痴漢が他人事じゃなくなった日
会社が力を入れている企画がひと段落した金曜日。
いつもの飲み屋で祝杯をあげていた。
今期で定年退職を迎える部長と、入社6年目の私。そして1年前に入社した山下君。このメンバーでのプロジェクトも何度目だろうか。
だからこそいつも明るい山下君が
「とんでもないことをしちゃったんです」
と切りだした時は何事かと思った。
「今日、出社中の電車で女子高校生が痴漢されていたように見えたんです。
でも出社時間もあるし確信もないから声をかけられなくて。俺、ああいうの初めてみました。どうしたらよかったんでしょうね」
信頼のおける部長と、女性の先輩である私。相談相手としては申し分なかったのだろう。
上司はしばらく考えた後、
「確かに、難しい問題だな」
とボソリと言った。
そういえば部長のお孫さんはこの前の春に高校に入学していたはず。慎重に選ばれる続き言葉を待ちながら、私は氷が浮かぶビールを喉に流し込んだ。
東京都池袋から埼玉方面に伸びる埼京線という電車がある。
後から知ったことなのだけれど、当時の埼京線は痴漢が多く、治安が悪いと有名だったらしい。
とくに池袋始発の第一車両は尋常じゃなく混雑していて、それに乗じた痴漢被害が後を絶たなかったそう。
初めて埼京線に乗った当時、高校生だった私はその「常識」を知らなかった。
だから同級生の女友達ととくに何も考えず乗り込んだのは階段をあがってすぐの車両。痴漢だらけの第一車両だったのだ。
それからはあっという間だ。
池袋から乗り込む時点で人の波に流され友達との距離が離れる。
「仕方ないか……」と思ったその時、制服のスカートの中を知らない男の手がはっているのに気がついた。
よく痴漢されると怖くて声がでないとよく言うけれど、本当にその通り。恐怖と気持ち悪さで、思考回路が停止する。
その間も足を這う手は止まらない。報道でよくある体験談だと割愛されがちだが、サラッと終わるなんて滅多になく、痴漢とは永遠と触り続けられるものだ。
だから肩にかけていた学生バッグを武器に、とにかく渾身の力を込めて伸びる手を殴った。
今までの人生で1番の腕力で応戦し続けると、スポーツ時に気合を入れるみたいに、だんだん声がでるようになる。
喉をふりしぼるようにして距離の離れた友達に「痴漢だ! 最悪! 気持ち悪い!」と、できる限り相手が萎えそうな汚い言葉を選び、叫んだ。
でも、友達からの返事はなかった。異変を感じた私が無理やり首を友達の方に向けると、手すりにしがみつきながら泣いている彼女に気がついた。
焦った私がとっさに「大丈夫?!」と叫ぶと「私も痴漢されてる、助けて」と振り絞った声が返ってきた。
その瞬間、目の前は真っ暗になった。
サラリーマンも多い平日、この狭い車両に最低で2人も犯罪者がいる。なのに、どれだけ声を荒げても何も変わらない。抗うすべが自分達にはない。
気持ち悪い。最低。最悪。それ以上に、自分はなんて非力でバカだったんだろうと呪った。
自分が痴漢にあうとも、これほど敵わないとも思っていなかったのだ。
「辞めましょう、痴漢」
大きくもなく、くぐもった男の人の声が聞こえた。私の真後ろにいたスーツ姿の男性が、誰かを睨みつけながら口を動かしている。
重たそうな黒ぶち眼鏡をかけた小柄な見た目はお世辞にも助けてくれそうではない。
でも私に伸びていた手はピタリと止まり、埼京線は池袋から1つ先の板橋駅に到着した。
長くて、苦しい2分間。私と友達はホームへ転がり出た。
その時、頭の後ろで「俺じゃねえよ」という罵声が響いた。
頭は妙にさえていて ―― ああ、きっともめている。助けてくれたあの人が、誰かに文句を言われている ―― と、直感的に理解した。
たしかに電車のなかはすごく混みあっていたし、手は人をかきわけるようにして伸びてきていたから誰に痴漢されたのかはわからない。助けてくれた男性は違う人に「辞めましょう」と言ってしまったのかもしれない。
ドラマなら悪者は悪者のを顔をしていて、捕まえたらハッピーエンド。でも、現実はもっとグレーで、曖昧で、そうとは限らない。
ただ、あの場で痴漢が起きていることは車内の全員が知っているはずだった。聞こえるように怒鳴ったのだ。
実際に触ったのは「俺じゃねえ」のかもしれない。
でも「俺じゃねえ」と言えるくせに「痴漢を辞めましょう」と叫ばなかった、お前も共犯者。その黒ぶち眼鏡を怒鳴れる立場じゃない ―― あの日、確かに私はそう反論したかった。
そう思っていたはずなのに、体は気がついたら板橋駅のホームに転がりでていた。
この車両から一刻も早く逃げだして助かりたい気持ちと、泣き顔の友達。雪崩のような満員電車の人たち。
気が付いた時には、痴漢も黒ぶち眼鏡の男性もそこにはいなかった。
その後、友人に言われるがまま十条駅の駅員さんに被害を伝えたものの
「被害があったことはこちらで把握しますが、具体的に何かするのは難しくて……。申し訳ありません」
と申し訳なさそうな顔をさせるだけで終わった。
「いいんです、わかってほしかっただけなんで」と友人が涙ながらに返すのをボーッと眺めながら、そりゃあそうだと他人事のように思ってしまった。
電車は今も走り続けて、痴漢魔をどこか遠く埼玉の奥地まで運んでいる。
あれだけ人がいて、何十本もの腕があって、そこから私と友人を襲った少なくとも2人の痴漢魔なんて見つけだせるはずもない。
その日、埼京線の板橋駅で駅員をしていた20代半ばの彼に訴えたところでどうなるんだろうか。
逆の立場だったら同じように申し訳なさそうな顔をするだろうな。
あの黒ぶち眼鏡に黒いスーツの彼がどうなったのかはわからない。
「俺じゃねえ」と叫んでいた男は、えん罪だったのかもしれない。
冤罪をうんでいたとしたら、世間は助けてくれた彼を「ほおっておけばよかったのに」と笑い、彼は「あんなことしなければよかったのに」と思うのだろうか。
早いもので、もう10年も前の話だ。そんなことをグルグルと考えながら、私は大人になり、満員電車の1人になっている。
きっと今の義務教育でも痴漢の多い車両なんて教えてくれないんだろう。
もし目の前で女子高校生が痴漢にあっていたら、今の私はどうするんだろうか。
社会の流れなんて1人が言葉を発したところで変わらない。1人が被害にあったところで変わらない。
―― それでも、
「私だったら声をかけて助ける」
ぬるいビールがこびりついたジョッキをおいて、そう答えた。
私自身が、自分を同罪だと思わないでいるために。
あの日、確かに私を助けてくれた黒ぶち眼鏡の彼を肯定するために。