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#290【日記】異文化を学ぶということ

今日もお読みくださってありがとうございます!


フラの根底にある守護と愛と敬意と感謝

昨日はひと月ぶりのフラでした!
久しぶりに新しい曲を習い始めて、さきが大変楽しみであります。

同じレッスン時間でも、新しい曲を覚える回と、覚えた上で踊り込む回とでは疲れ方が異なります。
踊り込みは主に疲れるのは身体ですが、新しい曲を覚えるときは身体のみならず頭までクタクタになります。

フラのどの曲にも根底に流れているのは、自然や先祖から「守られている」という感覚。
ハワイという土地・場所への愛。
それらすべてに対する、敬意と感謝。
そして、ハワイの歴史を、土地を、文化を、自分たちが守ってゆくんだ、という決意。
新しい曲で改めてそれらに触れて、あたたかい気持ちになりました。

突然 ”降りてきた" 病識

さてレッスン時、先生は、意味についても動きについても背景の文化についても言葉を尽くして教えてくださいますが、昨日ふと、

わたしは先生の言葉を理解したつもり、言葉のとおりにやってるつもりでいるけれど、わたしの「理解」は、先生が生徒に伝えようとしていることにはまったく追いついていないか、似て非なるものを理解したつもりになっているのだろう

と思いいたりました。いまさらだけど。

先生にしてみたら、それはきっと、大変にもどかしい思いだと思う。
そしてその向こうのハワイのクムが感じていらっしゃるかもしれない「伝わらなさ」は、もはや想像を絶している……。

クムフラの前では何も知らない赤ちゃんと同じ

先生がかつて、「ハワイのクムフラの前に立ったら、わたしたちは、日本でどれだけものを知っていたとしても、何も知らない赤ちゃんと同じ」とおっしゃっていたことがありました。

たしかに、「歌詞はダブルミーニングになっていてこの部分は表は〇〇〇の身だが裏に△△△の意味も込められている」とか、「この言葉が持つ連想の体系にはこんな概念がある」とか、説明していただくものは日本人のわたしにとっては予想もできない、すべて初めて知る概念です。

また、ハワイのクムフラやフラシスを前に、ハワイの文化にのっとった敬意の表しかたや、何をしたら礼を失することになるのかも、わたしにはまったくわからない(で、大失敗してはいろんな方からおしかりを受けている……)。

当然のことですが、わたしたち学ぶ者は、教えていただいたハワイの文化やマナーに対して、それを守る守らないの選択の余地はないし(守る一択)、感想を述べるなどなんらかの評価をくだすような行為をする立場にはありません。
まったく悪気のない、日本では許される行為でも、ハワイでは失礼と指摘されたらそれに対してただ反省して謝罪して赦しを乞い修正するだけです。
当たり前だけど。

病識を胸に

話を昨日のレッスンに戻すと、思うようにステップを踏めないのはもとより、先生の言葉への理解すら追いつかないのだと思ったら、急に申し訳ない気持ちになりました。

まずは、わたしはハワイ文化をまったく理解できていない外部者である立脚点を常に確かめながら、先生の言葉の一部分しか理解が及んでいないことの病識をなくさずに、その奥にあるハワイの歴史や文化に想像力を働かせながら、今年も精進していきたいと思ったレッスン初めでした。

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