梅林編 第二章第四話

第二章第四話 夜明けのち晴れ


 上階から食料を取ってきた3人は、霊子ドレスを脱いで、ダラダラと飲み食いと雑談をしながら、梅林がセキュリティルームから出てくるのを待っていた。
「ばいちゃん遅いねー」
「でもこういうのって時間かかるんじゃないすかね?」
「かもね⋯⋯じゃあアタシ、ちょっと見てくるニャ」
 かしえは立ち上がり、セキュリティルームの扉を開けて、様々な電子機器類が立ち並ぶ室内を進んでいく。
 かしえの視線の先、部屋の最奥さいおう、塔の中央部を見渡せる窓際の席に梅林の姿があった。
「バイリン、まだ時間がかかるニャ?」
「もうすぐ終わるところだ。かしえ、2人を呼んできてくれないか?この後の説明をする」
「⋯わかった。とりあえず呼んでくるニャ」
 この後は運転システムにむつはのプログラムを入れるだけのはず。これ以上説明する事があるのだろうか。
 そう思いつつも、かしえは梅林に言われた通り、2人を呼びに戻った。
(でも、梅林は理由もなしにあんな事を言うタイプじゃないニャ。きっと何かあるニャ)


「バイリン、2人を連れてきたニャ」
「来たか」
 それから程なくして、かしえはうちかとあおを連れて部屋に戻ってきた。
「バイリン殿、説明ってなんでありますか?」
「そうだな⋯まずは窓の向こうを見てくれ」
 そう言って、梅林は窓を指差した。
 窓の向こうには塔の中央部全体が見えていた。
 少し目線を下に向ければ、コントロールパネルや霊力貯蔵層も視認できる。
「あれが今回の作戦の最終目標でありますよね?」
 うちかはコントロールパネルがある所を指差して、梅林に確認する。
「ああそうだ。だが問題はアレ・・だ」
 梅林は、うちかが指差した方向とは逆の方向にあるものを指差した。
 その先には、沈黙する1機の大型機兵の姿があった。
「あの機兵さん、なんとなくだけどばいちゃんのに似てるねー」
 あおは修行中に、梅林がリヴァイアサンをメンテナンスをしているのを軽く一度見ただけで、正確なフォルムこそ覚えていなかったが、その感覚は正しかった。
「ああ、恐らく俺のリヴァイアサンの兄弟機と言ったところだろう」
「もしかしなくてもアレって、無理なやつ・・・・・ニャ?」
 セキュリティを完全に掌握した上でこの話が出てくる時点で、かしえは事のおおよそを察し、梅林に問題の焦点となる言葉を投げかけた。
「その通りだ。アレはここのセキュリティの制御下から完全に切り離されている」
「やっぱりニャ⋯」
「ここの記録ログによると、どうやらあの機兵はプログラムに問題があったために実用化が見送られ、流れ流れてここの防衛として運用することになったものらしい」
「問題って、一体何なんでありますか?」
記録ログに書かれた情報によると、“受けた命令は実行できるが、それ以外の損失をかえりみない行動を取る”“前述の理由により、本機兵と連携した際の自軍損失大”だそうだ」
「え"ぇ"っ!?それって配備して大丈夫なやつなんですか?」
「まぁ、大丈夫か大丈夫でないか言えば、間違いなく大丈夫ではない方だろうな」
(で、ですよねー⋯⋯)
「だがアレをどうにかしない限り、コントロールパネルに近づくことはできない」
「でもどうするニャ?これ以上派手にやっちゃったら流石にマズいんじゃないかニャ?」
 今回の作戦はあくまで潜入作戦というていだ。後に霊力塔へ施した工作がバレることになっても、なるべく痕跡は残したくない。
 その観点からかしえは、先程の戦闘の件もあり、これ以上の作戦続行は困難だと思い始めていた。
「いや、逆に俺はこの状況が好都合だと思っている」
 だが、かしえの思いとは裏腹に、梅林の口から出た言葉はポジティブなものだった。
「えっ?」
「今までに倒した機兵の数が多くなければ、使われていない部屋や生産プラントにある破砕機に押し込んで処理する予定だったが⋯」
「さっき結構な数倒しちゃいましたからね⋯」
 セキュリティルーム周辺には、先程うちかたちが倒した機兵の残骸が多く転がっている。
