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名無しの若者。私は未経験経営者 ②
海外からの帰国
海外生活を約一年。楽しかったような楽しくなかったような。
でも良い経験だったなと思いつつ、日本に戻りました。
日本に戻って初めにやったことは不動産購入。ずっと気になってたということと、不動産は投資の中では好きな部類だったので挑戦と少しの趣味として始めました。
まずは北関東の繁華街の一棟物。その後は都内の区分ちょろちょろ。
今でも不動産は買ったり売ったりしてますが、ほとんどは区分。
不動産を少しやってみて思ったのは、刺激というか仕事をしてみたいという気持ちでした。
辛い思いをしながら会社経営してたのにまたやるのかと周りからツッコミをもらいましたが、毎日に何か充実感がほしくて会社を立てることにしました。
帰国後の初仕事
最初に手掛けたのはITの受託事業。私がIT分野出身なので割と手頃に始められる範囲でした。
その後、自分も仕事しながらSESもやり、これは面白いなと思いコンサル常駐型のSESを始めました。
コンサル4名、クリエイティブ系の人6名、その他運用系エンジニア3名の会社です。
しかし、あまり変則的な成長をしないので、固い商流だけにしようと思い医療系運用保守の会社へ変更します。
不況にも耐えられる会社作りをしようと思い始めたのもあります。
同タイミングで自分も現場仕事、コンサルの仕事から離れ、新しい会社を買収します。
関東の端っこで頑張るクリーニング屋です。
いわゆる地域に根付いた会社ですね。
このクリーニング屋さんとは色々な縁で結ばれていてかつ、私を気に入ってくれて元オーナーは私の引っ越し先の近くまで引っ越してくるほどです。
ちょっと怖いです。
勢いに乗った私は更に金型の工場、不動産管理の会社を買収します。
買収後、キャッシュフローが落ち着いたタイミングで喫煙に関する店舗を立ち上げます。
ただ、必要な素材の中でどうしても高い値段の素材があり、どうしたものかと迷った末に韓国の会社と事業提携し、独自の生産ラインを整えました。
その後、店舗は月に100万、200万と売上を伸ばしていき、フィリピンの会社へ売却します。
ブランド物の物流立ち上げ
この売却と同時並行して進めていたのが、型落ちブランド物の買取、海外売却です。
型落ちや、店舗で余った高級ブランドを購入または回収して、東南アジア系の富裕層に売却する。というビジネスモデルです。
立ち上げ当初は2名で運営していて、1名は途中離脱。1人で仕入れと検品と発送まで回していました。
立ち上げ当初は国内に売っていたのですが、海外へ売却した方が利幅が良かったので、後に海外を主戦場としています。
時にはバーキンの仕入れなども行い、順調に売上を積んで行きました。
仕入、検品、販売をしていると中には修理を必要とするブランド物も出てきました。
後の売却話と繋がりますが、このタイミングで検品と修理の体制を作り始めます。
修理が必要とする物の場合、即時で買取ができないため事前に送っていただき、査定して代金を支払います。
この査定時に検品コスト、修理コスト、海外輸送のコストを弾き出して利益を計算する仕組みとシステムを構築しました。
関東でいくつか作業拠点を開設し、倉庫も発送場所近くに構えていつしか7名の会社となります。
この7名くらいになり、安定したタイミングで海外に興味を持ち、東南アジアにITの会社を設立します。
元々、とある企業のお抱えだった開発拠点を買収して新設しました。
結果的に約4000万円ほど投資し、駅の改札機や、空港の検査ゲートの開発に着手します。
社員は現地のスタッフが30名、日本から送ったスタッフが11名の小さな開発会社としてスタートします。
日本からのスタッフは、コンサルや腕利き営業マンを揃え、日本と海外の二重生活で活躍してもらっていました。
ここまでの私
勢いと根性だけでやってきた状態で、常に攻めの姿勢でいました。
後に大きな失敗が待ち受けているとも知らず・・・。
>> そのうち続く