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昭和の記者のしごと⑨巨額農家負債(1)

第1部第8章、巨額農家負債(1)―「怒り」が取材の原動力

「豊作の影で」の企画がきっかけ


農家負債問題の取材は私の記者、デスク生活の中でも忘れられないものの一つです。この企画は1985年秋、東北地方がかってないほどの米の豊作に恵まれたことがきっかけで生まれました。当時遊軍記者(担当がフリー)だった瓜田英光記者から「豊作の影で」という企画の提案がありました。(1)やませ地帯も豊作だったが、これは様々な技術対策が実を結んだのか、それとも単に天候が良かったためなのか(2)豊作の蔭で闇米が横行している。なぜだ?(3)豊作とはいえ農家の経済は悪化の一途、というものです。
瓜田記者は農業問題に独特の情報源と嗅覚を持っています。私は企画意図にはもろ手をあげて賛成しました。(1)の「やませ」というのは夏、東北地方へ北方から冷たい空気と雲が入り込んできて日照不足からコメの凶作につながるものです。また(2)は一般には政府の農家からの米の買い上げ価格(生産者米価)と消費者への販売価格(消費者米価)に大きな差がある場合、闇米が発生しやすいのです。闇業者が政府の生産者価格より高い価格で農家からコメを買っても、もうける余地があるからです。この年は二つの米価にあまり差がありませんでした。それなのに闇米が増えているのは、農家が懐具合を農協に知られたくないため、豊作で余った米を農協を通さず売りたいという事情もあるようでした。

“生命保険に入って自殺”で、借金返済


瓜田記者の提案のうち、農家経済の問題が最も重要です。ただ、データをグラフ化して農家経済の苦しさを説明する、と言いますから、それでは駄目、農家が苦しいことを端的に表現するエピソードを探せ、と注文をつけました。
その後若手の大橋一三記者からニュース班会で、畜産農家で借金を返すため生命保険に入って自殺するケースが増えている、と報告がありました。それは取り上げなければならない、と思いました。昭和の御世にそんな事が許されていいはずがない。なぜそんな事が起きてしまうのか、ニュースとしてトコトン追及しなければならない、と思ったのです。
ここから、それから1年余に及ぶ農家の巨額負債問題の取材が始まりました。まずローカルの企画で岩手県南部の畜産農家の保険をかけての自殺事件を取材、放送しました。評価が高かったので、さらに仕立て直して東北全体を対象とする枠で放送しました。
この放送がきっかけになって、私の指揮下の盛岡のニュースグループ(記者、カメラマン、編集)と盛岡の番組制作グループ(ディレクター)、それに仙台の報道番組グループ(ディレクター)がプロジェクトを作ってNHK特集を作るべく協力することになりました。NHK特集はいまのNHKスペシャルの前身。全国放送の45分のドキュメンタリー番組です。この時、仙台の報道番組グループにNHK特集になるのでは、と声をかけましたら、翌日、黄海富寿雄チーフプロデューサーを始め、デスクや担当の小林志行ディレクターなど総勢4人で盛岡に打ち合わせに駆けつけて来。その感度の良さにびっくりさせられました。

巨額負債農家“7人の侍”


私がNHK特集になる、と自信を持って考えたのは、その時すでに農家負債を巡って重要な情報を得ていたからです。斉藤憲寛記者の取材で、岩手県北部の安代町(あじろちょう、現在は合併し八幡平市)で、肉牛の岩手単角牛を飼育している7戸の農家が農協から一戸当たり1億8000万円から3000万円まで計五億円あまりの巨額負債を抱えて、返せないどころか利子も払えなくなっていて、恐れをこめて「7人の侍」と呼ばれているというのです。
安代町は盛岡市の北60キロ、秋田県と青森県に接し、奥羽山脈が真ん中を南北に通る町です。秋田県を西へ横断して日本海に注ぐ米代川と岩手県を東へ横断、馬渕川に合流して太平洋に注ぐ安比川の二つの川の水源になっており、町の名も二つの川からとったものです。リクルートが安代町と手を結んで安比高原スキー場を開発し、すでに東北自動車道も開通して、新しいリゾート地として注目されていました。しかし7人の侍が巨額の負債に苦しんでいると思うと、明るい町の空も、一転、薄暗く見えてきます。
1985年(昭和60年)の暮、仙台の費用で、ニュース班の俊秀、4人の記者を安代町の情報取材に投入しました。このときの取材の成果が分厚い取材メモとなって今も残っています。