 通常ではあり得ない数の機兵が1ヶ所に、しかもセキュリティルーム前に集中して倒れているとなれば、誤作動を起こした機兵の同士討ちとは思う人はいないだろう。
 それらの痕跡を消すにしても相当の時間を要する。来るべき決戦の時に向けて、1秒でも早く、1人でも多くの仲間を集めなければいけない梅林たちにとって、それに時間を費やす余裕はない。
「ああ。だからあの機兵の危険性を利用する。奴を存分に暴れさせ、俺たちが施設内に残した痕跡を“暴走した機兵による施設の破壊”に偽装させてもらう。少なくとも、ぐちゃぐちゃになった塔内を検証するのに手を焼かせることはできるだろう」
「なるほど。バイリン、何か考えはあるニャ?」
「もちろんだ。だが仕込み・・・は必要だ。お前たちの準備ができたら早速取り掛かるぞ」
「「「了解!」」」


 それから少しして、機兵撃破のための仕込みを終え、うちかはエレベーターの中にいた。
 既に地下4階には到着しているが、梅林からの合図を待って、まだ扉は開いていない。
「準備は良いか?」
 頃合いと見た梅林は、セキュリティルームから無線越しに2人に呼びかけた。
「OKであります!」
「よし。出撃のタイミングはお前に任せる。心の準備ができたら扉を開け」
「大丈夫でありますよバイリン殿。準備はもうできてるであります」
「⋯⋯立山うちか、行くであります!」
 うちかはエレベーターの扉を開けて、対面にあるコントロールパネルへ向かって走り出した。
 それに反応し、リヴァイアサン型の機兵はスリープモードを解いてうちかへと襲いかかった。
(バイリン殿から話は聞いてましたが⋯⋯)
「速いッ⋯!」
 リヴァイアサンとは元々、旧約聖書に登場する強大な力を持った海蛇の姿をした怪獣である。その名を冠する以上、この機兵はそれに恥じない性能を持っている。
 リヴァイアサンは機体の構造上、本体の防御力は他の大型機兵と較べてやや低めだが、攻撃範囲と俊敏性は他の追随を許さない。
 リヴァイアサンは、両腕の爪を振り回しながら、うちかへの接近を試みる。
「ひぃっ⋯!」
(実際に攻撃されると、思ってた以上にリーチが長くて怖いでありますぅー!)
 追いつかれたら文字通り八つ裂きにされかねない。
 そう思ったうちかは走行速度をもう1段階上げる。
 それに対応し、リヴァイアサンは素早く身体をひねり、物理攻撃の中で最大のリーチと攻撃範囲を持つ、尾による薙ぎ払い攻撃を繰り出した。
 走力のみではその攻撃から逃れられないと判断したうちかは、大きく跳躍し、その攻撃をかわす。そして宙空に浮いたまま弓を構え、カウンターの一撃をリヴァイアサンにお見舞いする。
 その一撃はリヴァイアサンの胴体に命中したが、水属性のリヴァイアサンに火属性のうちかの攻撃は当然通りが悪く、大きなダメージは与えられたようには見受けられなかった。
(けど⋯⋯)
「まだまだ!」
 それでもうちかは、着地と同時にすかさず二の矢三の矢を放つ。
 その後もリヴァイアサンと距離を取りつつ、攻撃を躱しながら隙を見て矢を打ち込んでいく。
(それで良い。大切なのはダメージよりも、奴にうちかを排除対象として認識させることだからな)
「かしえ!」
 リヴァイアサンの意識が完全にうちかへ向いたことを確認した梅林は、次の指示を飛ばす。
「いつでも大丈夫ニャ!」
 地下3階の外周通路で待機していたかしえは、梅林の言葉を受けて砲口を構えた。
「よし、では撃て!」
「行くニャーーー!!」
 梅林の合図と共に、かしえは生産プラントのある部屋の床方向へ向けて、特別狙いをつけずに連続で砲弾を撃ち込んだ。
 砲弾によって床を破壊したことにより、床と共に生産プラントの一部が瓦礫となって地下4階へと崩落する。
 瓦礫は大きな音と共に、粉塵を巻き上げながらコントロールパネルの側に斜面状に積み上がった。
 だがそんな事態となっても、リヴァイアサンはそれに一切構う事なく、うちかへの攻撃を続けていた。
