幕間 パッショネイト☆サマーエンド
太正101年8月28日。
高校生活最後の全日本選手権も終わり、大隅まみやは地元である鹿児島を離れ、休息とひと夏の思い出作りを兼ねて、夏休みの終わりに種子島へと来ていた。
ボクシングの方はとりあえずひと段落した格好になったが、それでもランニングだけは種子島に来ても欠かさず行なっていた。そしてその横には、高千穂ゆうと星原そうかの姿もあった。
未だ暑さが残る昨今だが、早朝の気温はもうそれほどでもない。
風を切って、朝の清々しい空気を吸い込みながら、豊かな自然に囲まれた道を駆けていく。
それは単なる体力維持の運動に留まらず、3人にとって心地の良い時間でもあった。
そうかにとっては見慣れた光景ではあったが、種子島を本拠地として活動している彼女にとって、他の乙女と交流する機会は他と較べて特に少ない。
だからこうして、まみやとゆうが訪ねて来てくれて、共に同じ時間を過ごせることそれ自体がそうかにとってはとても嬉しいことだった。
ひと走りを終え、3人はそうかの実家へ戻ってきた。
現在、まみやとゆうは彼女の実家に宿泊している。
事前に来島の連絡をもらっていたそうかは、2人に自身の実家への宿泊を提案していたのである。
まみやとゆうにとっても、宿泊費が浮くという経済的にも大きなメリットがあり、特段断る理由もなかったため、そのまま泊めてもらうことになったのだ。
「そうか。今日の朝食は何なんだ?」
ストレッチをして体を伸ばしながら、まみやはそうかの方に視線を向けた。
「ご飯と味噌汁と小鉢と、トビウオの南蛮漬けです!」
「へぇ〜、今日は本場のトビウオ料理か。楽しみだぜ」
「小鉢の方には何が入ってるの?」
「今日は“きゅうりの浅漬けと塩昆布の和え物”ですね」
「あら、それも美味しそうね」
そうかの実家は1階部分を食堂として店を構え、宇宙センターの職員も含め、島民に長く愛されている確かな大衆食堂の味を提供している。
種子島に来てから、まみやは次の朝食のメニューを聞くのが楽しみの1つになっていた。
「お疲れ様、姉さん。ゆうさん。そうかさん」
頃合いと見たのか、食堂の裏手の玄関口からうら若い少年の声が辺りに響いた。
声の主はまみやの弟、大隅ハヤトだった。姉の付き添いで彼もまた種子島へと来ていたのだ。
ハヤトの両腕の中には3人分の飲み物とタオルが抱えられていた。3人の元に小走りで駆け寄って来た彼は、早々に全員にタオルとドリンクを渡した。
「サンキュー、ハヤト」
「ありがとう、ハヤトくん」
「ありがとうございます!」
「それじゃあ僕は一足先に食堂に戻って、お店の準備を手伝ってくるね」
「ああ、ありがとな。でもあんまり無理はするなよ」
『わかってるって』と、ハヤトは姉の言葉をほどほどに聞きながすように答え、食堂の方へと戻っていった。
「本当に良い弟さんね、ハヤトくん」
遠くなって行くハヤトの背中を見つめながら、ゆうはしみじみとした様子で言葉を口にした。
「はい。ここ2,3日、色々と手伝ってもらってますし、両親も凄い助かってるって言ってます」
「ここに来て今日で5日目だし、友達が居ない環境で暇を持て余してるってのもあるかもな」
「それでも、そのエネルギーを誰かのために使おうとしてるのは偉いわ」
「へへ⋯そりゃあもう、あたしの自慢の弟だからな」
弟が褒められたことに、まみやは自分の事のように嬉しくなり、自然と笑顔がこぼれた。
その後、朝食を済ませたまみや達は、近くの海水浴場へと向かった。
早朝とは打って変わり、うだるような夏の暑い日差しと湿度の高さがより顕著になる。
クーラーの効いた部屋でパーティーゲームをするのも良いが、アスリートであるまみやとゆうにとっては、外で身体を動かす方が性に合っていた。
島に来てからは、そうかの案内の下種子島を色々と巡ってきたが、最終日の今日は、ついにお待ちかねの海へ向かうことになったのだ。