“平地に乱を起こす”と“お化けはやめる”


ここから全国放送のNHK特集(「農家が破産するとき」)と盛岡ローカルのニュース企画の二つの放送を目指して、長い取材が始まりました。この時点で私は、取材の進め方について二つのことを考えました。ひとつは、平地に乱を起す、ということです。確かに巨額負債をかかえた農家が存在しますが、いま何が起きているわけではありません。いわば日常の中に埋もれていて、すぐニュースになるような動きがあるわけではないのです。そこで逆にこの問題をニュースにすることで、社会的な問題とし、これに対する様々な反応を取材していこうというわけです。後の経過から言うと、このねらいは成功した、と言えます。
もうひとつは取材・放送のやり方として、お化けはやめる、ということです。TVや新聞で農家負債問題が取り上げられると、負債農家について決まって新聞では匿名、TVでは後姿を撮ってのインタビュー、顔を見せないいわゆるお化けにしてしまいます。よく選挙の報道などで使うあれです。それはやらない、ということにしました。
農家の巨額負債は、番組の中で論証していくことですが、個々の農家の責任ではなく、むしろお金を無計画、無制限に貸し付けた農協、その背景にある国の畜産政策の失敗に責任があり、農家は被害者です。被害者がこそこそ姿を隠すのはおかしい、と考えたのです。
お化けをやめて正面から堂々と取材に応じてもらうには取材対象たる負債農家を説得し、絶対の信頼関係を築かねばなりません。その点で、負債農家の一人で、安代町の町議会議員をしていた三浦安身さんの存在は大きいものでした。我々取材陣と負債農家との間に入って意思疎通を図ってくれました。

放送の瞬間、盛岡の放送局の建物全体が戦慄した


昭和61年(1986年)2月、「平地に乱を起すため」、ローカルのニュース番組で「どうする農家負債」というタイトルで、農家負債の実態を伝える4回シリーズの放送をしました。わたしが手がけたシリーズとしては回数が少ないのですが、その代わり1本1本は長めの正味7~8分としました。その1回目の放送でした。降りしきる雪の中、農協労組の相談会に7人の侍のうち5人が集まってきます。その一人一人を正面打ちで捕らえ(撮影し)、名前と負債額をスーパーしました。「角館勇さん、負債総額1億8000万円」という具合に。
これはものすごい迫力でした。放送の瞬間、盛岡の放送局の建物全体が、戦慄し、音が止まったように感じました。放送部の事務系の職員のN君が、「デ、デスク」とどもりながら、「こんなに出しちゃっていいんですか?」と聞いてきたのを思い出します。この放送の結果、平地に乱を起すどころでない、大きな反響がありました。まず最初は、意外なことに、十分納得して取材に応じてくれたはずの角館勇さんからの抗議の電話でした。農協からの負債の保証人になっている人たちから、次の借り換えでは保証人になれないという電話が相次ぎ、畜産を続けられなくなる、というのです。
1億8000万円の借金だと分割して複数の保証人を立てることになります。逆に保証人の側からみると、借金の総額を知らないまま保証人になっているわけです。TVを見て、初めて1億8000万円という巨額負債の一部の保証をしていることを知り、これでは返せっこないと思い、次から保証人になるのはお断り、と言って来たようです。
農協からの借金は借り換え時期に保証人がいないと、懲罰的な高利を課せられることになります。年利12%とか。そんな事情で温厚な角館さんも怒り狂ったようです。電話で話し合いましたが、青森、秋田、岩手の三県のなまりが入り混じった角館さんの話は半分以上聞き取れません。
とりあえず、Sディレクターと共にタクシーで安代町の角館さんのところへ向いました。この時、角館さんが自殺するようなことがあれば、私も死んでお詫びする、ということではないにしても、NHKは辞めなければならんな、と思いました。わたしはNHKに定年まで33年勤め、その間、左遷気味の扱いを受けたこともありましたが、俺の方が悪いんじゃない、と思い、NHKを辞めようと思ったことはありません。NHKを辞めることもある、と思ったのはこの時だけです。
この日、短角牛の畜舎の内と外でとうとう怒鳴り合いになったことを思い出します。しっかり顔を合わせて説得しようと思ったのですが、角館さんは会ってくれませんでした。この件も助けてくれたのは負債農家で町議会議員の三浦安身さんです。三浦さんは「負債問題の解決はマスコミを通じて社会問題にしていくしかない」と角舘さんを説得してくれ、取材が続けられることになりました。

