地球の回答
一緒にジムで筋トレをした後、頑張ったからと飲みに行き、タバコをプカプカ、酒をガブガブ「やっぱ『青汁』って相当体に良いらしいぜ」なんて話していた安藤が突然、「やっぱエコだよな、おれたちは地球を守らなきゃいけない」と言い出したのは7月の初めだったか。
例のごとく何かに影響を受けたか、まあもって1ヶ月、8月には落ち着くだろうと思っていたのだが、めずらしいことに9月になってもそれは終わらなかった。
コンビニで酒とつまみを買って、安藤の部屋をたずねると
「あっ、レジ袋買ってる。その行動アウト。地球を守ろうよ。地球、怒ってるぞ」
とトイレと台所の電気をつけっぱなしにしたまま、クーラーをガンガン効かせた9月の部屋でおでんを喰らっていた安藤はのたまった。
まあ、安藤の地球環境を考えるという態度自体は全然間違っていなくて、むしろ立派だと思っていたのだけれど、例のごとく、本末転倒、ツッコミどころ満載で、とってつけたような紋切り型なもの言いがどうにもウザくなってきて、ある日とうとう私は言い返してしまった。
「いや、地球は実際は怒ってないかもしれないよ」
「はぁ? なんでだよ!」
「地球に聞いたわけじゃないだろ?」
そういって私はすぐにしまったと思った。墓穴を掘るとはまさにこのことである
「じゃあ、聞いて見ようぜぇ〜ピナ子ちゃんにさ〜」
安藤はそれを10人が見たら、うち9人はしばきたいと思うような、気持ち悪い笑顔でいった。
ピナ子ちゃんとは、私が1ヶ月前に告白し、振られた女の子であった。
*
「ごめんなさい……私、彼氏がいて……」
彼女は本当に申し訳なさそうにいった。真っ当な理由だった。けれど、私なりに彼氏がいないことは散々調査していたので、少しびっくりして
「彼氏はいないと思ってた」と、つい口にしてしまった。
「ごめんね。最近2年くらい会ってないし、彼氏いるように見えないよね」
「2年⁉︎……遠距離ってこと? 2年はちょっと長いね……」
2年という言葉に思わず私は反応する。
「うん、彼はオーストラリアに住んるのね。だからそんなに頻繁には会えない。まあ、3年に一度くらい会えればって感じかな」
「……そんなもん? 寂しくない?」私は動揺しながら聞いた。
「彼ね、事情があってオーストラリアから出られないの。でも、私も今すぐオーストラリアに移住するわけにもいかない。でも大丈夫、木々や大地、海に協力してもらえば、いつでも彼と話せるの。だからまあ、寂しくはないかな」
真顔で彼女はそう続けた。国から出られない? ピナこちゃんの彼氏は一体何者なのだろうか。『木々や大地、海の協力』? はて、何かの比喩だろうか。少なくともピナ子ちゃんが冗談を言っているようには見えなかった。
「なかなか、複雑な事情があるんだね……」
色々な思いはあったが、私はそういうのがやっとだった。
「本当にごめんなさい」
「いや、大丈夫。こちらこそごめんね」
ピナ子ちゃんの彼氏が、オーストラリアの『ラミントン国立公園』にある樹齢250年の『大樹』だと知ったのは、それから一ヶ月後のことだった。
どうしても諦めきれず、「彼氏と別れて付き合ってくれないか」と再度告白した私に、彼女は本当のことを教えてくれたのだった。
ピナ子ちゃん、本名柏木日菜子は生まれつき草木や大地、川などと話すことができる少女だった。
自然と話した一番古い記憶は4歳の時。友達と公園でかくれんぼしていた彼女は、タンポポと話をして「友達がどっちの方にかくれたのか」を教えてもらったという。
以来、彼女にとって、自然と話すことは日常的なことだった。自然は概して穏やかで、理知的で、話していてとても楽しかった。そしていつしか彼女は、自然、特に「木」に恋愛感情を抱くようになっていた。初恋の相手も近所の公園にあった木だったというから驚きである。
