中小企業のための給与引き上げで節税効果を狙う賃上げ税制対処法
はじめに
従業員との距離が近い中小企業経営者の皆さんは、常々、賃上げして労に報いてあげたいと思いながら、それができない苦悩を抱えていらっしゃるかもしれません。
“中小企業が従業員に支給する給与を増やすと法人税が安くなる”という制度があります。
現時点では「所得拡大促進税制」と呼ばれていますが、4月からは「賃上げ促進税制(中小企業向け)」となって、税の優遇措置としては破格の水準に拡充されます。
長らく日本人の賃金は上がらずに停滞し続け、今や日本の平均賃金は他の先進国に比べても低い水準となってしまいました。
賃上げ税制の原型となる制度がスタートしたのは2013年ですが、これまでに十分な成果はあがっていません。
このような状況を背景に、賃上げを重点課題と位置付ける岸田政権はこの制度を抜本的に強化する方針を打ち出しました。
果たして中小企業は、拡充の見直しが行われる賃上げ税制を活用して節税効果を狙うことができるのでしょうか?
呼び名が様々なのは改正を重ねた名残
中小企業向けの「賃上げ促進税制」とは、従業員の給与を前事業年度よりも増やせば法人税の一部控除を受けることができる、という期限付きの税制です。
企業の取り組み方に応じて、段階的に税額控除率が上がるところがポイントです。
しかも法人税が下がることで、それに連動する部分の法人住民税も減ります。
ここで簡単に、“賃上げ税制”と呼ぶ制度の変遷をご紹介しておきましょう。
というのも創設以来、頻繁に細かい改正が重ねられた結果、制度の呼ばれ方にいくつものバリエーションができており、これを整理するだけでもぐっと分かりやすくなるからです。
いわゆる“賃上げ税制”の原型は、2013年4月創設の「所得拡大促進税制」にあります。
期限付きとはいえ改正を重ねて2年ずつ延長され続け今に至るわけですが、創設時には、特に大企業向けと中小企業向けを区別する適用要件の違いはありませんでした。
ただし、中小企業等に該当すれば、適用要件は同じだが、節税効果が優遇されるという建付けになっていました。
また、創設時の賃上げ要件は、何と比べて賃上げしたのかに関する比較基準が複数あって、今ほどシンプルなものではありませんでした。
その後、特に大企業向けには、賃上げ要件の他にも設備投資要件が追加。
さらに大企業、中小企業どちらにも向けて教育費増加や生産性向上の要件が追加されて、節税効果を上乗せする拡充の改正も行われました。
2018年度の改正からは大企業向け、中小企業向けと適用要件自体が異なるものとなっています。
大企業向けに新た追加された要件にちなんで「賃上げ・生産性向上のための税制」と呼び名が変わりました。
さらに2021年度の改正では「人材確保等促進税制」に変わって現在に至ります。
一方の中小企業向けは、はじめからずっと「所得拡大促進税制」という呼び名のままです。
これが2022年4月からは、大企業と中小企業とでは適用要件は異なるものの、呼び名は同じく「賃上げ促進税制(大企業向け)」と「賃上げ促進税制(中小企業向け)」となります。
このように様々な呼ばれ方をする賃上げ税制ですが、原型は「所得拡大促進税制」にあることを知っていただければ、この中のどの呼び名と出くわしたとしても混乱しないですむと思います。
中小企業向けの賃上げ促進税制とは
これまでに何度も「中小企業向け」という言葉を使いましたが、ここで一度、中小企業者の範囲を明らかにしておきましょう。
賃上げ税制など租税特別措置法での優遇を受けられる「中小企業者」とは、
・資本金が1億円以下の法人*1
・資本を有しない法人のうち、従業員数が1,000人以下の法人、あるいは個人事業主*2
です。法人税法上の「中小法人等」とは異なるのでご注意ください。
*1:ただし、同一の大規模法人(資本金が1億円超など)から2分の1以上を出資されている、または2以上の大規模法人から3分の2以上を出資されている法人は除きます。
*2:個人事業主向けの「賃上げ促進税制(中小企業向け)」は、適用要件も節税効果も中小企業者と同じですが、対象となる事業開始の期間が2023年から2024年までの各年となる点だけは異なるのでご留意ください。
それでは、岸田政権の看板政策中核でもある中小企業者向けの「賃上げ促進税制」の仕組みを説明いたします。
適用期間
2022年4月1日から2024年3月31日までの間に開始される各事業年度に適用されます。
適用要件と段階的控除率
適用要件には、“必須”と“追加”の2段階があります。
まずは“必須”の適用要件ですが、これは名前の通りで賃上げをすること。企業の取り組み方、すなわち賃上げ率に応じて効果は2段階に分かれています。
(1)雇用者全体への給与等支給額を前事業年度比で1.5%以上増加させれば、給与等支給増加額の15%が税額控除されます。
(2)もし給与等支給額を前事業年度比で2.5%以上増加させれば、30%の税額控除となります。こちらの2.5%以上の賃上げの場合に限っては、“追加”の要件を満たすことでさらなる控除率の上乗せを目指す可能性が見えてきます。
その“追加”の適用要件とは、教育訓練費*3を前年度比10%以上に増加させることです。
