幕間 “ゴールデン” エイジ
豊玉こがねは、誕生日という節目に対して素直に喜べない一面を持っている。
老いは肉体の衰えを端的に象徴するもの。
肉体が衰えれば当然活動に支障が出るのは当然の事、活動時間もより制限されたものになる。
フィールドワークを常とする彼女にとって、誕生日はそれらを強く意識してしまう日なのである。
だからこがねは、誰かからそのお祝いを受けることにあまり前向きにはなれず、よほどの相手でない限りは避けたいと思っている節すらもある。
「そういえば⋯」
「そういえば?」
「こがねさん、誕生日おめでとうございます」
しかし、そんな彼女をなかなか一人にさせてくれない人物がいた。
可憐で清楚な雰囲気を漂わせつつ、背中にはアノマロカリスのリュックを背負ったギャップ溢れる少女、秋吉しずるである。
化石発掘を趣味とするしずるは、新たな発見を求めてこがねの調査について行くことも多く、またこがねにとっても、生物学に造詣が深いしずるの存在は、地層を調べる上でありがたいものだった。
「あ、ありがとうしずるちゃん」
太正100年12月10日。土曜日。
前日に期末テストも終わり、週末であるこの日。
しずるは、こがねと合流してとある山中に来ていた。
山の移り気な天気と、この時期の冷え込みの本格化を考慮し、日中に買い出しや調査の準備を済ませ、翌日の本調査に備えて、この日は早々に拠点にテントを張って一夜を過ごすプランを取っていた。
「あ、ごめんなさい⋯もしかしてこがねさんはこういうの⋯あんまり好きじゃなかった?」
「あ、あぁ良いのよ。気にしないで。ちょっとボーっとしてただけだからさ」
決して広いとは言えないテントの中。
互いの仕草や表情は否応なしに見えてしまう。
しずるの表情が少し曇るのを見て、こがねは慌てて取り繕った。
(はぁ⋯ほんとこういうとこよね。私の悪い癖)
(癖⋯っていうか感覚のズレって感じかしら)
だが、こがねがそうであるように、しずるもこがねの表情からなんとなく心の内を汲み取っていた。
「大丈夫⋯私もなんとなく、その気持ちわかる」
「理由は少し違うと思うけど、他の人と同じことをして同じように喜んだり悲しんだり⋯そういう“フツウ”っていうのが、私あんまり得意じゃないから」
「しずるちゃん⋯」
「私みたいに化石掘りが趣味の女の子って滅多に居ないでしょ?だから昔から周りの人にはなかなか理解されなくて、一人で過ごすことも多かったの」
こがねにはその感覚が痛いほど理解できた。
加工された煌びやかな宝石に目を輝かせることはあれど、土臭い場所に赴いて新エネルギーだの新資源だのの発見に情熱を注ぐ女性はそう多くない。
(きっと私も、“フツウ”じゃない部類になるんでしょうね⋯)
自覚は前々からあった。
それはこがねの鉱物への探究心を阻害する理由にはなり得なかったが、時折寂しさに似た感情が湧き上がる瞬間があったのは確かだった。
「けどね、今はそれが悪いことじゃなかったんだって思えるようになったんだ⋯」
「⋯どうして?」
「だって、帝国華撃団と出会えたから」
そう言い放つしずるの言葉は力強く、目の奥には確かな光があった。
「今までにも私のことを分かってくれる人はいたけど、帝国華撃団は皆がみんな違ってたから、“フツウ”だとかそうじゃないとか、そんなこと、入ってすぐにどうでも良くなったんだ」
帝国華撃団は全員が尖った個性の集まり。
大石やしの、きりんらに誘われて舞台女優となった彼女たちだが、各々が持つルーツも、元々抱いていた夢も全く違う。
だからしずるの個性は、別段忌避されるようなものではなかった。
「ここでは皆、他人と違う何かを持っていて、それは別に変なことじゃないんだ⋯って」
「⋯⋯そっか。そうよね」
こがねは噛み締めるように言葉を口にする。
最低限こなさなければならない事はもちろんあった。
だが、個々人の趣向に合わないものを強制されたり、また断ることで嫌われるといったことは、帝国華撃団ではなかった。
心の奥ではどう思ってるかは分からないが、現状を鑑みると、少なくともそんな自分を尊重し、許容してくれているのは確かなのだろう。
しずるの言葉を受けてこがねはそう結論し、同時に、胸の内につっかえていた何かが取れたような気がした。
「さて、そろそろご飯を作りましょうか」
こがねはテントの外に出て立ち上がった。
「私は木の枝を集めてくるから、しずるちゃんは食材の準備をお願いね」
「うん」
しずるに食材の準備を任せ、こがねは1人、アウトドア用の薪ストーブの燃料を確保するために、森の中へと入っていった。
(私もそろそろ、もう少し他人に目を向けないといけないかもね⋯)
