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村上春樹「風の歌を聴け」再々々・・読。<その1>

こんにちは。CHU-TEA-COKEです。
音楽配信しています。大手配信サイトで聴けるので、よかったら聴いてやってください。

 今回は、村上春樹の「風の歌を聴け」を読みます。
 完全なネタバレですので未読の人は気をつけてください。

 今までも何度か読んでいますが、いくつかの疑問点を確認するために読んでみようと思います。そして読みながら感じることを書いていきます。まるでYoutubeのリアクション動画のように。
 最初に書いておきますが私は文学を語るほどの文章力はありません。私の文章は完璧ではないし、むしろ絶望的かもしれません。
 何度も読んでいますが、細部は結構忘れているので、お許しください。
 優しい気持ちで見てやってください。ファミコンを持っていない友人が自宅に遊びに来てスーパーマリオブラザーズのWORLD 1-1がクリアできないのを眺めるときみたいに。
 読む時に以下の疑問点について謎を解き明かしたいと思っています。

  •  この小説は叙述トリックによるミステリ小説である。

  •  本来のタイトルである「ハッピーバースデイ、そして ホワイト・クリスマス」が物語の最後に語られるが、これがミステリ小説における「犯人はお前だ」にあたるくらいの大きなキーワードであろうはずなのに、私には意味が伝わってないこと。

  •  僕と鼠は同一人物であり解離性同一症(多重人格)であることの確認。

  •  何人かの女性登場人物がいるがすべて同じ女性ではないのか?

といった点を確認しながら読んでいきたいと思います。

 読み始めに語られる小刻みな文章。主人公である僕は思考に時間的な一貫性がないのですよ。という説明なのだろうか?星マークのところで鼠と僕が入れ替わってる?ハートフィールドについて語っているのは鼠かな?

 例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。

風の歌を聴け 講談社文庫 7P

 これは解離性同一症の外側から見える人間を象として、その主の人格を象使いと例えているのか。知らんけど。

この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。

風の歌を聴け 講談社文庫 13P

 「2」はこの一行しかなくて、この一行にトリックが隠されているような気がするのだけど。わからん。


鼠と僕とのやりとりが描かれていますが、要所要所に鼠が実は存在していない事を匂わせていますね。ロールシャッハテストのような絵についてバーテンのジェイに訊ねた時の回答からも、鼠は僕の隣にいない事が感じられます。隣に鼠がいれば、僕と鼠の関係を答えるはずだし。ジェイには僕しか見えてないと考えるのが妥当ではないでしょうか?
 鼠の家が相当な金持ちである。ことは押さえておきたい。僕と鼠が同一人物であるとすれば、この後、僕も金持ちである事を示唆する文章があるはずだ。

鼠と僕との出会いが語られる。大きな物理的ショックがきっかけで新たな人格が現れたという設定か、もしくはそれまでは鼠と僕はお互いの交流はなかったが、この事故をきっかけに交流するようになった。という事か。それならばおそらく鼠はその前から時々、僕と入れ替わっていただろうと思う。

ジェイがやってきて、僕たちの前に新しいビールを2本置いていった。

風の歌を聴け 講談社文庫 23P

 これは誘導してますよね。ここに僕と鼠が二人いる。という事を印象付けるためのトリックだと思います。

 星マークがあることで僕と鼠が切り替わる。その後の話は僕は存在しない、認識していない。という意味になるのだと思う。こういう約束をきちんと果たすのは本格ミステリ的な技術だと思います。

鼠の小説には優れた点が二つある。まず、セックスシーンの無いことと、

風の歌を聴け 講談社文庫 26P

 このデビュー作の後に村上春樹が書くたくさんの小説を考えると、なんだか笑ってしまいますね。
 3年ぶりにタバコを吸いたくなるという表現があります。4の自動車事故が3年前、その時にタバコを吸っている描写もある。それからタバコを吸っていない。という事。なにかしらの伏線になっていそう。
 女性と鼠のやりとり、先ほど5で新しいビールが2本置かれたのは、女性と鼠(=僕)の為の2本である。という事だと思います。
 5、6で語られる船が沈没した時の話。5では鼠が考えた小説として、6では本当にあった話として女性が語る。
 僕がこの事件を知らない事を考えると、鼠の方が主の人格で僕の方が時々出てくるサブ的な人格かもしれない。鼠にとって辛い事があるとしばらく僕に切り替わるみたいな。

僕が小さい頃に精神科に通う描写がある。解離性同一症の治療という意味だと思う。ヤギの話は何の比喩表現になっているのかさっぱりわからない。
 僕にとって話は突然に終わった。という部分で話の間の部分を入れ替わった鼠が聞いていて、最後の部分で僕に切り替わったせいで「話は突然に終わった」のだと、私は理解していたけど、今回読んでいるとそうは感じられなかった。
14歳になった時におしゃべりになる。というくだりはエヴァンゲリオンでミサトさんに同様のシーンがあったような気がする。

 この章で気になるのは躊躇なくタバコを吸っている事。僕はタバコを吸うが鼠は吸わない。という事か。何か大事な事が隠されているのかもしれないけれど私にはわからない。
 女性が20歳よりもいくつか若く。という点は覚えておこう。

この章はとても重要な章だと思います。ですが、自分には難解だなと思います。多くの伏線が張られているのだと思いますが。ほとんどわかっていないのではないか。

「誰・・・・・・あなたは?」

風の歌を聴け 講談社文庫 34P

 彼女は鼠が解離性同一症であることを知っているのではないかな。それで、人格が鼠でないことを知って「誰?」と訊ねたのではないだろか?このセリフで見知らぬ男女感が出るのは叙述トリック的な感じを匂わせますね。

「何故私を送り届けた後ですぐに消えてくれなかったの?」

風の歌を聴け 講談社文庫 37P

 「帰って」ではなく「消えて」という表現に叙述トリック感を感じますがどうでしょう?
 この章では「葉書」が出てきます。後で何の葉書か説明があるんだっけ?もう忘れてますね。

「ずいぶん飲んだ?」
「かなりね。僕なら死んでる」

風の歌を聴け 講談社文庫 39P

 このくだりの意味がわからないんですよね。僕は洗面所の床に転がってる女性を家まで送ったので、彼女がどれくらい飲んでいるのかは知らないはずなのだけど。

10

 この章はわからんなぁ。何らかのメタファーなのだろうけど。全然、わからないです。

 今回はここまで。続きは書くかもしれないし、書かないかもしれない。

 もしこちらのnoteが面白かったという方はぜひ私の曲を聴いてください。


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