幕間 キャスト・ユア・シェル

 長門ながとなつみはロッカーである。
 もちろんそれは戸棚のことではなく、おのが魂を込めた言葉を音楽に乗せて叫び、人々に勇気と希望を与える存在のことである。
 そんな彼女は今、再建中の新帝国劇場のがくの一室で1人、頭を悩ませていた。
 太正100年9月18日──
 瓦礫や機兵の残骸などは粗方あらかた処理され、戦いの傷痕きずあとが癒え始めた帝都は、いよいよ本格的な復興へと踏み出す段階フェーズに入っていた。
 それに伴い、一部の乙女を除き、再スタート切るための来年春の公演に向けて、華撃団は本来の歌劇・・団としての活動を徐々に再開していた。
 なつみもその内の1人で、公演で演奏する楽曲の製作に取り掛かっていた。
 演出には“あの”最明クルミが携わることになり、短い期間とはいえ、彼女の強烈なキャラクターと妥協なき信念を目の当たりにしているなつみは、それに応えられるだけのクオリティを出そうと、頭をこねくり回す日々が続いていた。
 なつみは地べたで胡坐あぐらをかきながら、神妙なおもちで視線を譜面に向けていた。
「あ〜ダメだ、こんなんじゃチッとも熱くならねぇ!」
 良いメロディラインが思い浮かばないもどかしさに、ストレスでむずがゆくなった頭をきむしる。
 そんな譜面とにらめっこしているなつみの前に、ふと、ひとつの人影が落ちた。
「食べる?」
 影の主である少女は、なつみの顔の前に焼きまんじゅうを1串差し出した。まんじゅうにたっぷりと付いた甘辛い味噌ダレの匂いが、なつみのこうをくすぐる。

 ぎゅるるるる⋯

 特別派手な音ではなかったが、静まり返った室内に響き渡るには、なつみの腹のは充分な大きさだった。
 腹の音を聞かれても何が減るというわけでない、とは思うものの、それでも若干の気恥けはずかしさはある。
 なつみは顔を赤らめながら壁掛け時計に目をやると、時刻は間もなく午後の3時を指そうかというところだった。
 なつみは視線を少女の方へ戻し、己の食欲に素直に従うことに決めた。
「あはは⋯じゃあ、貰おうかな」
  なつみが焼きまんじゅうを受け取ると、それはカロリーを欲するおなかまたたく間に吸い込まれていった。
「まさかこんなに時間がってたとは思わなかったよ、ありがとな」
「ろういひゃふぃまひて」
 焼きまんじゅうをモグモグと頬張りながら、なつみの横に少女が座った。
 少女の名前は高崎つつじ。なつみと同じく、公演の楽曲を担当する乙女の1人である。
 ただし彼女はピアノを⋯つまりはクラシックを担当しており、なつみとは方向性の違うアーティストである。
「んで、何しに来たんだ?つつじ」
「おやつを食べながら歩いてたら、楽屋から悩み多い音が聞こえたから、ちょっと気になって入っただけ」
「なるほどね⋯そう、その通りだよ」
「まるで良い音楽が浮かばねぇんだ。ホント参っちまったよ」
「まあ、天才ピアニスト様にゃあ無縁の話か⋯」
 なつみはなかば皮肉まじりに言葉を放つ。
 地元ではそれなりに名が知られていたなつみだが、才能と努力に裏付けされた類い稀な実績を持っているつつじと比較してしまうと、羨望せんぼう嫉妬しっとの入り混じった感情がじんわりと、だが確かな熱を持って沸々ふつふつと、胸のうちから湧き上がるのを止めることは難しかった。
 もちろん、つつじに対して常時そんな清濁した感情を抱いているわけではないが、ストレスを溜め込んでいる今は、どうしてもネガティブな思考に陥ってしまう。
「そうでもないよ?」
 そう言ってから、残った焼きまんじゅうを平らげたつつじは、ペットボトルに入ったお茶を二口ほど飲んでひと息をついた。
 そして、先ほどのなつみの発言に対して特に苛立つ様子もなく、何一つ表情を変えずに語り出した。
「クラシックだからといっても、昔からある名曲をただなぞれば良いわけじゃないんだよ」
「人によって曲の解釈は違うし、音に乗せる気持ちが違えば鍵盤を叩く強さも変わる⋯いくらだって変わるの」
 別段大きな声ではない。だが、つつじの語る言葉には確かな重みが感じられた。
「それに歌劇だと、いつもの演奏と持つ意味合いが違うから、私も初めての経験⋯だから上手くできるかどうかは、正直まだなんとも言えない」
「でも、やれるだけのことはするつもり」
 なつみは、『こんなに苦しんでるのはきっと自分1人だけなんだ』と思い込んでいた、さっきまでの自分が恥ずかしくなった。
 自分より5歳も年下の少女がこのがいでいるのだ。しかも天才と称される程の存在が。
 恵まれた才や実績が伴えば、人はつい慢心してしまいがちになふものだが、つつじにはその様子が一切見当たらない。
 究極的に言えば、音楽には貴賎も勝ち負けもない。
 だが間違いなく“向き合う姿勢”においては、今の自分は戦う土俵にすら立っていないと言わざるを得ないことを、なつみはヒシヒシを感じた。
「つつじ⋯その、ゴメンな」
「ん?なにが?」
「いや、アタシがさっき言ったこと」
 うーん⋯と、なつみが言ったことを思い返すつつじ。
(ああ⋯多分アレかな?)
 と、つつじはそれらしきものに該当する言葉を思い出したが、それでも──
「別に、気にしてないよ」
「本当に?」
「本当に。全然気にしてないよ。誰だって後ろ向きな気持ちになっちゃうことはあるし、それに⋯」
「私はそういうの・・・・・慣れてるから」
「でもさ、言われて気持ちのいいもんじゃないだろ?」
「うん。でも皆がみんな、心の底から言ってることじゃないのも分かるから、大丈夫」
 コンクールでは賞の存在がある以上、優劣を決めることになる。賞を取れず、行き場を失った感情のはけ口を探したくなる人がいるのは当然だ。
 時には他人に、時には自分に。そういう感情をぶつけてくる人を、つつじは沢山見てきた。
 常人であれば、その負の言葉に釣られて心苦しくなってしまうだろうが、つつじには、あらゆる音からおおよその状態を読み取る能力がある。
 その能力が彼女に教えてくれたのは、負の言葉はその人の音楽にかける熱量の裏返しであるという事だった。
 だから、自分を妬み罵る人と対面したとしても、つつじがその人を避けたり、本質的に嫌いになるということは、余程のことがない限りなかった。
「なつみの出す音、私は好きだよ」
「え?」
「ジャンルが違うっていうのもあるかもしれないけど、私にはない力強さや自由さがあって⋯何より心から音楽を楽しんでる音がする」
「私はそういう表現の乗せ方がまだまだ未熟だから⋯なつみのことは、凄い尊敬してる」
「気ぃつかってお世辞せじなんて言わなくたって⋯」
「お世辞じゃない!」
 被せるように発されたつつじの言葉に、なつみは思わず気圧けおされた。
「今のなつみは、相手の顔をうかがうような、自分の気持ちを抑えつけたような窮屈きゅうくつな音を出してる」
「良いものを聴かせたいって思うことは悪いことじゃないけど、最後に乗せるのは自分の感情」
「だからそれが乗ってない音じゃ⋯聴きに来た人に本当の感動は与えられない」
「だからなつみには⋯なつみ自身が本当に歌いたいって思った曲を作って欲しい」
 『全国に一気に名前を売るチャンスだ』
 『でも失敗はできない』
 『アタシの音楽は受け入れてもらえるのか』
 『失敗してしまったらどうしよう』
 『皆に迷惑をかけてしまわないか』
 欲望と責任が胸の内で渦巻き、なつみにとっての音楽を見失わせ、雁字搦がんじがらめにしていた。
 だからなつみには、つつじの言葉が胸の奥で引っかかっていたものを、忘れかけていたものを代弁してくれたような気がした。
(そうだ、音楽ってそういうものじゃないか。歌ってるアタシ自身が楽しくなかったら⋯そんな曲じゃ、聴いてる人の心を動かすことなんてできるわけない)
「ダッセェな、アタシ⋯こんな当たり前のことを忘れてたなんてよ」
「本当に⋯ありがとうな、つつじ」
「うん。どういたしまして」
 表情にこそあまり出さなかったが、なつみの音が変わったのを感じて、つつじは内心とても喜んでいた。
「私の方こそ、年下なのに偉そうなこと言っちゃった。なつみの方がずっとお姉さんなのに」
「音楽に歳なんて関係ねぇよ。気にしてないさ」
「本当に?」
「本当に!」
 先ほどと同じ問いに対し、今度はお互いが逆の立場になったことに2人は気づき、思わずアハハと笑った。

