幕間 Journey to the Starry Sky

 夏休みが明け、見慣れた日常が戻ってきた。
 今年、星原そうかは15歳の中学3年生。つまりは高校受験を控えた受験生である。
 古今東西、小・中学生のという存在の大半は、おおよそ勉強が好きではない場合が多い。
 専門学校や大学のように、好きなことや興味のあることに没頭できる環境ならばいざ知らず、固定された科目を学習しなければいけないという環境は、それが好きでない者にとっては辛いものになることもしばしばだ。
 楽しかった長期休みが明けた直後のタイミングともなれば、それは尚のことだろう。
 しかし幸いにも、星原そうかにとって勉強は比較的苦痛ではない部類のものだった。何故ならば、己の夢に叶えるために必要不可欠なステップであるからだ。
 宇宙開発という、高次こうじかつ膨大ぼうだいな情報の収集と検証を求められる分野にたずさわるためには、高い能力と幅広い知識に加え、忍耐力も持ち合わせていなければならない。
 だから、中学レベルの勉強で根を上げているようでは無論、お話にならないのだ。
 その事を熟知している彼女は、志望校合格に向けて勉強を怠るようなことは決してしない。
「ふぅ⋯」
「流石に今日はもう疲れました⋯」
 とはいえ、そうかの体力も無限ではない。1日でやれる量には当然限界がある。
 時計を見ると、時刻は既に夜の11時を回っていた。
 今日は太正101年9月2日の日曜日。
 両親から直接のお祝いがあった以外は、電話やメールなどでのやり取りのみだったため、通常の日曜日とそれ程変わらず、日中から受験勉強にいそしんでいたのだ。
 そこに少し物寂しさを感じてしまうものの、自身が受験生であること、休み明けということを考えれば、それは致し方ないことだというのはそうかも理解していた。

 1階に降りたそうかは、冷蔵庫からスポーツドリンクを取って、その場でゴクゴクと疲れた身体に流し込んだ。
 それなりの時間集中し続けていた身体は、貪欲に糖分と水分を欲しており、500mlのペットボトルの中身はあっという間に半分以上がなくなってしまった。
 ひと息ついて、残りの分も流し込んだそうかは、いったん2階に戻って両親が寝ていることを確認した。
 それからまた1階に戻って、冷蔵庫から目に付いた適当な飲み物を取って、家の裏手から外に出た。
 気分転換にと、ふと、ある事を思い立ったのだ。

