ネコとイヌと僕
年末年始家族旅行に出掛けている知人のネコ2匹の面倒を見ている。
ネコトイレを掃除して、ご飯と水をあげて、遊んであげるのだ。たまにおやつもあげる。
僕は自作のおもちゃを持参してそれでネコチーたちと遊ぶ訳だけど、それが気に入ってネコチーたちは嬉しそうだ。
遊びながらふと昔飼っていたイヌのことを思い出した。
僕の飼っていたイヌにもお気に入りのおもちゃがあって肌身離さずそれを持っていた。寝る時も犬小屋にそれを持ち込んで一緒に寝ていた。
ネコチーもイヌも、大して高価な訳では無い遊べば遊ぶほどボロボロになっていくそのおもちゃが大切で、彼らにとってそれだけで十分なのだ。
僕は自宅に戻って誰もいない静かな部屋を見渡す。そこにはものがたくさんあるけれど僕はいつも満たされない。
たくさんのものたちは心の隙間を埋めてくれるようで、しかし増えれば増えるほどなぜか気持ちは空っぽになっていく。
この部屋にあるもので自分にとって最も大切なものは何だろうか。
もし何か緊急事態が発生して身一つで避難しないといけなくなった時に何を持っていくのか。
或いは自分が死ぬ際棺に一緒に入れてほしいものは何だろうか。
それは父と母が心を込めて作ってくれた手作りのお守り袋だろう。
僕にとっても宝物であり、結局本当に大切なものなんてそれくらいなのだ。
家の中も外も世界を見渡せば物が溢れている。それらには価格がついていてそれで価値が決まる。お金はそのための交換ツールだ。
しかしお守り袋もそうだけど、大切なものというのはなかなか値がつかない。
家族旅行に行った時の伊豆の写真も、友人と作った夏祭りのしおりも、努力して勝ち取ったマイスターブリーフ(証明書)も、側から見たら何の価値もない。ただ僕にとっては大切なのだ。
それとは逆にお金と交換して買えるものというのは他者から見たら価値は明白であるけど、自分にとってはどうしても価値を見出しにくい。
僕がほしいもの、大切にしたいものがお金と交換できない以上、お金ほど無価値でしょうもないものはないと思える。
僕はもうすぐ36歳になるけれど、ものに惑わされない周りに流されない、自分を持った生き方をこの先もしていきたい。