幕間 或文豪の秘想

 吾輩わがはいふでは、今日も原稿用紙の海をひた走る。
 一時いっときは枯れかけていた創作の泉も、今は湯水のごとあふれ、とどまる所を知らぬ。
 たみあざむき、みつに悪逆をす国家。そしてそれに立ち向かう若き乙女たちの集団──
 少なくとも、人間同士での大きな争いがない昨今さっこんで、フィクションの中でしか見ることのなくなった構図が、まぎれもない現実として吾輩の前に舞い降りたのだ。
 しかもそれに吾輩自身が一枚噛むことになったとあっては至極当然、いち小説家として、創作意欲が刺激されないはずがない。
 しかし、吾輩は今や、国家にはんぎゃくする立場であるからして、失敗すなわ牢獄ろうごく行き⋯場合によっては死罪となるやも知れぬ身分となってしまった。
 それゆえ、この状況は手放しに喜んでばかりいられないというのも事実である。
 だが、吾輩の物語がどんな結末を迎えようとも、帝国華撃団との邂逅かいこうは、吾輩の人生にとってえのない宝となったのはまぎれもない事実である。
 ならば吾輩がすべきは、最悪の未来を想像しおびちぢこまることではなく、我々のざま、そのこころざしを世に知らしめ、万人ばんにんに長く語り継がれる作品の創造に心血しんけつを注ぐことだ。
 九州公演では期日の関係もあって、とりあえず単発で『七人の女サムライ』を書いたが、今司令たちがいる中国から四国、近畿、中部、そして東日本へと⋯帝国華撃団の存在がでんして行ったあかつきには、いずれ我々を象徴するような一作いっさくとうじねばならぬ時がやってくる。
 だから吾輩はその時のために⋯ここにひとつ、温めておこうと思うのだ。
 
「めい」
 扉を開ける音と共に、柔らかく落ち着いた声が、筆を走らせる吾輩の背中ごしに聞こえた。
「む?高千穂氏か」
 扉の方を振り返って見ると、声の正体は高千穂氏であった。
「あら⋯執筆中だったのね、お疲れ様。飲み物とお茶菓子を持ってきたわ」
「おお!これはありがたい」
 吾輩が作業しているテーブルの脇に緑茶と饅頭まんじゅうが置かれる。
 定番中の定番であるが、それが良い。定番には定番たり所以ゆえんがあるのだ。
 それに何より、饅頭は吾輩の大好物。嫌う理由がどこにあろうか。
 小腹が空いていた吾輩は、早速その内の1つを手に取り、大口おおぐちを開けてほおった。
「うむ、まこと美味びみなり
 皮は薄めで、中にはきめ細かくしたあんがたっぷり入っている。
 だがしつこい甘さではないため、甘ったるい余韻はあまり残らない。緑茶を挟んで口の中をさっぱりさせ、吾輩は次の1個に手を伸ばす。
 疲労した脳に糖分がみ渡る感覚もあいって、饅頭へ伸ばす手が止まらぬ。ふふっ⋯これは食べ切るのにそう時間はかからなそうだ。
「口に合ったなら良かったわ」
「これは高千穂氏が買ってきてくれたものか?」
「いいえ。天神家の執事さんからおやつにどうぞっていただいたの。その時にめいの分も一緒に貰ってきたの」
 今日吾輩たちは、吾輩の誕生日ということで天神家の屋敷に招かれていた。
 自分の誕生日に深い執着はない吾輩であるが、祝ってくれる人たちがいるのは素直に嬉しいものだ。
 しかもその場を九州きっての名家、天神家のみょうだいが用意してくれるとあっては、それはもう感慨無量かんがいむりょうの極みというもの。断る理由などない。
「ところでめい、何を書いてたの?司令たちは中国地方に入ったばかりだし、まだ公演の台本は急がなくてもいいんじゃない?」
「それはそうなのだが、地方公演のものとは別に作っておきたいものがあってな」
「ふぅ〜ん、なるほどね。けど、あんまり無茶はしちゃダメよ?めい」
「なあに、吾輩は天才だ。心配に及ばんさ」
「それにこれは大作になる予定だ。初稿を書き上げてもそれで完成というわけではない。細かい足し引きや見直しを何度も繰り返し、満足のいく出来になるまでには相応の時間がかかる。早めに始めるに越したことはない」
 それから10分程、高千穂氏と他愛もない話に花を咲かせた後、吾輩は饅頭を片手に執筆作業を再開した。

「めいサン、めいサン!ひめかサンが呼んでるヨ!」
 ふと、アンジュの甲高かんだかい声が、原稿用紙と向き合っていた吾輩の耳に入った。
 吾輩はガラスペンを動かす手を止め、顔を上げて窓の外を見遣みやった。
 最近は玉のような汗をく日が増え、それにともなっても伸びてきたものだが、それでも外はもう間もなく暗くなろうとしていた。
「ふむ、もうそんな頃合いか⋯集中していると、存外に時間は早く過ぎるものだが、よもや暗くなってきていた事にすら気づかないとは思わなんだ」
 吾輩がスンスンと鼻を鳴らすと、かすかだが、アンジュが開けた扉の方から食欲を刺激する香ばしい匂いがただってくる。
 どうやら食事の準備が出来たらしい。
「⋯と、その前に、仮題と軽いあらすじだけ付けてから行こうか」
 吾輩はペンを握る手に再び力を入れ、その場で思い浮かんだ文字列を白紙の原稿用紙になぐいた。
「めいサン、早ク早ク!」
「はっはっは、すまんすまん。では行くとしようか」
 部屋の入り口の方で、パタパタとそでを揺らしながらアンジュが吾輩をかす。それに応えるべく、吾輩は椅子いすを引いて立ち上がり、足早あしばやに部屋を後にした。

仮題 “蒼天そうてんけるさくら
あらすじ
 る所に、たかこころざしたぐまれなる剣技をもって、悪逆非道を政者せいしゃを成敗する女剣士あり。
 その者、名をよしさくらとい
 桜は旅の中で、志を共にする仲間や強敵との邂逅かいこうを重ねるたびに、剣士として、また人としても成長していく。
 彼女と彼女の仲間たちによる活躍は、やがて時代を動かす大きなうねりとなって日本全土を巻き込んでいくこととなる⋯
 灰色の世界に、革命のつるぎかかげ立ち向かう乙女たちの王道漫活劇譚まんかつげきたんうご期待あれ!

 


いいなと思ったら応援しよう!