自分を使い分けている、のが気になる
「自分」を使い分けている気がする。
リアルの自分、趣味の自分。
この場所用の自分、この人用の自分、みたいに。
でも、こうやって使い分けていると、本当の自分はどれなんだろうって思う。
そして大体、どれも本当の自分とは思えない。
どの場所でも、どの人相手でも、本当の自分というものを表現できていない気がするんだ。
これがもどかしい。
だって、自分はひとつだけのはずなのに。
この違和感を解消する考え方。
それぞれの「自分」の上位に、すべてをまとめる核となる「超自分」が存在すると認識すること。
心とでも魂とでも、どう呼んでもかまわない。
そして自分は、TPOをわきまえた、その場所その人に最もふさわしい自分の一面を使い分けているんだ、と考える。
そうすると、この自分も「自分」、あの自分も「自分」と、ぜんぶの自分を、自分の一部だと受け入れることができるようになる。
宗教じゃないよ。
ただの、考え方の一例。
こういう精神的なものは、科学的根拠より、直感的に自分が納得できるかどうかが重要。
そして、僕にはこの考え方が、しっくりくる。
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