だと思う。後は青島モーターズの技術者が、うちかの描いたデザインにどこまで近づけられるかだな』
 高崎邸に滞在していた時、実際に入団するかどうかは別として、うちかはつつじから霊子ドレスの希望デザインを聞いていた。
 つつじの適正ドレスは風属性の三式[心海しんかい]。高崎邸を出た後、うちかはそれに合わせるピアノの鍵盤とハンマーをモチーフにした武装をすぐに描き起こし、画像データをむつはへ送っていた。
「おぉ!」
『だが1つ問題があるとしたら、これで作ってしまうと、[心海]は鍵盤を叩ける者専用のドレスになってしまうことだな。高崎つつじはまだ入ると決まったワケじゃないんだろう?専用デバイスの作成は慎重にやるべきだ』
「確かにそれはそうでありますな。どうします、バイリン殿」
「なら近接攻撃用のハンマーだけ作ってもらうのが良いだろう。近接武器なら他のドレスに流用することになっても腐るまい」
『そうだな。ワタシもそれが良いと思う』
「自分もそれで異論はないであります」
「ではハンマーの方だけ手配を出しておこう。複雑なデザインじゃなければすぐ作ってもらえるだろう」
 うちかからむつはに送ったものと同じ画像データを受け取った梅林は、すぐさまそれを青島モーターズの栃木支社に送った。
「となると、あとはつつじ氏をどう説得できるか⋯でありますか」
「そうだな⋯だが今日できることは全部やった。もう寝よう」
「はーい」
「了解であります」
「⋯⋯お前もだぞ?むつは」
『ふぇ?』
 付け足すように、梅林はモニター越しにカップ焼きそばをかきこんでいるむつはにも声を掛けた。
「その様子だと、また夜更かしする気だろ」
『いつもの事ではないか。何をそんなに目くじらを立てる?』
「まったく⋯いつもだからだろうが。ほどほどして寝ろ、いいな?」
 梅林は呆れてため息をつきながら、むつはとの通信を切った。


 翌日──。
「うーわすっご!でッッッッか、この家!」
「ねぇモモ、お願いだから、中に入ったらそういうの・・・・・やめてよね?」
「えー、なんで?」
 カナメはメイサの指令通り、とある人物のスカウトをしに、ある邸宅を訪れていた。
 先日の戦闘のフィードバックを取るために、霊子クロスをサマエルに預け、現状戦えない身であるカナメは、同じX12の1人である輝々きてるモモを護衛として同伴させていた。
 N12であり、トップギャルでもある気分けぶらいテンカに憧れてこの世界に入ってきた人物である彼女は、テンカ同様、ギャルスタイルのキャラで売っている女優である。
「なんでって、あたし達はB.L.A.C.K.の代表で来てるんだから、失礼な態度は団全体の信頼を下げることになるでしょ?」
「あー、確かに?」
 カナメの説明を受けても、モモはいまいち要領を得ていない様子だった。
「はぁ⋯もういいわ。あたしが全部しゃべるから、あんたは隣で大人しくしてて」
「え、あーし喋んなくていいの?んじゃヨロー」
 モモに喋らせることを諦めたカナメは、自分1人で対応することを決め、門の横に取りつけられたインターホンのボタンを押した。
『はい、どちら様でしょうか?』
「週末お休みのところ失礼いたします。わたくし、大帝國歌劇団B.L.A.C.K.の柘榴石カナメと申します」
『はあ⋯B.L.A.C.K.様が何のご用でしょうか』
「突然のご訪問の上、大変恐縮ではございますが、スカウトのお話をさせていただきたくお伺い致しました」
「高崎つつじさんはいらっしゃいますでしょうか?」


第三章第二話へつづく

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