そうして歩くこと十数分。一行は南種子町の灯台下サーフポイントに着いた。
宇宙センターから程近い位置にある海水浴場であり、ロケットが間近で見られるということもあり、種子島でも人気のスポットである。
「もうすぐ夏休みも終わるっていうのに、結構人がいるもんだなー」
8月末となった今でも、ピーク時ほどの混雑具合ではないが、砂浜には普通に人がいるといった様子だった。
「まだまだ暑いし、海に入って涼みたいって人が多いのかしらね」
「それもあると思いますが、ここはロケットも見ることができる観光スポットですから、シーズンオフになるまで、結構長いスパンで人が居たりするんですよ」
「へぇーなるほどなぁ⋯」
「とりあえず水着に着替えてきましょう!」
「更衣室はコッチです。行きましょう!」
そうかは更衣室のある建物を指差し、歩き出す。
3人はそれを見て、そうかの後に続いた。
「ハヤトはここで待っててくれよ。絶対覗きに来ちゃダメだからな!」
「流石にそんなバカなことはしないって!ちゃんとここで待ってるから、なるべく早くしてよ?」
「わかってるよ」
更衣室前に着いた一同は、男子更衣室と女子更衣室の間にある待合室で別れ、それぞれ更衣室の中へと入っていった。
まみや達はそれぞれ更衣室内の個室スペースに入り、各々の持ってきた水着に着替え始めた。
服を脱ぎ終えたそうかは、バッグの中からオレンジを基調としたフリルの水着を取り出した。
島外の友達と海水浴をするまたとない機会ということもあり、おろし立ての水着を持ってきていた。
(地元の友達と海に来るのとは違ったドキドキ感がありますね。ワクワクしちゃいます!)
期待に胸を膨らませながら水着に着替え終えたそうかは、脱いだ服を早々にバッグの中に入れた。
個室の扉を開けると、そこには既に着替えを終えていたまみやとゆうの姿があった。
「お、そうかも終わったか」
「そうか、少し荷物を預けたいと思ってるんだけど、どうすればいい?」
「ああ、それはですね。廊下脇にあったコインロッカーに入れてください」
「ありがとう」
ゆうに説明をした後、ふと気になったそうかは目線を少し下に向けた。いや、正確には向けてしまった。
「ん?どうしたの?私に何かついてる?」
「⋯カい」
「え?」
「デカい!」
ゆうの水着は、腰から膝下辺りまでの黄色いパレオを巻いている以外は、スタンダードなデザインの水着だ。
だが、胸部のパステルグリーンと白のストライプの歪み具合を見れば、そこにある双丘がそれなりの大きさを誇っている事実を物語っていた。
そして言うまでもなく、まみやに至っては⋯
「すごくデカい!」
まみやの水着は、胸にワンポイントで炎のマークがついた黒のタンクトップビキニだった。
まみやの雰囲気もあって、スポーティーさが前面に出てはいるものの、普段から大きな主張をしている2つの部分は、タイトな水着に着替えたことにより、より際立つ状態となっていた。
「アバババババ⋯」
現実を叩きつけられたそうかは、戦慄しながらも、今後はより多く牛乳を飲むことを決意したのだった。
約束通り、待合室で待っていたハヤトと合流した3人は、早速砂浜へと繰り出した。
拠点となるパラソルとシートを設営し終わると、ゆうはハヤトの方に顔を向けた。
「ハヤトくん。日焼け止めをお願いできる?」
ゆうは、自分では塗りにくい背中の方を指差しながらハヤトに声を掛けた。
「はい、いいですよ。そうかさんは?」
「わたしは、夏はいつも起きてすぐに塗ってるので大丈夫ですよ!」
「わかりました。じゃあゆうさん、シートの上に⋯」
「おいハヤト。なんであたしには聞かないんだよ」
早速作業に取り掛かろうとするハヤトに待ったをかけるように、まみやは割り込んだ。
「だって姉さん、海で遊ぶ時に限らず夏は毎年日焼け止めしないじゃない。今日も要らないのかと思ってたよ」
「う"っ!確かにそれはそうだけど⋯」