「くはっ!」
 崩落してくる瓦礫に当たらないよう、かしえの砲撃音がしていた時から上に意識を分散させていたうちかは、ついに、尾の薙ぎ払いをまともに受けてしまった。
「う"っ⋯!」
 そのまま壁まで飛ばされたうちかは、ぶつかった衝撃で全身に痛みが走り、くぐもったうめき声を上げながらその場にうずくまってしまった。
「ゲホ⋯ゲホ⋯ぅぅ⋯⋯」
(吐きそうであります⋯それに、身体中が痛くて⋯力が入らない)
 属性相性によって霊力防御を相殺された上に、装甲の薄い二式ドレスでもろに攻撃を受けたのだ。
 うちかの体力が大きく削られたのは誰の目にも明らかだった。
 同威力の攻撃をあと一撃でも喰らったら、まず立ち上がれなくなるだろう。
(マ、マズいニャ!)
 うちかが立ち上がるまでの時間を稼ぐべく、かしえはリヴァイアサンに向けて援護射撃を放った。
 うちか同様、火属性であるかしえの攻撃も通常の攻撃では有効打にはならないが、リヴァイアサンの気を多少なりとも引くことはできる。
「うちか、今のうちに立て直すニャ!」
 かしえのげきを受け、うちかは気力を振り絞って立ち上がった。
「うちか、そこでの目的は達した。これ以上ジリ貧になる前に早く上がるんだ」
 地下4階でのうちかの役目は、リヴァイアサンに自分を排除対象として認識させることがメインであり、終着はその先にある。
「りょ⋯了解であります」
 うちかは、かしえの砲撃で釘付けになっているリヴァイアサンに注意を払いながら、地下3階へ上がるべく、瓦礫の山を目指して走り出す。
「あお、そっち・・・の準備は出来ているか?」
「うん、バッチリだよ!」
「よし。あおはそのまま連絡通路で待機。かしえもうちかが上がって来次きしだい連絡通路へ移動だ」
「「了解!」」
 梅林があおとかしえに指示を出し終えて間もなく、うちかは瓦礫の山を駆け昇り、地下3階へと到達する。
「うちか、最後のひと踏ん張りニャ。頑張るニャ」
 合流したうちかに激励の言葉をかけて、かしえは梅林の指示通り、自分の持ち場へと移動した。
「うちか、大丈夫か?」
「はぁ⋯はぁ⋯はい、なんとか」
 息を切らしながら、うちかは梅林に返事をする。
「限界が近いのは分かってるが、作戦の成否はこの後に懸かっている。頼む、あと少しだけ頑張ってくれ」
「大丈夫⋯であります。後は走るだけでありますから」
 うちかは呼吸を整えながら、階下から迫るリヴァイアサンを見据えた。
 そして、リヴァイアサンの頭が地下3階に出るタイミングで走り出した。


 通路で停止している機兵たちの隙間を縫い、時には飛び越し、時には壁を蹴りながら、うちかは外周通路を駆け抜けていく。
 その背中を捕らえるべく、リヴァイアサンも全速力で通路を進んでいく。
 しかし、その巨体が通路を進むためには、機兵たちを避けることはできず、両腕で払い除けるか、勢いに任せて強引に押しのけるしか選択肢がなかった。
 だがそれは、梅林たちが作戦前に行った仕込みによって仕向けられたものだった。
 そして、機兵と接触する度にそのボディが少しずつ青い汚れにまみれていった。
 それは、うちかが地下4階で戦っている間に、あおが事前に付けておいた、防御力減少効果を付与した液体が付着したものだった。
 外周通路を半周した辺りで、リヴァイアサンは、突如としてその動きを止めた。
「はっ、はっ⋯追いかけて来なくなった⋯でありますか?」
 息を弾ませながら、後方から金属音がしなくなった事に違和感を覚えたうちかは、足を止めて振り返った。
「バイリン殿。あの機兵、自分を追って来なくなったであります」
(どういう事だ?ここまでうちかを追いかけて来ておいて、突然動きを止めるのは不自然だ)
(プログラムに欠陥があるとはいえ、そんな事があり得るのだろうか?いや、仮にもここの警備として機能するようには調整をされているはず⋯)
(であれば⋯)
 梅林は自身の持つリヴァイアサンに関する知識から、1つの結論に辿り着く。
(マズい⋯⋯!)
