幕間 最明の双つ星

(ったく⋯土曜の朝だっていうのに⋯)
 クルミの安眠を妨害するかのごとく、スズメとカラスが不規則で不快なアンサンブルを奏でている。
「うっ⋯るさいわねぇ⋯」
 さすがに眠っていられなくなったから、仕方なくベッドから起床する。
「ふわぁ〜あぁ⋯⋯ふぅ⋯」
 寝ぼけまなこであくびをしながら、足取り重く冷蔵庫に水を取りに行くことにした。
ガチャッ⋯⋯
 冷蔵庫を開けると、飲料水と調味料以外のものはほとんど入っていなかった。
 しばらく買い物に行くのをサボってたツケだ。
「はぁ、買いに行かないといけない⋯か」
 ミネラルウォーターのペットボトルを1本取って、冷蔵庫の扉を閉める。
 そして、歩きながらかわいたのどに水を流し込み、ベッドの上に腰掛けて天井を眺めた。
 眠気の残る身体からだは軽い倦怠感けんたいかんに包まれていて、いかんせんやる気が起きない。
 普段ならもっと自分を律して動いているけど、そんなクルミでも、たまにはこういう日もある。
 ていうかないとたないでしょ、常識的に考えて。
 特に今日みたいな休日は尚更なおさら
 今日は太正103年2月8日の土曜日。
 つまり昨日は、この世界の至宝たる最明クルミ様の生誕を祝う歴史的に最も価値のある日だったわけ。
 お酒も飲んだし、高カロリーで身体に悪そうなものも沢山食べたわ。
 凄く美味しかったけど、普段身体に入れていないものを入れ過ぎるのはやっぱり良くない。
 まだ若干胃もたれしてるし、軽い二日酔いっぽい頭痛もする。
「とはいえ、このままボーッとして無為むいに休日を終えるのも骨頂こっちょう。とりあえずシャワーでも浴びるか⋯」
ガッ!
「⋯いったっ!」
 ベッドから立ち上がり、バスルームに向かおうとした矢先、足元にある箱に左足の小指をぶつけてしまった。
「くうぅ⋯⋯⋯」
 鋭い痛みに、クルミは思わずその場でうずくまらざるを得なかった。
 今、部屋には大小様々なプレゼントが散乱している。
 ま、クルミの偉大さを考えれば、それは当然のことなのだけれど、片付けるのが面倒なのが唯一の難点ね。
「あぁもうっ!この段ボール箱、相当どっしりしてるみたいだけど、一体何が入ってるのよ」
 クルミに余計なストレスを与えた物体が何なのか。
 その正体を確かめることを優先したクルミは、一旦バスルームに行くのを中断し、箱を開けてみた。
 中に入っていたのは、最高級のあきたこまちだった。
「あら、悪くないじゃない」
 肌に合わない化粧品とか、趣味じゃない置き物とか、クルミの趣向で当たり外れが生まれるものを送られるよりよっぽど良い。
 そういうのは、自分で探して本当に気に入った物を買うに限る。
 食べ物にしても、下手に下味したあじが付いていて高カロリーになっているものより、こういったものの方がありがたい。
「あきたこまちってことは、あの妙なダンスを布教してるやつが送ってくれたものかしら」
「確か“八森はちもり”とか言ったっけ」
 東北では結構言わせてる・・・・・らしいから、今度の講演を打診してみるのもアリか。
「⋯って、休日までそんなこと考えてないで、とっととシャワーを浴びるのよ、クルミは」

