幕間 べにし誕情奇譚
7月20日はあたしの誕生日だ。
けれど、だからといってあたしの日課が特別変わることはない。
それは、人々の活気と風情ある街並みが織りなす空気を肌で感じながら京都の街を歩くこと。これは元々撰新組の仕事だからという理由でやってたわけじゃない。
あたしはこれが純粋に好きなのさ。
帝国華撃団が日本を奪還したあの日から、しばらくの時が経った。当時の成り行きもあったとはいえ、今ではあたしも一端の女優になってしまった。しかしそれは、あたしが京都を離れて暮らす理由にはならなかった。
ただそれは、あたしだけに限った話じゃない。今でも各地方の花組の大半は、地方外での公演やTV出演以外で地元を離れることは多くない。
帝都に移住したのは、しのやひめかのように、女優の道を本筋としている奴や、仕事環境とか物流とか、そういった面でメリットが大きいと感じた奴くらいさ。
じゃあ、そうじゃないあたし達が本気で女優をやっていないのかと言ったらそういう訳じゃない。
元々の本分じゃないってだけの話さ。皆それぞれ自分の得意分野での活動を行ないながら、ちゃんと女優もやっている。それだけの話さ。
今あたしは⋯少し短めのオフシーズンといったところかな。誕生日付近を狙って取った訳じゃないんだけど⋯ま、とにかくまとまった休みを満喫中というわけさ。
ただやっぱり、なんだかんだ言って特別何もないと、少し物足りない感じがしちゃうもんだね。
去年は帝都の復旧作業や、B.L.A.C.K.との合同公演のための稽古をするということもあって、大所帯で行動することが多かったし、時には司令を誘ってデートみたいな事をしてみたりして⋯
コホン⋯まあそれは兎も角、誕生日に限らずとにかく話題には事欠かなかったけど、今年からはきっとそうもいかないだろう。
皆それぞれの道を、それぞれのペースで歩き出している。同じ時を過ごしたクラスメートが卒業して別々の学校に行き、やがて離れていくように。みんなが皆、いつまでもずっと同じ環境、同じ歩幅で歩いていられるわけじゃない。
「さてと、ぼちぼち帰るとしようかね」
夏もいよいよ本番となってくるこの頃。立ち止まって空を見上げると、まだ少し空は明るい。けれど夕食時ともなれば、等しく腹は空いてくるというものさ。
「確か冷蔵庫には大したものが残ってなかった筈⋯」
かと言って、今晩はなんとなく自炊するのも面倒くさい気分だ。
「適当に何か買って帰るか⋯」
帰りにスーパーでお惣菜でも見繕って帰ろうか。そう思って、再び歩き出そうとした時だった。
「べにしちゃん!」
あたしの背後から少し懐かしい、でも鮮明に記憶に残っているあの声が聞こえた。
「おやおや、こんな所で久々に会うとは驚いたねぇ。息も切らしてさ。どうしたんだい?トップスタァ様」
声の方を振り返って見ると、そこに居たのはやはりしのだった。
今や統星プラナにも引けを取らない程のトップスタァとなった彼女の姿は、以前にも増してその風格を漂わせているように感じられた。
「今、8月の帝都公演に向けて追い込みの時期だろう?こんな所で油を売ってていいのかい?」
「はあはあ⋯今日は⋯べにしちゃんの誕生日だから」
「なんだい⋯それなら電話でも良かったじゃないか。わざわざ忙しい練習の合間を縫ってまで京都に来るのは大変だろう?」
あたしの言葉を受けて、しのは俯いて少し暗い表情になった。
あたしの口から出た言葉は、思考を通常運転させた結果でしかない。
あたしを知っている人物であれば、『べにしならまあそう言うだろうな』という程度のものだった筈だ。
だからあたしはしのの表情を見て、少し罪悪感のようなものを感じてしまった。
「もちろん忙しい、忙しいよ」
「それなら尚更あたしに⋯」
「けど!⋯べにしちゃんの誕生日は、どうしても直接お祝いしたかったんだよ⋯」
「ダメ、かな?私が来て迷惑⋯だった、かなぁ」
「そ、それは⋯」
なんだいその今にも泣き出しそうな表情は。
さっきからまるであたしが酷い奴みたいじゃないか。
(お、おい。あそこに居るのは咲良しのじゃないか?)
(嘘ぉ?本物!?ていうかなんでここに居るの?)
(しかも側に居るのは土方べにしか?)
(もしかしてしのちゃん、泣いてない?)
(なんかヤバいことでもあったんかな?)