「うちか、今すぐそこから逃げろ!どこでも良い、1番近い連絡通路に入るんだ!」
「りょ、了解でありますっ」
 梅林のただならぬ様子に、うちかは若干戸惑いながらも、再び走り出した。
 それから間もなくして、うちかの後方から大きな振動と轟音を伴って、濁流が押し寄せてきた。
「う、うわあぁああぁーーー!!」
 リヴァイアサンは、広範囲に霊力を放出する“フラッドリヴァイアサン”という切り札を持っている。
 本来は複数を相手取った時に使うものだが、通路に邪魔があってはうちかに追いつけないと判断したリヴァイアサンは、それらを一掃するためにこの技を発動したのだ。
 鉄くずとなった機兵と共に押し寄せる濁流が、猛スピードでうちかとの距離を詰めてくる。
「うおおおぉおぉーーー!!」
 うちかは近場の連絡通路へ、最短距離で飛び込んだ。
 それとほぼ同時に、濁流は凄まじい音を立てながら、先ほどまでうちかが居た場所を流れていった。
「はぁ⋯はぁ⋯はぁ⋯はぁ⋯間一髪、ギリギリセーフ⋯であります」
 うちかはヘトヘトになった身体をなんとか奮い立たせて、外周通路へと戻った。
 乱立していた機兵たちこ姿はなく、外周通路には金属部品やその欠片が僅かに転がっているのみだった。
 うちかはその中でも大きめなものを1つを拾って、わざと大きな音が出るように、それを床に叩きつけた。
 程なくして、うちかにとって聞き覚えのある駆動音が通路の奥から聞こえ出した。
 それに合わせてうちかも再び走り出す。
 受けたダメージと、度重なる疾走による疲労の蓄積により、うちかに先ほどまでの速度はない。
 このままでは、そう時間もかからず追いつかれてしまうことはうちか自身も分かっていた。だが、この追いかけっこの終わりはもう、すぐそこにあった。
(あそこまで走り切れば⋯⋯!)
