「弱音を吐いて楽になる」原理
僕は「弱音を吐いて楽になる」というのがどうも実感できなかった。
なぜなら、弱音を吐いて事態が好転したことがないから。
それでも周りは「何でもいいから話してごらん」とか言ってくる。
そういうことじゃないんだよなぁとか、いつも思っていた。
でも、実感できないだけで、理解できないわけじゃない。
「弱音を吐いて楽になる」というのはどういうことなのか。
たとえば、思っては駄目だと考えていることを、無理やり無視しようとせず、受け入れるために、誰かに話すという形を取る。
そうすれば、緊張状態にある人が、リラックスできるのではないか。
少なくともその瞬間は。
これから舞台に立つ、とかなら、それもアリかもしれない。
あるいは、自分でもよくわかっていない心のもやもやをわかりやすくするため、誰かに話すという形を取る。
そうすれば、自分を苦しめているものの正体を把握することができる。
わからないものがわかるようになったら、それは前進。
気も楽になるだろう。
でも、そうじゃない場合もある。
誰かに話したところで、しばらくしたらまたもやもやしだす悩み。
解決できるのは自分だけだとわかっていながらどうしようもできない悩み。
悩むだけ無駄だとわかっている悩み。
そういうものは、誰かに話しても、ちっとも気が晴れない。
そういう悩みをどうすればいいのかってのはわかんない。人それぞれ。
ただ、言いたいのは、「弱音を吐くことが万事の解決策ではない」ということ。
弱音を吐くなということじゃない。
弱音を吐いても良くならないものもあるということ。
だから、「弱音を吐けば楽になる」って周りが言っているからといって、弱音を吐けない自分を、弱音を吐いても楽にならない自分を、自分はおかしいんじゃないかと責める必要はない。