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氷の女

 去年の7月に姉がドイツに遊びに来た。二つ歳上の姉で僕の唯一の兄弟だ。ベルリンをスタート地点に南ドイツとザルツブルクを案内した。確か姉はその後一人でウィーンとプラハに行ったと思う。

 もともと仲のいいといえる姉弟ではなかったから、旅の途中で口論になった。ミュンヘンからザルツブルクに向かう電車の中だ。あまりにも周りが見えていなく、無自覚に人の迷惑になっている姉を注意したところから諍いは始まったが、最終的に「こんな姉を持って情けない」みたいなことをいってしまった。姉はその後ずっと電車の中で不貞腐れてた様子だった。
 ザルツブルクに着いてホテルにチェックインした後、姉はベッドに突っ伏して顔をあげなかった。途中からせせり泣く声が聞こえてきて、姉が泣いていることに気がついた。

 ずっと姉はたくましく強い人間だと思っていたけど、強さとは弱さの裏返しでもあるのかと、この旅で知った。

 因みに僕と姉の関係に距離ができたのは姉が中学生に上がり思春期になり、僕と父と口を利かなくなったところからだというのが僕の認識だ。姉はその後隣町の頭のいい高校に通い始めてからも、母としか口を利かなかった。大学で地元を離れ、大学を卒業後日本と世界を転々としている。

 お互い社会人になり、年に1〜2回ラインのやり取りをするか、帰国のタイミングが同じだと、その時に祖母の家などでちょっと会う程度の関係には戻った。

 僕の人生とは全く違い、姉は一応教員だから組織の人間ではある。しかし組織の人間でありながらも群れたり属することなく一人で生きているという印象を常に受けていた。

 仲は良くないが僕は姉をこっそり尊敬している。孤高で自由で、努力の鉄人だからだ。

 彼女は昔からだいたいのことを人並み以上にはこなす人間ではあったが、一番ではなかった。上から数えて何番目かだ。姉にはずば抜けて天才的な才はなかったけど、努力で自分を周囲から認めさせるくらいの位置を常にキープしていた。因みに僕は全てにおいて下から数える方が早かった。

 しかし姉は僕と同じで、もしくはそれ以上に人が何を考えているのか思考が読めても、その思考の奥にある感情を理解できない人間だ。
つまり姉は(僕よりも)人の気持ちが分からないのだ。

 昔両親の銀婚式で姉は値の張る電動マッサージチェアをプレゼントし、高級な懐石料理に招待したことがあった。確か僕は金がなかったから金のかからないことで両親を祝った。何をしたか覚えていないくらい些細なことだったけど、両親はマッサージチェアよりも懐石料理よりも喜んだ。

 数年前の両親の結婚何周年かで姉と僕(8:2)くらいで金を出し合って行った 西伊豆の旅行もそう。他にもいろんなことがそうなのだが、姉は何が喜ぶか分からないから、高いもの、高級なもの、ワンランク上のもの、そういったものをプレゼントする傾向がある。

ザルツブルク
僕「うちの親がそんなもんで喜ぶと思うか?確かに金はかかってるけど、気持ちが入ってないねんなー。本当に気持ちのこもったものって金では買えないで」

姉「その気持ちが分からないのよ。私だって分かりたい、でも分からないからこうするしかない」

 僕だって人の気持ちなんて分からない。でも自分の両親のことくらいは分かる。うちの両親が最も大切にしているものは、我々子供たちと、彼らの両親(僕の祖父母)で、うちの両親が一番嬉しいことは、我々が元気に健康に生きていることだ。だから結婚記念日や銀婚式などの節目に何か特別を演出しなくても、日頃から電話をかけて元気な声を届けたり、ラインで近況を報告するだけでもいいのだ。(僕も姉も海外にいるからなかなか実際に頻繁に帰省するということは難しい)

 プレゼントも、高枝切り鋏で庭の高いところの枝を切るとか、電柱に巻き付いた蔓を除去するとか、お風呂をピカピカにするとか、家で一緒にご飯を食べるとか、うちの両親はそういうことが一番喜ぶ人種だ。

 人の気持ちとは何だろうか。これをしたら相手がどう思うかとか、相手が自分のことをどう思っているのかとか、そういったことの話だ。

 人の気持ちが汲み取れないと、見当違いなことをいってしまったり、場の空気を壊してしまう。これはまさに僕もよくする。姉はそれをよく知っているから沈黙を貫くのだろう。そして発する言葉は表面的で形式的で、感情を含めない。

 姉はあまりに冷たく、感情のないように見えるから、僕の友達からは氷の女と呼ばれていた。

氷の女は決して人に感情に悟られない。

ザルツブルクで姉は話し始めた。

 姉によれば小学校高学年の時に壮絶ないじめに遭い、それも一番仲の良かった子がそのいじめの首謀者だったらしい。

 それ以降だという。姉が人を信じなくなり、心を閉ざすようになったのは。

 一番仲が良く信頼していた友達に裏切られたことで、誰も信じられなくなった。いつ裏切られるか分からない。それならば元々誰も信じないで、誰にも心を開かないで、関係を構築しないで、一人で生きよう。そうしたら裏切られることはないから。姉はそう思った。そしてそれを小学生の時からず〜っと続けているわけだ。

 この気持ちが分かるか?