 この逃走劇が始まった時からうちかが目指していたのは、2つのエレベーターを一直線に繋ぐ中央連絡通路だった。
 リヴァイアサンが迫る音を背中に感じながら、うちかは最後の気力を振り絞って中央連絡通路へと入る。
 その背後にピタリとつけるように、間を置かずにリヴァイアサンも連絡通路に進入する。
 少しだけ開けた中央部に差し掛かった辺りで、うちかは脇に伸びた他の連絡通路へと飛び込んだ。
 当然、それを逃すリヴァイアサンではない。
 追跡を続行するべく、すかさず方向転換のために身体を捻った。
 だがその視線の先にあったのは、ドリーミードロゥを大きく振りかぶったあおの姿だった。
「たりゃああぁーーー!!」
 フルスイングした一撃は、リヴァイアサンの頭部を破損させ、同時に防御力減少効果のついた液体をさらに付着させることに成功する。
「2人ともよく頑張ったニャ。後は任せるニャ!」
 中央連絡通路の奥には、かしえのドレス最大の火力を持つ、右腕部の大型砲門を構えたかしえの姿があった。
 尋常でない霊力を感じ取ったリヴァイアサンは、予測される事態を避けるべく、脇の通路へ即座に逃れようとした。
 だが、うちかとあおが陣取る連絡通路以外は、全て機兵の山で塞がれていた。
「ククク、溜めの大きい攻撃を当てようという時に、逃げ道を与える訳がないだろう?」
(うちかとの戦闘。度重なる防御力減少。その上フラッドリヴァイアサンまで使ったのだ。ここまで削れたならば、いかに相性が悪くとも、かしえの超火力で押し切れるはずだ)
「全ての条件は整った。撃て、かしえ!」
「ブッ放すニャーーー!!」
 かしえがトリガーを引くと、高出力の霊力波がリヴァイアサンへと放たれた。
「通路幅いっぱいのエネルギー放射だ。その巨体で避ける術はない」
 凄まじい音と共に、赤白い閃光がリヴァイアサンを直撃する。
 圧倒的な質量の波に押され、リヴァイアサンの身体は徐々に後退を始めた。
 だが、それから十数秒が経ってもなお、リヴァイアサンは一向いっこうに倒れる気配がない。
「ま、まだ倒れないニャ?」
 大量に霊力を消費する決め技。
 当然そう長くは持続できない。かしえの表情にも焦りが見え始める。
 そしてついに、リヴァイアサンは前進を始めた。
 予想外の展開に、監視カメラ越しに事の推移を見ていた梅林も驚きを隠せなかった。
 原因を確かめるべく、梅林は手元のパネルを操作し、リヴァイアサンにフォーカスして映像を拡大した。
「バリアかっ⋯!」
 そこに映し出されていたのは、リヴァイアサンの左腕から前方に張られたバリアだった。
 それがハニカム構造状に展開され、攻撃の威力を大きく減衰させていたのだ。
(俺のリヴァイアサンには実装されていなかった能力。欠陥機体とはいえ、拠点防衛用にちゃんと改造されていたか)
 このまま接近されれば、かしえは大きく消耗した状態で不利な近接戦闘に持ち込まれてしまう。
 そうなれば、かしえの敗北はほぼ必至だろう。
「それでも、まだ俺たちは負けたわけじゃない」
 限界を迎えているうちか。
 攻撃中で身動きの取れないかしえ。
 戦闘手段を持っていない梅林。
 だが、それで梅林たちの手札が尽きたわけではない。
「あお!」
 だから梅林は、最後のカードである者の名を呼んだ。
「うん!」
 梅林の指示により後方支援に回っていたあおだが、それはあくまで戦闘経験値の差を考慮してのことであり、うちかやかしえと較べて著しく能力が劣っているからという訳ではない。
(それに、リヴァイアサンとの属性相性を加味すると、攻撃性能が高くない[優海]でも、通り・・は悪くないはずだ)
 だから、うちかが動けなくなった時、あおがかしえのリカバリーに入ることは事前に決めていたことだった。
(多分、ちょっとじゃ足りないよね⋯)
 梅林の合図と共に中央通路へと飛び出したあおは、おもむろに足元を赤く塗り潰し、その上に立って触れることで、自身を対象に効果を付与した。
 赤色に込めた効果は“攻撃力”と“攻撃速度”の上昇。
 決して高いとは言えない自身のドレスの攻撃力を底上げするためである。