必須の適用要件のうちハードルが高い方、つまり2.5%以上の賃上げを行い、同時に追加の適用要件である10%以上の教育訓練費増加を実現させれば、給与等支給増加額の40%が法人税額から控除されるのです。
このように、拡充見直しが行われる中小企業向けの賃上げ促進税制の下では、賃上げと人材投資への取り組み姿勢に応じて15%、30%、40%と3段階の税額控除の節税効果をねらうことができるのです。
なお、この制度の利用に際して、税務申告より前に行うべき事前の手続き等はありません。
法人税(個人事業主の場合は所得税)の申告の際に、適用額明細書や給与等支給増加額の計算に関する明細書等を添付して適用を受けることになります。
*3:教育訓練費には、外部講師を呼ぶ、外部施設を使用する、研修を委託する、外部研修に参加させる、などの費用を含んでいます。
対象とならない費用もあるので、利用を考える場合には、『小企業向け 所得拡大促進税制ご利用ガイドブック』(経済産業省)で確認してください。
適用に関する注意ポイント
留意していただきたいことの1つ目は、控除率は最大で40%にまで拡充されますが、税額控除額には法人税額*4の20%までという上限の縛りがあることです。
この点は従前の制度から変わっていません。
2つ目は、適用の可否判断において問われるのは、決算ベースで企業全体でみた給与等支給額が1.5%以上増加しているか否かである、という点です。
つまり、月給は増えておらず賞与や残業代が増えることで増加していても要件を満たします。
また、一人当たりの年収が増えていなくても、例えば採用強化によって増員した結果、会社の支払う総支給額が増えているのであれば要件を満たすことになります。
中小企業の場合は採用や退職による従業員数の増減は考慮されないのです。
なお、役員と役員の親族(特殊関係者)への給与を増やしても対象とはならないことに注意してください。
また、前事業年度がない第一期の新規設立の会社には適用できません。
注意ポイントの最後に、雇用調整助成金額*5の取り扱いについて確認しておきましょう。
原則は、適用要件を判定するときにも、税額控除額を計算するときにも、雇用調整助成金額を含めて判断します。
ただし税額控除額を計算するときには、給与等支給額の増加額に雇用調整助成金額を含めて計算した場合と含めずに計算した場合とを比べて、結果として税額控除額が少なくなる方を採用します*6。
*4:個人事業主の場合は所得税額
*5:ここでいう雇用調整助成金額には、雇用調整助成金、産業雇用安定助成金または緊急雇用安定助成金の額と、これらに上乗せして支給される助成金の額、その他これらに準じて地方公共団体から支給される助成金の額が該当します。
*6:雇用調整助成金額の取り扱い関しては、『中小企業向け 所得拡大促進税制ご利用ガイドブック』(経済産業省)の5ページに適用要件判定における具体例が、7ページに税額控除額計算の具体例が掲載されています。
賃上げ重視というよりも…
2021年4月に行われた改正の前までは、文字通り賃上げして従業員の年収を増やすことを重視した税制でした。
そのため、継続雇用している従業員の年収を上昇させることや、一人当たりの年収を上昇させることも要件となっていました。
しかし今はこれらの要件は撤廃されています。
中小企業の場合は企業全体で見た給与等支給額が前事業年度と比べて1.5%以上増えていることのみが適用要件です。
つまり中小企業にとっては賃上げ重視というよりも、パートを含めて採用を増やす会社、残業代や一時金を含めた支給額を増やす会社に優遇措置を与える税制となっています。
税額控除を受けるには
改正が多く、難解で手間のかかる節税手法という印象の強かった賃上げ税制ですが、2021年度の改正で大幅に見直しが行われてからはだいぶシンプルになりました。
実務者にとっては活用のハードルが下がったといえます。
では、制度の活用にあたっての留意点はどんなことでしょうか?
重要なのは、給与等支給額を前事業年度比1.5%以上増加させるという要件を確実にクリアすることです。
決算前に1.5%の増加を満たしていないことが分かれば、決算賞与の支給で調整することを考えてください。
そして、そもそも論になりますが、賃上げ税制は法人税が一部控除される制度なので、法人税を納めなくてよい赤字企業が賃上げをしても恩恵を受けることはできません。
また、赤字企業以外でも、賃上げをしてもこの制度を活用できない場合があります。
給与等支給額に従業員数の増減を反映させる仕組みにはなっていないので、例え一人当たりの年収を引き上げたとしても退職者が多ければ全体としての給与等支給総額が減少し、適用外となってしまう可能性があります。
最後に
中小企業に向けて大盤振る舞いの見直しが行われる賃上げ促進税制。
この税制の本来の目的は、一人ひとりの賃上げを実行して給与総額を増加させた企業の法人税を減税することです。
ですから月例賃金を引き上げることが本筋です。
しかし一度引き上げた給与水準を下げることは大変難しく、維持し続けるにも、もしも赤字に陥れば来期に税額控除の恩恵を受けることはできないというリスクがあります。
結局のところ、会社は継続的に収益を上げ、それに伴って給与水準を引き上げていく環境を整えることが必要です。
制度の活用にあたっては、賃上げ、人材投資、雇用強化を戦略的にそして慎重に考えていただきたいと思います。