体育大会こと。
【📮10月4日 18:08 X 投稿】
ぼくは、今、怒っていて😡悲しんでいる😢
生徒会長として、最後の仕事である”体育大会での成績発表”を直前に3年生の生徒会総務の人に変更されたからだ。
先生が3年生に花を持たせたかった気持ちは理解できる。だが、ぼくに相談があってもよかったのでは無いだろうか。
3年生が発表のスタンバイをしている、その場で聞かされたのだ。NOと言えないし、話し合いもできない状況でだ。
ぼくは、生徒の民意によって選ばれた生徒会長だ。
つまり、ぼくを選んでくれた生徒たちも軽視されたということになる。
学校で民主主義を学べず、大人になってから民主主義を機能させることができるのだろうか?
怒りながら帰宅したぼくは、自宅に着いてすぐにポスト(ツイート)した。
すぐに多くの方がコメントをくれた。悔しかった体験談や励ましの言葉やアドバイス、反対意見を寄せてくれたのだ。
いただいたコメントを読ませてもらうと、ぼくと同じように悔しい思いをしたことを書いてくれている方が多かった。久しぶりに思い出した昔のことだったり、悔しくて今まで言葉にできなかったことを書いてくれたのでは?と(勝手に)想像すると嬉しかった。と同時に長い間、学校で人権侵害が繰り返されていることに驚き悲しくなった。
理不尽な体験、悔しい気持ちを誰かに伝えたことで、これから何かを変えていく力になると思った。発言すると言うことはそういうことだ。
そして、コメントの中にはちゃんと読んで欲しかったなと悲しくなる言葉もあった。
【📮同日 20:50 X 投稿】
明日、先生に話に行く予定です。
発表することを楽しみにしていたのは事実だが、何がなんでもぼくが発表したかったわけではない。
先生に悪気があったとも思っていない。
まずは、ぼくの座っている生徒席まで報告、相談に来て欲しかった。トップダウンのおかしさ。
民主主義とは何か?それが学校という場でどれだけ機能していないか?それを考えさせられる出来事だったので書かせてもらいました。
日本の政治体制に危機感を感じているし、何をどう変えていけばいいのか?変わっていかないといけないのか?
ぼくは、学校での主権者教育の必要性を強く感じています。
体育大会の日。
平日で、会場へのアクセスの悪い場所にも関わらず両親が観にきてくれていた。
リズム感が無く、小学6年生の時の体育大会の大縄跳びでは、一度も縄を飛ぶことなく縄が高く上がっている時にジャンプをして縄の回るリズムと全体の流れを止めることなく飛んだフリをして乗り切ったくらい運動が苦手だ。ダンスも覚えられない。
「中学生だし、もう観にいかなくていいだろう」そう言っていた両親が来てくれたのは、最後の成績発表を”生徒会会長最後の仕事”としてぼくがやるのを楽しみにしてくれていたからだ。
全競技が終了し、ぼくは学年主任の生徒席監視の先生に「降ります」と伝え、成績発表のために生徒席から階段を降り本部席へ向かった。3年生の総務がすでに待機しているそこで、1年の体育の先生から3年生の生徒会総務の生徒が発表をすることになったと”報告”された。「今度別の仕事を用意してあげるから」とも言われた。なんだそれ!
帰宅してからも、学校の友達から「成績発表はなんで川中じゃなかった?」と何通もLINEが来た。楽しみにしていたと。
10月4日(水)、生徒会会長任務終了。
【10月5日昼休み】
昨日、体育大会成績発表の仕事が無くなったことをぼくに”報告”をした1年生の体育の先生と話をした。
ぼく「体育大会のプログラムには、『成績発表…生徒会会長』と書いているのに、なぜ急に3年生に変えたのですか?」
先生「3年生は最後の体育大会だから」
ぼく「それならば、何故ぼくに話をしに来てくれなかったんですか?」
先生「視野になかった」
ぼく「ぼくはこの仕事を任されていたんです。変更があったならば、先生が席まで報告に来て欲しかったし、来れなかったとしても生徒席監視の先生に伝言することだってできたはずです。」
先生「ん〜。その件に関してはごめんな。」
ぼく「今回のことは過ぎたことなのでもういいです。これからは、ぼくじゃなくても誰にでも同じことはしないでください。」
先生「分かりました。」
ぼく「ところで、先生は昨日”別の仕事を用意するから”と言っていましたが、先生のいう別の仕事って何ですか?」
先生「浮かんできたら言うね」
先生は最後、小泉進次郎になってしまった。
おぼろげに浮かんでくるのを待とう。
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