幕間 gratitude
太正101年10月27日。
美瑛ななこは地元、北海道旭川市の動物園にいた。
日本奪還、ひいては帝都の復興もひと段落つき、帝国華撃団・宙組としてやる事がほぼほぼなくなったため、入団前に働いていた動物園のスタッフに復帰したのだ。
今日は他でもないななこの誕生日であるが、同時に土曜日⋯つまり週末である。
当然、動物園は家族連れを中心に、たくさんの人たちで賑わっている。
よほどの理由がない限り、そんな時にスタッフが休めるはずもなく、ななこは通常通り仕事をこなしていた。
北海道という土地の位置の関係上、わざわざ誕生日を祝いに赴いてくれる人は限られてくる。
他の地方から来る人にならば、それは尚のこと。
そのことはななこ自身も理解している。
だがななこは、それを特別悲しいことだとは思っていない。
動物園の仕事は大好きだし、華撃団の全員と一人残らず親密な間柄を築いているわけでもない。
むしろそこまでの関係を築けるような人は、自分の言動や性格からして少ないだろうと自覚もしている。
だから強がりでもなんでもなく、ななこは今日という日を、いつもの週末と変わらない感覚で過ごしている。
「おねーさん!あのブラシで絵描くやつやってー」
ななこが園内の掃除をしているところに、数人の子どもたちがやってきて、その内の一人が声をかけた。
「いいですよー。何を描きましょうか?」
ななこは、この動物園に来園する人の中では名の知れたスタッフであり、彼女のデッキブラシアートやショーを観るためにやって来るお客さんも少なくない。
「うーん⋯⋯じゃあライオンさん!」
「かしこまりました。では⋯⋯」
ななこは慣れた手つきでデッキブラシの毛先を器用に操り、地面には水の滲みによってできたライオンの顔が浮かび上がっていく。
その様子を、子どもたちは目をキラキラさせながら眺めていた。
ななこは、その視線を感じながら絵を描くのが堪らなく好きだった。
自分のパフォーマンスで人が喜ぶ姿を見るのは、エンターテイナー気質であるななこにとってこの上なく嬉しいことだった。
「ふぅ⋯こんな感じでいかがでしょうか」
数分後。そこには迫力あるライオンの顔があった。
描き上がる頃には子どもたちだけでなく、ななこの周囲を取り囲むほどの人だかりができていた。
集まった人々は、ななこの技術に感嘆の声を漏らしながら、各々のカメラでななこの描いたライオンを写真に収める。
「おねーさんありがとう!」
「ふふ、またいつでも声をかけてくださいねー」
写真撮影がひと段落し、ななこにライオンの絵をリクエストした子どもたちも両親の元に戻っていく。
元気に手を振ってバイバイをする子どもたちに、ななこは笑顔で小さく手を振って返した。
その後、掃除用具を片付けてから休憩を少し挟み、ななこは次の仕事として動物たちの餌やりを始めた。
ななこは大好きなキタキツネを始め、多くの動物たちと触れ合えるこの時間が特に好きだった。
だが、常にエンターテインメントを心がけているななこは、ただの餌やりで終わらせはしない。
一列に置いた餌を端から順番に食べさせたり、放り投げた餌をキャッチさせたり、時にはななこ自身の身体能力を活かした、動物とのちょっとしたショーを行ったりもする。
餌やりを終えた後は動物の鳴き真似を披露したり、その日のショーを担当するスタッフの裏方に回ったり⋯⋯
決して楽な仕事ではないため、確かな疲労の蓄積こそあるものの、そうして忙しくも充実した一日はあっという間に流れていった。
閉園時間となり、他のスタッフが帰った後、ななこは残って戸締りを進めていた。
鍵のかけ忘れがないかはもちろん、動物たちの様子に変化がないかもしっかりと見て回る。
一通りチェックし終えたななこは、帰り支度を済ませ職員用の出口から動物園の外に出た。
「あー良かった。まだ居た」
その時、近くから女性の声がした。
戸締りをする自分以外はもう園に残っていないはずだが、忘れ物した人でも居るのだろうか。
そう思って声のした方向を振り向くと、そこには十字街まなの姿があった。
「まな!?」
「や!久しぶりだね、ななこ」
昨年、帝都の実情を撮った写真を発表したのを機に、ここ1年でまなは写真家としての知名度を上げた。
それからは今まで以上に活動の幅を広げ、企業からの依頼を受けることも多くなった。
それにより相対的にななこと会う時間は少なくなり、ここ最近はたまにメールで連絡を取る程度だった。
「確か⋯帝都に居たはずじゃなかったんですか?」
「そうだね。今日の午前中までは帝都に居たよ」
「なら、移動で結構疲れているんじゃないですか?」
「それはまあそうなんだけどさ、コレだけは今日中に渡さないといけないかなーって思ってさ」
まなは手元にあるキャリーケースを右手でポンポンと叩いた。
「⋯⋯?」
と、ななこにはそれが何であるか、まるで見当がつかなかった。
「まあまあ。見てのお楽しみってね」
まなはキャリーケースをそっと横に倒して留め具を外すと、中に入っていたある物を取り出した。
「はい、どーぞ」
まなから手渡されたソレは、可愛らしい動物のレリーフが彫られた、木彫りの小さな箱だった。
「買った場所が帝都の動物園だったから、特別ラッピングとかされてないけど、それは許して!」
そう言って、まなは両手を勢いよく顔の前でパンと叩き合わせた。
「コレ、まなが買ってくれたんですか?」
