#259【劇評・賛】映画『グレーテストショーマン』
今日もお読みくださってありがとうございます!
メールボックスを漁っていたら、2年前の映画感想文が出てきて、それなりのボリュームがあったので手直しして公開~。
というかこのボリュームをメンターにメールで送りつけるとか……非常識〜。
また、この映画でゼンデイヤ大好きになったのに、そのことにはまったく触れてないんだなあ。
この映画、なんと今でも週一で日比谷で観られるらしいです……すご。
『ブルーイ』を観ながら書いていたらたまたま「Be yourself」という台詞がキーになる回でセレンディピティにびっくりしました(シーズン2第28回「映画」)。
グレイテストショーマンを観た
グレイテストショーマンを観ました!!
ご覧になりました?私はいまさら(これを書いたのは2022年)見た!
当時話題になってたし、シンさん(大神雄子さん)が勧めていて、気になってはいたのですが……
で、今(これを書いたのは2022年)見たキッカケは、ジェーン・スー姐さんの著書『ひとまず上出来』で、「THIS IS ME」のメイキングビデオが日本語字幕ついてYoutubeに上がってるから見ると元気でるって書いてあったこと。
↓ こちら
でもね、DVDを借りてきてから(←2022年当時はサブスク入っていなかった)ちょっとググったら、おやおや?
アメリカでは結構批判されているだと…??
ライムスター宇多丸さんのレビューもググってみたけど…ない!
しかたなく己の身一つで見てみたら映画はふつうに万人向けに面白くて、ヒットしたのも頷ける感じでした。
THIS IS ME
「THIS IS ME」がもう五億点……!
ジェーン姐貴が勧めていたメイキングも良かったけど、作品も、演技もダンスも最高だった!!!!
最初のキアラの表情、全員で歩き出すところ、スリラーっぽいところ、最後の舞台上のパフォーマンスも……!!!
私なんか、映画見て号泣、終わってからそのシーンだけ巻き戻してみて号泣、Youtubeでメイキング見なおして号泣、リリックビデオ見つけて号泣……すごい破壊力!
なんだかしらんが、この部分が好きすぎて、この部分がくると毎回号泣している。
また、
っていうところもすきです。
さてここで気になったのは 「I am who I'm meant to be.」ところの字幕。
「ありのままでいる」となってて、レリゴー(アナと雪の女王)以後、「ありのまま」という語に強い警戒心を持っている私としては、つい調べまくってしまったのでした(笑)。
調べたら、「meant to 動詞」って難しくて、「~する運命にある」というような意味みたいですね。
「私は運命を受け入れる」とか「これが私のあるべき姿なの」という和訳を見つけて、そっちのほうがしっくりくると感じました。
アナ雪のエルサも含めて、彼らが受け入れる運命のことを考えたら、「ありのままでいる」という表現では弱い、というかニュアンスが違う気がする。
「ありのまま」考
というかやっぱり、日本語としても、「ありのまま」という言葉をこういう時に使うのは違和感があって……。
いや、レリゴーの「ありのまま」については、あの曲の内容と口の形を合わせる必要性から言って、和訳に絶大な敬意を持ってはいるんですけれど、その後の、日本大衆による享受のされ方に違和感があって……。
視点1:誰が言っているか?
うまく言えないけど、アナ雪以降、日本で一般的に使われる「ありのまま」の享受のされ方を見ていると、「ありのままのわたし」というようなことを言っているのは、マイノリティ当事者よりはもっとマジョリティ側の人が言っているように見えるのです。
マイノリティは、もっと具体的で切実で強い言葉を使う、というか。
「ありのままのわたし」などのんびりしたことを言える状況にない、ように見える。
視点2:自分のこと?相手のこと?
……うーん…あ、「もう目をそらすな!ありのままの真実を受け入れろ!」みたいなセリフには(刑事ドラマ?)それはそこまで違和感を感じません。
…あと、「ありのままのあなたを愛しているよ…」みたいなセリフにも(宝塚?)そこまで違和感を感じないかも。
ということは、「ありのまま」は、自分以外の人や事物に対して使うもので、 自分に「ありのまま」を適用したときに、欺瞞とか、無責任な感じとか、イデオロギーを他人に一方的に押し付ける感じがあるのかもしれませんね。
I'm meant to be に込められた意味
さて、英語では、ありのままでを英訳すると「Be yourself」「Just stay who you are」「You are who you are」なのだそうです。
それはそれで素敵なフレーズだけど、この歌で言えば、「I am who I am」ではなく「I am who I'm meant to be」と言うところに、「運命的に」「背負わされた宿命」というニュアンスがあるように思えます。
キリスト教だと「神に課された」みたいなニュアンスもあるのかな?
レリゴーもこの曲も、他者と自分が対立していて、放っておいたら他者が自分を排除してくるという状態に置かれて、それでも、という下地がある。
障害のある人もLGBTも有色人種も、マジョリティが作った社会の仕組みでは不都合があり、マジョリティに対して声を上げざるを得ない歴史が今も続いてきている。その、マイノリティがマジョリティに対してあげる声は、「ありのままのわたし」という抽象的な表現よりももっと具体的で、現実変成力を持つ声が要請される。
日本語吹き替え版も少し見てみたら、歌だけは英語原曲ママで、歌い手と英語原詞に対するリスペクトを感じました。
Youtubeのリリックビデオの英語歌詞を、日本語訳と照らしながら見るのがとても楽しかったです。英語の言い回しそのままのほうが、歌詞の書き手が込めたものをいろいろと想像できる余地がある。
「感動して号泣してあーよかった」で大丈夫?
閑話休題。映画の全体の話に戻ります。
映画を観終わって、すごくよかったけど、でも、扱ってる話題に対して、ずいぶん美化して描いているのではないか、と感じました。
19世紀のアメリカのサーカスでフリークスで、って話なのに…なんか軽い。これ、こんなに全力で感動して大丈夫か自分?
障害者や別の人種の人間を見世物にする興行主の話なんだから、「THIS IS MEで感動して号泣して、あーよかった」なんていう割り切れた感想になるはずがないと思うんですよね。
というのも、「フリークス」という映画は大学の講義で見ていて。フリークスとかフランケンシュタインとか、そういう映画をたくさん見る講義だったんですけど、中身あんまり覚えてないけど、なんというか、特有の禍々しさがあって、現代の我々ではすっきりと整理できない割り切れなさがあった。
いや、「グレイテストショーマン」だって現代的に見たら「えー…」ってところがたくさんあるんだけど、それが中途半端というか、現代的に見たらアウトなことも多々ありつつ、でも19世紀のアメリカにしちゃ甘い、みたいな。
いろいろあるけど、魅力ある映画
でも、町山智浩さんの映画解説を見たら、私が感じていたことについて面白く深く話してくれていました。
PTバーナムという人物の、ヤバイ部分、都合の悪い部分は描いていない(ヒュージャックマン的に無理だった)、とか、でも実はPTバーナムという人物は映画に描かれていない部分でもっと面白いエピソードがあるから、そちらを描いたほうが、この話題をより深く掘り下げることができたはず、とか。
同時に、「これはこれで面白い映画です」とも言ってくれていて、ありがたいなと感じました。
なので、私としては、「これは史実でもないしフィクションにしても不十分な点があるけれど、魅力ある映画ではあるし、『THIS IS ME』の破壊力は絶大」という感想に収めたいと思います!!