「期待を裏切る」のが苦手
「期待を裏切る」という状態が大の苦手。
自分に向けられた期待に応えられないことだけではない。
知らない人が、知らない人の期待に応えられなかったという話を聞くだけで、胸が苦しくなる。
誰かが「がっかり」してるのを見ると、どうも申し訳ない気分になってしまうのだ。
だから、最初から期待なんてしてほしくない、と思ってしまう。
気持ちが落ち込んでいるときは、特にそう。
また、「期待という感情は害悪にしかならない」といった説もたまに見る。
期待とは、それが叶ったときの満足感より、叶わなかったときの不満のほうが大きい、とのこと。つまり、リスクが高すぎる。
なるほど一理ある。
でも、それではちょっと味気ない、と思う自分もいる。
胸を張って、「期待してくれ!」って言ってみたい。
その期待に見事応えてみせたい。
そんな気持ちも確かに存在する。
どちらが正しいのか、どちらが良いのか、どちらが健康的なのか。
こういう場合、答えはだいたい決まっている。
バランスが大切、だと。
どちらにせよ、極端なのはまずい。
期待というものを拒絶してしまうと、期待されないために、あえて自分のパフォーマンスを下げてしまいかねない。
その逆、期待を盲信してしまうと、そのプレッシャーは計り知れないものとなり、期待に応えるため手段を選ばなくなりかねない。
森羅万象、何もかもがほどほどがいい、とは思わない。極端に突き抜けていることが面白いこともあるだろう。
でも、ほどほどがいいものもある。
「期待」とは、そういうものじゃないだろうか。
問題は、バランスを保つということが、とっても難しいということ。
特に、心が乱れている状況では。
やっぱり、心の平穏は、身体の健康と同じぐらい、大切なものなのだろうね。