「箱だけはね」
「箱だけは?」
まなの意味深な言葉の意味を確かめるべく、ななこは箱の蓋を開けた。
箱の中に入っていたのは、沢山の写真と手紙だった。
写真には見知らぬ人や動物たちが写っており、手紙の方はお洒落な封筒に入った丁寧なものから、動物園に送られた要望書のようなものまで様々なものがあった。
手に取って目を通してみると、綴られている文字は大人が書いたような繊細なものから、行の枠を無視して太い鉛筆で書き殴ったような、子どもが書いたと思われるものまで⋯⋯幅広い世代の人たちによって書かれたことを感じさせるものだった。
「まな⋯⋯これは?」
「ななこ宛ての内容だから私は見てないけど、感謝状やお客さんのリクエストだって。あと私が撮った写真がいくつか」
「はあ。どうしてまたこのタイミングで?」
「帝都で依頼された内容が“動物と人”ってテーマでさ。その中で動物園の飼育員さんたちと写真を撮ったり対談することなって、それで北海道出身だって話したらななこのことを聞かれたんだ」
ななこは昨年、帝都を離れるまで上野にある動物園のお手伝いをしに足繁く通っていた。
動物園は帝都決戦の地から近い場所にあったため、そこに居る動物たちの事が心配になり、少しでも役に立てればと足を運ぶ内に、暇を見つけてはそこのスタッフを手伝っていたのだ。
「それで知ってるって答えたら、それを渡すの頼まれちゃってさ」
「別にすぐ渡さなきゃいけない物ってワケじゃかったんだけど、どうせなら誕生日の方が良いかなって⋯」
「あれ⋯もしかしてななこ、泣きそうになってる?」
ななこは、表情こそいつもとあまり変わらない様子だったが、心なしか少し大きく目を見開き、下唇を軽く噛むようにつぐんで震えているように見受けられた。
「い、いえ⋯そんなことはないですよ。ここ最近寒くてちょっと震えてしまっただけです」
ななこの瞳が微かに潤んでいることに気づいてたまなであったが、それを口には出さず、ななこが落ち着くまではそっと見守ることにした。
ある程度手紙に目を通したところで、ななこはそれらを箱の中に戻した。
「残りは⋯後でゆっくり読みます」
そして、目元を軽く拭ってから箱の蓋を閉じる。
その様子を見届けて、まなは再び切り出した。
「ななこ。ところで晩ご飯はまだ?」
「はい。まだ食べていませんよ」
「なら焼き肉とかどうかな。ななこ塩ホルモンとか好きだったでしょ?誕生日だし、奢ってあげるからさ」
「良いですね。では早速行きましょう」
他人の金で焼き肉が食べられるなら断る理由はない。
ななこは、まなの提案を快く受け入れた。
「けれどまな。何か魂胆がありますね?私のキツネさんレーダーがびんびんに反応してますよー」
だが、まなの中言葉に誕生祝い以外にも意図があると感じ取ったななこは、キツネ耳のついたカチューシャに沿って両手を立てながら、まなの顔をジッと見つめた。
「あはは⋯バレた?」
「まなとの付き合いも長くなってきましたからね。なんとなーく分かりますよ」
「それで、何が狙いなんですか?」
「うーん、狙いっていうかお願いっていうか⋯⋯」
「お願い、ですか?」
「いやーなんていうかな。その⋯今夜ななこの家に泊めて欲しいかなーって⋯」
「なるほど。そういうことですか」
ここ旭川市から、まなの住んでいる函館市まではそれなりに距離がある。
陽が沈んだ今からでは移動するのが億劫だと思ったまなは、ななこの家に泊めてもらう算段でいたのだ。
「わかりました。お手紙を届けてくれましたし、焼き肉も付くとあらば断るわけにはいきませんね」
「やった!」
「でも私の家はそんなに広くないですよ?一人暮らし用ですし」
「それでもホテルに泊まるより全然良い。私、ああいう所は1人だと気が休まらないタイプだからさ、それなら例え狭くても、知ってる誰かと一緒の方が安心できるの」
そう言いながら、まなはキャリーケースの留め具をかけて立て直し、外付けの取手部分を伸ばして、引いて歩ける状態に戻した。
「ボチボチお腹も減ってきたし、行きますか」
「そうですね。そうしましょう」
二人は市街地に向かって歩き出した。
「で、ななこ。手紙にはなんて書いてあったの?」
「それは⋯⋯流石に内緒です」
「絶対に?」
「絶対に、です」
「じゃあ写真の感想は聞かせてよね。風景以外を撮るのも結構上手くなったと思うんだよね、私」
「ふむふむ。では後ほどお手並み拝見といきましょう」
まなとこうして並んで歩くのはいつ振りだろうか。
ついこの間もあったようにも感じるし、随分と久しぶりなようにも感じる。
ななこは、最初の方こそ頭の片隅でそんなことを考えていたが、まなと他愛のない会話を交わす内に、そんなことは別にどうでも良いことだと思うようになっていった。
いつも一緒に居ることよりも、この関係が変わらずに続いていくことの方が自分たちにとって大切なのだと。
久しぶりに会ったまなの変わらぬ様子を見て、ななこはそれを強く感じた。
(まな⋯⋯)
「ありがとうございます」
「え⋯ななこ、どうしたの?急に」
「私がどうかしましたか?」
「いや今『ありがとうございます』って言ったじゃん」
「あ⋯⋯まなの聞き違いじゃないですか?」
「いーや、絶対言った!てゆーか「あ⋯⋯」ってなによ「あ⋯⋯」って」
だからななこは、ただ今日が、彼女と過ごすこの時間が少しでも長く続けば良いなと、そう思うのだった。