梅林編舞台裏 其の壱
記録ニ.九七五 求めるは、強き異彩の輝き
「ふむふむ⋯流石は政府の最高技術者殿。中々良く組めているじゃないか。だが廃棄予定の無人機だったからといって、ブラックボックスがおざなりなのは少々いただけないところだな⋯」
暗闇の中。モニターの光だけが光源となっている部屋の一角で、マウスホイールを弾きながら少女が呟く。
「コマンドに無駄な場所が所々あるな。バイリンには悪いが、最適化には少々時間がかかりそうだ」
そしてカタカタと軽快にキーボードを叩き、少女は解析したプログラムをより完成度の高いものへとブラッシュアップしていく。
その作業を進めて3分ほど時間が経つと、扉を隔てて少し離れた場所から、ピピピピッという繰り返しの電子音が鳴り出した。
「おっ!できたか」
少女はキーボードを叩く指を止め、立ち上がった。
自室の扉を開けてキッチンにたどり着くと、シンクの横に置かれた四角いプラスチック製の容器が、紙製のフタの隙間から小さく湯気を立てていた。
その隣で鳴り響くキッチンタイマーを止めた少女は、容器のフタの縁を剥がし、両手で容器を持ってシンクへと傾けた。
少女がその手に持っているのはカップ焼きそばの容器である。
縁に空いた穴から容器の中の熱湯が流れ出し、やがてシンクはベコンという音を立てて歪んだ。
そこから立ち昇る湯気を吸い込む少女の顔は、満面の笑みで溢れていた。
「やはりこの匂い、堪らないな」
少女は、このキャベツと麺のエキスが溶けた湯気の匂いを嗅ぐ瞬間が堪らなく好きだった。
完成が間近であることを目と鼻の両方で感じられるこの瞬間が、彼女に高揚感をもたらすのだ。
充分に湯切りができたことを確認してフタを取り去ると、少女は割り箸を割って、手慣れた手つきで素早く液体ソースとからしマヨネーズを麺に絡ませた。
そして、完成したカップ焼きそばを片手に、ウキウキしながら自室へと戻り、再びキーボードの前であぐらをかいた。
少女は早速、できたてのカップ焼きそばを勢いよくズルズルと啜った。
口の中に広がる濃厚なソースと、からしマヨネーズのまろやかでありつつも辛味の効いた味わいが、少女の味覚を心地良く刺激する。
油分で口内にしつこさを感じてきたところで、炭酸飲料を一気に流しこんでリセットし、再び麺を啜る。
その至福のループを繰り返していると、目の前のパソコンから通知音が鳴った。
少女は箸から手を離し、マウスを握って通知欄をクリックした。
『むつは。今、時間大丈夫か?』
デスクトップにビデオ通話画面が開き、そこに映し出されたのは、ガッシリとした体つきと左顎から頬にかけて1本大きな傷が特徴的な、白髪混じりの男性だった。
「ああ。まるひゃん、らいひょうぶだ」
(ああ。丸さん、大丈夫だ)
『まずは食べているものを飲み込め。話はそれからだ』
丸さんに指摘されたむつはは、カップ焼きそばを急いで咀嚼し、炭酸飲料を流し込んでひと息をついた。
『またカップ麺と炭酸飲料か。栄養バランスが偏るぞ。というかそんなに食ってて飽きんのか?』
「飽きないな。それと炭水化物以外の栄養はサプリやゼリー飲料で摂ってるから、まあ問題はなかろう」
『ちゃんと野菜から摂った方が良いと思うがなぁ⋯』
「1人暮らしの女子高生にとって野菜は結構割高だし、使い切るのが大変なんだよ。実家も農家ではないし、仕送りで来るのも期待できないしな」
むつはは親元を離れて、山形市内で1人暮らしをしている。
両親との折り合いが悪いわけではないが、極力自分と面識のある人間と関わらずに生活できる環境が欲しかった彼女は、高校進学を機に今春から1人暮らしを始めていた。
『ならせめて袋の焼きそばにしたらどうだ。アレじゃ駄目なのか?』
「あっちは具材も一緒に買わないといけないし、ソースも薄いじゃないか。その点カップ焼きそばは単体で完成されているし、洗い物もしなくて済むから経済的だ。総じて袋麺の方と較べて利点しかないのだよ」
そこまで力説したところで、むつはの表情が真面目なものへ変わった。
「それよりもだ、丸さん。そんな話をしに連絡してきたわけじゃないんだろう?時間は有限なのだ。効率的に使おうじゃないか」
『確かにそうだな、だいぶ話が逸れちまった。じゃあ本題に入るぞ』
そう言って、丸さんはひと呼吸おいてから本題を切り出した。
『話というのはお前の霊子ドレス、[夢光]の仕様についてなんだが⋯』
「何か問題でもあったのか?」
『大アリだ。とりあえずお前の要求したスペック通りに仮組みしたが⋯ありゃあハリボテも良いところだぞ?』
「だろうな」
丸さんの予想に反して、むつははいたって冷静な返答をした。
『だろうなって、お前⋯分かっててあの注文書を送ってきたのか』
「そうだ。だからそのまま組んでくれていい」
『そういう訳にはいかねぇよ。あんな装甲の薄さじゃ、ドレス内に搭載した演算システムよりお前が先にくたばっちまうぞ?そんなもん、完成品として渡す訳にはいかねぇ』
「なら正に注文通りじゃないか。それで良いのだよ」
ドレスの脆弱性を指摘しても、むつははなおもその姿勢を崩さない。
『何も良くないだろ。あんな心許ない装甲で攻撃をまともに喰らったら、N12クラスなら数発。並みの降鬼や機兵の攻撃ですら10発耐えられたら奇跡だ』
「元よりワタシは防御を捨てている。そこは割り切りというものだ」