 静まり返った種子島の夜道を、腰に提げたライトの灯りで足元と前方を照らしながら歩いていく。
 太陽が出ていないといっても、日本特有の湿度の高さも相まって、まだまだ蒸し暑い日は続いていた。
 水分を補給しながら歩くこと十数分。そうかはお目当ての場所に着いた。
 そこは、かつて政府の無人機兵量産工場だった場所。
 以前に一度、しのたちと協力して生産ラインを止めるために破壊した場所だったが、秘匿性ひとくせいの高さに目を付けた大石司令の指示のもと、霊子ドレスの保管庫および整備工場として再建したのだ。
 昨年の戦い以降、新たに降鬼が現れることはなくなったが、いつまた人々の霊力を悪用する存在が現れ、それと共に降鬼が再発生するかは分からない。
 また、霊子ドレスのパワードスーツとしての性能が純粋に高いということもあり、霊力関連のみならず、必要な場面というのは出てくるだろう。
 そういった事態を想定し、有事の際にはいつでも使用できるよう、帝国華撃団の霊子ドレスは定期的に改修と整備が続けられていた。
「コンナ夜中ニクルトハ。ヒサシブリダナ、ソウカ」
「こんばんは、クマさん」
 この場所は今も昔も、平時は基本無人だ。
 何故なら、ここの管理者は喋るクマを筆頭としたクマ機兵たちだからだ。
 帝都決戦の後、自立して喋る機械であるクマはそのボディを元のサイズに戻して、再び種子島の地に戻ってきていた。
「えへへ⋯なんだか久々に霊子ドレスを着て飛びたくなってしまったんです」
「フム⋯ダガ明日、イヤ、正確ニハモウ今日カ。学校ガアルノダロウ?」
「少しの間だけですから、大丈夫ですよ」
 つまりは『寝ないで大丈夫なのか?』と、間接的に心配するクマを他所よそに、そうかは軽く言葉を返した。
「⋯⋯ハタシテ本当ニソウナルカナ?」
「え?それはどういうことですか?」
 深く考えずに出した言葉ではあったものの、予想外の返答がクマから返ってきたことで、そうかの頭の上には疑問符が浮かんだ。
「フフフ⋯スグニ判ル」
 工場内を進んでいく1人と1頭。
 種子島は宙組のドレスの保管だけでなく、大がかりな作業を極秘裏に行なう役割も担うようになっていた。
 そのため、そうかにとって見慣れない機材や用途の分からない作りかけの部品類がそこかしこに見られ、以前とは別物のように様変わりした工場に、そうかは目を輝かせた。
 こうした場所は、各地方の中継となる場所を中心に数ヶ所存在しており、そうかもその存在自体は知っていたが、それを目にするのは今日が初めてだった。
 歩くこと数分。
 保管庫に着くと、クマ早速その扉を開けた。
 そうかが庫内を見渡すと、その一角に霊子ドレスが並べられているのが目に入った。
「すごい⋯ちゃんとピカピカだぁ」
 使う必要がなくなってからしばらくった、そうかの相棒とも言える霊子ドレス[勇光]は、変わらぬ輝きを放っていた。
 早速ドレスに袖を通したそうかは、その着心地の懐かしさに思わず感動してしまった。
「うわぁ⋯やっぱりこのドレスを着るとワクワクします!」
 嬉しくなって、外へ向かう足も自然と小走りになる。
 外に出て早速、そうかはあの・・言葉を口にした。
「3⋯2⋯1⋯イグニッション!」
 ロケットの打ち上げを思わせるような霊力の噴射で、そうかの体が宙に舞い上がる。ただし、その上昇速度は以前とは較べものにならないレベルになっていた。
「うええぇえぇぇえぇーーーーー?!」
「フフフ⋯驚イタヨウダナ、ソウカ」
「ク、クマさん。これは一体!?」
「ソウカガ着ナクナッテシバラク経ッタアトモ、ドレスノ改良ハ続ケテイタノダ」
「N12ノスーツノ飛行キノウトBlue-Skyノ循環キコウヲ応用シテ造ラレタ新エンジンダ」
「霊子モレモ改善シテ、スイシン時ノロスモ大幅ニヘッテイル」
「スゴい!スゴいですクマさん!」
「霊力ノツヅクカギリ、自由ニソラヲ飛ビマワレルハズダ。タメシテミルトイイ」
「はい!」
 以前の[勇光]は霊子漏れによって機能不全が起こることがあり、出力を上げた際は安定性に欠く欠陥を抱えていたのだが、今はそれがないどころか速度、操作性、その他全ての面において性能が格段に向上していた。
 それは、上空に向かって上昇すればするほど、このまま宇宙まで手が届きそうな感覚さえも感じるほどに。
 その後、クマの予想通り、そうかの飛行は少しで済むことはなく、結局、霊子ドレスの性能チェックと星空の散歩を小一時間ほど満喫することとなった。