ザアアァアアアアァー⋯⋯
 温かい水が身体に当たるほどに、全身の血の巡りが良くなっていくのを感じる。
 それに伴って頭痛も少し和らぎ、鈍った思考もクリアになり、いつもの冴えを取り戻していく。
 昨晩しっかり身体と髪を洗ったから、ここでまた洗いすぎるのはかえって肌も髪も傷んでしまう。
 だからクルミは、身体が充分に温まったところで、軽くトリートメントシャンプーだけやって、早々にバスルームを出ることにした。
 身体と髪に付いた水分を拭き取って、脱衣所のタンスの中から部屋着用のTシャツとショートパンツを取り出して着替え、洗面台の前に置いてあるドライヤーのスイッチを入れて髪を乾かす。
 洗面台に映る自分の胸元には、筆で書き殴ったような文字で『火力ちからこそパワー』とデカデカと書かれている。
 これをクルミに贈ったのは言うまでもなくアイツ。
 そう、江田島えだじまかしえ。
 これは昨年もらったやつだけど、アイツは事あるごとに『弾幕は芸術アートだ』だの『大砲浪漫たいほうろまん火力かりょくあらし』だのと、訳の分からない文言もんごんが書かれたものを贈ってくる。
 はぁ⋯こんなの外で着れるワケないじゃない。
 当然、全部部屋着の引き出しにぶち込んでやったわ。
 全く、もっと外出に耐え得るものを寄越しなさいっての。アイツ絶対にクルミのことをめてるわ。
 近いうちに一度、キツいおきゅうえてやらないといけないわね。
ピンポーン⋯⋯
 呼び出し音がリビングの方から鳴った。
 ドライヤーを止め、ヘアゴムで髪を後ろにまとめながらインターホンの方へと向かう。
 流石に休日まで髪型をセットするのは面倒だから、オフの日はだいたいポニーテールにすることが多い。
 インターホンのカメラに映った人物を確認し、受話器を取ると、そこに映っていたのは見飽きるほどに見知った顔だった。
「今開けるわ」
 だからそれだけ言って、解錠かいじょうボタンを押して通話を切った。

 クルミの家はオートロックマンションだから、玄関の鍵を開けてすぐには人が入ってこない。
 待つこと2、3分ほど。
「や、クルミ」
 軽い挨拶あいさつと共に、くだんの人物がクルミの部屋に入ってきた。
「こんな日にまでうちに来て、何の用かしら?シヅキ」
 鵲裳からすきシヅキ。
 共にB.L.A.C.K.を創設した盟友であり、クルミの永遠の好敵手ライバル
「く⋯ふ、心配だから来たんだよ。君のことだから今回も・・・体調を崩してるんじゃないかなって思ってね」
 シヅキは昔からクルミの食生活を知っている。
 だから、昨日の食事内容から察して来てくれたその気持ち自体は嬉しいけど、生憎あいにく、クルミにはそういうの苦手なのよね。
「余計なお世話よ、シヅキ。自分のことは自分でなんとかできるわ」
「ぷ⋯ふふ。その様子だと大丈夫そうだね」
「そうよ。いつまでも豪勢ごうせいな物を食べる度にダウンしてるクルミじゃないわ!」
「⋯で、さっきからアンタがちょいちょい笑いをこらえてるのがバレてないとでも思ってるワケ?」
 所々口から空気が漏れてるし、その上身体も少し震えているから、流石に丸わかりよ。
 ていうか隠すないでしょ、こいつ。
「あっはは!バレた?」
「当たり前でしょ!」
「いや、随分ずいぶんと面白い格好してるなって思ってね」
 やっぱり⋯
 なんとなくそうかとは思ってたけど⋯
「貰い物なのよ。クルミのセンスじゃないけど、勿体もったいないから部屋着に使ってるだけ!文句ある?」
「いいや、ないよ。でも変わらないね、そういうとこ」
「な、なによ!?そういうとこって」
「散々言う割にはしっかり受け取るし、大抵のものは最後まで使う。そういう“なんだかんだ”なとこだよ」
最明の星トップスタァたる者、他者ひとの好意や期待を裏切らないのは当然。そこにそれ以上の感情はないわ」
「ふふ、そういうことにしておくよ」
(そう言うアンタも変わらないわよね、そういうとこ)
 演技に関してはクルミとの口論こうろんも辞さないくせに、乗っかる方が面白そうと思ったら妙に同調してくる、そういうとこ。
 まあそれはそれとして、やはり江田島かしえには近々鉄槌てっついくだしてやる。絶対に。
「そういえばクルミ。今日のお昼はどうするつもりなんだい?」
 やぶから棒に。シヅキはクルミに質問を投げかけた。
「冷蔵庫の中空っぽだし、仕方ないから買い物がてらに適当な店で済ますつもりよ」
「なら、一緒に付いて行っても良いかい?」
「別に構わないけど⋯1人ならともかく、クルミたち2人がそのまま並んで出歩いてたら流石に目立つわよ?」
 私たちの経歴や間柄あいだがらは世間に認知されてはいるけど、それでもプライベートで2人並んで歩いてのがバレると騒ぎ立てる面倒なやからは少なからず存在する。
 有名人ゆえの面倒なところよね。
「それもそうだね⋯失念していたよ」
「貰い物の服は沢山あるから、それでいいかしら?」
「ああ。助かるよ」
(うふふふふ⋯その言葉を待ってたわ)
 隙を見せたわね、シヅキ。クルミがこのまま笑わやられっぱなしだと思わないことね。

