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「銀行破綻」の激震…政府の介入も虚しく、訪れた恐ろしい結末

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はじめに

 金融庁より業務改善命令を受け、異例の「直接管理」まで行われることとなったみずほ銀行。

 「銀行」への政府の介入は他にも、2003年に起きたりそな銀行への公的資金注入や、足利銀行の一時国有化という衝撃的な事件が存在します。

 事態はどのようにして招かれ、その後「監査法人業界」はどうなったのか。

 監査法人アヴァンティア・法人代表CEOの小笠原直氏が、当時の監査法人業界を振り返ります。

銀行が「事実上の国有化」「経営破綻」に至るまで

 ”繰延税金資産”は、会計ビッグバン(外国に合わせて新しく会計基準を導入した動き)で導入された制度です。

 この制度には、実は銀行救済という意味合いがありました。

 銀行の場合は、融資したお金が取り立てられない場合、不良債権を早期償却するために貸倒引当金の多額の繰り入れを行いますが、繰入額には税法上限度額があるため、税務上の要件を充たさないとそれは認められず、利益を落としているにもかかわらず、税金を多く払わなければならないというケースが多いのです。

 そこで相手の会社が例えば倒産すると、貸し倒れが確実になるので、税務上も認容される。

 そのときには課税所得という税務上で計算された利益から減額されるので、利益が出ていてもその分が引かれるため、税金を払わないですみます。

 これは税の前払いになるので、あらかじめ税金資産を積むことになる。

 これが繰延税金資産であり、税効果会計です。

 この資産によって、銀行は純資産を膨らませることができたわけです。

 しかし、この繰延税金資産は、将来の課税所得(および納税額)があることを見込んで計上されるものなので、当然ながら、将来の課税所得の十分性が前提となります。

 銀行など金融業の場合も、一般的に最長5年分の課税所得の範囲内で繰延税金資産を計上できるとされています。

 りそな銀行や足利銀行のケースにおいて公的資金注入を余儀なくされたのは、この繰延税金資産の取り崩しという事態が起こったからです。

 りそな銀行の場合は、課税所得の見積もり期間を5年から3年に短縮することを監査法人が求めました。

 足利銀行の場合はもっと極端で5年から0年、つまり全額の取り崩しが求められたのです。

 りそな銀行の場合でいえば、同行を監査する監査法人のうち、新日本監査法人(当時)と共同監査を行っていた朝日監査法人(当時)が繰延税金資産の取り扱いをめぐって共同監査を辞退してしまったのです。

 それで決算監査は大幅に遅れ、新日本監査法人が5月に入ってりそな銀行の主張を疑問視して、繰延税金資産の5年分を否定して、3年分の組み入れしか認めない方針を打ち出しました。

 その結果、同行の自己資本比率が基準の4%を下回ることになり、政府に資本注入を申請せざるを得なくなったのです。

 この申請は認められ、預金保険機構が株式を取得するという方法で公的資金が注入され、同行は事実上、国有化されるに至りました。

 足利銀行の場合は、監査を担当していた中央青山監査法人が突然、繰延税金資産を計上しないように通告したのです。

 そのために、多額の繰延税金資産がいきなり貸借対照表の資産の部から消えてしまったのです。

 それで足利銀行は債務超過に陥り、自主経営を断念せざるを得なくなり、一時国有化のあと、経営破綻しました。

 私の地元の栃木県では激震が走りました。

監査法人業界が「相当に叩かれた」ワケ

 監査法人の責任が非常に大きいわけです。

 なぜ繰延税金資産の取り崩しが必要だったのか、明確な答えがなければなりません。

 監査法人は、当事者となった銀行や、一般的には企業の経営陣に対して、適正な資産であったはずの繰延税金資産が突然、大幅に価値が減じた、あるいは価値がなくなったことを明快に説明しなければなりません。

 当時、私たち監査法人業界は相当に叩かれました。

 カネボウの粉飾を見逃し、大銀行を国有化させ、地方の名銀行を潰し、UFJ銀行と東京三菱銀行の合併を促した。

 これらすべてが監査法人の判断で行われたことだというわけです。そこにライブドア問題が追い打ちをかけたのです。

 大変動が起きると思いました。

 すると続いて起こったのが日興コーディアルグループの粉飾決算。

 そして中央青山監査法人の業務の撤退、そして破綻であったわけです。

 監査法人とその顧客にとって、業務停止はその期間が何ヵ月であれ、非常にシビアな状態をもたらします。

 監査法人というものは、会社の一つの機関として、コーポレートガバナンスを担う立場であるわけです。

 そのような機関が業務停止になる。

 行政処分という法的なペナルティーを受ける。クライアント企業としては、そうした監査法人との間で監査契約を継続することはできません。

 そこで少なくとも、いったんはすべての契約が解除されてしまいます。

 双方にとって、これは当然大打撃です。

 さらに、何ヵ月かであれ、その間に決算期がくる場合は、会計監査人が不在というわけにはいかないので、一時会計監査人というものを設けます。

 それで監査法人の業務停止期間が過ぎた場合、監査法人側としては当然、改めて契約を結びたい。クライアントとしても、今までやってもらっていた監査法人に再度お願いしたいという場合は、その監査法人もまた一時会計監査人として契約します。共同監査という形になるわけです。

 それで1年後、株主総会において改めて従来の監査法人、この場合は中央青山監査法人を会計監査人に選ぶということになるわけです。

 つまり、中央青山監査法人が業務停止中に契約した一時会計監査人は、いわばブリッジ役であるわけです。

 実は、私が在籍した太陽ASG監査法人は、この一時会計監査人を相当数引き受けました。

 私自身も、当時自分が担当していた上場企業が十何社あったのですが、そのときはプラス二十何社というクライアントを受け持ちました。

 しかし、そのときの役割はブリッジであって、中央青山監査法人が復帰してくれば、当然、私たちの契約は切られると思っていました。

ところが…監査法人業界の「原則」が崩れる出来事

 ところが、復帰して間もなく、みすず監査法人への改称。

 それでも監査業務を継続していくことが困難と判断して、自主的に監査業務からの撤退を宣言、監査業務に従事している公認会計士をほかの大手法人を中心に移管することとなってしまったのです。

 最終的には2007年7月31日に解散しました。

 そうなると、クライアントとしては、ブリッジではなく正式にどこかの監査法人と監査契約を結び直さなければなりません。

 そうなれば、ほかの大手監査法人に鞍替えするケースも出てきますが、ブリッジ役の我々にそのまま声が掛かることも少なくなかったのです。

 私たちとしては、これは顧客拡大のチャンスであり、実際に相当数の顧客を獲得することができました。

 さらに、公認会計士やスタッフの数も拡大しました。

 何しろ四大監査法人の一角が崩壊したわけですから、その前にあらた監査法人に相当数の人員が行っていたのですが、継承していたみすず監査法人からは、四大監査法人の一つである新日本監査法人(当時)に半分以上が移り、また監査法人トーマツ(当時)やあずさ監査法人(当時)にも移りましたが、私たち太陽ASG監査法人(当時)にも50人以上が転籍してきました。

 これは、監査法人業界の歴史のなかで、エポックメイクな出来事でした。

 それまで、上場企業の監査人が替わるということはあり得ないことでした。

 顧客=クライアントには長期間の契約関係を維持するという意味合いがあるのです。

 その原則がこのとき、崩れたのです。

 四大監査法人で当時、日本の上場企業の約8割を監査していたといわれます。

 その一角が解散するわけですから、それこそ単純計算では、日本の上場企業のうち2割の企業が監査法人を変更することとなったわけです。




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