一方ペナントレス(ピナ子ちゃんの彼氏の大樹の名前らしい)の方も人間に恋心を抱く稀有な木だった。
人間達の中、ごくまれに自分の言葉が分かる人間が存在した。そういった人は他の人間とは根本的に何かが異なっていて、彼を強く惹きつけた。実際ペナントレスにはピナ子ちゃんの前にも何人か恋人がいたことがあった。けれどやはり木と人間との恋が成就するのは難しかった。残念ながら中には既に亡くなってしまった恋人もいる。
5年前、ピナ子ちゃんが旅行で初めてオーストラリアをおとずれた時、2人は出会った。森で歌うペナントレスの声を、ピナ子ちゃんが聞きつけ、ピナ子ちゃんが声をかけた。2人はすぐ意気投合し、付き合うことになった。
ウヒャヒャヒャヒャヒャ
この話を聞くと安藤は、悪魔のような笑い声をあげた。
「ヤバイっしょその娘。いやぁ〜よかったね〜フラれて」
確かに自分で話してみても荒唐無稽、ぶっ飛んだ話だと感じた。けれど彼女が話していると、それが全然嘘に感じない。むしろ尊いことのように感じるのだ。
「もしかしたら、彼女は本当に話せるのかもしれない……」 私はつぶやいていた。
すると安藤はサッと私のおでこに手をあて「あ、やっぱり熱があるぞ、早く帰って寝ろ」といってきた。以来ピナ子ちゃんの話は、安藤の大好物となったのだった。
*
「聞いてみましょうよ。聞いてみましょうよ。怒っているのかどうなのか。彼女ならわかるでしょうよ」
安藤がうざいくらいにたたみかける。
「最近、会ってないからね、無理だね、絶対無理!」
「あっ逃げる気かぁー。きたないぞ。地球は『てめえら大概にしろー!』っていってますよ。絶対いってますから」
以後私はしつこい安藤を何度もあしらった。
ただ、あとになって考えてみると、実際自分もそのことに興味があることに気がついた。
最近頻発している異常気象、安藤と同じように地球が人間たちに警鐘をならしているいう人もいる。果たして本当のところはどうなのか? それが分かれば、環境問題に対する自分の真剣度も変わってくるのではないか。それに何より……彼女が本当に自然と話せると、それをきっかけに証明できたならば、私の気持ちにも踏ん切りがつくのではないか。
数日後、私は事の次第をピナ子ちゃんに説明し、それが可能かを聞いてみた。
「たぶん、可能だと思う」
彼女はさらりといった。
何をもって地球というかは難しいが、事実、地球上のすべての自然は、互いにそれぞれが得た情報を共有しあっている。
当然その中には人間についてのものもあり、それらを統合した総意というものが存在する。だから、ペナントレスに聞けば、地球が人間をどう思っているのかが分かるのではないかと。
私は感心し、ぜひ次にペナントレスと話す時には、それついて聞いてくれないかと頼んだ。
すると彼女は、よければその時に私と安藤も同席してみたら提案してくれた。
そんなやりとりをしていて、私は彼女の親切な対応に、ますます彼女を好きになってしまったのだが、安藤は相変わらず、「すげーなピナ子ちゃん、パナいね。パナ子ちゃんだ」とバカにしてきたので、わたしは安藤が10日以内に5回、犬のフンを踏むことを心から願った。
10月半ば、私と安藤とピナ子ちゃんは日比谷公園の『日比谷門』前に集合した。
実際どうやってペナントレスと話すのかと思っていたのだが、事前に聞いた話、日比谷公園にはペナントレスの友人である大樹、「林太郎」が暮らしており、その「林太郎」がいつものように、ペナントレスとのコンタクトに協力してくれるとのことだった。その話を聞いた安藤は「日本とオーストラリア。離れた木どうしがどうやって友達になるのかね?」「名前か林太郎って、ウケすぎる!」とまたもやバカにしてきたのだが、当日、ピナ子ちゃんの前ではそんなことをおくびにも出さないのは流石であった。