「ワタシは天才だが、決して自惚れてはない。自分に足りないものくらい理解しているさ」
「だいたい部屋に引きこもっているワタシが、今から体力トレーニングを始めたところで効果が出るまでにかなりの労力と時間が必要だ。ワタシの本分にかける時間を削ってまでやる価値は低い」
「それに合流時期がまだ少し先のワタシは、実戦経験がないまま熟練者たちの中で戦うことになる。なら中途半端な努力をするよりも、自分の強みを押し付けることに専念した方がパフォーマンスを発揮できるだろう?」
むつはは、他の乙女たちと同じ土俵で勝負するつもりなど更々なかった。
身体能力、経験値共に他の者より大きく劣るむつはは、相手を素早く分析し的確に霊力を撃ち込み、極力動かず少ない駆け引きで倒しきる形を取ることこそが、自分に最も適した戦闘スタイルであるという結論に至ったのだ。
故に[夢光]の設計思想は他の霊子ドレスとは大きく異なり、装甲内に内蔵された高度な演算システムによる超高速分析・解析能力と、入力したコマンド通りに霊力を飛ばす機構を備えた完全デジタル指向の仕様となった。
しかし、神器の持つ超常の力が加わっているとはいえ、現代の技術でそれらの機構を人間が装着できるサイズに納めようとすると、防御力を犠牲にするしかない。
機能を支える繊細な集積回路を防護するために、回路周りの装甲は厚くせざるを得ないし、熱暴走を抑えるための排熱機構も必要となる。
そうなると必然、それ以外の部分で軽量化を計る必要がある。つまりは装着者自身を守る機能を捨てるしかなかったのである。
『⋯それは確かに一理ある。が、それはお前が戦巧者であることが絶対条件だ。まともな戦闘経験もないのに、その辺りは大丈夫なのか?』
「それは心配無用だ。ハッカーとしてヤバい修羅場はそれなりに潜り抜けてきたつもりだし、こう見えてワタシはシューティングゲームでは世界一を獲ったほどの腕前だぞ?戦況を見極める能力には自信がある」
そう自信満々に言い切るむつはに、丸さんは懐疑的な視線を向けた。
「なんだその目は!?ワタシを信じたまえ!」
『そうは言うが、ゲームと現実は違うぞ』
「それでもだ」
むつはは間髪を入れずに言葉を返す。
『その根拠は?』
「ゲームと現実の間における1番の違いは、命がかかっているか否かだ。だが逆を言えば、それ以外はそう大きく違わないということだ。だからそれを埋めるための機能を[夢光]に詰め込んだワケだし、極力前衛に出ないシュータータイプを選んだんだ」
再三の忠告に一切怖気づくことなく、むつはは自分の戦いに対する考えを言い切った。
(実際こいつが天才なのは間違いない。[夢光]も注文書からほとんどいじるところがなかった。参考用のデータをいくつか送っただけだってのに、机上論だけでこんだけのもんを送ってくる時点で、ふうかと同等かそれ以上の逸材だろうな)
(そんな奴が、非現実的なことを口走るわけはないか⋯⋯)
絶対的な確信か。あるいは若さから来る根拠なき自信か。
いずれにせよ、これ以上話を続けたとしても、むつはの意思を曲げることは叶わないと判断した丸さんは、彼女の要望通りに霊子ドレスを組み上げることにした。
『⋯⋯わかったよ。そこまで言うならお望み通りの内容で組んでやる。だがそれで何度も死にかけるようなら、その時はすぐに装甲を厚くしろ。機能を削ってでもだ。いいな?』
「了解した」
『ベースは今日明日中に仕上げておく。青島モーターズの山形支社にドレスが届いたら、細かい機能の調整や追加はそこの連中とやってくれ』
「わかった」
『じゃあそろそろいい時間だし、通話を切るぞ。完成したら最終確認のために改めてまた連絡する。時間は今日と同じくらいで良いか?』
「ああ。それで構わない」
『それとだ。熱心なのは良いことだが、ほどほどのところで切り上げてちゃんと寝ろよ。せめて睡眠くらい健康に気ぃ遣え』
そう言って丸さんは、むつはの返事を待たずにビデオ通話を切った。
「はぁ⋯これからがワタシの時間だというのに。まったくバイリンといい丸さんといい、大人というものは」
まんざらでもない様子でぼやくと、むつはは残っていたカップ焼きそばをかきこみ、炭酸飲料でサプリメントを数錠流しこんだ。
「ふぅ⋯⋯」
「ワタシだって分かっているさ。どれだけ万全の準備を整えても、いざその時が来たら、間違いなくワタシの体は震えるだろう」
「当たり前だ。なにせ外出するだけで体調を崩すことがあるくらいなんだからな。命懸けの戦いで緊張しないはずがない」
むつはは視線を落として、パソコンの横に置かれた基盤に目をやった。
それは先日、梅林たちが上伊那タワーで倒したリヴァイアサンの中から取り出した物だった。
「だがワタシはもう、独りではないからな」
むつははその基盤に向けて小さく笑みをこぼすと、顔を上げて、窓の外を眺めた。
わずかに閉め切れていないカーテンの隙間からは、先ほどまで見えなかった丸い月が、雲の切れ目から顔をのぞかせていた。
「今のワタシは、あの月と同じだ。ワタシはまだ、夜の闇の中でしか輝けない。だから⋯⋯!」
電脳の王は、今宵も0と1の世界を駆け抜ける。
信頼してくれる皆の期待に応えるために。
そしてやがて来るその時に、仮想の世界を離れてもなお我こそが絶対的な王であると、その威厳を示すために。
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