「こりゃあ⋯マズいね」
徐々に人だかりができつつあるのが見えたあたしは、しのの手を引いて急いでその場を離れることにした。
公演を控えたトップスタァが、京都の地にお忍びで来て号泣しているなんてことが知られたら大スキャンダルさ。なんとしてもその事態だけは避けないといけない。
人気のない路地裏に入った私たちは建物の壁にもたれかかって一息をついた。
「はあ⋯はあ⋯べにしちゃん」
「はあ⋯はあ⋯なんだい?」
「私ね、べにしちゃんのために近くの料亭を貸し切りで予約取ったの」
「はは、そういう台詞がポンて出てくると実感するよ。本当にトップスタァになったんだねぇ、しの」
「そこなら人目も気にならないだろうし、丁度いいね」
「うん。結局私⋯いきなり押しかけちゃって、べにしちゃんに迷惑かけちゃった、ゴメンね⋯」
しのの表情と言葉が三度、胸に刺さる感触がした。何故あたしはあの時、素直にしのに『ありがとう』って言ってあげられなかったんだろう⋯そんな後悔が湧いてくる。
「いや、あたしがしのの厚意を無下にするようなことを言っちまったのが悪いさ。気にするんじゃないよ」
「じゃあ、そろそろ行こうか」
切れた息を整えてから、あたし達はしのが貸し切ったという料亭に向かって歩き出した。
それから少し経って、件の料亭に着いたあたし達は早速入り口の戸を引いた。
「ハーーーイ!ドッキリ大成功ぉーーーーー!!!」
「テッテレ〜!つってなー!!」
すると突如、くりんが『ドッキリ大成功!』の文字が書かれたプラカードを持って飛び出してきた。
「な⋯⋯⋯!」
あたしは何が起きたのか理解できず、思わず固まってしまった。
「あっはっは!めっちゃおもろかったで、べにし。今の顔もめっちゃおもろいからバシバシ撮るけどな!」
パシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャ!
くりんは固まったあたしに向かってスマホのカメラを連写した。後ろの方ではやえが今までに見たこともないくらい嬉々とした表情で同じ事をしていた。
そして隣にいるしのはというと、先ほどまでの様子とは打って変わって、あたしのよく知るあの明るい表情へと変わっていた。
その瞬間あたしは“やられた”のだという事を悟った。
「にしし!大成功だね、みんな」
「それにしてもやっぱりやえちゃんは凄いね。ほとんどやえちゃんの用意してた台本通りに進んだもん」
「しのさんの演技力と皆さんの連携あってこその賜物です。実にお見事でした。それにべにしのあの狼狽え様⋯ふふふ⋯非常に良いものが見れました」
「そうね。いつもの余裕しゃくしゃくの態度が崩れた土方は見てて相当面白かったわ」
「ぐ、そんな⋯お嬢まで」
「どうやら無事成功したようでゴザルな!」
「お!しゃな、ごくろーさん!」
後から入ってきたしゃなが、満面の笑みでくりんとハイタッチを交わす。
「一体どういう事なんだい、これは⋯」
そして、店の奥からふうかとのぎくが顔を出す。
「説明しよう!」
「ふふ⋯それはですね⋯」
その後、皆で座敷の席に腰を落ち着けてから、あたしは事の真相を知った。
『Blue-Skyのプログラム設計の時に仲良くなったむつはって奴が凄くてな。あいつの作った追跡プログラムが今回の作戦に使えそうだなって話になって、ここ数日のべにしの動向を人工衛星で追跡させて貰ってたのさ』
『そこから逆算して、最適と思われるお店に事前に予約を入れておいたわけです。その上で移動経路を限定化させ、より確実な誘導をするためにしのさんにひと芝居をお願いしました』
『アンタ、那智家がお金を出すからって一番高いトコ頼んだだけでしょ?』
『途中の人ごみや人だかりは、当日集まってくれたウチの友達と⋯』
『拙者の分身の術で作ったゴザル!』
『そして、他の方がなるべく紛れこまないように、お父様が要所に交通規制を働きかけてくださいました』──
しかも、ここに居るメンバー全員には人工衛星の追跡プログラムを使って、ここに来るまでの様子が生中継されていたらしい。恥ずかしいことこの上ない。
でも、あたしの誕生日のためにそこまでしてくれたという事実は、素直に嬉しかった。
「でもさ、しの。アンタが今忙しいのは事実だろう?本当に大丈夫なのかい?」
「どっちかって言うと大丈夫じゃないんだけど⋯」
「私、嫌⋯だからさ」
「嫌?」
