反応来てるかなぁってnoteをじっと見つめてるから寂しくなるんだ、きっと。
ここ最近、「依存するのはそれしかないから。他にも頼れる何かがあればいい」というテーマで話をすることが多い。
今回、そのことを強く再認識する出来事があった。
シャル
主人公
〈ロミルダ〉
妖精
最近、noteが楽しい。
〈それはシャルを見てても思うわ。楽しそうねって〉
でしょう?
読まれなくてもかまわないと考えていたとはいえ、やっぱり読まれると、そして反応があると、うれしい。
それがこんなにうれしいことだとは思わなかったけどね。
そして、このうれしさにすぐ依存しちゃうのが、僕の癖。
〈たとえば?〉
たとえば、noteだと。
反応がいただけると、うれしい。
スキとか、コメント。あとマシュマロにメッセージが来るとか。
そのうれしさが、やがて、期待になる。
反応があるだろう、という、勝手な期待。
でも、その期待通りにいかないことがある。
それは、記事の出来不出来の結果だったり。
そもそも、読んで頂いてるみなさんにも事情があって、いつも読んで頂けるとは限らない。
ごくごく、当たり前のこと。
〈でもそれが寂しいんでしょ〉
そう。寂しくなる。
前に言った「重い感情」ってやつだねぇ…。
で、この寂しさの波がちょっと高まっちゃって、「やばいなぁ……ちょっと苦しいなぁ………」って思うようになった。
そのことをベースに、僕の前回・前々回のテキスト記事は書かれてる。
そんなある日。
といっても昨日のことなんだけど。
好きな本を読み返し始めた。
〈つぶやきで言ってたこと?〉
そう。
読み返し始めた理由は単純で、この物語の新シリーズの存在を知ったから。
その新シリーズはWeb連載だったから、さっと読めた。
それはもう懐かしくて懐かしくて。
〈それで読み返したくなっちゃった?〉
そうなの。
ただ、この物語は、漫画といえど、全シリーズ累計で28冊もあって。
ちょっと本棚の奥の方にあったりもして。
だから今までなかなか読み返そうと思わなくて。
それでも読み返し始めると、やっぱり大好きな本で。
ついつい読みふけっちゃう。
〈昨日のnoteの更新もあぶなかったわよね〉
うん。更新予定時刻ギリギリになっちゃった。
でも、大切なのは更新したその後のこと。
いつもほど、寂しくなかったんだ。
〈本を読んでいたから?〉
そう。本を読んでいたから。
―――こういう話がある。
旧作かどこかで似たようなこと書いた記憶がある話だけど…。
ある心理実験で、子どもにこんな指示を出した。
「食べていいよと言うまで、目の前にあるこのお菓子を食べなかったら、このお菓子をあげる」と。
結果、待ちきれずお菓子を食べてしまった子と、最後まで食べずに待てた子がいた。
待ちきれなかった子どもは、じっとお菓子を見つめていた。
最後まで待てた子どもは、他のことをして遊んでいた。
誰のいつやった実験なのかも、本当の実験だったかも覚えてないけど、この話にハッとしたことを、今でも覚えてる。
今回もまさにこれ。
思えば、僕は、noteの更新をした後、何度も何度も自分のnoteのページを見ていた。
〈反応が来てないかどうか確かめるため?〉
そう。
それをやってると、反応が来てたときはうれしいけど、反応が来てなかったときは、つい、えっと……言っていいのかな……。
〈言ってみて〉
………がっかりしてしまうんだ。
〈ナイス素直〉
で、がっかりしてしょんぼりしてしまったことは、気づかないうちに心の中に積み重なっていて、いずれ苦しみとなって表面化する。
重いね。
でも、昨日は。
更新直後から、本の読み返しを再開して、自分のnoteを見なかった。
結果、寂しくならなかった。
「依存するのはそれしかないから。他にも頼れる何かがあればいい」って、まさにこういうことだなぁと、実感した具体的な事例でした。
さて、書けたよ!
本の読み返しを再開していいかなぁ…?
〈さあて、どうかしら。タイトルもサムネも決まってないし、推敲もまだ。ついでに予告つぶやきの原稿もまだ。それに、note以外にも、たとえば……年賀状は書けた?〉
あっ…。
……やりたいことがいろいろありすぎるのも、大変だぁ。
〈その辺は……バランスとか、プライオリティ(優先順位)の話になるのかな?〉
苦手なやつ~…。