借りパク奇譚(7)
「皆様ありがとうございました。皆の前で懺悔するのは苦しく、また同時に勇気が必要なことだったのではないでしょうか。ここで、その勇気を讃え、お互いに拍手を送り合いましょう」
そう言って亮潤は拍手を始める。
パチ パチ パチ パチ。
戸惑いながらも、支持したがって拍手する面々。
パチ パチ パチチ。
ところが
パチパチパチパチ!
調子に乗って、一人、木がはぜる音に負けないくらいの音を立てる『パチバルジャン』。お前には「勇気」より「狂気」を感じたがな。おれは思う。
「ご協力ありがとうございました。さて、『懺悔の儀』を終え、皆様は無事『懺悔の門』の前までやってきました。ここからはいよいよ『門』をくぐっていくための儀式に入っていきます。それらの儀式の最初を飾りますのは『問答の儀』です。これから私が皆様にいくつか質問しますので、皆様は引き続き、正直に答えて下さい」
「はい」
亮潤の声に再び緊迫感が生まれ、皆の声が揃う。
「問います。皆様は過去に、逆に自分が貸したものを、他人に"借りパク"された経験はあるでしょうか? あるという方は挙手してください」
全員が手を挙げる。
「では"借りパク"されてしまったものの中で、今でも返して欲しいと思うものはありますか? あるという方は挙手してください」
おれとクロエが手を挙げる。
返して欲しいではなく、絶対返してもらうがな。おれは山田を睨みながら思う。
「問います。皆様が懺悔した"借りパク"してしまったものの中で、現在 ”一番後悔しているもの” 、もしくは ”気になっているもの”を教えて下さい。回答は『懺悔の儀』の逆順でお願いします」
「時間です」とクロエ。
「成田千佳です」とカンバルジャン。
「タイヤです」とボンネ。
「文庫本です」とおれ。
レモンも文庫本もその限りではないが、仕方ない。
「よろしい。では皆様、目を閉じて下さい」
むむむ。もしやこれは、瞑想修行? だろうか。 反省の足りていない、心が乱れた者を亮潤様が警策でパシパシ叩くのだ。亮潤様、山田に関しては肩ではなく頭を、いや、足のスネをおもいっきりぶっ叩いてください。おれは願う。
「問います。皆様が今、答えたものについて、仮に今それを持ち主に返すことができるとしたら、皆様はそれを返しますか? 返すという人は挙手して下さい」
目を瞑ったまま挙手させる。この主に小学生を対象に実施される犯人探しのような方法に、どんな意味があるのか? ただ、当然おれはすぐに手をあげた。むしろ返せるものなら返したいのだ。先ほどの懺悔を聞く限り、クロエ、そしてボンネも手をあげるだろう。ただ、山田は、決して手をあげないだろう。
「ありがとうございます。手を下ろしていただいて結構です」
誰かが迷っていたのか、おれは随分長い間、手をあげていたように思った。
「皆様、目を開けて下さい。ではこれより、『智慧の儀』にうつっていきたいと思います。ここでは、先にあげた、” 一番後悔しているもの ”、もしくは" 気になっているもの "について、どういった経緯でそれを借りることになったのか、また、どうしてそれを借りたままにしてしまったのか、そのあたりの事情を詳しく説明していただくことになります。なお、ここでは、途中疑問があれば、参加者は発表者に質問することもよしとします。話を聞き、考え、意見をかわし、理解を深めること。それが『智慧の儀』の目的となります。より話しがしやすいように、ここからは皆で円になりましょう」
亮潤に促されて、おれたちは円になって座った。
「『智慧の儀』においては発表者の順番は特に決めません。それぞれお好きなタイミングでお話しください」
亮潤はそう言うと、そのまま目を閉じ瞑想に入ったかのごとくじっと動かなくなった。
「じゃあ僕からいいでしょうか?」
勇敢にも先陣を切ろうとするボンネ。こういう場面で前に出れるボンネをおれは賞賛して見つめる。ボンネが借りパクして一番後悔しているというタイヤ。それを借りパクする状況が全く想像できなかったおれは、いよいよその答えが聞けるのかと思うと少しワクワクした。
「当たり前のことですが、僕は今日『懺悔の門』に参加したからといって自分の罪が軽くなるとか、やったことが許されるとは思っていません。ただ、今度、息子が生まれるんです。だから父親になる前に、どうしても何か、償いや禊になることがしたかったんです」
「おめでとうございます。予定日はいつ頃ですか?」
とクロエ。
「来月の20日です」
おれも山田も祝福の言葉を口にする。息子のために懺悔。やはりボンネは相当真面目な、できた人間である。もうすぐ結婚を控えた、どっかの誰かさんには、その爪の赤を煎じて飲んでもらいたいものである。
「さっき宣言した通り、僕が借りパクしてしまった物の中で一番後悔しているものはタイヤです。タイヤなど、どうやって?と思われるかもしれませんが、世の中には本当に親切な人がいるんです。
もう20年くらい前になるでしょうか。車と旅行が大好きな僕は当時、車で日本中を旅していました。
タイヤがパンクしてしまったその日は、ちょうど長野の砂利道を走っていました。初めに感じた違和感を無視して走り続けたのがよくなかったのでしょう。道すがら、ついには前輪のタイヤの1つがパンクしてしまったんです。
焦りました。その場所は結構な山奥で、近くに民家などなく、車なんか滅多に通らない。携帯の電波も繋がらない。当然スペアタイヤなんかも持っておらず、文字通りなすすべがありませんでした。
ところがここで奇跡が起こります。なんと、それから5分もしないうちに、そこを一台のトラックが通りかかったんです。僕は大声で手を振り、そのトラックに助けを求めました。
乗っていたのは初老の男性。事情を説明したところ、驚いたことに男性は、僕の車で使える換えのタイヤをちょうど持っていると言うではありませんか。びっくりしました。こんな偶然あるのかと。とても安い言い方ですが、その時、"神様って本当にいるんだなぁ" と思いました。
さらに男性は車の整備に相当慣れているのか、慣れた手つきで素早くパンクしたタイヤを交換してくれました。僕は恐縮して市街地まで行ったら都合をつけて、なるべくすぐにお返ししますと言いました。ところが男性はタイヤを返すのは、旅行が終わって、落ち着いた後で良いと言います。僕は何度もお礼を言いました。正直言って貧乏旅行だったので、タイヤを買うならばそこで旅行をやめなくてはならなかったんです。
それから男性の名前と連絡先を聞いたのですが、男性は名乗るほどの者じゃないと、結局、最後まで名前は教えてくれませんでした。代わりに、携帯の番号と住所が書かれた紙をくれ、颯爽と走り去って行きました。おそらく、登場してから立ち去るまで、30分ほどしか経っていなかったと思います。いずれにせよ、僕はそのようにしてタイヤを借りました」
そこで、ボンネは一呼吸おいた。
極端に親切な人。勝手な印象だが、長野の山奥あたりにはそんな人がいるのかもしれない。しかし解せない。結果としてボンネはタイヤを借りパクしてしまうのだ。なぜそんなことを? 少なくともここまで接してきた感じ、ボンネがそんなことをする人間には到底思えなかった。
(8) に続く