(少なくとも、自分に向けられる好意くらい素直に受け取れないと、偏屈で感じの悪い奴って思われちゃうわよねぇ。いい年したお⋯)
「なーんてこと考える時点で歳取ったって感じるわー」
「⋯まあでも、それもそんなに悪くない、わよね?」
枯れ枝を拾いながら、こがねは小さな声で自分を諭すように語りかけた。
確かに、歳を取れば身体機能は衰えていく方向へ向かっていく。それは間違いない。
しかし、歳を取るということは決してマイナスばかりじゃないというのも紛れもない事実なのだ。
先のしずるとの会話の中で過去を振り返って、それと今の気持ちとを照らし合わせて、こがねはようやくそれを実感できたような気がした。
「うん。とりあえず料理する間はこれで持つかな」
他の人はもっと早く気づくことかもしれないけど、ずっと気づかないで終わってしまうよりは良い。
充分な量の枝を確保できたこがねは、両腕いっぱいに抱えたそれらを落とさないように気をつけながら、前向きな気持ちでしずるの待つテントに戻った。
「お待たせー」
「あ、こがねさん。お帰りなさい」
こがねがテントに戻ると、しずるは既に食材の切り分けを済ませていた。
こがねは抱えていた枝を地面に下ろすと、薪ストーブの中に着火剤と枯れ枝を入れ、火を付けた。
着火剤を通して枝に火が移り、ストーブの周囲の空気が暖かくなっていく。
「う〜ん、暖まるわねぇ」
風こそ吹いていないものの、この時期相応の寒さはあり、防寒着を着ていても寒さは感じざるを得ない。
故に、ストーブの暖かさは沁みるように心地良く、身体に暖かさを取り戻させてくれる。
「じゃあ、始めるね」
ストーブの台が温まった頃を見計らって、しずるは具材の入った鍋を台に乗せ、鍋用のスープを流し込んだ。
そのままフタをして煮込むこと十数分。
しずるは両手にミトンを付けて鍋の取っ手を掴み、煮込んでいる間に設営しておいたテーブルの上の鍋敷きに置いた。
フタを開けると湯気が立ち昇り、食欲をそそる良い匂いが広がった。
「美味しそうねー」
「私もお腹ペコペコ⋯」
二人は早速小皿と箸を出し、鍋を頬張った。
空腹が満たされ、ストーブと食べ物の熱で、身体の内も外もポカポカになっていく。
鍋の具材が少なくなったタイミングで、しずるは洗っておいたお米を鍋の中に入れてストーブの台に戻した。
「やっぱり冬は鍋が一番ねー」
「うん。栄養もたくさん摂れるし、良いよね」
「⋯⋯ねぇ、しずるちゃん」
締めのおじやまで食べ切り、食休みに入ったところで、こがねは不意に話を切り出した。
「なに?」
「もし良ければなんだけどさ、来年も私の誕生日⋯お祝いしてくれない?」
「え!?」
予想外の提案に、しずるは思わず驚いてしまった。
「良いの?こがねさん、それ嫌なんじゃなかったの?」
「別にお祝いされるのも悪くないかなって気がしてきたのよ。むしろ、なんで今まで頑なに嫌ってきたのかって感じでさ」
「それに、大切な友達の気持ちを裏切るようなことは⋯それだけはやっぱり嫌だなーって思ったのよ」
「だからしずるちゃんさえ良ければなんだけど⋯⋯」
「って、えぇ?!」
いつの間にか、しずるは涙ぐんでいた。
(な、なんで泣いてるのー?!)
「わ、私なにか悪いこと言っちゃった?」
「ううん、そうじゃなくて。そういうの、面と向かって言われるの慣れてないから⋯嬉しくて、つい⋯⋯」
しずるは気持ちを落ち着けて、目元に少し溜まっていた涙を拭った。
「あ!そうだ⋯渡すものがあったんだった」
「え?もしかしてプレゼントも用意してくれたの?」
「うん。ちょっと待ってて」
しずるは小走りでテントに戻ってバッグの中からプレゼントを取り出し、同じく小走りでこがねの元へと戻ってきた。
こがねは、プレゼントを持って戻ってくるしずるの姿に期待を膨らませる。
「はい⋯コレ」
「──────────ッ!!!!!」
しずるが差し出したものを受け取ったこがねは、声にならない叫びを上げ、椅子に背中を預け、天を仰ぐような体勢で失神した。
「あれ⋯⋯こがねさん?こがねさん!」
しずるは失神したこがねの身体を何度か揺さぶってみたものの、彼女が意識を取り戻す気配はまるでなかった。
しずるがこがねに渡した物は、古代生物ピカイアのキーホルダーだった。
二本の触覚と流線形の体を持つピカイアは、こがねの大嫌いなナメクジを彷彿とさせるフォルムをしている。
樹脂で出来たピカイアのボディは、光沢感とその感触も相まって、キーホルダーを手に取ったこがねを反射的に勘違いさせるには充分な破壊力だった。
そしてこの日、豊玉こがねの苦手なものにピカイアが追加されたのは言うまでもなかった。