 そうして、残量の少なくなっていたカートリッジを使い切り、新たなカートリッジをドリーミードロゥに取り付ける。
 これまでの戦闘とフロア中の機兵に塗り付けた分、そして今しがた使った分を合わせて2本を使ったため、これが最後の1本となる。
「だけど、全部・・ならっ⋯⋯!」
 だが、バリアを展開したリヴァイアサンに生半可な攻撃は通用しないと判断したあおは、今持てる力の全てをカートリッジ内の液体に注ぎ込み、それを筆先へと集約させた。
「キレイな“あお”に⋯」
 大上段に振りかぶり、振り下ろす刹那、あおの口から出た言葉は怒りや憎しみではなく、純粋な願いだった。
「なぁーー⋯」
 澄み渡る青空と皆の笑顔が溢れる光景。
 それがこの先の未来で成就すること、それだけを思い描いて、あおは渾身こんしんの一撃を放った。
「れっ!!!」
 あおの霊力ありったけを注ぎ込んだそれは、青い鳥となって猛スピードで飛んでいく。
 背後から迫る新たな脅威に反応し、リヴァイアサンは空いている右腕をかざし、後方にもバリアを展開した。
 だが、そのくちばしがバリアと衝突すると、激しい摩擦音を上げながら間もなくバリアの表層が揺らぎ始めた。
 付与した能力は“防御力”と“運動機能”低下。
 2つのデバフ能力の相乗効果により、バリア自体の強度を下げつつ、バリアへの霊力供給の流れを緩やかにすることで霊子の結合を阻害し、加速度的にバリアの機能を低下させていく。
「もう⋯頑張らなくていいんだよ」
 間もなく嘴を中心にバリアに亀裂が入り、リヴァイアサンの防御は完全に崩壊した。
 バリアを突破した青い鳥は、リヴァイアサンの右腕部を吹き飛ばすと同時にはじけ、その巨大な体躯のほとんどを青く染め上げた。
 全身に強力なデバフ効果を受け、その身に起きた急激な変化がリヴァイアサンを停止フリーズさせた。
 それは数瞬の間の出来事でしかなかったが、停止フリーズしたということは、その間、かしえの攻撃を受け止めていたもう一方のバリアも消失していたことを意味する。
 だから、機能が回復した時には、既に赤い閃光がリヴァイアサンの身体を包み込んでいた。
 強力な霊力波を浴びた全身は黒くすすけ、主要回路がその熱で致命的なダメージを負ったことで、リヴァイアサンは遂にその機能を停止した。
「はぁ、はぁ⋯⋯ふぅ、なんとかなったニャ」
 息を切らしながら、かしえはひたいを流れる玉のような汗をぬぐった。
「おつかれー、かっしー」
「あおのアシストがなかったら終わってたニャ。ありがとうニャ。助かったニャ」
「それだけ喋れるなら大丈夫そうだな」
「あ、ばいちゃん!」
 かしえとあおがひと息をついているところに、セキュリティルームから梅林が顔を出した。
「皆ご苦労だった。ところでうちかは⋯」
 うちかの姿が見当たらないことを不思議に思った梅林だったが、中央通路を少し進んでみると、程なくして脇の通路で伸びているところを発見した。
「ふ⋯まあ、無理もないか」
 重い攻撃をその身に受けた上で長い距離を全力疾走をしたのだ。
 このメンバーの中で、誰よりも肉体的に疲弊ひへいしているのが彼女であることは誰の目から見ても明らかだった。
 だから梅林は、うちかに声を掛けることはせず、そのまま通路を引き返した。
 そして、ねぎらいの言葉をそこそこに、この作戦の最終目標である半無力化プログラムを組み込むために、エレベーターに乗って地下4階へ降りていった。

 それから少しして、梅林は地下3階へと戻ってきた。
「あ、バイリン殿」
「おかえりー」
「だいぶ回復したようだな、うちか」
 リヴァイアサンを撃破した時点では通路で疲れ果てていたうちかだったが、少し時間を置いたことで、起き上がって会話ができるまでに回復していた。
「まぁ立って歩けるくらいには。まだ所々痛いですが」
「プログラムの方は大丈夫だったニャ?」
「ああ。問題なく組み込むことができた。じきに周辺地域の人々の症状も改善していくだろう」
「じゃあ⋯⋯」
「そうだ、作戦は成功だ。皆、よくやった」
「やったー!」
 喜びに包まれる3人を傍目はために、梅林は左手首につけている腕時計に目をやった。
 そして、視線はそのままに3人に声を掛けた。