 僕は昔姉がいじめに遭ったことは少し聞いたことがあったが、今回姉から詳しくこのことを聞いた時、悲しくて悲しくて、どうしようもなかった。

 そういえばそれ以前の姉はもっと社交的で、周りに友達もいて、いつもニコニコしているような子供だった。それは実家の写真を見れば分かる。

 姉はもともと氷の女だった訳でも、なりたくてそうなった訳でもない。それ以外に自分を守る術がなかったのだ。

 人の気持ちなんて分からない方がいいのかもと思った。それが自分を貶めようとする悪意であるかもしれないし、単純に自分のことを嫌いと思っているかもしれない。同時に自分の気持ちが相手に分かられると、獲物にされて狩られる。それは人間社会では死を意味する。

 姉は30年近く氷の女をやっているから、もう慣れているだろう。
しかし慣れていても無傷ではない。少しずつ心がすり減るのだ。

姉が声を荒げて泣き、過去の出来事を打ち明けたことはよかった。

 姉を見ていると、僕よりも生き辛いだろうなあと思う。姉は中学の時も、高校の時も、仲良くしている(してくれる)友達はいた。彼女らのことをどこまで信じることができて、どこまで心を開いていたのだろうか。

 友達なんてもんは信頼関係で成り立っているから、相手を信頼していないなんて本当の友達じゃない。なんてことは誰にもいえない。相手を信頼することは、どれくらい大きな勇気がいるのだろうか。優しさとは残酷で、自分に優しい友達は、他のみんなにも優しいのだ。

 姉のことを書こうと思ったのは、久しぶりに姉からラインが来たからだ。
姉「来月の22日、40回目の結婚記念日に、城崎の旅館に泊まるんだって。旅館に手紙を送ってサプライズしようと思うんだけど、一緒にやらない?」

僕「やるやる」

 姉は社会人になってから少しずつ家族にコミットメントするようになった。家族にだけでない、周りの友人や恋人に対しても、積極的に関係性に参加しようと努力している。

 関係性に参加するとはおかしな日本語だが、関係性がぎこちなかったり、稀薄だったことを考えると、参加するという動詞で合っているように思える。

 そうはいっても姉は未だに誰に対しても完全に心を開くことはないし、家族も姉にとっては帰る場所や心が落ち着く場所ではなかったという。

だから姉は帰る場所がないのだ。

 そこは僕と違う。僕にとっては両親のいる実家こそが帰る場所であり、そういう場所があるからこそ、どんなに辛い思いをしても、もう無理だと諦めかけても、人生に絶望してもやってこれた。これは僕の強みだ。

 それがない姉は、一体どのように過酷な状況を乗り越えてきたのだろう。僕ならば到底耐えられない。

姉はず〜と一人で生きている。

この孤独は、僕の比ではないんだろうなと分かる。

人間は孤独に耐えられないから、姉は氷の女を続けている。

いつか氷が溶けてほしいなあと思う。
僕がいうのも何だが、人を信じること、信じられる人がいるということは、何物にも代え難い喜びなんだ。


補遺

 そういえば昔僕もザルツブルクで大泣きしたことがある。そしてあるお姉さんに救われた。
 2008年大学2回生の夏休み、ヨーロッパ放浪中のプラハで日本にいる彼女に電話でフラれた僕は、一人旅を続行する気力が0になり、ザルツブルクからミュンヘンに入ろうと、ザルツブルクに立ち寄った。電車の中でも僕は意気消沈していて、電車から降りた僕は駅にいた日本人の女性を発見した。

僕「すいません、日本の方ですか?」

あ姉さん「そうだけど…君、泣いているの?」

僕は日本語が話せることの嬉しさと安心感で感極まり、さらに泣いた。

僕「うわ〜んっ!!」

お姉さん「え?え?どうしたの?!」

僕「だずげでぐだざいっ」

お姉さん「大丈夫だよ。お腹空いてない?とりあえずどこか入ろうか」

僕はコクリと頷いた。

 こうしてお姉さんと旧市街地の道を歩き、お店に入った。僕はお姉さんにおススメされてSchnitzelを頼んだ。

お姉さん「ねえ知ってる?オーストリアではSchnitzelにジャムをつけて食べるんだよ」

 僕はお姉さんに話を聞いてもらい、失恋を慰めてもらい、Schnitzelにジャムをつけて食べて少し元気を取り戻した。

あの時のシュニッツェルの味は今でも覚えている。

そして現在

 一人ホテルを飛び出した姉を追いかけて旧市街地を探し回っていたら、姉をとあるレストランのテラス席に発見した。姉はちょうど今席に着いたというところだった。

僕は二人掛けのテーブルの空いている方に座った。

僕「何か食べようぜ」

姉「うん」

座って一息付きし、店の内装や席から見える街の風景を見て、記憶がどんどん蘇った。

そこはまさにあのレストランだった。

偶然ってあるもんだ。

僕は姉にシュニッツェルを勧めた。

僕「知ってた?オーストリアではSchnitzelにジャムつけて食べんねんで」


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