ここ1週間ほど、体にまとわりつく不安の量が格段に増えたような気がする。原因は大体はっきりしてて大好きなバイト先で毎回何かしらのミスをしでかして申し訳なかったり、それを引きずって夜眠れなくなった結果、学校に行けなくなったり、自分の性格からくる孤独感だったりする。 それをなくすためにどうすればいいか。俺は対処より原因療法を考えるタイプなので過去にさかのぼってその根っこを潰そうとするんだけど、だいたいそれはもうどうにも出来ないくらいに絡まっていて俺一人でどうにかできるものでは
闇は光の対極にあるのではない。闇は光の隣にあり、光の輪郭を描く時、それは闇を描くのと同等なのだ わたしたちはいつものように牛乳を注ぎ口に含む (カルシウムは胃の不調をおこしやすいので気をつけること) 全てのあとがきに君のことを書いていたらそれが一冊の本であり人生って気づいた そうやって文字は私を苦しめようとする始末しようとする大人しく殺される 草の碁盤に光と闇を交互に並べる遊戯に一人で更けていたよ夜は太陽の裏で朝は月の裏側なんだ 君を裏返すと土であり緑だった 季節は地球
毎晩、柔らかくない錠剤を飲み込む苦痛が、未来を柔らかくしてくれるんだっていつも君から救ってくれた 助手席の窓をしたたる雨水が 星みたいでさ 私はずっと都会にいるから星が流るる記憶がなくて ずっと想像で会話している 想像で君をみている 想像で祈っている 想像で 想像で ずっと 想像で愛をしている 想像で 傷ついているのは本当で 殺した(殺した?)そう殺した(なにを?)文章を(恋?) 違う違う(それはなに?)恋のようなもの 君が元気だった頃のアルバムを昨日燃やしたんだ 昨日
とおくの光を みつめていた 君とわたしは 一つになって そのひかりの 恋人になった わたしたちは とおくの光に 愛されながら てをつないで 唇をかわした 光とひかりが 愛するさまを どうか静かに 祝って下さい
エアコンの口から昨日の声が届いて 映画とぬいぐるみをバウンドした小さな声が届いて わたしはわたしは 耳をきれいな形に作り直して その声をその声を 一粒も残さずにすくい取りました 意味ってあるんですか?中学二年生です。親と喧嘩をしました。私のことです。私は将来ファッションデザイナーになりたくて、そのことを話したら父はやめときなさいと言いました。母は何と言ってくれるでしょうか。母はもう いません。 わたしは声をすくって 中学二年生に そっと そっと布団をかけるようにあき
椅子が、ある。椅子がある。学校に来ない人の椅子がある。来ないなら片付けてもいいんじゃない?って言う人がいる。頷く人がいる。立ち上がる人がいる。椅子を持つ人がいる。笑う人がいる。それを見ている人がいる。ヒソヒソする人がいる。天井がある。本がある。教卓がある。秩序がある。ように見えている。 花がある。悪意の花がある。花を置いた人がいる。笑う人がいる。花を見ている人がいる。時計がある。窓がある。カーテンは揺れている。本を読む人がいる。 椅子はない。机はない。花はない。いない人が
好きな詩人のマネ。婦人の病気を癒すような絵画を描きたい。それはそうとして、からだの調子はどうですか?それは聞きたいのはからだではなくてこころではないですか?と。待てと!!松本人志がいない時の浜田雅功のあの、優しい体育教師みたいな雰囲気を。あの威厳の上にある柔和を。水泳も、長距離走も、全部補講ばっかりで、補講って、ワタシの補講ではなくて学校側の補講ではないですか?水泳の後の6時間目の国語の塩素と紙が混ざり合う匂いのことなんか誰も覚えてるはずもなく、覚えてるのって好きな女の髪の毛
昔住んでいた家のある赤い時計のことを時々思い出す。なんてことない小さな時計、真ん中に何かの動物が描かれていて、縁が太くて赤色の時計。その時計は、タンスの部屋と呼ばれる部屋に掛かっていた。タンスの部屋は十二畳ほどの広さに大きなタンス、ベージュとコゲ茶色の二つが向かい合う形で置かれていて、コゲ茶色のタンスの隣には全身鏡もあった。わたしたち家族はその部屋に服をしまい、朝はその部屋で服を着替えた。新しい服を買えば、各々のスペースの一番取り出しやすい場所にその服を入れた。一番上の姉は