「喜んでいるところ悪いのだが、あおを送ることまで考えたらもう時間的猶予があまりない。とりあえずここから引き上げるぞ」
 時刻は既に午前4時を回っていた。
 農家の朝は早い。
 午前6時にもなれば、あおの両親を含め、多くの近隣の住民は農作業の準備のために起床してくるだろう。
 その時にあおが居なければ、周辺地域は大騒ぎになってしまう。
 だから、あおを家に送り届けるまでの時間を考慮すると、梅林たちがここに留まる時間はもうあまり残されていないのである。
 度重なる疲労で身体が倦怠感に包まれている3人は、半ば気の抜けた声で了解の返事をして立ち上がった。
「早く帰ってシャワー浴びたいニャー」
「自分はお布団でぐっすり眠りたいであります」
 かしえとうちかは、1秒でも速くキャンプ地へ戻って休みたい一心から、重い脚を引きずりながらも、我先われさきにとエレベーターと向かって行く。
「あお」
 それに少し遅れてついて行こうとするあおを、梅林は引き留めた。
「なぁに?ばいちゃん」
 梅林は、少し前までリヴァイアサンだった金属の塊を横目に見ながら、あおに1つ疑問を投げかけた。
「お前はリヴァイアサンこいつに言っていたな、“もう頑張らなくていい”と。あれは一体どういう意味だったんだ?」
「んーとね、んーと⋯⋯」
「なんとなく、かな」
「なんとなく?」
「うん。なんとなくね、この子がちょっと辛そうに見えたんだ。本当に⋯なんとなくだけどね」
 それ以上、あおは何も言わなかった。
「そうか⋯」
 梅林もそれ以上言及することはなかった。
 何がえたのかは、あおにしか分からない。
 だが、リヴァイアサンに向けるあおの憐憫の表情が、それがおおよそどんなものであったかを物語っていた。
(恐らく、上手く言語化できるほどしっかりしたものでもないのだろう)
(だがそうだな。こいつの人生⋯いや、機生と言うべきか。それは良いものだったとは言えないんだろうな)
 次世代の戦力として生み出されたにも関わらず、一度も実戦に出ることはなく、欠陥機体のリサイクルとしてこの地の非常防衛用に追いやられた。
(そして今日、完全にお役御免というわけだ)
 誰かの意図によって役目を与えられ、それを果たす能力がないと判断されたら切り捨てられる。
 試験的に作られた機械がそうなるのは珍しいことではないが、そんなこの機兵の境遇に、梅林は自分と似たものを感じていた。
 しかも、その流れを作ったのはしくも同じ人物。
 それも含めて考えると、より一層込み上げてくるものがあった。
 少しの間目を閉じて思考を巡らせたのち、ある事を思い立った梅林は、リュックからバールを取り出した。
「ばいちゃん、何をする気なの?」
「俺のリヴァイアサンに使えるかもしれないと思って⋯な!」
 そして、破損して一部が露出しているリヴァイアサンの頭部に突き立てた。
「え?」
「もしこいつの記憶装置が無事なら、そこに入っているプログラムを使って、俺のリヴァイアサンもバリアが使えるようになる可能性がある」
「取り出すにはもう少し時間がかかるから、先に行っててくれ。呼び留めてすまなかったな」
「ううん、大丈夫だよ。わかった、先に行ってるね」
 発掘作業をする梅林を背にして、あおはエレベーターに向かった。
 霊力を大量に消耗した疲労感で身体は未だ重いが、あおは、心なしか自分の足取りが軽いような気がした。


 その後、3人と合流した梅林は早速青雷号を走らせてあおを家に送り届け、かしえ、うちかと共にキャンプ地に戻った。
 あおは家で、かしえとうちかはキャンプ地で、それぞれがそれぞれの場所で、心地良い達成感に包まれながら泥のように眠った。
 それは梅林も同じで、むつはときりんに作戦の結果を報告してすぐに、椅子に座ったままキャンプテーブルの上に上体を預けて寝落ちしてしまった。
 夜の帳が上がり、昇り始めた朝陽は梅林の寝顔を優しく照らした。
 空は、久方ぶりの雲ひとつない快晴だった。


第二章第五話へつづく。

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