 地上に戻り、ドレスを脱いだそうかは、工場に併設されたシャワールームで汗を流した。
 シャワールームも、人が使用する機会がほとんどないにも関わらず、さび付きや汚れは全くなく、機兵たちの管理が行き届いている様子がそこかしこに見てとれた。
 シャワールームから出たそうかは、保管庫に平積みされている金属板の上に腰掛け、飲み物を片手にクマに話しかけた。
「クマさんたち、毎日ここを綺麗にしているんですね」
「ワレラハ機械ダカラナ。エネルギーサエアレバ動ケナクナルトイウコトハナイ」
 そしてクマは、霊子ドレスの間にある、ポツポツと不自然に空いた箇所を指差す。
「コガネヤシズルハ地質調査ノタメニ、ドレスヲ借リニココヘ時々クルコトガアルシ、ジッサイ、今日ハソウカガ使ッタダロウ?」
「それは⋯確かにそうですね」
「ナラバ、イツ使ワレテモ良イヨウニ、常ニココヲ完璧ナ状態ニシテオクコトガワレラノ仕事ダ」
「大層ナコトヲイッテルカモシレンガ、ワレハココガ、イザトイウ時ニ、ミナノ家ニナッテクレレバト思ッテイルノダ」
「家?」
「帝都決戦ニ参加シタトキ⋯ワレハココロノ奥デ、フタタビ死ヲカクゴシテイタノダ」
「ワレヲシッテイル少数イガイニハ、ワレノ存在ハ異常ニミエテモ仕方ガナイ。ソノヨウナ異分子ハ、用ガ済メバ消サレテモオカシクハナイダロウ、トナ⋯」
「ダガ、帝国華撃団ハワレヲ受ケイレテクレタ」
「ダカラ、今度ハワレガソレニむくイタイノダ」
「クマさん⋯」
 クマが懸念していたことは恐らく、正しい。
 自己進化を行ない、意思を持った機械が存在することは、少なくない人々に恐怖を与えかねない。
 実際、機械のシンギュラリティによる特異点を提唱したり、それによるディストピアの発生を恐れている学者も一定数存在する。
 そうなれば、クマの破壊を提唱する勢力が出てきてもなんら不思議ではない。
 そのため、喋るクマの存在は今もなおおおやけには秘匿ひとくされており、帝国華撃団以外の人間では、大石が信頼を置いているごく一部を除いてその存在を知らない。
「ソウカ、モウスグ1ジダ。サスガニソロソロ帰ッタホウガイイ」
「えぇ!?もうそんな時間なんですか?」
 室内の壁掛け時計に目をやると、時刻は0時50分を回っていた。
「そうですね⋯これ以上は寝不足になってしまいます」
 そうかは急いで身支度みじたくを整えると、気持ち足早に工場の入口に向かった。
「気ヲツケテカエレ、ソウカ」
「はい!」
 入口まで見送ってくれたクマに笑顔で返事をし、そうかは家への道を歩き出す。
 それを見届けたクマも、工場の方へときびすを返した。
 だが、間もなくそうかは足を止めた。
「クマさん」
 そうかは、クマに背中を向けたまま呼びかける。
 その声に応じて、クマも動きを止める。
「用がなくても⋯これからも時々、ここに遊びに来て良いですか?」
「⋯モチロンダ。イツデモコイ」
 クマも同様、そうかの方を向かずに短く返事だけ返すと、そのまま工場の奥へと戻っていった。
 そうかはその返事を受けて、再び歩き出す。
 クマの言葉に対する感情を口にこそしなかったが、そうかの足取りは自然と力強くなり、いつの間にか口角は上がっていた。

 かつてクマはそうかに、上ばかり見るのではなく、前を見ろと言った。そうすれば転ぶことはないと。
 遥か先ばかりを見て、足元をおろそかにしてしまうのは良くない。それは確かにその通りだ。
 だが目の前ばかりを見ていても、息が詰まりそうな時やくじけて倒れそうな時はある。そういう時にはやはり、上を見ることが一番自分を鼓舞こぶする力になるのだ。
 改良された[勇光]によって、かつてない高さから見た星空は、そうかにそれを改めて強く実感させた。
 上を⋯空を見上げれば、そこにはいつも星空が広がっている。
 空に輝く星々の煌めきは、自分が何を目指すのか⋯本当にやりたいことはなんなのか⋯その答えを再確認させてくれる。そして何より、決して焦る必要などないということを教えてくれる。
 太陽の光で、あるいは分厚い雲にさえぎられて地上から見えない時があっても、星々は消えてなくなったわけじゃない。
 例えその歩みがどれだけ遅くても、一歩一歩近づいて行くことができるのなら、いつだってその先で待っていてくれるのだから。

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