人並みに肌の手入れこそしているものの、幼い頃から外に出て運動することが日課になっていたまみやにとって、日焼けはあまり気にしたことはなかった。
「でも、今日はあたしも塗るの!」
だがまみやは、自分の中に湧いた感情を上手く言語化こそできなかったものの、“今日だけは日焼け止めを塗らないと負けなような気がする”という強い衝動に突き動かされて、日焼け止めの塗布を所望した。
その様子を見て、ゆうとそうかは顔を見合わせてクスクスと笑った。
その後ゆうはハヤトに、まみやはそうかに日焼け止めを塗ってもらい、日差しの下へと出て行くのだった。
陽がほぼ沈み、空が暗くなり始めた頃。
砂浜の定番をひとしきり楽しみ切った一行は、そうかの家へと戻ってきた。
海水浴場のシャワー室で海水や砂は粗方落としたものの、戻ってくるまでの道中でかいた汗もあったため、荷物を置いてひと息をついた後は、兎にも角にも、まずはお風呂に入ることにした。
最後に入ったまみやが部屋に戻ると、そこには既にテーブルには夕食が並べられており、その中央にはホールケーキが置かれていた。
表面に黄色いパッションフルーツのゼリーの層が乗った、見た目にも鮮やかなムースケーキの上に、まみやの名前が書かれたチョコプレートと数本のロウソクが刺さっている。
「まみや」「まみやさん」「姉さん」
「「「誕生日おめでとう!」」」
パンッ!パンッ!パンッ!
3人のかけ声と共にクラッカーの音が景気良く室内に響く。
「おわっ?!ビックリしたぁ」
「って、ケーキまで?!あたしのために?」
「それはそうですよ、今日はまみやさんの誕生日なんですから」
「何日も泊めてもらって、ご飯も食べさせてもらって、その上誕生日までしっかり祝ってもらえるなんて⋯」
「至れり尽くせりで、なんか悪いね」
朝昼晩3食付きでタダで泊めてもらった上に誕生日まで祝ってもらえたとあって、星原家に大分気を遣わせてしまったのではと感じたまみやは、感謝の気持ち以上に申し訳なさが先行してしまった。
「そんなことないですよ。両親も『こんなに夜が賑やかなのは久々だ』って嬉しそうでしたし」
「なにより、わたし達がしたいからしたんです。だから遠慮せずに受け取ってください。まみやさん」
「厚意は素直に受け取るのが一番よ、まみや」
「そうそう。それにあんまり話してると、せっかくの料理が冷めちゃうよ、姉さん」
「⋯⋯それもそうだな」
皆の言葉を受けて、まみやは数瞬ばかり考えたが、折角用意してくれた物なのだから、謝意を表して謙虚になるよりも素直に喜んだ方が良いだろうと判断し、これ以上細かいことを考えるの止めた。
「へへ、みんなありがとな!」
まみやは少し照れ臭そうに、人差し指で鼻筋を軽く擦りながら感謝の言葉を述べた。
夕食を終え、TVを見たりゲームをしたりをしている内にどんどんと夜は更けて、やがて就寝の時間となる。
消灯し、布団に横になったまみやは、種子島に来てからの5日間を思い返していた。
種子島の色々な場所を巡ったからといって、全てが特別な体験だったかと言ったらそうではなかった。
だが、たとえ内容が変わり映えのしないものがあったとしても、普段顔を合わせる機会がない仲間と共に過ごした5日間は、彼女にとって余す事なく特別で、新鮮なものであった。
微睡みの中、まみやだけでなく各々が同様の感情を抱きながら、その日の夜は眠りについた。
──翌日。
そうかとの別れを惜しみつつ、まみや、ゆう、ハヤトの3人は九州本土行きのフェリーに乗り込んだ。
その構図は、フェリーに乗った3人だけでなく、そうかにも、夏の終わりがいよいよとなったことを否応なく実感させた。だがそれは、それだけ充実した日々を過ごせたことの裏返しでもある。
次は、もっと多くの仲間を誘ってまたここに来よう。
できれば、司令も一緒に──
そんなことをぼんやりと胸の内で考えながら、大隅まみやの太正101年の夏は幕を閉じた。