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昭和の記者のしごと㉑記者育成の方法

第2部記者の知恵 第4章記者育成の方法

人材育成のシステムがない記者の世界


 マスコミ、特に記者の世界では新聞、テレビ共通して人材育成のシステムが整っていないし、手間ひまもかけていないように思います。これは新人記者が最初から警察などの記者クラブに入り、同じテーマ(殺人事件の犯人は誰だ!)で数社、ところにより10数社が取材競争し、しかもその結果が毎日毎日新聞やテレビで明らかにされる、というまことに特殊な仕事のあり方に起因しています。つまり、会社としては何のシステムも作らず、特に努力をせずとも、新聞を読み、テレビを見てさえいれば自社の新人記者が真面目に働いているかどうか、記者としてセンスがあるかどうか、直ちに分るのです。
 会社(デスク)としては、電話口に新人記者を呼び出し、「(特ダネを)抜かれてるぞ!」と怒鳴っていればよろしい。教育者としては、世界で一番楽な教育者です。私は新人記者時代、デスクから取材の仕方はもちろん、原稿の書き方―構成の仕方などを教えてもらった記憶がほとんどありません。勝手に育つのが良い記者、なんですから。
ところが私が勤めた放送局の番組を作るディレクターの世界では、若手を育てるため、若手だけが担当する全国放送の番組のコンクールまで存在していました。番組作りの識見と技術に定評のある東京の部長クラスのプロデュサー3人が、その番組のビデオを見ながら議論を交わして審査、優秀な作品を表彰するだけでなく、全番組の講評を書いて全国の若手に送るのです。
 記者の育成は如何にあるべきか。1995年(平成7年)、私が放送局の報道局首都圏部長として人事部に提出した人材育成についての報告書が残っています。この報告書を読み直しながら、議論を進めましょう。
 

オンザジョブトレーニングとチーム取材


報告書で私は、第1章から第3章で紹介した「ゴミ」「外国人労働者」などの長期シリーズ企画を支えるチーム取材が人材育成に大いに役に立つ、と主張しました。長期シリーズに取り組むと、多数のメンバーが並行して取材を進めなければ毎日放送を出し続けることが出来ないから、いやおうなく大部隊の取材チームが編成されることになります。実際、上記シリーズでは関東甲信越の各放送局から主として若い記者を集めて大軍団を形成しました。このチームの中でそれぞれが勝手に取材を進めれば、同じような企画が出てしまう心配がありますので、メンバー同士の綿密な打ち合わせを頻繁に行うことになります。そしてその打ち合わせの中から、さらに新たな視点、新たなネタが生まれてくるのです。つまり、長期企画シリーズに参加することは集団の中でお互いの「情報」と「判断」をぶつけあう場を得ることです。長期企画シリーズは人材育成の道場であった、とも言えるでしょう。
 記者の育成はオンザジョブトレーニングで、しかもチーム取材が不可欠、というこの考えをもう少し補足しておきましょう。記者は社会の中で情報を求めて様々な人と交流し、意見を交えますが、記者同士の「協働」は案外少ないのです。組織にあっても、記者は本質的に個人事業者で、記者同士はあくまでライバルだ、と考えられてきたからです。ベテランの記者で、「自分を育ててくれた人」として取材先の人物を上げる人が多いと思います。それは取材先との交流がいかに深いかということと、記者同士の仕事を通じての交流がいかに少ないかということの表れではないかと思います。しかしそれは自分の発想だけが正しいとする独善的な記者を作ることにもつながってきました。私は記者は個人事業という旧来の観念を打破し、チームで仕事をすることに積極的に取り組まなければ報道の発展も記者能力の向上もないとかねて考えてきました。
 

“やってみせる”兄貴分が必要


上記長期企画シリーズでは関東甲信越各放送局から若手の記者を長期出張で東京に集め、取材、放送に当たってもらいました。全体の責任者であるデスクの私は、編集デスクと共に事前に企画の構成表を出させて検討したあと取材に出すやり方で、企画から取材、制作まで徹底的に若い人に付き合い、指導しました。
 若い人は若い時に手間をかけて指導すればするほど成長します。その手間はデスクが体を張ってかけるものです。しかし、それだけでは限界があります。山本五十六は「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみせて、ほめてやらねば人は動かじ」と言いましたが、若い人を動かして育成するには「やってみせる」兄貴分が必要です。その兄貴分が首都圏広域遊軍でした。 
この首都圏広域遊軍というのは首都圏部所属の記者のグループ。それまでテレビ制作という、社会部などからの原稿を仕上げ処理して放送に出していく、新聞で言う整理部の仕事専門だった首都圏部の記者を取材記者も兼ねるよう性格を変えたのが母体となっています。その後首都圏各放送局から記者の定員を一部振り替えてもらって増強しましたが、私はやみくもに首都圏部の記者の数を増やすのではなく、主役はあくまで関東甲信越各放送局の若い記者。入れ代わり立ち代りで出張してきてもらって、「育成道場」に参加してもらうようつとめました。私は取材・放送をしながら、若い人の育成こそ本来の仕事という性格の組織が必要だと思っています。当時の首都圏部はかなりその役割を果たしていたと思います。
 新人の育成で、もう一つ大事なのは、地方のニュースデスクの役割です。新聞でもテレビでも新人はまず地方に配置されます。このこと自体は正しいやり方だと思いますが、これに関連して、地方のニュースデスクをもっと重視すべきだ、と思います。どこの会社でも将来は「地方」の「若い人」がどう育つかにかかっており、それを左右するのはデスクです。朝日新聞には「兄貴分」の記者を積極的に支局に送り込む、「ビッグ・ブラザー」制度があるそうですが、要は若い人を育てるためにも、地方に人材を送り込む、という考え方が大事ではないか、とおもいます。

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