『日比谷門』から公園へ入ってしばらく、私たちは一本のたいそう立派な木の前にたどり着いた。この木こそ「林太郎」であるようだ。
林太郎の樹齢は何年なのだろうか? いや、そもそも木はどのくらい生きるのか? もちろんそれは木の種類によって異なるだろうが。木には寿命という概念があるんだっけか? 林太郎を前にして、私はそんなことを考えていた。
ピナ子ちゃんは私たちを背にして両手を突き出し、それを林太郎に当て目を閉じた。
そしてそのままじっと、動かなくなった。
彼女の背後でおどけた表情をする安藤を無視して、私は少し前に進みでて、ピナ子ちゃんを横から観察する。
彼女は時々小さくうなづいている。どうやらすでに「林太郎」と何かを話しているようである。
それは随分と長い時間だった。安藤も私いよいよ退屈し始めた時
彼女は私たちの方を向き直り、「ペナントレスに繋がったよ」といった。
「おお!すごいと!」とオーバにいう安藤。
「せっかくだからペナントレスと直接話してみるのはどう?」といわれ、私と安藤は顔を見合わせる
「どうすればいい?」 私は聞いた。
「私がさっきみたいに林太郎に触れたら、2人も私の肩に手を置いて目を閉じて。喋りたい時は、あたまの中で言葉を組み立てる。そうすればみんなに声が聞こえるから」
私も安藤は半信半疑だったが、とりあえず彼女の左右の肩にそれぞれが手をのせ目を閉じた。
『ペナントレス あなたと話したがってる友達よ』
あたまの中にピナ子ちゃんの声が響く。これは……人生で初めて体験する不思議な感覚である。
『ペナントレスです、よろしくお願いします』
低く渋い声はペナントレスのものだった。
確かにそれは人間の声とは何かが根本的に違っている。重力を感じる声。そんな感じだろうか。驚きと感動の中、私はあたまの中で言葉をつくる。
『坂本です。よろしくお願いします』
私の言葉が、いま私たちが共有しているなにがしかの世界に響く。
すごい。わたしは興奮と勝ち誇った気持ちで、目をつむったまま足で安藤をどついた。みたか。やはりピナ子ちゃんは本物なのだ。
『僕は安藤です。今日はこのような機会を得られて本当に光栄です。ずっとお話できるのを楽しみにしていました。ペナントレスさん、今日はよろしくお願いします』
安藤の声があたまに響く。ぬぬぬ。この男本当にあざとい。
『さっきも言った通り、2人は地球上の自然が人間をどう思ってるのか、正直な気持ちを知りたいらしいの』
ピナ子ちゃんが説明する。
『僕たちは地球を守りたいと思ってるんです。本当に人間たちは好き勝手やりたい放題、地球に迷惑をかけっぱなしです。僕たちは地球から本当の気持ちを聞いた上で、地球のために何ができるか、それを真剣に考え、精一杯行動していきたいと考えているんです』
ペラペラとこざかしくシャシャリ出る安藤。
『なるほど……お気持ちは分かりました。ただ……』
ペナントレスは言い淀んだ。どういったものか、言葉を探しているように感じた。
『人間に対して、私たちの自然の総意というものはあります。それが地球の気持ちといえば、ある意味そうなのでしょう。ただ、私はそれを今ここでいうことが少々つらい。それは、私が人間と話をしたり恋をしたりする木であり、少し他のものとは違っているからかもしれません』
『なるほど。痛いほどわかります。ペナンさんとしては、ピナ子ちゃんの前で人間をディスるのはちょっとはばかられるってことですね。でも、そこをどうにかお願いしたい。やはり僕たちは真実を知らなくてはいけないと思うんです。地球がどれだけ怒っているのか。それを知って、それと向き合い、地球のために活動していく。僕たちにはどうしてもそれが必要なんです』
動じずに安藤はたたみかける。しかしよくもまあ、ここまでツラツラと。口から生まれた安藤に私は感動すら覚えた。
『しかし……』