「クルミ⋯⋯この格好はなんだい?」
 シヅキには、部屋にあったデザイナーズセットアップをあてがってやった。
神子浜みこはまあせびがくれた“毛の生えたカエル”とかいうやつよ。カワイイでしょ?」
 かしえのプレゼントを見て、クルミが変わった路線のものが好きなのかと勘違いして神子浜がくれたやつ。
 当然クルミは、この手のものは別に好きじゃないし、カワイイとも思ってない。
 嫌いとまでは行かないけど、服を選ぶ時に考慮するポイントにはなり得ない。
 自分の家にいるのだから当たり前だけど、クルミは普通に私服に着替えた。
「体型が分かりにくい格好だし、キャップもあるからバッチリじゃない」
 見た目は所謂いわゆる、ラッパーがしてそうな服のセットアップだ。
「ど、どうしてもコレを着ないとダメかい?」
「そうよ。オーバーサイズでゆったり着れるのはソレしかないんだから」
 当たり前の話だけど、クルミへのプレゼントで贈られた服はクルミの体のサイズに合ったものがほとんど。
 だからクルミよりも体の大きいシヅキが着れるのは必然的にオーバーサイズのものになる。
 シヅキは震えていた。
 クルミの部屋着を見たときとは別の理由で。
 それはそうよね。
(これ以外にもあるけど、いっちばんダサさそうなやつを選んでやったんだから)
 そう。ソレしかないというのは嘘。
 でも、意外と似合っているのがまた面白いわね。
「まぁ?自前で持ってこなかったんだから、当然拒否権はないわよねぇ?」
「くっ⋯⋯!」
 良いわね。久しぶりね、この感覚。
 別に、シヅキと仲良くしたくないわけじゃないわ。
 クルミたちにとっては、こんな風に、他愛のないことでちょっかいを掛け合うのが割と日常茶飯事なのよ。
 クルミは、シヅキとこうして遠慮なくバチバチ殴り合うような掛け合いをしている時が1番楽しい。
「さあ行きましょう、シヅキ。美味しいご飯を食べに」
「クルミ、後で覚えておくんだね」
 普通だったら、こんな事を続けていたら多分絶好されてると思う。ていうかクルミだってそうする。
 でもそうならないのは、クルミたちが互いの全てを認め合っているから。
 そんな関係性になれる人に、人間の短い一生の中でどれほど巡り会えるというのかしら。1人も出会えずに死んでいくやつだって、きっと少なくないんじゃない?
 そう考えると、出会えたクルミはきっと運が良いんでしょうね。
 だから貴女あなたはずっと、クルミの横に並び立つ存在で居続けてよね。
 クルミがその位置を許すのは、貴女1人だけなんだから、シヅキ。


 
 

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