借りパク奇譚(1)
週末、友人の結婚式のため、妻が久しぶりにひとりで熊本の実家に帰り、おれはシンと静まり帰った東京のマンションで、ひとり酒を飲んでいた。午後3時から飲み始め、既に4時間、机の上に並ぶ空き缶の数13缶。いよいよ酩酊したおれは、つまみを食べた割り箸で缶を叩き始めた。
カン カン トチチテ タンタカタン
タタンタ タッタ カンカンカン
カカカカ カカカカ カカカ────
ブーン ブーン
盛り上がりも最高潮のところに電話がふるえる。
「はい、もしもし竹中です。ライブ中です!」
はっきりと相手を確認せず、おれは忌々しい気持ちで電話に出た。
「よお。急な話なんだけど、明日、空いてないか? ついて来てほしいところがあるんだ」
なんだ山田か! いくら酔っていてもあいつのダミ声はすぐにわかる。
「空いてないこともないでござるよ、山田どの」
「お前、酔ってるのか?」
「いや、酔ってる演技だ」
「……そう。まあ、どっちでもいいや。空いてるなら明日、付き合って欲しいところがあるんだ。朝7時に、車でお前の家まで迎えにいくから」
「7時!? やたら早いじゃないか」
「ああ、すまない」
「わざわざ迎えに? 随分と気前がいいな」
「ああ。とても大事な用事なんだ」
「ほぉー」
「それと、本当にわるいんだが、明日までに3万円用意しておいてくれ。金は後で必ず返すから」
「えっ3万円?! そんな金、何───」
「頼んだぞ! 明日7時に迎えにいくからな、じゃあな!」
疑問をぶつけようとしたのに、被せられ、逃げるようにして電話は切られた。
はて、ついて来てほしいところ? 3万円……まさか! ピンク系の店じゃないだろうな!? いやいや、早朝から車を乗り合わせって、さすがにそれはないか。ならば───と考え始めたところで、急にどうでもいい気分になった。まあ、なんだっていい、せっかく酔っ払っているのだ。今はこの圧倒的開放感を、存分に味わうべき時なのだ。おれは冷蔵庫からさらにハイボールを3缶を持って来て、グビグビグビグビ、脳をマヒさせていった。
*
ピンポーン! ピンポーン!
────耳障りな音────誰かが玄関でチャイムを鳴らしているようだ。朧げな意識が徐々にはっきりとしてくる。体は冷え切っていて、足腰に痛みを感じる────そうか、例のごとく酔っ払ったまま床で寝てしまったらしい。
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
執拗に連打されるチャイム。とりあえず、あれをやめさせなければ。おれは朦朧とした意識のまま、フラフラと玄関まで行き、ドアを開けると、そこには怒り狂う山田が立っていた。おれを起こすため、玄関の前で2時間格闘したと言うからそれ当然。見ればスマホには、86件もの不在着信が記録されていた。
手元に3万円を用意していなかったことを知ると、山田の怒りはさらに爆発した。
「この、くそっぱらいがぁーー!!!」(くその酔っ払い)
洗顔、歯磨き、着替えを3分で強要され、「とにかく乗れ」と車にと押し込まれる。それから近くのコンビニに停車し、金を下ろしてくるよう無言の圧力をかけられ、おれはしぶしぶ金を下ろした。それから車内での無言の30分に耐え、ようやくおれは口を開いた。
「すみません山田さん、どこに向かっているんですか?」
「千葉」
ぶっきらぼうに答える山田。
「……千葉のどこでしょうか?」
「カリパクジ」
「えっ?」
「カリパク寺っていう寺だよ!」
山田は怒鳴る。
「寺?」
「お前も " 借りパク " つまり、人から借りっぱなしで、自分のものにしてしまったことがあるだろ?」
「はあ」とおれが気のない返事をすると「この罪人め、カリパク寺はそれを懺悔し、身を清めることができる寺なんだよ」と山田。
「いやいや、そんな名前の寺はないだろ!」とさすがにツッコむおれに、山田はスマホのとある画面を突きつけてきた。
なんと……。寺のwebページを見ておれは顔を引きつらせた。ふざけている、強引だ、罰当たりめ。寺は『火理拍寺』であって、『借りパク寺』ではない。世間にはすぐにこういうことを言い出す輩がいる。まあ、山田もそういう部類の人間だが。
「おいおい、こじつけもいいところだろ!」
おれの批判を見越していたのか、山田は再びスマホを操作しサイトの別ページを突きつけてくる。
これは一体……? 誰かがふざけて言った『借りパク寺』という呼び名に、あろうことか、寺がのっかったということか? いやいや、いくらなんでもそれはないだろう。むしろあって欲しくない。しかし……確かに『借りパク懺悔の門』と書いてある。おれは自分のスマホであらためて『火理拍寺』を検索し、寺のwebサイトをじっくりと見てみることにする。
千葉の山奥にある『火理拍寺』なんとその歴史は、500年以上だという。いわれてみれば確かに、webに記載されている写真の随所から、その伝統や格式が伝わってくる。
ただ、問題はその名前である。『火理拍寺』。 寺の名前としては、かなり変わった名前じゃないか!? 加えてふざけた名前の儀式だ。ネーミングがいくらなんでもファンキーすぎる。
うーむ。おれは唸った。寺は一体いつからこの儀式を執り行っているのか? 確かに「借りパク」というのは、人間の有史以前から存在していた行為のようにも思える。だから、それを悔い改めるための儀式があってもおかしくない? そういうことなのだろうか。
さらに30分が過ぎ、ようやく機嫌が直ってきた山田は、ポツポツと今日のことを話し始めた。山田の目的は何を隠そう、その「借りパク懺悔の門」への参加だという。そして3万円は、その儀式への参加料だと。ふざけた儀式の破格の値段に、おれは再び顔を引きつらせた。
話は進んで、いよいよおれを誘った理由が、単に独りで行くのが心細いだけだったことが判明し、我々の立場は逆転していった。2日酔いの不機嫌さも相まって、おれが細かい愚痴を量産し始めると
「しょうがないだろ! おれは気にしなくても、アイツがどうしても行けというんだよ!」
と、山田は逆ギレする始末。
なんだ、結局そういうことか。『アイツ』というのは、おれが1度も会わせてもらっていない、山田の例のフィアンセのことだ。
先週、急に届いた山田からの結婚式の招待状。おれはここ10年で、一番びっくりした。おれと山田は小学生時代からの親友で、大人になった今でも週一で連絡を取り合う仲である。そんなおれが、山田に新しく彼女ができたことすら聞いてなかったのだ。そんなことがあっていいのか!? いや、いいわけがない。なぜそんな重要なことを秘密にする必要があったのか、何度問いただしても、山田は決して答えないのだ。
「おうおう! おれが一度も会わせてもらってない、例のフィアンセかい!」
おれはここぞとばかりに責め立てる。
「結婚式で会えるからいいだろ!」
「おれはお前の親戚じゃない、親友だろが!」
「とにかく!!! おれたちは今日儀式に参加するんだ!! そうしないと結婚の話が無しになるんだよ!! お前はごちゃごちゃ言わず、黙っておれについてこい!!」
「……」
激昂する山田。その顔は過去に見たことがないほど真剣で、おれはそれに若干の悪寒を覚えた。
(2)に続く