夏の始まり、蒸し暑い夜に何度も鼻を鳴らしている。ググっても結局よくわからず、とにかく鼻の奥に鼻水がたまっていて、鼻をすするたびにそれが喉に流れ込む状態だ。鼻の上や裏?のほうにずっと違和感がある。ネットには鼻うがいが有効だと書いていたがそんなことしたくない。なんか痛そうだしCMで鼻うがいをしている芸能人を見て笑っていた過去の自分が思い起こされる。なんでもすぐ馬鹿にして距離を取るよなあ。客観視って別にそこから離れるだけでなされるものじゃないし、とりあえず冷笑してる人に限って何も
意味もなく増えてゆくポストカードと、冷蔵庫に貼りついたマグネットたちはふとした日に起こる悲しい夜に寄り添ってくれることがある。詩や小説だって同じだ。「。」で繋がれた文章が読めなくて、仕方なく詩を開いたというのに今度は一文字一文字が重たくて、手が震えてしまった。わたしは、一体どうしたというのか。 ここに、長い文章を書くつもりはない。キーボードを叩く指の動きがぎこちなくて、必死に親の手に触れようとする赤ん坊みたいだ。決して綺麗とは言えないわたしの手。たくさん料理をして、たくさ
文章を書くことが好きだ。これは文章を書き始めた中学生の頃から変わることのない事実だ。これまで自分の脳みその情報を文字に起こすことでこの世界に訴えてきた。しかしながら想像の世界や苦しみを書きつづけているうちに何も書けない時がおとずれた。どうしよう。文字を見ることすら億劫になっている。他人が書いた文章に感情を抱くこともなくスクロールしてどこかに流れていくだけ。ペンを持ちたい、キーボードを叩きたいという気持ちに揺るぎはないはずなのに、何も浮かばない。感情と文字は繋がっていない。そ
『グリルを見に行く足音の孤独』 これはある短歌雑誌を読んでいたときに歌人さんがもつ孤独の情景についての特集が書かれていて、それは自分なりに考えてみたものになります。 コンロの下にあるグリルで魚を焼いた夜のこと。その焼き加減を見に行こうとソファから立ち上がり、キッチンまで歩いている時のフローリングからなる足音にふと孤独を感じました。 魚の状態を見ることができるのはここにいる私1人で、誰かに見てもらうなんてことはできない。焼き加減の塩梅はわかるようになって自分で料理ができるよう
私は日頃感じたことをスマホのメモ帳に書いておいておくという習慣があるのですあが今回はそれの紹介と説明を少しつけたしてみたいと思います。 『まだ誰のものでもなく予定の書きこまれていない 真っ白なカレンダー』 これは去年の年末に本屋さんへ行った時に店前にたくさんのカレンダーがかけられているのをみた時に書いたもの。これから誰かに買われて誰かの予定が書き込まれていくんだと思うとワクワクするような、誰かの所有物になってしまうと思うともの寂しいようばそんな感情を抱き
私は1人で行動するのが好き。買い物も、学校もたいていの用事は1人でこなしている。昔は1人で入れなかったレストランも今ではファミレスでも1人で食事できる様になった。別にこれを誇るつもりは無いけれど他の人にこの話をするとすごいといってもらえる事が多い。でもその後に「さみしくならないの?」「話したくならないの?」と聞かれることも多い。誰かといるとその人に合わせてしまう癖があって、会話も色々考えているうちに続かないといったことがよく起きるので1人のほうが楽だと思っている。 し
改札を出て、ロータリーに面した建物の前に多くの作業員がいた。以前は珍しい名前のコンビニがあった店だ。たいていコンビニが潰れて新しくできるお店といえばまたコンビニと決まっている。今度は誰もが一度は聞いたことがある有名なコンビニができるらしい。ロータリーを曲がって少し進めば同じコンビニがあることを私は知っている。この町の住人のほとんどもそのことを知っているはずだ。より駅に近くなったことで集客率は高まるかもしれないが元々あったその店の客が吸い取られるのも事実だ。私はまだ何も入って
ドライヤーで髪を乾かす時、鏡から無限に湧き出てくるもう一人の自分を黙殺している。奴らを殺すには一時的に聴覚を失うらしい。 出かける前、ふと鏡を見るとブサイクな自分が映っていた。天井より高く積み上げていた積み木が土台から崩れていく。抑えつけていたあらゆる負が溢れ出して私を蝕もうとするその一歩手前でベルが鳴った。ドアを開けると彼がいて今日も可愛いと言う。そうしてまた新たな積み木が運ばれてくるのだ。 鏡よ鏡、この世で1番美しいのは誰だい? 曇りのない鏡の中で腹の辺りまで映