見出し画像

#260【劇評・賛】 カラーパープル(1/2)

こんばんは!なんと、夜になってしまった……
今日もお読みくださってありがとうございます!

アメリカ大統領選、トランプの勝利

冬に見ていたこの映画の感想を書きそびれていて、内容も忘れてきちゃったしもうオクラかな、と思っていたのですが、このほどアメリカ大統領選でトランプ氏が大勝利をおさめ、SNSで「黒人男性の女性(特に黒人女性)への差別感情」について言及している人がいらしたので、この映画について書くべきだと思い至りました。

しかし、接戦になると言われていたのに早く決まってびっくりしましたね。
ヒラリー氏の時といい、アメリカのミソジニーは根深いなあと思ったのでした。
我が心の師・内田樹先生は、アメリカのミソジニーについて、次のように語っておられます。

生涯一度も「女にパートナーとして選ばれる」という幸運に浴すことなく、そのDNAを地上に残さぬまま死んだ無数の開拓者(おそらく数百万に達するであろう)の「怨念」を鎮めるためにアメリカ文化が創り出した「喪の儀礼」、それが「女性嫌悪神話」である、という解釈である。
(略)
もちろん適正数の女性を継続的にフロンティアに送り出すことが出来ればまるで問題はないのであるが、それが「できない」からこういうことになっているのである。
そこで人々はとりあえずひとつの物語を創り出す必要に迫られたのである。
それは次のような物語である。

「女は必ず男の選択を誤ってクズ男を選ぶ」
「それゆえ女は必ず不幸になる(ザマミロ)」
「あんなバカ女のために仲間を棄てたりしなくて、ほんとうによかったぜ」
「やっぱ、男は男同士でいるのが一番だよな、な」

という一連の話型なのである。
このような定型的な説話原型を私は「アメリカン・ミソジニー話型」と名づけようと思う。
ハリウッド映画は、その出発の時から、この話型をほとんど強迫的に反復してきた。

8月28日 - 内田樹の研究室

うーん、それはそれでやむにやまれぬ事情というか、納得してしまう……。
確かに小さいころ、「名画」と言われる映画を観てもたいてい、女性が男性を選ぶ構図でなんか違和感を感じていた気がする。

また、黒人男性の女性差別感情、という話に触れると、うーん……。
「どんな男性より女性が無条件で劣位」という刷り込みがあれば男性内のヒエラルキー構造維持にはそりゃ便利でしょうけど、ヒエラルキー下層男性の鬱屈を女性へ転嫁して得するのは結局、ヒエラルキー上層男性なのでは。
そしてその得するはずのエリート層はリベラル化していると言われているのに、そうでない男性たちが保守化して旧来のヒエラルキー構造に居ついているというのは、なんだか皮肉ですね。
そんなにシンプルじゃないでしょうけど。

かたや日本では、百田尚樹氏が「女性は30歳越えたら子宮摘出」と発言したとか、松本人志氏が、被害女性の証言の前に訴訟取り下げただけなのに復帰騒ぎとか……どこも根深いなあ……(ジャンポケ齋藤氏も松本人志氏も、物的証拠が出ていないという点では同一)。
個人的にはオズワルド伊藤氏が松本氏復帰に歓喜のツイートしてたことに、頼むから妹の足引っ張んなよ、と思ったのでした。

あ、本題に入る前に日付が変わっちゃう。
今日はこのへんで~。

いいなと思ったら応援しよう!