洋服と未来と仕事
おそらく少し先の近未来というのは、例えばアニメ『PSYCHO-PASS』のように、洋服の着替えをホログラムで簡単に行えるのだと思う。視覚情報としての洋服というデータがあるだけで実際の洋服を装う必要がない。
当然服を着ているように見えても実際素っ裸で外に出られないので、ホログラムが反映されるベースとなるものを身に着けることになる。これはおそらくウェットスーツのような材質や形状で、それを着ていればその上にホログラムを映し出されるのだ。
という現実世界がデジタル化することが一つ、
もう一つは、
仮想空間の比重が増し、現実世界では基本的に家に引きこもっているだけでよくなり、人々の生活やコミュニケーションが全てバーチャルで営まれるようになることだ。
これは生き過ぎたら映画『マトリックス』のような世界だろうか。いやっ、それは行き過ぎか。しかしメタバースのように仮想空間でアバターとなって生活する世界ではリアルの服が必要ないことには変わりない。
例えば、
成人式は仮想空間で行いますとなれば、
アバターはバーチャル都市へ買い物に出かけ、振袖を購入する。
結婚式を仮想空間で行う際は、
アバターはバーチャル都市でフロックコートか紋付袴を購入するのだ。
私たちが息をしてご飯を食べる現実世界では、家からほぼ出なくなるので部屋着以外は必要なくなる。
確か某アメリカ有名大学の研究を引用して産経新聞かどこかが2012年頃に載せていた記事の内容で、10年後になくなる職業として我々“テーラー(注文紳士服製造業)”がランクインした。
あれから10年が経つ、
既に今でも少しずつそうなってきているが、洋服は今後服屋ではなくエンジニアが作る時代だ。そんな未来が間近に迫る中で、それでも仕立ての世界に飛び込む若者がいることが私は不思議でならない。
確かにもの作りはロマンがある。楽しいしカッコいい。そもそも職人という響きがいい。しかし必要とされなくなったら仕事としてのやり甲斐、それを生業とする人間の生き甲斐はあるか?否だ。
さらにいうと、将来彼・彼女らの働く先は(自分で切り開かない限り)ほぼ無いに等しいのに、後継者を残したい、技術を継承させたい、或いは単純な優しさから希望者や弟子入り志願者に技術を教える高齢の職人がいる。そこに悪気はない、あるのは善意だけだから余計に切ない。
優しさとは残酷である。彼らの人生で最も大切な"時間”を費やしているのに、その将来に責任を持たない。修行を終了したら最低でも1年間正社員として雇用するくらいの責任と事業としての体力があるならまだ話は分かるが、大抵のテーラーが個人事業主で被雇用者を雇う余裕はない。
コロナで在宅になりスーツ需要が激減したとか、最近の富裕層はラフな服装を好むとかそういうレベルではなく、近い未来リアルの服自体が必要なくなるのだ。そうなった時に後悔しても遅い。
それに加え、糸へんの付く漢字の仕事は給料が安いと先生方もいわれていたが、糸へんに限らず職人は給料が安い。
給料が安いとどうなるのか、例えば結婚について。
最低限生活ができるからいいという話ではない。20代で恋愛から発展して結婚に至った人はいいが、20代仕事に夢中で一人の時間も楽しくてようやく30代に入り結婚を考えた時に出会いがないから結婚相談所に登録しようとしたとする。年収が低くてお断りされることだってある。幸い結婚相談所への登録が完了しても、年収が低いのは大きな弱点でライバル達に差がつく。そうこうしているうちに結婚を逃してしまうことだって大いにあり得るのだ。
将来歳をとって誰かと何かを共有したいと思った時に、隣にいてくれるパートナーは今自分が思っている以上にかけがえのない存在かもしれない。
それならば起業しようといっても、私のように自営業を始めると注文のある月はご飯が食べれて、注文の無い日はご飯が食べられないということだってあり得るのだ。自営業は被雇用者と違い安定しない。
好きなことをすることも大切だが、将来のことを考えることも大事だ。決して私などのペーペーが偉そうなことをいえる立場ではないが、それでも注文洋服の業界に入るならば、覚悟を決め人生を賭ける意気込みで臨まなければならない。
そうでないと死ぬ。
っと誰かにいっているように見せかけて自分に言い聞かせて、
まぁそんなことを考えても仕方がないので、今日も目の前にある服を縫うだけである。