「今、私が⋯皆がこうして笑って此処にいられるのは、べにしちゃんのおかげなんだよ?」
「もちろんべにしちゃんだけじゃなくて、ここに居る皆や、大勢の仲間たちに帝国華撃団は助けられてきた⋯」
「けど、べにしちゃんが居たから、べにしちゃんが何度も私たちの窮地を救ってくれたから、帝国華撃団の未来は近畿で途絶えずに済んだんだよ」
「そんな大切な人の誕生日をちゃんと祝えないなんて、そっちの方が私、嫌だからさ」
「しの⋯⋯」
「拙者もべにし殿に声をかけてもらえなかったら、そもそも帝国華撃団との出会いもなかったでゴザルしな!」
「みうもちょっとだけ⋯本当にちょっとだけだけど⋯土方には感謝してなくもない、かもしれなくもない⋯かも、多分」
「そうですわ。貴女がずっと戦い続けてきてくれたからこそ、しのさんの言う通り、皆の今があるのです」
「皆⋯⋯」
「認めるのは些か癪ではありますが、事実を列挙すれば土方べにし、貴女なくして日本奪還は成し遂げられなかったというのは確かですからね」
「⋯ふふ、軍師様にまでそう言っていただけるとは、光栄だね」
「それと誕生日っちゅーんはな、べにし。あんま難しいこと考えんで、祝ってもらえて嬉しい楽しいハッピー!ってな、それだけでええねん」
「そうそう。それが主役の仕事なんだからさ」
「それもそうだね。しの、皆⋯ありがとうね」
「さて、話もひと段落したし⋯」
「ちょっとお花を摘みに行ってくるよ⋯っと」
話が落ち着いてきたタイミングを見計らって、あたしは腰を上げた。
「べにし⋯料理が来るまでには戻ってきてくださいよ?今日は貴女が居ないと始まらないのですから」
「そうだよべにしちゃん!じゃないと私、腹ペコで死んじゃうよぉ〜」
「しの。新幹線の中で駅弁2つも食べてただろ?!」
「だって演技した後って、すぐにお腹空いちゃうんだもん!」
「あはは!そりゃあ大変だ。はいはい、わかってるよ」
返事をそこそこに、あたしはそのまま席を立ってトイレに向かった。
あたしはトイレに着いて直ぐ、個室に入り鍵をかけて扉にもたれかかった。
もちろん便意があって席を立ったわけではない。ただ少しだけ、気持ちを整理する時間が欲しかったんだ。
まあ、やえにはしっかりバレてたみたいだけどね。
帝国華撃団の皆は、あたしと違って“まっすぐ”で良い奴らだ。だから、去年みたいにお祝いの品をくれたり、言葉をかけてくれるのは自然な事だと思ってたんだ。そして今年がそうでないなら『皆忙しいだろうから仕方がない』という結論を出して納得できると思っていた。
でも実際蓋を開けてみたら、この状況にホッとして、心から喜んでいる自分がいる。
しのの演技を含め、皆の仕込みが秀逸だったのはもちろんだけど、普段のあたしならこういう臭いには途中で絶対に気付くはずなんだ。
でもそうならなかったのは、その考えが巡るよりも、祝われないことへの不安の方が勝ってしまってたからなんだと思う。
今あたしは、自分のその感情に驚いているんだ。
撰新組を組織して戦い出した頃から、いつからかそういう感情は少しずつ擦れて薄くなっていく感覚を感じてたから、もう自分には“そういうの”が残っていないものだと思っていた。
いや、そうでなければ⋯そんな甘っちょろい感情持ってちゃ強大な敵とは到底戦うことなどできないと思って、思い込んで、心の奥にずっと仕舞い込んで忘れようとしていたんだ。
そうやってあたしは、ずっと自分の気持ちに嘘をついて誤魔化してきたんだ。自分を一番騙していたのは自分自身だった。その事に今更気付かされたんだ。
文豪先生的に言えば“事実は小説よりも奇なり”と言ったところかな。驚いたよ本当に⋯本当にね。
「こりゃあ⋯⋯一本、取られちまったねぇ⋯」
少し間を置いてから、あたしは目を閉じて、何度か大きく深呼吸をして呼吸を整えた。
「⋯と、そろそろ戻らないとね」
あたしは誰だい?
「あたしは“土方”べにしだろう?」
「なら、いつまでも湿っぽくなってるんじゃないよ」
皆に、特にやえにこれ以上みっともない姿を見られるのはあたしのプライドが許さないよ。
カチャッ⋯
あたしはもたれかかっていた扉から体を離し、向き直って鍵を開けた。
「ふふ⋯それにこれ以上待たせて、万が一トップスタァ様に空腹で倒れられでもしたら、本当にスキャンダルになっちまうからねぇ」
あたしはアイシャドーが落ちないよう、軽く目元を拭ってから、トイレの扉を開けた。