それでもペナントレスは言い淀んでいる。
『言ってくださいペナンさん! 僕たちには受け入れる準備があります!!』
安藤が叫ぶ。
『ちょっとよろしいでしょうか?』
急遽、聞きなれない声が響く。ただしその声にはペナントレスと同じく重力を感じる。
『ペナントレスはとっても礼儀正しく、優しいやつでして、たぶん性格的にそれを口にすることはできないと思います。だからどうしても聞きたいというのなら、私が代わりに答えます。いいよな? ペナ』
『……わかった。でも、お手柔らかに頼むよ、林』
そういってペナントレスは同意する。
なるほど、声の主は林太郎か。つまり、今私たちの目の前にいるこの「林太郎」がペナントレスの代わりに答えてくれるようである。
『林さん、お願いします』と安藤。
『━━安藤さん、まず最初に、君の発言の中でとても気になる台詞があった。「地球のため」という台詞だ。果たして君は本当に地球のことを考えているのだろうか? 正直地球は、君たちに地球環境の回復を期待していない。君たちが心配している地球環境は、人類が絶滅してくれれば、自然と改善していくからだ。もちろんすぐには難しいが、時間をかければ私たちは自分の力で確実に復活することができるだろう。だから君がいう「ため」は「地球のため」ではなく「君たちのため」だと思う。今の現状が続き、君たちが到底住めない地球になってしまったら、君たちは絶滅するしかないからだ。
もしそれを避けたいと思うなら、君たちは変わっていかなくてはならない。あせらず、休まず、しかし確実に。
私たちの大半は君たちを奇妙な存在だと思っている。君たちの活動は非常に奇妙だ。いつからそうなったのか。地球にいながらそこに含まれようとしないからだ。君たちの大半の活動は「空」と「大地」と「海」と「太陽」によって行われるエネルギーの流れを止める。君たちは、大きなエネルギーの循環の中にいる。それを知らなくてはならない。
「空」と「大地」と「海」と「太陽」。それでワンセットだ。海の水が雲となって雨となり降り注ぎ、空と大地が繋がり、太陽がそれらを包み込む。そこに自分たちをどう含めるか。それを考えなくてはならない。
そもそも含まれるとはどういうことか。大きく呼吸して、宇宙の膨張と縮小を体感し、何度も考えてみるといい。
君たちは歩いて移動することができる。わたしたち木にはそれができない。ただ、君たちは移動することはできるが一箇所にとどまることはできない。それについても考えてみて欲しい。
自分の足でよく歩き、考えるんだ。君たちが歩く存在であることの本当の意味に気が付いた時、君たちは確実に変わっていると思う』
*
地球の回答を聞いてしばらく、安藤はひどく無口な男になった。安藤の口を縫った男。今では私は「林太郎」をそう呼んでいる。
なぜ急にあれだけ環境問題にこだわったのか。酔っぱらった安藤が「告白した女の子に全くエコぽい男じゃないといって振られた」とゲロしたのは、もう少しあとのことだった。
一方ピナこちゃんは、地球の回答を聞いてすぐ、世界放浪の旅に出発した。世界中の木と話してみたいのだという。
*
12月の休日、私と安藤は日比谷公園のベンチに座りお弁当を食べている。12月にしてはポカポカと暖かく、心地よい噴水の音が心を浄化してくれるようだった。
じっくり時間をかけてお弁当を食べ、いくつかたわいもない話をした後、私たちは「林太郎」の前にやってきた。
目を閉じて、林太郎に手を当てる。これで何度目か、やっぱり「林太郎」の声は聞こえなかった。
「あーあ」安藤がため息をつく。
「しかたないさ」私はいう。
「含まれる方法、おれたちは絶対見つけるからな」
そういって安藤は、林太郎の太い幹にパンチする。
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