負債問題、岩手県から中央まで浸透


 この放送は後で触れるように安代農協の組合長からも強い反発を買いましたが、放送をきっかけに岩手県内に負債問題が広く知られるようになったのは事実です。放送局に手紙や電話で反響が寄せられました。中にはサラリーマンの奥さんから「農家をしている父親から畜産事業を仲間と継続していくのにどうしても借金の保証人が必要なので、判を突いてくれ、と頼まれた。夫に相談すると、そんな判を押すなら、離婚してからにしてくれ、と言われた」という訴えもあり、農家負債問題が農家だけの問題にとどまっていないことを知らされました。
 また4月に放送する農家負債問題の2回目のシリーズの取材で、岩手県内の82の農協の組合長に記者が同じ質問書を持って負債問題の実態と対策を聞きました。90%以上の農協が取材に応じ、負債問題で農家が資産処分に追い込まれたのが35農協で238件あり、そのうち23件は離農につながっていることなどの実態が明らかになりました。また農家負債問題の原因は誰が作ったか、という質問には、答えた54農協のうち、
  農家自身・・・87%
  農協・・・・・28%
  国・・・・・・43%
  冷害・・・・・20%
という結果で、農協の責任意識の低さにびっくりさせられました。
 最初から取材に協力してくれた農協労組が農家負債の実態とそれへの対策の必要性を訴える講演会を開くことになり、私も講師に引っ張り出されました。私はおよそ半年間の取材に基づいて、深刻な農家負債問題が全県に広がっていること、そして保険をかけて自殺し、負債を払うなどということが見過ごされていいはずがないーその気持が取材の原動力になっていることなどを説明しました。
 私の講演の後の質問を受ける時間帯でのことです。高齢の男の人が立ち上がって、「岩手県のイメージを悪くするから、農家負債のような暗い話は報道しないでほしい」と言うのです。まだこんなことを言う人が居る!絶望的な気分になりましたが、気を取り直し、「岩手県のために、今後も農家負債問題の報道を続けます」ときっぱり言っておきました。
 このようなネガティブな反応を含めて、農家負債問題は急速に県内に浸透して行ったわけです。昭和61年(1986年)5月7日付けの「衆議院農林水産委員会議録15号」によりますと、野党の議員が巨額の負債を抱えた安代町の7戸の農家(7人の侍)の問題を取り上げています。この中で議員は「…7戸の肉用牛農家の事例はNHK岩手で数回にわたってかなりリアルに紹介された例であり、県民ほとんどが知っておる事実であります。それだけにこれらの農家に対して、政府、農水省の出先機関、県なども入って、農家経営を極力再建、維持する方向で具体的な指導をすべき…」「NHKの岩手6・30で放映された負債問題の特集の中で、知事は過去において試行錯誤があったと率直に誤りを認めております・・・」と我々の放送を引き合いに出しながら、政府に負債農家救済を求めています。ローカルの放送が引き起こした「平地に乱」は確実に中央まで広がっていきました。

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