「うし!決めたぜつつじ」
 なつみは立ち上がり、ある決心をした。
「アタシ、“ORANGE-ORANGE”の皆にもう一度声をかけてみるよ」
 ORANGE-ORANGEは、かつてなつみが結成していたガールズバンドだ。
 政府の芸能統制が敷かれたことを機に、やむなく解散となってしまったが、統制の解かれた今なら、メンバーが帰ってくるかもしれない⋯
 日本奪還を成したあの日から、その思いはなつみの中で密かにくすぶり続けていた。
 だがここは由緒ゆいしょある帝国歌劇団。同時に、歌劇団以外の人間をステージに入れていいものかと悩んでいた。
(でも、アタシが本当にやりたい音楽は⋯きっとアイツらと一緒じゃなきゃ始まらない気がするんだ)
「アタシはやっぱり、アイツらと一緒に音楽がしたい」
 なつみはもう、まだ起きてもいないことにおじ気付けづいて、自分の本当の気持ちをいつわるのをめにした。
「もちろんクルミにもその事は話す。話したところで全部上手く通るとは思ってないけど、まずは動かなきゃ始まんねーからな」
「じゃあ、私も一緒に行こうかな」
 なつみに感化されたつつじは、自身も腰を上げた。
「私もね、脚本にすきがあれば、“腹ぺこマーチ”を採用して欲しいなって思ってたところなの」
「へぇ〜そんなピアノ曲があるんだな」
「ううん。これは私が作曲した自信作」
 と、つつじは首を軽く横に振った後、自信に満ち溢れたドヤ顔を見せつけた。

 そして2人は、楽屋から劇場のろうに出た。
 劇場はまだ改装工事のまっただ中であり、防音処理のされた楽屋を出ると、工事の音がたんに大きくなる。
 途中、内装の工事をしている人たちに軽くしゃくをしながら、2人はクルミのいる部屋へと向かう。
「なあ、つつじ」
 その途中で、なつみは1つ、ふと思いつく。
「なに?」
「お前はお前で忙しいのは分かってるんだけどさ⋯」
「もし、新しくキーボードのパートとか作ったらさ、やってくれたりしないか?」
「無理」
「だよなぁ⋯」
「ふふっ⋯無理は嘘。考えておくね」





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